1-3-06

 俺は本と紙を持ったまま、そっとほたるの部屋に入った。

 ほたるは何もいわず、俺のあとをついてきている。

 ベッドのそばの床に座って、本と紙を置いた。

 メサは規則正しい寝息を立てて眠っている。

 部屋の中は薄暗く、ドアの隙間から入ってきた淡い光の帯が、メサの体をほんのりと照らしている。

 ほたるは何もいわない。

 ――右京。あの子は、なんや。

 大吾の言葉が脳裏に蘇る。

 たぶん、これは俺が自分自身で確かめなければならないことだ。

 俺はそっとメサの耳に手を伸ばした。

 そんなことはありえない。

 頭の中でわかってはいても、確かめずにはいられなかった。

 もう少しでメサの耳に触れる、その瞬間、ぱちり、とメサが目を覚ました。

 ぎくっ、と俺は思わず手を引っ込めた。

 ピンポーン! とインターホンが鳴った。

 今度は、びくっと体が飛び上がった。

「アイティです」

 そういうと、メサはぴょこり、と上半身を起こした。


 小ぶりなスーツケースを転がしながら、アイノさんが玄関に姿を現した。

「ごめんなさい。遅くなりました」

 ほたると俺が出迎えた。 

 アイノさんがスニーカーを脱いでいる間に、俺は彼女が持ってきたスーツケースをほたるの部屋まで運んだ。

「ありがとう、ウキョウさん」ほたるの部屋を覗きながら、アイノさんがいった。「あら。この子寝てたんですか?」

 ベッドに腰かけて、メサは伸びをしている。

「実は……」

 俺は、メサが霊園で熱を出したこと、今はもう熱は下がったが、さっきまで寝ていたことをアイノさんに話した。

「だいじょうぶです。心配しないでください」

 アイノさんは俺に微笑みかけた。

「よくあることです。ええっと、ほら、なんていうんでした? 子供の頃に出る熱のこと、赤ちゃんがよく……」

「知恵熱のことですか?」

「そう! それ。ティーシング・フィーバーね」

「いや。でも、知恵熱って確か、生後すぐの頃に出る熱のことですよね」

「生後一年くらいね。でも、メサの場合も同じ。あの子も、たぶんこれまで知らなかったことを知ったから。変化が起こったから。それで一時的に熱が出たの。この話はまたあとで」最後にそっと俺の耳元で付け足すと、アイノさんはお茶を入れているほたるを手伝い始めた。「ほたるちゃん、お構いなくー」

「はい。じゃあこれ、お願いします」ほたるが、アイノさんにお菓子の入ったボールを手渡した。

 アイノさんの最後の言葉が気になったし、それになにより、メサのことが気がかりだったけど、今はとりあえずみんなとお茶を飲むしかなかった。

「どうしたんですか、ウキョウさん」

 どうやらぼーっとメサのことを見ていたみたいだ。

「あ、いや。何でもない」

「ウキョウさん、私、ベイビー・ドラゴンに会いに行かなければなりません」

「え。ああ」

「私も、ホテルに戻りますから、途中まで一緒に行きましょう」アイノさんがいった。

 俺はほたるを見た。

「私は、晩ごはんの支度があるから」ほたるは、じっと俺をみた。「ふたりでゆっくりお話したら?」

 こうして俺は、メサとアイノさんを伴って、出かけることになった。

「ちょっと待っててください」

 出かける間際、メサがほたるのところにいって、何やら話したあと、ふたりはほたるの部屋へ入っていった。出てきたメサは、小さなかばんを肩から下げていた。

「じゃあ、行きましょう!」


 外は夕暮れ間近で、雨上がりの空はオレンジ色に染まりつつあった。

 俺はふと足を止めた。

 目の前のさびれた駐車場は、あいかわらず打ち捨てられた二台の車があるだけだった。

「初めてここでメサに会ったんです」

 俺はアイノさんにそういって、駐車場の中に入っていった。

 アイノさんとメサも俺のあとをついてきた。

 メサが描いていた魔法陣はまだそのまま残っていた。

 魔法陣のそばに、メサがしゃがみ込んだ。

「なあ。どうして、これ描いたんだ?」

「だって、異世界から来る人は、みんなこれを描くじゃないですか」メサが、でしょ? という感じで、俺を見上げた。

「メサ」俺は緑色の瞳に語りかけた。「本当は、どこから来たんだ」

 メサは、アイノさんを見上げた。

 しばらくメサを見下ろしていたアイノさんは、俺に向きなおって、いった。

「右京さん。そろそろ、本当の話をします」

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