1-3-05

 車内ではもっぱら、助手席の俺と運転している大吾が、昔話に花を咲かせているという体で会話を続けた。

 後部座席では、ほたるの膝枕でメサが横になっていて、どうやら眠っているようだった。熱はもうほとんど平熱まで下がっている。

「そういや、小説、書籍化されるんやって? おめでとうさん」

「ああ。ありがとう」

 俺はさりげなく隣の大吾の表情をうかがった。今はもうリラックスしているみたいだ。ただ、大吾はやろうと思えば自分の感情をかなりコントロールできるから、あまり見た目は信用できないんだが。

「改めて、ちゃんと報告しようと思ってたんだぜ」

「ほんまかいな」

「だって、俺が小説書き始めたのも、大吾のおかげだからな」

「そうやっけ」

 俺はちらっと、ほたるを振り返った。

「京ちゃん、大吾さんが文章褒めてくれたから、小説書こうと思ったんだって、いつもいってますよ」ほたるがいった。

「へえ。それって、いつぐらいの話や?」

「小学校の高学年くらいかなぁ」

「どんだけ昔やねん」

「それに、お前がいなかったら、俺は完全に中二病になってただろうから、そういう点でも感謝してるよ」

「なんやそれ」

 身近に本当に特殊な能力を持っている人間がいると、中二病なんてばかばかしくてやってられなくなるのだ。

「まあ、お前は昔から作文とか、むっちゃ上手かったからなぁ」

「初めて京ちゃんが小説書いたの、小学校六年生の時なんだよね」

「しっかし、ほたるちゃんもよう憶えてるなぁ」

「私はまだちっちゃかったけど、すごいなぁって思いましたから。でも、本人はまったく憶えてないみたいですけどね」言外に非難めいたニュアンスを感じて俺が振り返ると、ほたるは雨に濡れた町並みを眺めていた。

 確かに、俺は初めて書いた小説がどんな内容だったか、すっかり忘れてしまっている。

「悪かったな」俺は少しぶっきらぼうな口調になってしまった。

「なんや、夫婦喧嘩かいな」

「違います」俺たちはユニゾンで答えた。

「仲のお良ろしいこって」

 ははは、と大吾は笑った。


 ほたるの家に着いた頃には、雨はもうほとんど上がっていた。

 メサの熱は完全に下がっていたけど、ぐっすりと眠っているので、俺が抱きかかえて車から降りた。

 大吾が「手伝おうか」といってくれたが、先ほどのこともあるので大丈夫だといっておいた。

「ほな、またな。連絡するわ」運転席から、大吾がいった。

「ありがと。助かった」

 軽く手を振ると、大吾は車を発進させた。

 俺は昨晩と同じく、メサをほたるのベッドに寝かせて、テーブルのいつもの席に座った。

「何か飲む?」ほたるは冷蔵庫を開けて、オレンジジュースをコップに注ぐと、立ったまま一気に半分くらい飲んだ。

「いや。いい」俺は答えた。

「アイノさんに連絡したほうがいいよね」飲み干したコップをシンクの中に置いて、ほたるが向かいの席に座った。

「いや。このあと、来るはずだし、大丈夫だろ」

 ほたるは何かを考えているようだったが、おもむろに立ち上がって、自分の部屋へ入っていった。しばらくして、一冊の本を手に戻ってきた。

「京ちゃんに見てほしいものがあるの」

 そういって差し出した本の表紙には『フィンランドのくらし』とあった。これ、確かメサが図書館で見てた本だ。かなり読み込まれている。

「これって……」

「昔、京ちゃんの家にあった本。たぶん、おばさんが買ってくれたんだと思う。憶えてない?」

「そういえば……」なんとなく思い出してきた。「その頃俺、小説を書き始めたんじゃ……」

 ほたるが本を開き、奥付けと裏表紙の間に挟まっていた紙を取り出した。

 A4の紙が十枚ほど。一番上の紙には、下手くそな字で『雪の魔法使い』と書いてある。

「これって」

 ほたるがうなずく。

「京ちゃんが初めて書いた小説」

 俺は紙をめくった。黄色く変色した紙に、縦書きでびっしりと鉛筆で書かれた文字が連なっていた。

「最後のページ」ほたるがいった。「見て」

 一番最後の紙には、色鉛筆で絵が描かれていた。

 そこには、緑の髪の毛の、エルフの女の子が描かれていた。

 思い出した。

 悪い魔法使いが、魔法を使ってみんなを雪の中に閉じ込めてしまう。主人公の男の子が魔法使いと対決して、みんなを助け出すというお話だった。

 そして、男の子を助けてくれるのが、エルフの女の子だ。

 その絵には、女の子の名前が書かれていた。

 俺は、ほたるの部屋に視線を向けた。

 わずかにドアが開いている。

 そのドアの隙間に目を向けたまま、俺は絵に添えられていた名前をつぶやいた。

「メサ」

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