1-2-07

「それよりも、時間、いいのか?」

 俺は壁の時計を見上げた。

「あ。そろそろ出なきゃ」ほたるが立ち上がりかける。

「えー」メサが不満そうな声を上げる。「もうですかー」

「続きはまたあとでな。まずはちゃんとお母さんに挨拶しなきゃ」

「わかりましたー」しぶしぶ立ち上がったメサがあたりを見渡している。「ところで、ウキョウさんはいつもどこで執筆なさっているんですか」

 俺はこたつを指さした。「ここ」

「どこ?」

「だから、ここ。こたつで」俺は後ろの棚を振り返る。「そこにあるノートパソコンで書いてる」

「そ、そうなんですか」メサは、リビングに面した締め切られたドアを見た。「私、てっきりあそこがそういうお部屋なのかと」

 背を向けて上着を着ていたほたるが、こちらを振り返った。

「そこは開かずの間になってるんだ」俺はメサにいった。

「開かずの間って、なんですか?」

「まあ、物置みたいなもんだな」

「へえ」

 ほたるの視線を感じながら、俺はメサに俺のダウンジャケットを着せてやった。

 玄関を出るまで、ほたるはずっと無言だった。


 最寄駅から二駅電車に乗って、俺たちは繁華街に降り立った。

 駅前の雑居ビルの一階。そこにはスナックやラウンジが軒を並べている。俺は、そのうちのひとつの扉を開けた。開店前なので、『良佳』と書かれた看板のライトは消えたままだ。カランカラン、と扉に付けられた鈴が鳴る。

 店内は薄暗くて、灯りはカウンターの周りにしか点いていない。四つあるテーブル席のソファーは脇に寄せられている。

 カウンターの奥から調理をする音が聞こえているが、姿は見えない。

 ほたるがメサの上着をハンガーにかけると、メサはソファに座ったり、店内をきょろきょろ見渡したりしている。

 俺がカウンターに近づくと、ひょい、とヨシカさんが顔を覗かせた。

「いらっしゃーい」

「ご無沙汰してます」

 俺はスツールに腰かけた。

「ほーんと、京ちゃん、久しぶりねぇ。バイトちゃんと行ってる?」

「ええ、まあ」

「あ、出版決まったんだって? おめでとう。今度お祝いしなくちゃね」

「いや。すごくマイナーなレーベルだし。たぶんすぐ絶版になっちゃいます」

「またまたぁ。謙遜しちゃってー」

 にこにこ微笑んでいるヨシカさんは、相変わらず美しい。

 ほたるとメサもカウンターの席についた。メサはスツールの足置きに足が届かず、ぱたぱたさせている。

「あなたが噂のメサちゃんね」

「よ、よろしくお願いします」

「か。か・わ・い・い!」

 ヨシカさんの目がハートマークになっている気がする。

「すっごく自然に染まってるわね」

「あ、ありがとうございます」照れくさそうに、メサは頭を押さえた。

「それにこれ、よくできてるわねぇ」と、メサの尖った耳たぶをヨシカさんがつまむ。

「ふにゃあ!」

「あらら。ごめんなさい」 

「い、いえ……」

 なんか、ヨシカさんの前だとおとなしいな。

 メサは、ほへーっとした顔で、ヨシカさんを見つめている。

「ヨシカさーん。お腹減ったんですけどー」

 ほたるがいうと、「はいはい」とヨシカさんは奥へ引っ込み、すぐ皿に盛られたオムライスを持って戻ってきた。

「はい、どうぞ」

 メサが目を輝かせている。

 ヨシカさんの料理はどれも美味い。なかでもオムライスは絶品だった。たぶん赤ワインをたっぷり使っているんだろう、ちょっと大人な味わいのチキンライスの上に、オムレツが乗っかっている。オムレツにスプーンを差し込むと、とろとろの中身がどろりとチキンライスにかぶさるのだ。

「いただきます!」

 俺たちはしばし無言で食べた。

「ほら、メサちゃん、付いてる」

 メサを挟んで向こう側に座っているほたるが、メサのほっぺたに付いたチキンライスを取ってやっている。

「お弁当持ってどこ行くの?」俺が教えた言葉をメサがいった。

「それはメサちゃんのことでしょ、もう」ほたるがあきれている。 

 ヨシカさんがふふ、と笑った。

「それ、景子ちゃんがよくいってたわね。京ちゃんが教えたの?」

 俺は無言でヨシカさんに頷いた。

「あら。京ちゃんだって、ケチャップ付けてるわよ」

「え」俺は口元に手をやった。

「違う違う、ここ」ヨシカさんは俺に顔を近づけると、人差し指で俺の口元についていたケチャップをぬぐった。「京ちゃん、しばらく見ないうちに、なんか男らしくなったんじゃない?」

 そういって、ヨシカさんはケチャップの付いた自分の人差し指を咥えると、ちゅぽん、となまめかしい音を鳴らした。

「ちょ、ちょっと、お父さん!」ほたるが声を張り上げる。

「あらあら、お父さんなんていうの、久しぶりじゃない」

 ヨシカさんは、人差し指を咥えたまま、にやにやしている。

「なんかねぇ。お父さんて呼ばれると、すごぉく背徳的な感じがしてぞくぞくしちゃうのよねぇ」

「やめて。引く」

 ぷいっ、とほたるは横を向いた。

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