1-2-04
家に戻って、こたつのなかにいそいそと入ると、メサはさっそく本を読み始めた。
俺は鉄製のやかんを火にかけ、冷蔵庫の中身をチェックした。今日は晩御飯を作る必要はないから、明日、墓参りの帰りにスーパーに寄って食材を仕入れよう。
ガリガリと豆を挽き、お湯が沸くと、自分用に珈琲を淹れた。それから、牛乳を温めながらクーベルチュール・チョコレートを溶かしてショコラショーを作り、メサの前にそっと置いた。
メサは、あいかわらず、猛烈なスピードでページをめくっている。
やがて、ぱたん、と本を閉じて、ほっ、とため息をつくと、テーブルのマグカップにようやく気が付いた。
「わわわ。ありがとうございます」やたらと恐縮している。
「いいえ、どういたしまして」
「の、飲んでいいのですか?」
「どうぞ」
「い、いただきます」
両手でマグカップを持って、ふうふうと息を吹きかけ、メサはこくん、とひと口飲んだ。
「おいしいです。すごく」
「そっか。よかった」
「クーマ・スクラ―」メサがつぶやいた。
「ん?」
「い、いえ。何でもありません」ふうふう、こくこくと、メサはひと息に飲んでしまった。「ぷはー。おいしかったです。ごちそうさまでした」
「ところで、本は、どうだった?」
「そうです。あの、ウキョウさんに質問があるんです」
メサはさっき読み終わった本を俺に手渡した。それは、ノーベル文学書を受賞したイギリス人作家の書いた小説だった。
「ここに出てくる人たちは、とても過酷な運命を背負わされています。そうですよね。そう書かれていますよね」
「ああ。そうだな」
この小説は、確かに、メサのいう通りの内容だった。ある特別な施設で育てられた子供たちの話で、彼らにはとても残酷な運命が待ち構えている。だが、彼らはその運命を無条件に受け入れるのだ。逃げることも、抵抗することもせず。そうしようと思えばできたはずなのに。
「どうしてなんですか。どうして彼らはあんなひどいことを、黙って受け入れているんですか」
俺はあえて答えなかった。
「彼らが自分たちの運命についてどう考えているのか、どう思っているのか、この小説にはそれがまったく書かれていませんでした。だから、わからないんです」メサは首をかしげて、他の本を手に取った。「おかしいです。不自然です。実は、ウキョウさんに勧めてもらったほかの本もそうなのです。ほかの本も、登場人物たちが何を考えているのかとか、どう思っているのかが、ちゃんと書かれていないんです。私がこれまで読んだ小説とは、ぜんぜん違っているのです。とても不思議です」
「メサは、これまでどんな本を読んだの」
「はい! ええっとですね。一番最近読んだ本は、『美味しくて簡単な定番朝ごはん』と――」
「いやいや、それは今日読んだ料理の本だろ」俺はこめかみを押さえた。「そうじゃなくて、小説。これまでどんな小説を読んできた?」
「ああ、小説ですか。例えばですね、『異世界に転生した俺が最強のハーレムを築くまで』とか、『裁判長、異世界からの証人喚問を要求します』とか、『異世界のリフォームは思ったよりもビフォアー・アフターだった』とか、『クラス全員がチートで異世界転移ってありえなくね?』とか、『俺の彼女が待っているから今日もお弁当を届けにダンジョンにもぐる』とか、『妹のくせに俺より先に魔王を倒すってどうなんだ』とか――」
「ストーップ」
これは思ったよりも厄介なことになりそうだ。
「どうしてライトノベルばっかなんだ」
「だって、ウキョウさんが、ライトノベルを書いているからですよ」メサは、さも当然のことだといわんばかりに、胸を張った。「私、ウキョウさんの書いた小説の大ファンですから。えへん」
えへん、じゃないよ、まったく。
「いいか。世の中にはいろんな種類の小説がある。ただ純粋に読んでいる時間を楽しむ小説もあれば、読んだあとにいろんなことを考えさせられる小説もある。どちらが優れているという話じゃないぞ。どちらかといえば、この小説は後者だな。
読んだ後に考えさせられる小説は、あまり多くを作中で語ろうとはしない。すべての答えが小説の中に書かれているとは限らないんだ」
「そうだったんですか……」
「ちなみに、この小説を読んで、メサはどう思った?」
「わかりません!」
思わず突っ伏した。
「お前、ちょっとは考えろよ」
「だって、私は小説の登場人物じゃありませんから、わかるわけないです。そういうのって、不親切じゃないでしょうか」
「不親切じゃない。考えることが大事なんだ」
「私はもしかしたら、人の心がわからないのかもしれないです」淡々とメサはいった。
「そんなことはないよ」俺はいった。「だってメサは、俺に対するほたるの気持ちに気が付いたじゃないか」
「そ、そうでした」メサは顔を上げた。「でも、やっぱりよくわかりません。そういう小説があるのはわかりました。でも、どうしてですか。どうしてそういう小説が必要なのでしょうか」
「それはたぶん、この世界がそうなっているからだよ」
メサは首をかしげた。
「この世界では誰もいちいち細かな説明なんてしてくれない。誰がどう感じて何を思っているかなんて、お互いよくわからないまま生きてる。名前ですら、本人に聞くか、自己紹介してもらわないと知ることができない。だろ?」
メサはうなずいた。
「優れた小説を読むということは、この世界を生きていくのと同じくらい面倒で、やっかいで、でもすごく意味のあることなんだよ」
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