2.エルフ、ドラゴンに餌をやる

1-2-01

 食欲を刺激する匂いに、俺は目を覚ました。

 いつの間にかこたつに入ったまま眠ってしまったみたいだ。頭の下に、クッションが置かれている。

 となりのダイニングキッチンから、コトコト、かしゃかしゃという、何やら平和な音が聞こえてくる。

 むっくりとこたつから出て、体を伸ばすと、ぼきぼきと全身の関節が鳴った。

「あ。おはようございます」

 どこから引っ張り出してきたのか、エプロンをつけてガスコンロの前にいたメサが、玉じゃくしを手に振り返った。

 エプロンの下にはちゃんと服を着ている。うん。当たり前だ。当たり前だよね。

「おはよう」あくび交じりに答えて、俺は時計を見た。「……ってもう昼だけどな。ところで、何作ってるの?」

 俺はキッチンを覗いた。

 ダイニングのテーブルに、これもどこから引っ張ってきたのか、料理の本が何冊も積まれている。

「ウキョウさんの好みがわからなかったので、標準的な日本の朝ごはんに近いものを作ってみました」

 どうやら、みそ汁と玉子焼き、焼き鮭、トマトとアスパラのサラダ、納豆というメニューのようだ。

 見た目と匂いから判断するに、なかなかおいしそうだ。

 ただ、テーブルに積まれた本が気になる。

 俺はできるだけさりげない感じを装って、尋ねた。

「あのさ。メサって、料理得意なの?」

「いえ。料理したの、初めてですよ」

「へ、へぇ……。そうなんだ」

 これまで、アニメやライトノベルでさんざん目にしてきた場面――美少女なのに料理の腕が破壊的にアレで主人公がアレする展開――が脳裏に浮かぶ。

「できた!」

 みそ汁の味見をしていたメサの声に、俺はびくっとなる。

「さあさあ、ウキョウさん、座ってください」

 メサはいそいそとテーブルの本を片付けて、料理を並べる。

「い、いただきます」

 俺はぎこちなく手を合わせた。

「どうぞ、お召し上がりください」メサは俺をまねて、手を合わせる。「いただきます」

 口からエクトプラズムを発生させて、パタンと横たわる昭和な描写を思い描きながら、俺はみそ汁をひと口飲んだ。

 ん?

 自慢ではないが、俺は結構料理が得意だ。母親が死んで、親父がめったに家に帰ってこなくなってからかれこれ七年、その間ずっと自分の食事は自分で作ってきた。

 その俺が断言する。メサの料理はかなりうまい。料理といっても、いたってシンプルな献立だが、だからこそちょっとした手間が大きく味を左右する。

「おいしいですか?」

「うん。おいしい。かなり、おいしい」俺は素直にいった。「ほんとに、初めて作ったの?」

「はい」メサはうなずくと「えへへ」と照れくさそうに笑った。

「これ」俺はみそ汁を飲みながらいった。「出汁は何で取った?」

「かつお節です」

「なるほど。よく知ってたな、出汁の取り方」

 メサはテーブルの脇にどけられた本の方をちらっと見た。

「本に書いてましたから」

「そっか。にしても、ほんと初めて作ったとは思えないよ」

「えへへ。これからは、ウキョウさんのご飯は私が作りますから」

「え」

 この子、いつまでここにいる気なんだ?

 そんな俺の疑問にはいっさい気付いた様子もなく、メサはいった。

「嬉しいですか」

「ええっと。嬉しいか嬉しくないかといわれたら、それは嬉しいんだけど……」

「じゃあ、じゃあ、悲しいですか?」

「いや、悲しくはない。ちなみに、苦しくも悔しくもないから」

「そ、そうですか……」

 なんでそんなにがっかりしているんだろう。

「それに、いきなり毎日ご飯作るのは無理だよ。こういうのは、少しずつ覚えていかないと」

「大丈夫です。そこの本に書いてあるメニューはすべて覚えましたから」

 俺は思わず傍らに積まれている本に目をやった。

 料理を始めたころ、俺が使っていた本だ。基本的な家庭料理から、少々本格的なイタリア料理まで、二十冊ほど。どれも、もうボロボロになっている。

「ほんとに、覚えたの?」

「はい」といって、メサは気まずそうに眼を泳がせた。「あの、ウキョウさん」

「ん?」

「この家、本はないんでしょうか。料理の本しか見当たらなかったのですが」

「あー。本か」俺は一瞬どういうべきか逡巡したが、ありのままを答えた。「本は、ないよ」

「でも、ウキョウさんは小説を書いているんですよね。そういう人の家には、本がたくさん置いてあるものではないのですか」

「ほかの人は知らないけど、俺はあんまり本は読まないんだ」

「そうですか……」

 俺たちはしばらく無言でメサの作ってくれた料理を食べた。

「あの、ウキョウさん」突然メサが真剣なまなざしを俺に向けた。「私を本のある所に連れて行ってください」

「あ、ああ。いいけど……。その前に、お前、そんなでっかいお弁当を持って、どこに行くの?」

「え。私、お弁当なんて持ってませんけど?」

 俺はメサのほっぺたを指さした。

 メサはほっぺたに手をやって、豪快に付いていたごはんつぶ――というか、ごはんのかたまりをつまんだ。

「わわわ」

「そういう子には、お弁当を持ってどこ行くの? っていうんだよ」

 それは昔、俺の母親がよくいっていた言葉だった。

「ううう。覚えておきます」

 メサは、ぱくり、とごはんの付いた指を咥えた。

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