ミュンヘン3
すべてのどいつの国土開発は、まず社会的弊害を除き、一般的な思惑から土地を引き離すのに役立っただけである。しかし新しい土地や土壌なくして国民の未来を確実にすることはできない。このことはいくら強調してもしすぎることはないだろう。
我々が別の方法をとるならば、やがて我々は国土の末端に達してしまうだけでなく、我々の力も尽きてしまうだろう。
最後に次の点が確認されなければならない。すなわち、国土開発によって小さい地面に拘束されていること、同じように出産制限によってもたらされる同じような結果は、国民を軍事政策上極度に不利な状態に導くのだ。
民族の居住地域の大きさの中にはそれだけで外的な安全性を決定するような本質的要素がある。ある民族が自由に用いる地域が広ければ広いほど、それだけ自然の守りも大きくなるのだ。
というのはいつも小さく押しつぶされた地面にいる民族に対して軍事的に決着をつけるよりも早く、つまりより容易に、より効果的に、より完全なやり方で狙うことができ、領土が大きい国家はこの逆が可能となるのである。
それゆえ、国家が大きいということはいつも無分別な攻撃に対して確実な守りとなる。というのはその際には長期の苦しい闘争によってのみ初期の結果に達するからであり、特別な理由が存在しない限り、奇襲をして冒険するにはあまりにも大きすぎると思われるからだ。
したがって国家が大きいということの中にはすでに民族の自由と独立を維持する基礎がある。一方、逆の構造が小さいとそれを無遠慮に占領しようとするのだ。
実際、人口が増えるのと並行して土地を拡大して均衡を図ろうとした二つの可能性は、ドイツ帝国のいわゆる国家主義団体によって拒否された。こういう態度をとった理由は以上に述べたこととは違っている。
つまり出産制限については彼らは道徳観から拒否する態度をとった。国土開発を人々が憤慨して拒否したのは、人々がそこにおいて大土地の所有を攻撃すると邪推し、その中に私有財産に対する闘争の一端を見たからである。
特に後者を支援する学説する学説が提唱した形式では人々がいきなりそのように受け取ったのも仕方がないことだった。
一般に大衆に対する方策は非常にまずく、そしてまた問題の核心もついていなかったのだ。
結局、増加する人口に労働とパンを確保するには二つの道しか残っていなかった。
三、人々は過剰な何百万人を毎年移住させるために新しい土地を手に入れ、そして国民を自給で養っていく。
四、外国の需要に応じて商工業を起こし、その売上高によって生活を賄っていく。
だから領土拡大政策か、植民地政策、商業政策をとるかのいずれかである。
この二つの道は様々な方面から注目され、検討され、推挙され、そしてついに後者が採用されるまで戦った。
両者の中でより健全な道はもちろん前者であっただろう。
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