わがヴィーン時代の一般的政治考察27
しかし私は第一の運動の不成功と第二の運動の失敗から原因を見つけ出そうとした。そして旧オーストリアに置いては国家を強固に建設することが不可能だということを度外視しても、この両党の失敗は次のことにあるという確信を得ることができた。
すなわち、汎ドイツ運動はそのドイツを新しくするという目標に関して原則的意図においては正しかった。しかし方法の選択においては失敗であった。
この運動は国家的だったが、残念ながら大衆の支持を獲得するほど社会的ではなかった。しかし、その反ユダヤ主義は人種問題の正しい認識にもとづいており、宗教的観念にもとづくものではなかった。ある特定の宗派に対する闘争は現実的にも戦術的にも間違っている。
キリスト教社会主義運動はドイツの再興について明確な観念を持っていなかったが、党として進む道を求めることに理解もあり、運もよかった。
その運動は社会問題の意義もつかんでいたが、ユダヤ主義に対する闘争において誤り、国民思想の力については夢にも思わなかった。
もしキリスト教社会党が大衆に知識を与える際に人種問題の意義について汎ドイツ主義運動がつかんでいたような正しい観念を持っていたならば、そして党自体が国家主義であったならば、あるいはまた汎ドイツ主義運動がユダヤ人問題の目標や国家思想の意義について正しい認識、キリスト教社会党の狡猾さ、特にその社会主義に対する態度を受け入れていたならば、私の確信に従えば当時すでにその成果を持ってドイツの運命に関与できたに違いないのだ。
しかしこれがそういかなかった理由として大部分はオーストリア国家の本質にあった。
私は自分の確信がどの党においても実現されているとは思えなかったので、後日また現存の組織の一つに入ろうかと、ましてともに戦おうなどと決心することはできなかったのだ。
私は当時すでに政治運動のすべてにドイツ明毒の国家的再興を表面的にではなく、大規模に遂行するには不適当であり、能力もないと思っていた。
しかしハプスブルク国家に対する私の嫌悪はその頃にますます増大した。私が外交問題に没頭し始めるにつれてこの国家行動はドイツ主義にとって不幸にしかならないという確信をますます得たのである。
ついに私にはドイツ国民の運命はもはやこの地から決せられるのではなくドイツ帝国自体において決せられるのだということがいっそうはっきりした。しかしこれは一般的な政治問題に対してだけではなく、文化生活全体のあらゆる現象に対しても当てはまったのだ。
オーストリア国家はまた、純文化的、あるいは純芸術的な仕事の領域であらゆる特徴を示し、少なくともドイツ国民に対して無意味さを示してきた。これは建築の分野で最も多く当てはまった。
少なくともヴィーンでは環状道路の完成以来ドイツにおいて勃興しつつある計画に対して建築の課題が重要ではなかったというだけですでにオーストリアの近代建築は大きな成果が得られなかったのである。
そこで私は二重生活を始めるようになった。知性と現実は私にオーストリアで厳しいが、しかし収穫の多い学校を終えるように命じた。だが、心は他の土地にあったのだ。
当時私はこの国家の内面的な空虚さと、国家を救うべき可能性のないことを認識すればするほど締め付けられるような不満に取りつかれた。しかしその際この国家はあらゆる点でドイツ民族の不幸でしかありえないという確信を得たのだった。
この国家は真に偉大なドイツ人を圧迫し、妨害するに違いなく、それと同時にすべての非ドイツ的現象を助長させるだろうとも確信したのだった。
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