わがヴィーン時代の一般的政治考察28

 この国の首都が示している人種集団は私にとって不快であり、チェコ人、ポーランド人、ハンガリー人、ルテニア人、セルビア人、クロアチア人などの諸民族の混合は厭わしいものだった。しかし、それ以上に人類のバクテリアは不愉快だった。――ユダヤ人、もう一度言う。ユダヤ人だ。


 私にはこの巨大都市が近親相姦の権化のように思えた。


 少年時代の私のドイツ語は下バイエルン人も話している方言だった。私はそれを忘れることもできなかったし、ヴィーンの下層社会の訛りを覚えることもできなかった。


 私がこの都市に長く住めば住むほど、この古いドイツ文化の地を蝕み始めた異民族混合に対する憎しみの念がますます高まってきたのだ。


 ところがこの国家がまだまだ続くだろうという考えは、私にはまったく笑えるものに思えてしまった。


 オーストリアは当時古いモザイクのようなものだった。個々の欠片を結び合わせている接着剤は古く、もろくなっていた。この芸術品に手を触れない限り、それはまだ存在しえると見せかけることができた。


 しかし一撃を加えるやいなや、たちまち多くの小さな破片に散ってしまうのである。つまり問題はその一撃がいつ加えられるかということだけであった――。


 私の心臓は決してオーストリア王国のためでなく、いつもただドイツ帝国のために鼓動していたので、私にはこの国家の崩壊の時期がドイツ国民の救済が始まる時だとしか思えなかったのだ。


 こうしたすべての理由から少年のころから私が抱いていた密かな希望と愛情をひきつけた地へ行こうという憧れがますます強まったのである。


 私はいつか建築家として名を成そう。そして大小にかかわらず運命が私に示してくれる範囲で国民に誠実な奉仕を捧げようと思った。


 そしてついに私は熱心な心の欲求、つまり我が愛する故郷が祖国ドイツ帝国に合併されることができるに違いない地位を望んでいた。


 こうした憧れがいかに大きかったかは今日でもまだ多くのものが理解できないだろう。しかし私は運命によってこの幸福に拒まれたり、無情にも幸福を奪われたものに呼びかけるのだ。


 私は母国から引き離されても言語と言う神聖な財宝のために戦っている人たち、祖国に対する忠誠心のために迫害され苦しめられている人たち、そして悲痛な感動で再び誠実な母の胸に戻る時に憧れている人たち、これらすべての人たちに呼びかけるのである。


 私はこれらすべての人たちに呼びかけ、彼らが理解してくれることを知っている。


 しかしヴィーンは私にとって最も根本的であったが、最も苦しい人生の学校であったし、今もそうである。


 私はこの都市に子供のときに初めて足を踏み入れた。そして冷静で真面目な人間になってこの都市を去ったのだ。私はこの都市で大きくは世界観の基礎を、小さくは政治の見方というものを手に入れた。


 私はその後、ただ少し補足するだけで決してこの考えを捨てることはなかった。当時の修業時代の本当の価値を今日になって初めて十分に理解しえたのである。


 だから私はこの時代をいくらか詳細に取り扱ったのである。とにかくこの時代は極めて初歩から始めて五年も経たないうちに大きな大衆運動にまで発展しようとしている党の問題について最初の教育を私に与えてくれたのだから、こんなにも若い時代に運命に強いられて――また自己の学習を通して個人的な見解の基礎が形成されていなかったならば、ユダヤ主義、社会民主主義、もっと言えば全マルクス主義、社会問題などに対する私の態度が今日どうなっていたかわからない。


 と言うのはたとえ祖国の不運が何千人、何万人の人々に崩壊の原因について関心を呼び起こしたとしても、長年の苦闘のあとに初めて運命の主人となったものが考えるような徹底さと不快洞察には決して導かれないからである。

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