わがヴィーン時代の一般的政治考察20
私はまず両党の指導者で創設者と見られる二人の人物について考察を始めた。すなわちゲオルク・フォン・シェーネラーとカール・ルエーガー博士である。
純粋に人間的に見るならば、彼らはいわゆる議会主義の枠や程度をこえてそびえたっていた。一般の政治的腐敗の泥沼の中で、彼らの生活は清潔で犯しがたいものである。
それにもかかわらず、初め私は汎ドイツ党のシェーネラーの側に好意を寄せていたが、次第にキリスト教社会党の指導者にも同様に好意を向けていた。
彼らの能力を比較してみると、当時すでにシェーネラーは原理的な問題では優れた根本的な思想家であるように思えた。彼はオーストリア国家が必ず崩壊するに違いないということを他の誰よりも正しくはっきりと認識していたのだ。
特にドイツ帝国にいる人々がハプスブルク王家に関する彼の警告をもっとよく聞いていたならば、ドイツが全ヨーロッパに敵対した世界戦争の不幸は決して起こらなかっただろう。
だがシェーネラーは問題をその内面的本質に従って認識していたが、彼は人間を見るという点において多くの誤りを犯していた。
一方、ここにルエーガー博士の強みがあったのだ。
彼はまれにみる人間通であった。特に人間を買いかぶってみることを警戒していた。それゆえに彼はまた人生の現実的な可能性に多くの考慮を払ったが、一方シェーネラーはこの点についてはほとんど理解がなかった。
また汎ドイツ党の考えたことは理論的に見れば正しかったが、同時にその認識を大衆に伝えたり、大衆の理解力に適応した形でそれを持ち込んだりする力と理解力を欠いていたために、全ての認識はただ予言者の知識でしかなく、いつも現実化することがなかったのである。
しかしこのような人間的知識に欠けていたことがその後の経過において全体の運動や古くからの制度の持つ力の評価を誤らせたのである。
最後にシェーネラーはもちろん、ここでは世界観が問題であると認めていたが、このような宗教的な信念の担い手として大衆が適しているのだということがわかっていなかった。
遺憾ながら彼はいわゆる「ブルジョワ」階級というものが経済的地位のために多くのものを失うことを怖れて、その結果またいっそう尻込みして闘争意欲が非常に限られてくるということをほとんど理解していなかった。
そして確かに世界は大衆がこの新しい教説の担い手として必要な闘争を自己に引き受ける覚悟ができているときだけ、勝利が見込めるのだ。
下級の民衆層に対する理解がなかったために、さらにまた社会問題についても十分な見解を持っていなかった。
それらすべてにおいてルエーガー博士はシェーネラーの反対だった。
根本的に人情世情に通じていたことが彼をして実現可能な力を正しく判断させ、また現存の制度の過小評価から守り、その上まさしくそのためにこそ自己の意図を達成する補助手段として役立たせることを学んだのである。
彼はまた今日の上層ブルジョワジーの政治的闘争力では勝利を戦いとるにはあまりにも少なく、不十分であることを知っていた。だからこそ彼は自分の政治活動の重点を、闘争心を麻痺させられるよりも刺激されている階層の獲得に置いたのだ。同様に彼は既存の権力手段をすべて利用し、現存している有力な制度を味方につけて、古くからある力の源泉を自己の運動のためにできるだけ大きく利用する傾向をもっていた。
そこで彼は新しい党の目標を第一に没落するように脅かされている中産階級に置き、強靭な献身性と不屈の闘争心をもっている支持層を確保したのである。カトリック教会に対してもこの上もなく利口な関係を保って、しばらくの間は若い聖職者を味方にしたのである。古い聖職者の政党はその戦場を明け渡すように強要し、あるいはもっと狡猾に、ゆっくりと一つ一つ進むように新しい党に合流したものだが。
しかしこれだけがこの男の本質と見るならば、それは正しくないだろう。なぜならば彼は利口な戦術家であり、また真に偉大な天才的改革者の特性を持っていたからだ。もちろんこの場合も今存在する可能性と、さらに彼自身の能力を正確に知っていたために制約を受けていたのである。
この真にすぐれた人物が立てた目標は実際的であった。彼はヴィーンを征服しようとした。ヴィーンは王国の心臓であり、この都市から腐敗した王国の病的に老いた肉体に最後の生命が流れ出ていたのである。
心臓が健康になればなるほど、肉体の他の部分もますます新鮮に蘇生するはずであった。しかし、この原則的に正しい考え方は一定の限られた時期にだけ通用するものである。そしてここにこの男の弱点があったのだ。
彼がヴィーンの市長として成し遂げたことは、よい意味で不滅である。しかし彼は王国を救うことはできなかった――時はすでに遅かったのである。
彼の対抗者であるシェーネラーはもっとはっきり見ていた。ルエーガー博士が実際に着手したことは大いに成功した。しかし彼が心配していたことは遺憾ながら的中してしまったのだ。
そのように両人とも目的を達成することはできなかった。ルエーガーはオーストリアを救えなかったし、シェーネラーはドイツ民族の没落を阻止できなかった。
両党が役に立たなかった原因を研究することは現代にとって限りなく有益である。特に私の友人にとって有用だった。なぜなら多くの点で今日の状態は当時と似ており、かつて一方の運動を終焉に、他方を徒労に導いた失敗を避けることができるからである。
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