わがヴィーン時代の一般的政治考察19

 人間としての権利は国家の権利を破る。ある民族が人権闘争で負けるのならば、それを運命の秤にかけてみるとこの世界で存続する幸福を受け取るには軽すぎることがわかるだろう。というのは、自己の存在のために戦う覚悟も能力もない者は公正な摂理がすべてを終わらせているからである。


 世界は臆病な民族のためにあるのではない。


 しかし専制政治が「合法性」の仮面をかぶることがいかに容易であるか、今一度オーストリアの例がこの上もなく明瞭に、最も徹底的に示した。


 当時合法的な国家権力は非ドイツ人の大多数からなる議会の反ドイツ的基盤と――同様に反ドイツ的王家の基盤を基礎にしていた。この二つの要素の中に国家権威のすべてが具体化されていた。


 この立場からオーストリアのドイツ民族の運命を変えようとすることはナンセンスだった。だが、唯一可能な「合法的」方法と国家権威の崇拝者たちは、合法的手段では実行しえないから中止すべきだという意見であった。


 しかしこれは不可避の必然性を持って――しかも実際短期間に――王国内のドイツ民族の終末を意味することになっただろう。


 実際ドイツ人はこういう運命になる前に、国が滅亡したからこそ助かったのだ。


 もちろんメガネをかけた理論家は常に民族のためというよりかはむしろ学説のために喜んで死ぬであろう。


 彼らは人間がまず法律を作るがゆえにやがて人間が法律であるように信じてしまうのである。


 すべての理論的な杓子定規の人間やその他の国家的な呪物崇拝の島国根性の持ち主を驚かせてこの不合理を一掃したことは当時のオーストリアの汎ドイツ主義運動の功績であった。


 ハプスブルク王家があらゆる方法でドイツ人を悩ませようとしている間に、この党は「崇高な」支配王家に攻撃を、しかも仮借ない攻撃を加えた。


 この党が初めてこの腐敗した国家に探りをいれ、そして何百万もの人々の目を開いたのである。祖国愛という素晴らしい観念をこの悲しむべき王国の抱擁から解放したのは、この党の功績である。


 当の発足の書記にはその支持者は意外に多く、まさに雪崩のように迫った。だが成功は持続しなかった。私がヴィーンに来た時、この運動はすでに力を得たキリスト教社会党によって凌駕され、その上ほとんど意味を持たないまでに圧倒されていたのだ。


 一方汎ドイツ主義運動の盛衰の過程と、キリスト教社会党の未曾有の興隆の全過程は典型的な研究対象として意義深いものになるに違いなかった。


 ヴィーンに来たとき、私の同情は完全に汎ドイツ主義運動の側に立っていた。


 彼らが議会で「ホーエンツォレルン王家バンザイ」と叫ぶ勇気を奮い起こしたことは、私に畏敬の念を与えると同時に喜ばせてくれた。彼らが依然として単にドイツ帝国の一時的に分かれている一部分であると見たこと、そして一瞬でもこれを公的に表明することが衰えていないことが私の中に楽しい確信を目覚めさせたのだ。


 彼らがドイツ主義に関するすべての問題で遠慮なく旗幟を鮮明にして、決して妥協しないことがわが民族の解放のために進みうる唯一の道であるように思えた。


 しかしこの運動がはじめ素晴らしく興隆していたのに、今では甚だしく沈滞していることを私は理解できなかった。同時にキリスト教社会党がこんなにも巨大な勢力になったことはなおいっそうわからない。キリスト教社会党は当時その人気の絶頂に達していた。


 その際私は両方の運動を比較するために、ここでもまた運命は悲惨な境遇に促されてこの謎の原因を理解するための最良の教育を与えてくれたのである。

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