わがヴィーン時代の一般的政治考察14

 前者の注目に値するところは次である。すなわち、一定数の男女――例えば語釈人の男子、最近では婦人も――が選ばれる。今やどんなことでも最後決定することが彼らの義務なのである。彼らだけが実質上の政府なのである。


 というのは彼らから外面的には国家事務を管理する内閣が選ばれるが、それはただの見せかけにすぎないのである。実際にはこの政府はまず事前に議会の承認を得なければ何もできない。しかし最後の決定は政府にはなく、ただその時々の多数の意志の執行者にすぎないのだ。


 人々は政府の政治能力を、多数者の意志に順応させるか、それとも多数者を自己にひきつけるか、ということを判断するだけである。


 だが、政府はそれとともに事実上の統治者の地位からその時々の多数者に対する乞食にまで転落するのだ。


 政府の最も緊急を要する課題とは、今や大多数の好意を確保するか、あるいはもっと好意ある多数を作ることを企てることだけである。これが達せられれば再び政府は短期間の「統治」を続けることができ、これが達成されなければやめなければならないということになる。その際、政府の意図が正しいかどうかはまったく重要ではないのである。


 しかし、それと同時にすべての責任は事実上除外されてしまう。これがどんな結果を導くかは、ごく簡単な考察で推論できるだろう。すなわち、職業とか個人の能力とかに従って選出された五百人の民衆代表者たちの内部構造は、分裂して多くはまた哀れな像を生じることになる。と言うのはこれら国民から選ばれた者が同様に精神や知性の天でも選ばれたものであるとはどうしても信じられないからだ!


 如才あるとは言えないすべての選挙人の投票用紙からは政治家が同時に百人も生まれるなどと言う希望的に考えないでほしい。一般に普通選挙から天才が生まれるというナンセンスなことはいくら鋭く対抗してもしすぎることはない。


 第一にある国民の中にはすべてが浄化されるぐらいの長い間に一度だけ真の政治家が生まれるものであり、同時に百人も、またそれ以上も一度に出ることはない。


 そして第二に大衆がすべてのすぐれた天才に対して感じる嫌悪というものはまさしく本能的なものなのだ。選挙によって偉大な人物が「発見」される前に、ラクダも針の穴を通っていることだろう。


 実際に大衆の平均的水準を超えて秀でているものは、たいてい世界史において個々に出てくるのが常である。


 だが、五百人というかなりの数の人間が、国民の最も重要な利害について評決し、政府を指定する。すると政府は個々の場合に、すべての特殊な問題に、再び議員の同意を得なければならない。それゆえかくのごとく事実と政治は五百人によってなされるのである。たいていの政治とはそのようなものだ。


 しかし、この民衆代表の独創性はまったく問題外としても、解決できていない問題がいかに多様であるか、解決したり決定したりしなければならない領域がいかに広いか、ということを考えてほしい。


 そしていつもごく少数だけが今取り扱っている事柄について知識と経験を持っているにすぎない人間の大集会に最後の決定権を委任している統治制度というものが、このためにいかに不適当であるかわかるだろう。


 最も重要な経済的措置でさえ、予備知識をその構成員の中の十分の一程度しか持っていない論壇に提出される。しかしそれはあることがらの最終決定を、これについてのあらゆる前提を完全に欠いている人々の手にゆだねることに他ならないのだ。


 しかし他のすべての問題についてもまた然りである。この制度の構成は変わらないから、いつも決定は無知無能の多数者によってなされるだろう。取り扱われる問題は公の生活のほとんどすべての領域に広がっているので、それについて判断したりする議員はいつも交代することが前提とされるのだ。


 だが、たとえて言えば高度な外交問題について、同じその人間と交通の事情まで処理させることは不可能である。彼らが数世紀に一度現れるほどの万能の天才ならば、事情は違うだろう。


 だが、遺憾ながらたいていは「頭」のないことが問題になるのであり、同じように偏狭でうぬぼれが強く、しかも尊大ぶったディレッタントやこの上もなく悪質な精神的な娼婦社会が問題になるのだ。


 またもっとも偉大な人物でさえ、注意深く熟慮しなければならないことについて、これらの支配者が理解しがたい軽率さで話をしたり、決定したりすることはここに原因があるのだ。


 国家全体の、実際国民の将来に対して最も重要な意義のあるものについての処置が、そこではあたかも人種の運命ではなく、一つのゲーム――そのほうが彼らにはずっとよく適しているが――が机上にあるかのごとく取り扱われる。


 そういった代議士がいずれも最初からずっとのしかかる責任感のなさにとりつかれていたと信じることは確かに正当ではないだろう。そうだ、断じてそうだ。

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