ヴィーンでの勉強と苦難の日々24

 今までと同じように私はヴィーンにおいてもドイツのすべての出来事を、それが政治問題であろうが文化問題であろうがまったく同じ燃えるような熱意で追及した。


 私は驚きを持ってドイツ帝国の興隆とオーストリアの衰退を比較した。外交上の出来事はたいてい心から喜んだが、国内の政治はそれほど喜ばしいものではなかったので、しばしば心が痛んだ。


 この時代のヴェルヘルム二世に対して行われた抗争は当時の私としては賛成できないものだった。私は彼の中にドイツ皇帝だけでなく、何よりドイツ海軍の創始者を見ていたのだ。


 だからこそ、私は議会が皇帝に演説禁止を課したことにも腹を立てた。私の目から見ればそれは根拠のないことだったし、議会がガチョウのようにガアガア鳴きたてているだけだったからである。


 バカなやつらがみんな批判する権利を要求するだけでなく、議会では「立法者」として国民に放し飼いされ、帝冠をいただくものがどの時代を通じてもそのようなやつらに「非難」されていたことに私は腹が立ったのだ。


 しかし、私がいっそう癪に障ったのは次のことからである。すなわち、つまらない宮廷の駄馬の前でも平身低頭し、偶然に尻尾を振ったことについて常軌を逸し、我を忘れるヴィーンの新聞が外見上は心配そうな顔つきで、だが下手に隠された悪意をもって――私にはそう思える――ドイツ皇帝に対する疑念を表明するのである。


 ドイツ帝国の内政に干渉する意思はないが、しかし親切なやり方で傷口に触るのは同じように相互同盟の精神を課せられた義務を果たすことであり、逆に新聞としての真実にも十分かなったものである、などなど。そして傷口に触れたこの指を心ゆくばかりに差し込むのだ。


 私は逆上した。私が大新聞を次第に注意深く観察するようになったのはこの時からであった。反ユダヤ新聞の一つである「ドイッチュ・フォルクスブラット」が真面目な態度をとっていたことを私は認めなければならなかった。

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