ヴィーンでの勉強と苦難の日々25
さらに私の神経に触ったのは大新聞が書いていたいやらしいフランス崇拝だった。
私たちはこの「偉大な文化国民」に対する甘ったるい称賛を目の当たりにして、ドイツ人であることを恥じなければならなかった。
このフランスかぶれが一度ならず何度も私にこの「世界的な新聞」を投げ捨てさせた。
そこで私はいくつも繰り返し「ドイッチェ・フォルクスブラット」を読んだ。もちろん、これは小さな新聞だが、この新聞は他のものに比べて純粋に思えた。
私は激しい反ユダヤには同調しなかったが、二、三深く考えさせられる論拠も散見された。
いずれもそのようなきっかけから私は次第にそのころヴィーンの運命を定めていた人物と運動を知ったのである。カール・ルエーガー博士とキリスト教社会党である。
ヴィーンに来たとき、私はその二つともに敵意を持ってのぞんだ。人物も運動も私には「反動的」に見えたのだ。
しかし、渡すがその人物と活動を知るにしたがって、ありきたりな正義感から判断を変えなければならなかった。そして次第に公正な判断が明らかに敬服へと成長していったのである。
今日、私は以前にもましてこの人物をあらゆる時代を通じてもっとも力のあるドイツ人の長だと見ている。しかし、キリスト教社会主義運動に対する私の立場がそのように変わったことによって、私の線習慣がどれほど覆されたことだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます