ヴィーンでの勉強と苦難の日々15

 私はいくらか違った感情を持って、ある日行われたヴィーンの労働者の大衆デモを凝視していた。二週間近く息を殺し、ゆっくりとそばを通って行く巨大な人間の龍を見つめていたのである。


 私は不安を感じながらもようやく広場を離れ、家のほうへと帰っていった。


 途中にあるタバコ屋で私は「労働者新聞」という古いオーストリア社会民主党の中央機関紙を目にした。


 それは私が新聞を読むためによく行く安い大衆カフェにも置いてあった。だが、今まで私の心を腐らせていたこの惨めな新聞を、私は二分として見ることはできなかった。


 ところが、その時はデモの沈鬱な印象を受けていたので、心の声がこの新聞を買って徹底的に読むようにと急き立てたのだ。


 夕方になると、私は何度も込み上げてくる怒りを抑えながらこの寄せ集めのデマを読み切った。


 今では私は論理的文献からよりも社会民主党の新聞を毎日読みながら、この思考の本質を研究するようになった。


 文献の中に自由や美、品位に関するキラキラと光る名文や、深遠な知識を苦心惨憺として表現している大言壮語、嫌味たっぷりの人道的道徳――みんな預言者的確信の鉄面皮で書かれているが――と、新しい人間救済の教えという獣のような下劣さにも尻込みせず、あらゆる中傷やもっともらしい嘘を手段としている日刊新聞との間に、いったいどんな区別があるというのか。


 前者は上流はもちろんのこと、中流のインテリ層の愚鈍なお人好しのためであり、後者は大衆のためである。


 私はこの教説と組織の文献や新聞を研究して、わが民族を見直した。私にとって越えられない割れ目のように思えていたものが、今では大きな愛を感じさせるのである。この途方もない活動を知れば、馬鹿でもない限りは犠牲者に罪があるとは言えないだろう。


 数年経ち、私が自立するに従ってますます社会民主党の成功の原因に対する考察は深まった。今や私は、「赤い新聞だけを読め」、「赤い集会だけに出席せよ」、「赤い本だけを読め」などの残酷な要求の意味が理解できた。


 この寛容ではない教義の避けられない結果がはっきりとわかったのである。

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