ヴィーンでの勉強と苦難の日々13

 私は建築現場で初めて社会民主党員と出会った。その出会いは初めから非常に不愉快だった。


 私の衣服はまだ多少整っており、言葉もきちんとしていて人間も控えめだった。


 私は周囲のことを気にすることができないほど自分の運命と戦わなくてはならなかった。


 飢えないために、さらにはたとえ少しずつでも教養を広げることができるようにと仕事ばかりを探していた。


 二、三日で直ちに態度を決めなければならない出来事が起こらなければ、私はおそらく新しい環境に関心も持たなかっただろう。


 私は組織への参加を勧められたのである。


 労働組合についての私の知識はそのころはまだほぼゼロであった。そのため、私は労働組合という存在が私の目的に適っているのかどうかもわからなかった。だから私は拒否した。理由はよくわからなかったことと、強制されるのを嫌ったのだ。


 しかし、彼らは私をすぐに追い出さなかった。おそらく、彼らは私を二、三日のうちに心変わりさせるか、いいなりにさせることができると思ったのだろう。どちらにしても、彼らは根本的に間違っていた。


 二週間後にはもし加入したいと願い出てもどうすることもできなかった。なので私はこの二種間のうちにこの世のどんな権力に攻められようともこの組織に参加しないと決めた。


 最初の数日、私はかなりイラついた。


 一部の人は昼間に近所の飲食店に行く。その間に他の人は仕事場に残り、たいてい非常に貧しい食事をとるのだ。彼らはすでに結婚しており、その嫁はみすぼらしい食器に昼食のスープを持ってくる。週末になるとその数が増えてくる。私は後々になってその理由がわかった。彼らはそこで政論を戦わせていたのである。


 私は一杯のミルクを飲み、隅の方でパンを食べながら新しい仲間を注意深く観察したり、自分の悲惨な運命について追想したりした。


 私はしっかり聞いていた。また私に態度を決めさせようとしたのか、故意に近寄ってきているようでもあった。


 どんな場合でも私が聞いたことは、私にとってすごく刺激的だった。彼らは全てのものを否定したのだ。


 すなわち国民は「資本家階級」――この言葉をどんなに聞いたことか――の仮構であり、祖国はブルジョワジーが労働者階級を搾取するための道具であり、法律はプロレタリアを弾圧する手段であり、学校は奴隷要員と奴隷所有者を飼育するための施設であり、宗教は搾取されるために運命づけられた民衆をひどい精神遅滞者にする手段であり、道徳は愚かな羊どもの従順さの象徴であるなどであった。


 だが、そこではおそるべき泥沼に引き込まれないものは一人もいないのである。

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