名前8:外山星路と増原クリス
目を覚ました時、目の前ではオヤジ狩り女がサクラちゃんにバッドを振り下ろそうとしていた。僕の声に驚いたのか、こちらを向いて静止している。
僕は急いで立ち上がろうとする。が、強烈な目眩に襲われてしまった。身体が上手く動かない。頭がズキズキする。
女がバッドを振り上げたまま、こちらに向かって歩いてくる。標的を変更したらしい。
「マスター! 逃げてっ!!」
サクラちゃんが泣き叫ぶ。
確かにもう一度殴られたら、今度こそ間違いなく死ぬ。
だけど、女の子を置いて逃げるなんて選択肢がある筈もない。
――どうする。
その時、僕の手に何かが触れた。
「……やるしかない!」
僕は地面に転がっていた『愛機』を手にし、思い切り前に突き出した。
――ガキーンッ! と大きな衝撃音が鳴り響く。
バッドとヨーヨーが衝突した音だ。
「な、なによ、ソレ」
「今のは……トリックプレイ『アポロ13』だ!」
「はあ? フザケてんじゃ……」
チャンスだ。女が一瞬、隙を見せたのを僕は見逃さなかった。
「ちょ……何なのよ、一体!?」
「トリックプレイ『ループ&フープ』」
僕は手首のスナップを利用し、物凄い勢いでヨーヨーをグルグルと回転させた。
ケンヨーの代表的トリックプレイだ。
「くそっ! 近づけない」
「サクラちゃんっ! 今のうちに逃げろ!」
「……いえ、マスター! 私も!」
そう叫び、サクラちゃんが同じく『ループ&フープ』を繰り出す。
「お、おいおい!」
「何なのよっ! キモイッ! ふざけんなっ!」
女がデタラメにバッドを振り回し始めた。
「今だっ! トリックプレイ『スパイダースレッド』」
女の右手首にヨーヨー糸を巻きつけ、思い切り引っ張ると
「あっ! 痛いっ!!」
と悲痛な声が上がると同時に、バッドが地面に転がった。
「サクラちゃんっ!!」
「はいっ!!」
サクラちゃんがプレイを止め、落ちたバッドを回収してくれた。
「ふう……」
何とか危機は去った。彼女までプレイを始めた時は内心かなり焦ったけど、結果からすると逆に助かった。
急に大人しくなり、一言も発しなくなった女を尻目に、僕は自分のケータイを使い、警察と、一応救急車も呼んだ。
「マスター! 頭の怪我は大丈夫なんですか!?」
「あ、うん。相当痛むけど、どうやら血は止まったみたいだ。それにしてもサクラちゃん……君、無茶するね」
「マスター程じゃないですよ!」
「……は、はは、あははははっ!」
突然、女が爆笑し始めた。
「あはっ、な、なによ、あんたら、ひょ、ひょっとして、そのオモチャで遊んでいたわけ? こ、こんな夜の公園で?? あははははっ! ……はーあ、バカバカしい」
「マサ……」
「……こんなおっさんもいるのね」
ボソリと呟いた女の表情は、どこか憑き物が落ちたように見えた。
オヤジ狩り女は無事、警察に連行された。
やってきた警察にはかなり訝しげな目で見られてしまった。僕が女子高生と良からぬことをしていたと疑われたのだろう。けれど、その後やってきた救急車に乗せられ、そのまま入院することになってしまったので、今のところはお咎め無しだ。
だけどもう、あの公園は利用できないな。
入院して三日目。病室で暇を持て余していると、サクラちゃんがお見舞いに来てくれた。
「マスター、体調はどうですか?」
「ああ、おかげさまで絶好調だよ」
「ふふっ。マスターが頑丈で良かったです」
「うん……」
死にかけた時、あれがあの世だったのか、それとも単なる夢だったのかは分からないけど、先輩が言ってくれた言葉を僕は思い出していた。
『周りの目とか評価とか気にし過ぎだと思うよぉ?』
確かに僕にはそういう節がある。
先輩から見て僕が『ムスカリ』ならば、希望と失望を繰り返すような人間に見えるのだろうと、勝手に思い込んでいた。でも実際には先輩はそんなこと全く考えもしていなかった。あれが単なる夢だとしても、ホンモノの先輩もきっとそうだったろうと、今なら確信できる。そもそもあんなとぼけたキャラクターの先輩が、そんな深刻なあだ名を付けるわけがなかったのだ。
一方、僕は『ソトヤマスター』としての自分にも拘っていた。かつての栄光をいつまでも引きずり、『あの自分』じゃないと価値がないと決めつけていた。結局のところ僕は、周りの目を気にしながらも、その実、自分のことしか考えていないような人間だったというわけだ。だから、先輩の真意にもサクラちゃんの抱える悩みにも気づくことが出来なかったのだ。
「あの、マスター、どうしました?」
「あ、いや、ちょっと考え事を……」
「もー、折角来てあげたんですから、私と会話してくださいよ!」
「ごめん、ごめん」
ぷーっと頬を膨らまして、怒ったフリをするサクラちゃんの顔を改めて眺めてみる。
彼女は可愛らしく、素直で、真面目で、とてもいい子だ。
だけどこんな子が学校でイジメにあっているという。
少しでも力になってあげたい。守ってやりたい。
「マスター、退院したら、またケンヨーを教えて下さいよ? ああ、でもあの公園はもう止めた方がいいですかね? どこか別の……」
「……あのさ、サクラちゃん。僕はもう、マスターじゃないんだ」
「え……?」
「いくら、緊急時だったとはいえ、僕はケンヨーを人に向けた。マスターなら絶対にやってはいけないルール違反だ」
こんなのは、ただの方便だ。僕はそこまで高潔な人間じゃない。
「だから、僕は、あの夜に『マスター』は死んだのだ、と思っている」
「そんな……」
「だからさ。これからは、マスターではなく、『只のケンヨー好きなおっさん』として君と接したいんだ」
「…………」
こんなのは独りよがりな自己満足にしか過ぎないだろう。
というか、サクラちゃんにとっては最初から僕なんて『只のケンヨー好きなおっさん』だっただろうし。
だけどそれでも僕は、『外山星路』として他人ときちんと向き合えるようになりたいと思ったのだ。
サクラちゃんは少しだけ考える素振りを見せ
「何となくですが、なんか、分かる気がします」
と呟いた。
「ありがとう。それじゃ改めて自己紹介するね。僕の名前は……」
「外山星路さん、ですよね?」
「え! 何で知ってるの!?」
「いや、だって、病室のドアに書いてありましたから」
「あ、ああ……なるほど」
ネット上にアップされている僕のクソコラ画像でも見られたのかと思って焦った。
いや、でもきっと彼女なら、例え見てしまったところで、今と変わらず接してくれるだろう……多分。
「あの、実は私もマスタ……外山さんに伝えたいことがあったんです」
「あ、ひょっとして、この前言ってた、『謝らないといけない』こと?」
「はい。あの……私、本名は『サクラ』じゃないんです」
「へ? あ、そうなの?」
「あの、私、自分の名前が嫌いで……思わず、密かに尊敬している人の名前を名乗ってしまったんです。でも、やっぱり外山さんには、私の本当の名前、知ってもらいたくて」
「そっか……」
彼女も彼女なりに、少しずつ変わろうとしているということだろう。
「……クリス」
「うん?」
「私の本名。『増原クリス』と、いいます」
「……ひょっとして、ハーフだったり?」
彼女がコクリと頷く。
「じゃ、じゃあ、その髪の色も、地毛なのかい?」
またもやコクリと頷く。同時に、鮮やかな金髪がなびいた。
「へえ。クリスちゃんか。いい名前だね」
「え、あの……あ、ありがとうございます」
顔を真っ赤にしながらも、サクラ――もといクリスちゃんがニコリと笑った。
「あ、そうそう。外山さん、さっき自分のことおっさんって言ってましたけど……外山さんは全然若いんで大丈夫ですよっ」
「あははっ。なんだそれ、褒め返しかい? お世辞でも嬉しいよ」
「もうっお世辞じゃないですよぉ」
僕らは和やかに笑い合った。
自らを偽っていた二人が、ほんの一歩ずつ、前に踏み出した瞬間だった。
偽る人々の物語 クライトカイ @gama20
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