焦熱

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 魔醜座ましゅうざは「七夕の会」には嫌な予感をおぼえていた。

 警護として招かれた日の夜、会場となる竹涼殿を前に立ちつくしてしまう。質素な檜造りの建物が屋根ごと燃え落ちる幻影を見たのだ。


(今のは――)


 暗い夜空を背景に、赤々とした炎が竹涼殿を包みこんでいた。悲鳴を上げ炎にのまれ燃えあがる貴人たち――その中には自分の姿もあった。天へとのぼりゆく黒煙。

 刹那に幻は消えていたが、中へ入るのをためらうには十分な内容だ。建物の前で立ち止まった魔醜座を同僚たちが不思議そうに追い抜いていく。


(なにかある)


 竹涼殿の上空はどす黒い殺気に満ちていた。魔醜座は注意深く、一歩ずつたしかめるように中へと進んでいった。

 招かれた女宮・男宮の妃嬪ひびんたちはすでに着席し、コの字型に座っていた。

 総ひのき造りの建物は広い竹庭に面している。風雅な笹庭を眺められるよう奥の壁はすべて取り払われ、貴人たちの席の真ん中に楽人用の畳が用意されていた。最奥の金屏風の前が天帝の席、そのすぐ横に今日もきらびやかな美蛾娘が陣取っている。

 柘榴帝は刻限よりだいぶ早くに到着したらしい。後から入る鎮官や妃嬪たちがみな恐縮し挨拶もそこそこに着席していく。鷹揚にうなずく若い帝は機嫌よく、そんなこと気にもとめない風だ。座を眺めた魔醜座は炎の位置をしっかりと視線でたしかめた。部屋の四隅や楽人席の隅、それから柘榴帝のすぐ後ろに高燈台が置かれ、あざやかな炎が燃えている。どこにも異常がないのを確かめて、魔醜座は鎮官たちを炎の横へひとりずつ配した。自らは部屋の中央、楽人席の横に座して控える。すぐ側で燃える火明かりが不穏な音で小さく爆ぜている。

 なにかあれば鎮官たちが火に対応できる準備を整えてから、魔醜座はようやく気がついた。楽人がまだ一人もいないのだ。倭花菜も蓮も古謝の姿もなかった。楽舎の長である球磨羅くまら楽人の姿ですらない。

 場が静かにざわめくのを美蛾娘は愉快そうに、柘榴帝は無表情に眺めていた。

 誰かが立ち上がろうとした、その気配を抑えつけるようにふと場が静かになった。漂う空気が重くなり、その場にいた全員が息苦しさをおぼえた。

 しんとした室内に軽い足音がして蓮が現れた。黒くつや光りする龍笛を手に現れた、その気迫はすさまじい。今にも倒れそうなほど蒼白な顔なのに、両目はぎらつき研ぎ澄まされている。


「遅くなり申し訳ございません」


 通り過ぎざま、魔醜座は蓮の背にどす黒い殺気を見た。止める暇もなく柘榴帝が口を開いてしまう。


「他の楽人たちはどうした?」

「古謝は腹痛で来られません。球磨羅楽人がいま、様子を見ています」

「倭花菜は?」


 その質問を待っていたように美蛾娘が立ち上がった。


「あれは風邪をひいたのじゃ。可哀想に、来られぬことを嘆いておったわ。代わりと言ってはなんじゃが」


 美蛾娘の視線の先で着飾った宮女がひとり立ち上がる。正式な楽人かはわからないが、倭花菜の代わりなら何らかの楽をたしなむのだろう。柘榴帝はすばやく片手をあげ、それを制した。


「必要ない。今日は笛だけを聞こうじゃないか。先の会では笛を聞けなかったからね」


 柘榴帝の笑みにねぶられ、蓮は身を強張らせている。魔醜座はそのすぐ後ろから蓮の様子を観察した。


(あのどす黒い怒り)


 常人には見えない感情の波。神触かみふびとの激しい怒り、信念や誇りの感情はすべて神威を借りるための力となりうるものだ。

 魔醜座は蓮の一挙一同を見逃さぬように控えていた。なにかあれば鎮官の自分が止めなければならない。

 蓮はしばらく柘榴帝とにらみ合っていた。柘榴帝は脇息にくつろぎ、笑っている。

 いかにも気安い雰囲気で柘榴帝から注がれる澄んだ水色の視線――やがて根負けしたのは蓮のほうだった。目をそらすと龍笛を構え、蓮は全員の視線を集めてから息を吸う。笛の音を待ち、緊張が一点に集中する。

 そのとき、建物の入り口に球磨羅楽人と青ざめた顔の古謝が到着した。


「まって!」


 絞り出すような古謝の声に、蓮が振り返らずに背で答えた。


 ――もう遅い。


 笛に息が吹きこまれる。なだらかで細い音がゆっくりと奏でられていく。

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