蓮ー2
風虎が迎えにきたのは夕方だった。
「これを取りに行っていたのだ」
最新式のお洒落な三味線を渡された古謝は飛び上がるほど喜んだ。試しに弦を弾いてみると、これまでに奏してきたものとは音色が異なる。ぴんとはられた高価な弦は明確な音で甲高く夕暮れの空気を震わせた。
「ありがとー。俺、すごく気に入ったよ!」
「そうだろう、そうだろう。こうしてみればお前も本物の後宮楽人に見えるぞ。さ、選抜は明朝だ。今日は宿ではやく休もう」
そのとき、店奥から怒声が聞こえてきた。振り返ると蓮が身なりのよい男に引きずられ、店から出てくるところだ。男は嫌がる蓮を無理やりに店から連れ出し、地面を引きずっていく。
「この親不孝者、何度言えばわかるのだ!」
「父上、お許しください。大丈夫、ひとつくらいバレませんからっ」
「馬鹿者、口を閉じよ!」
蓮は男に平手打ちをされ尻もちをつく。綺麗に整えられた髪が乱れて口もとに血が滲んでいた。
「蓮!」
古謝がかけ寄ると、蓮は気丈にも一人で立ち上がった。血の滲む口もとを拭い恰幅のよい男をねめつけている。男は怪訝な顔で古謝を見て、それから風虎に気づき渋面をつくった。
「これは、……風虎殿」
「
風虎は十五度に軽くお辞儀する王宮風の礼をしてみせた。
文官とは王宮の高官のことだ。国政に携わる文官は格式ある家の者たちで、
「いや、実に見苦しいところを。それでは」
呂文官は
「なんじゃあ? ありゃ」
逃げるようなその態度に風虎は訝しげだったが、古謝は地面に落ちていた鳩の根付のほうに気をとられていた。拾ってみると黄緑色の飾り紐の先に白く愛らしい陶器の鳩がついている。蓮が落としていったのだ。
「明日、蓮に会えるかな?」
「そりゃあ、会えるだろうが」
風虎はあいまいに語尾をぼかしていた。
呂家の蓮といえば音に聞く神童で、楽の名手でもある。見る限りその容貌うるわしく、険はあったが芯も強そうだ。
「お前、あいつと話したか?」
「すこし」
「あいつには関わらんほうがいいぞ」
「なんで?」
きょとんとした古謝に風虎は言葉をつまらせる。王宮の機微など古謝にはわからない。
楽人選抜に蓮も参加するということは、古謝にとっては競い合う敵でもある。
蓮は楽の名手と呼び声高く、今回の選抜でも有望株の一人だった。仮に仲良くできたとして、優秀な蓮にはその後も周囲から妬み、そねみが向けられる。後宮において蓮の周りに諍いが起きることは必定なのに、そんな場へわざわざ近づき争いに巻きこまれることはない。
「なんでもだ。儂の言うことを聞かんと死ぬほど後悔するぞ」
「ふうん」
頷く腹のうちで、しかし古謝は蓮に話しかけることを決めていた。どのみち残り三年の命なのだ、後悔する前に死んでしまうと思えば怖いものなどない。
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