5-9話 山にいる
「うっ……」
高木が意識を取り戻したとき、まぶたの向こうが妙に明るいと思った。
明るさで邪魔されたのもあるが、まぶたが重い。まるで泥のように眠ったかのようだ。そのくせ疲れはとれきっていない。そんな気分だった。
昨日何をしていたかを思い出そうとして、不意にあの恐怖が首をもたげた。
――……そうだ。俺はあの、オレンジ色の化け物に……!
「うわぁ!?」
「うわあ!」
悲鳴をあげながら起き上がった高木を見て、びっくりした声がついでに響いた。
高木を見て目を丸くしていたのは、頭から毛布をかぶった瑠璃だった。
「高木先輩! 大丈夫ですか!?」
「萩野!? これはいったい……い、いやそれより俺は……あれはどうなった!?」
「ええ?」
瑠璃は半笑いのような、困ったような顔をした。
高木がその表情の意図をくみ取れずに口だけをぱくぱくと動かすと、仕切りのカーテンが開いて別の人間が入ってきた。見覚えのある顔だ。
「ちょっと~。大きな声出さないでよ~」
「あっ。七海先輩! 高木先輩、起きましたよ」
「うん、見ればわかるわ。起き抜けに元気よね。こっちだって頭が痛いんだから、静かにしてくれる?」
七海も頭からすっぽりと毛布をかぶっている。
高木は自分を見下ろした。自分にかけられていた毛布と同じものだ。周囲を見渡すと、小さな部屋のような場所にいた。だが部屋とはいっても、段ボールのようなもので周囲を囲まれた小さな空間だ。よく見れば自分が寝かされているベッドの素材も段ボールでできている。テレビやネットで見たことがあった。避難所の仕切り用段ボールだ。使わない時はたためてコンパクトになり、使う時も素早く楽に組み立てられて便利……いや、そんなことは今はどうでもよかった。
「え、……ど、どこだここ?」
困惑とともに尋ねる。
「公民館です」
「公民館?」
「ええっと、詳しく言うと、隣村の公民館?」
瑠璃が首をかしげながら言うので、ますます混乱した。
「えーっと、あのですね……。お、落ち着いて聞いてくださいね? あの、雪崩があったんですよ。二回! それであの、村が土の下になっちゃったっていうか……」
「は? 雪崩? 土の下?」
瑠璃の説明もいまいち頭に入ってこない。
「ななみせんぱぁい!」
即刻助けを求める瑠璃に、七海は呆れた顔で言った。
「……まあ、無理もないわね。あんな大きな雪崩が二回もあったのよ。二度目なんか、土も一緒に落ちてきたっていうんだから」
「ど、どういうことだ?」
「どういうことも何も、どうもあの村で大きな雪崩が発生したみたいなの。あたしたちはそれに巻き込まれた……」
「え、そ、それじゃあ……あの村は……」
「みんな土の下よ」
瑠璃の必死の説明によると、一度目の雪崩でなんとか這い出したのは瑠璃をはじめとした何人かだけだった。すぐに隣村や警察に連絡を入れて、村人たちは他の村人の救助をはじめた。瑠璃はすぐに出てこれたというだけあって、女性陣三人はすぐに出てこれたのだという。ただ、彼女たちも全員意識を失っていたという。
しかし、まだ救助準備も整っていないうちに、なんと二回目の雪崩が起きたのだという。しかもそこには土も混じり合っていて、救助に向かった村人達はそれに巻き込まれてしまった。幸い、先に救出された大学の旅行メンバーはなんとか巻き込まれずに済んだ。だが村人と一緒に救助に向かった蛭川も、それに巻き込まれてしまったというのだ。
「な……、雪崩だって?」
高木は何から信じればいいのかわからなかった。
あのオレンジ色の奇妙な化け物は鮮明に覚えている。そして、村人があれを守手様と呼んだことも。村人が激高して襲ってきたことも。最終的に頭を殴られ、意識はそこで暗転した。それが覚えているすべてだ。
だが、雪崩だと。
「……そんなバカな。あれは、夢だったっていうのか……?」
高木の言葉を聞いて、まだ混乱していると思ったらしい。七海は瑠璃の肩を叩き、スペースを出るように言った。
瑠璃はやや高木の事を気にしていたが、それどころではなかった。二人が行ってしまうと、あたりを見回す。荷物らしきものは無い。身ひとつで助け出されたらしい。段ボールは意外に頑丈らしく、二人が出ていくと外の声もくぐもってしまった。
天井を見上げる。よく見る公民館の天井があった。もう一度視線を落とす。
「そんな……」
「先輩!」
そこへ飛び込んできたのは、翔太だった。
はっとして顔をあげる。
「翔太! 無事だったのか!」
「せ、先輩。先輩も確かに見ましたよね。あの、オレンジ色の……」
まくしたてるように言う翔太に、高木は目を丸くした。
「翔太っ、お前……っ! お、お前も見たよな。確かにこの目で!」
「でも、みんな忘れきってて。なんでなんですか。俺たち、殴られてからもうここにいて。こんなの、おかしいでしょ」
翔太は何もかも信じられないというように膝を抱えた。
夢の境目に迷い、現実に戸惑う二人を、瑠璃の影からヨナルが見ていた。その情報は即座に、同じく瑠璃の影の中に潜む主へも伝達された。あの二人の記憶もなんとかしなければならないだろう。それとも、あえて放置しておくのも面白そうだという誘惑にかられていた。
ともあれ、その場にいた人々は不安な夜を越した。
翌朝、ニュースは日本を騒がせた。
ひとつの村を壊滅させた雪崩は、戦後最大の雪崩被害とされた。
そのうえこの雪のせいで、捜索も難航した。そのうえ次々に出てくるのは死体だけ。どういうわけかその死体はろくに調べられることもなく、雪崩に巻き込まれたことによる事故死と判断された。
守手村の人間は全滅。生き残ったのはたまたま手伝いに来ていた大学生が六人だけ。そのうえ七人目だった大学生の男性も二度目の雪崩に巻き込まれて死亡したと報道されると、世間は六人に同情的になった。
同時に一部の人間は、何かの祟りだったのではないかと揶揄した。
特に守手村の立地や、村人のほぼ全員が死亡したことは、かなりの憶測を呼んだのだ。この村で行われていた風習や、そんな山の中で毎年誰かよそ者がいなくなっているという事実がオカルト系の人々の興味を引いたのだ。やや不自然にも思えるこの事故に独自の見解を唱える者もいた。何か妙な儀式を行っていたのではないかという話や、何かが解き放たれたのだという人もいた。実在した因習村だとか、生き残った六人がやらかしたとか、実は真エンドにたどり着いたとか――。
人が亡くなっているのに不謹慎だという声も当然あり、しばらくはいろいろな意味でテレビもネットも賑わいそうだった。
真偽不明の情報の中には、巨大な赤い目を目撃したとか、怪物のような声がしたというものもあったが――表向きには、雪で乱反射した赤い灯りや、雪崩の轟音がそう聞こえたのだろうということになった。ネットに真偽不明の映像があがると、作り物だろうと一蹴された。不鮮明な、吹雪の向こうで立ち上る巨大な蛇のような影など、誰が信じるというのだ。
いずれにせよこの事件は、不可解なところを大量に残したまま事故として処理された。
*
「うわっ」
瑠璃はパソコンに出てきた画像を見て声をあげた。
「パソコンでもすぐ出てきたけどヤバいよこれ」
「何がだ」
「蛭川先輩が言ってたやつ。ほら、サビ菌だっけ?」
瑠璃はパソコンの画面をブラッドガルドに見せた。表示されている画面は、オレンジ色の触手のようなものが大量に生えた奇妙な写真が載っている。
あのオレンジ色の触手を小型化したようなものだった。
あの守手事件を「雪崩のせいだった」とブラッドガルドが周囲の認識を書き換えてしまうと、事はなんとか運んだ。実際に雪崩は起きていて――というかブラッドガルドがオレンジ色の触手を食べまくって大暴れしたせいで雪崩が起きたのだが――すべてが雪と土の下に沈んでしまった。雪が溶けて春が来た頃にいろいろと出てくるかもしれないが、そのときはそのときだ。火でもつけておけとブラッドガルドは言っていたが、どこまで本気なのかわからない。残った高木と翔太の二人も、ちゃんと記憶の認識を書き換えてくれたのか微妙に不安だ。
ともあれなんとかごまかしは利いた。事件は雪崩として処理されたし、多少のゴタゴタはあったがなんとかなっている。
帰還してしばらくすると、瑠璃のもとには蛭川庸一の名が書かれた封筒が届いた。びっくりして声をあげたが、日付指定がされていた。どうやら旅行の前に送られたものだった。
中身は蛭川が独自に集めたと思われる研究資料だった。
もしかすると蛭川は、最初から何かを覚悟していたのかもしれない。
資料といっても大学ノート三冊分くらいしかなかったが、中身はずいぶんと書き込まれていた。特にページを割いていたのが、サビ菌にまつわる研究だった。生贄になった研究者がたまたま『サビ菌』のことを口にし、類似性に気がついたようだった。
「特にこの、冬胞子層とかいうのが出現しちゃったやつ、ほんとにそっくりだ」
「確かに似ているが、なんだこれは」
「ええっと……簡単に言うと、菌類の仲間でね。キノコとかカビの仲間って言えばいいかな」
瑠璃は首をかしげながら言う。
「植物に寄生して、サビみたいに見える病変を作るからサビ菌だよ。だからサビ病とか、赤星病って呼ばれる植物の病気の原因。冬胞子っていうのは、越冬に適した細胞壁の厚い形態のことをそう呼んでるみたい……なんだけど……」
そこまで言って、ちらっとブラッドガルドを見る。
「……。そんなの食べて大丈夫だった?」
「味は微妙だった」
「ほんとに微妙だったんだね……」
ごく普通に答えられたので本当に味は微妙だったのだと思う。
「でもこれって、寄生菌ではあるけど、人に寄生するものじゃなさそうなんだよなあ」
「それこそ貴様らの言う突然変異ではないのか」
「そもそもあれ、寄生とかどうこう以前に自分で動いてたよね?」
「そうだな」
はっきり言われてしまった。
もう一度、ノートに目を通す。サビ菌の方は生きた植物だけに寄生して生きられるようだった。だから人間が必要だったのだろうか。だが生贄のような形で人間は差し出されていたものの、あれが寄生先を変えていたのかと言われるとわからない。
あのオレンジ色の触手の大本には、一年前に生贄に捧げられた人間が生かされていたのだろうか。
「……あるいは、ローパーが神紛いになったか、だな」
ブラッドガルドがそんなことを言い出した。
瑠璃は顔をあげる。
「ローパーってあれでしょ、触手みたいな魔物」
「そうだ」
瑠璃にはローパーと聞こえているそれは、触手を持った魔物のことだ。元々はロープを持つ者という意味だが、様々な形態の魔物が存在し、現在は触手を持った魔物の総称のようになっている。
「なんでそんなのが日本にいるんだよ。しかも昔から。リクみたいに召喚されたとか?」
「可能性として、無いことは無い」
「えっ」
さすがにそれは驚いてしまった。
「……無論、召喚というのは世界を行き来する方法の一つに過ぎん。あの扉を使って行き来するのも方法の一つだろう」
「……」
自分のことをすっかり棚にあげていたのを思い出す。
「だがなんらかの事故や手違いで、別の世界へ落っこちるという事はありえる。何らかの偶然が重なって、僅かな歪みが扉として成立することもな」
「つまり、過去にもいままでにそうやって……事故的にこっちに来たモンスターがいたかも、ってこと?」
「そうだ。もしかすると、この世界で伝説上の『妖精』や『モンスター』と呼ばれているものは、当時実際に迷い込んだ魔物だった可能性もある。しかしそれらは当然、不死身ではない」
慣れない場所で知らぬ間に死ぬこともあるし、発見されたとしても昔は伝聞も曖昧だ。
「そうやってこちら側へ来たローパーの一種が――なんらかの理由であの村の者どもに信仰を受けた」
そうして神と成った。
考えられない話ではなかった。特にこちらの現代日本と呼ばれている世界では、なんでもかんでも神が宿る。それは、信仰の力だ。あらゆる者に神がいると信じればこそ、怨霊は神となる。同じように、呪いも怨嗟も宿る。
思いと言葉の力は、自分たちが思っているよりも重いのだ。
「それと、もうひとつ疑問なんだけど……」
「なんだ」
「どうして、私たちは無事だったんだろう?」
「……あ?」
質問の意味がわからず、ブラッドガルドは眉間に皺を寄せた。
「だってあのオレンジ色が出てきたのはほとんど村人だったからさ」
「ああ、そんなことか」
肩を竦め、つまらなさそうな顔をする。
「あのローパーもどきは、既に村中に根を張っていた。根というより触手だが。その中に人間も含まれていただけだ。我に喧嘩を売った時に、そいつらも顔を出してきた。それだけの話だ」
「うーん?」
瑠璃はまだ納得がいかない。
「そうだな。もしかすると最初は食ったのかもしれないな」
「えっ」
「昔は飢饉やら何やらあったのだろう。そのときに偶然、口にするというのはありえる」
「そいつ」が村へやってきた当初、どれほど衰弱していたのかは知らない。
だがどういう理由かで人の中へと入った「それ」は、人の中で生き延びながら村に根を張っていったのだ。それによって生き延びた人々が信仰をはじめる。やがてオレンジ色の触手が姿を現すと、飢饉をおさめた不思議な何かは、その信仰の力によって神と成っていく――。
「え……、そんなん食べて大丈夫なの……」
「味は微妙だった」
ブラッドガルドは相変わらず同じ答えをした。
「バカな心配をするな。我をなんだと思っている。我は神ぞ」
「そんな台詞をリアルで聞くことになるとは思わなかったよ」
事実だからしょうがない。
――だが、生き残りくらいはいるかもしれないな。
ブラッドガルドはそんなことを思っていた。
村にいた触手は全部喰い尽くしたつもりだが、もしもあのローパーもどきが人間の中にも僅かに巣くっていたのならば。
一年に一度の生贄を連れてくるために村の外に出た若者たちは、全員戻ってきていたのだろうか。
もしかすると――。
誰かがどこかの部屋で、新聞を手にしながら震える。
新聞記事は何日になっても、故郷が全滅した記事が載せられていた。その記事を見ながら、信じられない気持ちでいっぱいになる。
いったい何が起きたのだ。
いくら雪が積もったからといって、こんなことはありえない。
それに、生き残ったのは全員部外者ばかり。全員が口裏をあわせたように雪崩の事を言っているらしいが、そんなことはありえない。
何者かが儀式を台無しにしたのだ!
それどころか、あろうことか守手様を殺してしまった可能性すらある。村ごと根絶やしにされたのだ。これは雪崩なんかではない。凶悪な殺人犯が、この日本のどこかにいる。きっと生き残った大学生グループの中にいるのだ。
そう理解した途端、新聞記事は手の中で握りしめられてぐちゃぐちゃになっていた。
怒りに触発されたのか。寄生主の中に潜むオレンジ色の触手の残滓が、僅かに胎動をはじめた――。
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