5-8話 山にいる

「せ、せ、せ、先輩っ! なんですか、なんなんですかこいつらぁ!」

「お、落ち着け! こんなの……、こんなの……マジで何なんだこいつら!!?」


 高木と翔太は部屋に入り込もうとしてくるオレンジ色の触手を前に、二人で寄り添ってパニックになっていた。

 この家に招待された時までは良かった。

 雪の上で神輿を担ぐのは、素人には危ないから――みたいな説明で、二人は一軒の家の中に案内された。巫女が仕事を終えるまで、寝ずに酒を飲むのだと言われて手を出したのが最後。そこまでは楽しかった。もちろん、神社の上の女性陣を放って自分達だけ酒を飲む罪悪感のようなものはあった。だが村人たちは女性陣の事を忘れるほどに話を盛り上げてくれたし、宴もたけなわ、気分は最高潮というところでそれは起きた。

 何時だったのかは正直、わからない。

 突然、地滑りのような音がして、なんだろうと思ったのが最後。

 山の上の方から奇妙な音が聞こえたのと同時に、家に衝撃が走った。車が勢いよくぶつかってきたような衝撃だった。


「な、なんだ……!?」


 障子に体を打ち付けながら目を開けると、オレンジ色のものが視界に入った。

 曲がりくねった廊下の向こうに、オレンジ色の巨木のような、触腕のようなものが見えたのだ。その近くには、尻餅をついた村人が一人見えた。


「あ、こ、これは……」


 その村人の男が蒼白になった途端。おぼぼ、だか、あぼぼ、だかいう声をあげながら体をくねらせた。痙攣ともまた違う、下手くそでふざけた踊りみたいだった。次第に、めりめりとその目から何かオレンジ色のものが飛び出してきた。一つだけではなく、幾つもだ。まるで眼窩の穴をこじ開けるようにして、オレンジ色がもりもりと飛び出した。口からも、鼻からも、そして顔のありとあらゆる毛穴を押し開けるようにして生えてきたオレンジ色に、誰も彼もが声を失った。


「……は?」


 ついさっきまで一緒に飲んでいた男の変貌に、酔いは一気に覚めた。

 周囲の村人たちも同じだった。

 あっという間にパニックになった。


「なんで、どうして!?」「上は何をやってるんだ!」「どうして守手様が」「守手様が怒っておられる!」「いったいこりゃあ、誰の仕業だッ!?」「わからねぇ、庸一が連れてきた奴が何かしたんじゃないか」「何が起きてんだ!?」


 慌てて逃げ出す村人たちからなんとか逃れ、二人は必死に何か武器は無いかと探した。適当な障子を開けると、縁側が見えた。どうやら端の方を物置代わりにしていたようで、段ボールや座椅子が無造作に置かれていた。同じく無造作に置かれていた木の棒が視界に入る。棒といっても四角く細長いもので、多分柱か何かで使った残りだろうと思われた。古いもので角はとれていたが、高木は迷いなく手に取った。槍のように突き出しながら牽制する。

 オレンジ色の触手はうごうごと僅かに蠢いていた。おそらく一番先っぽの部分で攻撃をしているのかもしれない。

 じりじりと二人で、縁側から外に向かうべく下がる。


「お前らあっ!」


 逃げようとした二人を発見した村人が、大きな声をあげた。


「お前ら、何をしたッ!」


 怒りと恐怖で顔を真っ白にしながら迫ってくる。

 何をしたかなんて、こっちが聞きたかった。


「言えっ! お前らがやったのかっ!」


 村人が両手で捕まえようと迫ってくる。

 高木も翔太も木の棒で牽制すると、向かい合う形になった。


「そ、それはこっちのセリフだぜ、オッサン!」

「そ、そ、そうだ! お前たちこそ、何したんだよ!」


 高木が叫ぶと、翔太もそれに倣った。

 村人がじりじりと二人を追い詰めようとするたびに、高木は木の棒を突き出して牽制した。このままでは埒があかなかった。なんとかして縁側の窓を開けて飛び出さないといけない。

 だがそれよりも先に、オレンジ色の触手の先っぽが二人を見つけた。一気に部屋の中に入ってくると、翔太が悲鳴をあげた。


「うわああーっ!」


 その悲鳴に、村人は後ろを振り向いた。


「か、守手様、こいつらを生贄、にっ!? おごぉっ」


 同じだった。

 その目からオレンジ色の触手が邪魔な眼球を食い破って出てきた。もごもごと音を立て、体が踊ったかと思うと、次々と触手が出てくる。


「う、う、うおおおーっ!」


 高木は自分を鼓舞する為に叫びながら、むちゃくちゃに木の棒を振り回した。その間に翔太が後ろの窓に飛びつき、開け放った。庭が見える。


「先輩、こっち!」


 二人は靴も無いままに外へと飛び出していった。

 庭へ出ると、足の冷たさも気にしないで村の道路に向かって走った。だが既に、オレンジ色の触手がありとあらゆる場所に根を張り巡らせていた。


「なんだよ……これ……」


 家の窓を突き破るような巨大なものから、地面を薄く這う細いものまで。

 まるで何かがこの村に根を張ったように、うごうごと蠢いていた。雪の上をオレンジに染め上げている。空から降る雪は、村を白く静かな地獄に変えていた。

 あまりの寒さに手がかじかむ。今までの事に興奮はしているが、このままだと凍死してしまいそうだった。そのうえあちこちから悲鳴と怒号が響いてくる。その間を縫うように、オレンジ色の触手が蠢く音がした。


「ぎゃああああ」「守手様、守手様!」「鎮まりくだされぇ」「助けてっ、助けてぇ!」「どうしてこんな……」「あいつらだ、あいつらのせいだっ!」


 もはやその言葉は雑音に近かったが、あいつらのせいだ、などと言われるとびくりとした。早く逃げた方がいい。だが残された五人が気がかりだ。いったい今、どこにいるのだろう。蛭川はこの事を知っているのだろうか。寒い。このままだと凍えてしまう。怖い。逃げないと、殺される。とりとめのない事が次々に頭の中に浮かんでは消えていく。


「こんなの……こんなの……」


 寒さなのか、それとも恐怖なのか。

 二人は互いを見ることすらできないまま、呆然と木の棒を握りしめた。スマホも荷物も置いてきてしまった現状。それしか頼るものがない現状、突き進んでいくしかない。

 めまいがした。

 いや――めまいではなかった。

 最初はめまいかと思うくらいの揺れだった。

 地面が僅かに揺れている。


「先輩、あれ!」


 翔太は山の上を指さした。

 山の上から、一筋の暗い光が立ち上っていた。

 その途端、空を裂くように巨大な黒い蛇が現れた。







 その日、白い雪にまみれた山の上に、赤黒い月が昇った。

 それは月ではなく、赤黒い眼だった。

 夜闇よりもなお暗い黒が、天に向かって口を開いた。低い弦楽器の弦を弾いたような音が、あたりに響き渡る。黒き龍のごとき、蛇の咆哮だった。


 闇に紛れて、瑠璃は影蛇の頭に捕まって勢いよく飛び出した。黒い影のような蛇がスピードをあげて雪の上を這う。

 顔に当たる冷たい風から顔を背けながら、瑠璃はちらりと巨大な黒い蛇を見た。龍に似たそれは、不気味に村を見下ろしている。


「うわー。怪獣大戦争じゃん!」


 黒い龍のごとき蛇を見上げると。叫ぶように言った。

 影蛇は相変わらず何も言わなかったが否定もしなかった。

 それ以上深く突っ込まれないうちに、カメラアイ達が総動員で瑠璃の目の前に映像を映し出した。まるでSF映画もさながらに、パネルのように映像を映し出す。あっという間に村中に散らばったカメラアイ達による捜索網が張られたのだ。

 そのうちの一つに神社が映っている。オレンジ色の触手が見えるが、神社の上を這うようにして村に降りていっている。中の方は被害は少ないようだった。


「右の子たちは、ユズと七海先輩の回収お願い! 多分二人とも眠ってるはずだから、神社から動いてないと思う!」


 瑠璃の右側からパネルを覗いていた影蛇たちが頷き、瑠璃の乗る影蛇から離れて神社へと向かっていった。黒い影はあっという間に遠ざかっていく。


「あとは、もう二人……」


 いま、一体どこにいるのだろう。


「どこに居そうとか、わかる?」


 カメラアイの一匹が目玉ごと少し斜めになった。どうも首をかしげた動作に似ていたので、多分まだわからないのだろう。

 いくつかの映像を見ていると、予想より遙かにオレンジ色の触手が村の中を蹂躙していた。


「……」


 なんとも言えない感情がこみあがってくる。

 村の中まで降りてくると、カメラアイの映像で見たそのままの景色が広がっていた。白い雪の上を、触手のオレンジ色が染め上げている。

 さすがに二人に影蛇に乗ったまま鉢合わせするのも困る。瑠璃は一旦影蛇から降りると、残っていた影蛇たちも一斉に瑠璃の影の中へと飛び込んだ。映像が消え、カメラアイ達も髪の毛の影の中へと一気に飛び込んでいった。残ったのは、首と髪の毛の影の隙間から覗いたヨナルだけだ。


「高木先輩ー! 一宮くーん!」


 瑠璃は声を張り上げながら、二人の名を呼んだ。

 いっその事、張り倒した方が早いかもしれない。というより、場合によっては張り倒して眠ってもらわないといけない。そうでもしないと影蛇について聞かれても困るからだ。そのうえ、高木はどうも瑠璃に何か憑いていると思っている節がある。

 木の棒か何か必要なんじゃないかと思った頃、吹雪の中に人影が見えた。


「高木先輩!?」

「萩野! く、くるなっ」


 高木が声をあげた瞬間、ウッと小さく声をあげて前のめりになった。ドサリと音をたてて雪の上に倒れる。


「えっ」


 思わず駆け寄ると、その近くには翔太も倒れていた。


「高木先輩! 一宮君!」

「う、う……」


 滑り込むように倒れた二人に駆け寄る。生きてはいるようだった。

 だが意識の方は朦朧としている。

 顔をあげると、木の棒を拾い上げた村人がふらふらとしながら瑠璃を睨んだ。思わず体を強ばらせる。

 男は木の棒を片手に。もう片方は片目を押さえていた。そこから、オレンジ色の触手がびろびろと蠢いている。この村人も中身をやられているようだった。怒りと恐怖と寒さとで真っ白になった顔が、瑠璃を見下ろしている。

 瑠璃は無防備にも座り込んだことを後悔した。

 だが男は唯一、怒りがわかる目で瑠璃を見下ろしながら叫んだ。


「お、おまえ……、おまえらの、おまえらの仕業か……!?」

「え?」

「なんだあれはっ!?」


 村人が木の棒で指したのは、山の上で優雅にたたずむ黒い蛇だった。

 その間に、ヨナルがするりと抜け出ると、するするとその影の中に倒れた二人を収納していく。二人が唐突に消えたことにも、村人は気付いていなかった。

 瑠璃はゆっくりと、村人が指した方向を見た。


「……」


 目線を戻して、言葉を紡ぐ。


「……あれは、本物の神様だよ」

「な、なに?」

「貴方たちの崇める神様が、あまりに、傍若無人だったから。出てきちゃったんだ」


 正確さはさておいて、嘘は言っていなかった。

 そのとき、蛇の目がじろりとオレンジ色を見下ろした。その目が笑うように歪んだのもつかの間、次の瞬間には既にかぶりついていた。龍のあぎとがオレンジ色を乱雑に引きちぎると、だらりと垂れ下がったそれを飲み込んでいく。そのとき、瑠璃には触手が呆然としているように見えた。


「そんな、……そんなバカな。そんな……」


 村人が首を振りながら言った。

 目の前で起きていることが信じられず、残った目がぐるぐるとあちこちを見る。きっとオレンジ色が人の姿をしていたら、そんな事を言うのかもしれなかった。

 村人はオレンジ色の代わりのように、まだ首を振っていた。

 現実を受け入れぬまま叫ぶ。


「わ、我々がこれまで……、守手様に……どれだけ」


 その叫びがすべて声になる前に、龍のあぎとが再び地上に向かって開かれた。

 オレンジ色は大きく触手を広げたが、もはや手遅れだった。巨大な地鳴りとともに、キィキィと高い音が響く。あっという間にバラバラになったオレンジ色の触手が、あちこちで逃げるように蠢きだす。しかし、見上げた瑠璃の影から飛び出した蛇たちがそれを逃がさなかった。雪の上が影で染まるほど、化け物ごと食らいつきそうな大きさに巨大化した影蛇たちが顎を開いた。

 蛇たちが、地面に張り付いたものからすべてかっ攫っていく。


 龍のごとき蛇は不気味に笑うように吼えた。

 人の声などしないのに、高らかに声をあげて笑うように。

 山の上からは、低い弦楽器のような笑い声がどこまでも響いていた。


 その真ん中で、瑠璃は体に巻き付いたヨナルの頭を撫でていた。頭の上に乗ったカメラアイが、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。冷たい指先に巻き付いたチビの影蛇が、ちらりと横を見る。

 ドサッと音がした。

 村人が雪の上に倒れた音だった。

 村人は絶望ともつかぬような顔で、食い破られた体の中身をそのままに――息絶えていた。

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