5-6話 山にいる

 そいつがいつから山にいたのかはわからない。

 ただ、連れてきた「よそ者」にする話だけはいつも同じだった。


 ここらへんは怪力自慢の神様がいて、そこから手の神様になった。工芸や物作りが盛んなところでもあったので、一年の終わりになると手の神様に指をうまく使えるように祈った。儀式はその名残だと。

 昔は村の中から生贄を出していたらしい。

 だがいつの間にか、他の村の人間や旅人を捧げても特に支障が無いことがわかると、家族の身代わりに誰かを浚ってくるようになった。誰かを浚ってきてもわからなかった時代から更に近代に近づくと、今度はうまいことを言って連れてくるようになった。

 よそ者はたいていは女性だった。それは次第に、家族単位ではなく若者達の仕事になった。いい事を言って、綺麗な女性を連れてくるとよりいっそう喜ばれた。

 ときどき男の事もあった。

 その時もうまいことやった。例え男であったとしても、巫女役の女性を洞窟まで連れていくという仕事を回すことがある。

 そうして村は維持してきた。

 そうしなければ村は維持できなかった。

 すべては守手様のためだった。


「守手様はね、あたしたちを守ってくれとるんさ」


 千代の祖母は、遊びに来ていた庸一にもそう教えてくれた。

 千代は子供の少なくなってきたこの村で、数少ない女の子だった。都会に比べて古くさいこの村で、千代は誰が見ても可愛い子供だった。女の子の数が少ないのもあったが、テレビに出るような子役と比べても千代の方が可愛いという話さえあった。

 千代と庸一は生まれた年が同じで、まるで兄妹のように育った。


「それが、あたしたちと守手様の約束なんよ。誰かを捧げる代わりにいろんなことから守ってくれとる。だからこの村は戦争でも助かった。誰も戦争に行かなくてもよかった。悪いものはみんな、守手様がやっつけてくれる」


 千代の祖母は、千代と、庸一の頭を撫でながら続けた。


「だからあんたらも大人になったら、よそから誰か連れてくる仕事があるけんね」


 それは、当然のことだった。

 大人になったら、必ずよそから人間を連れてくる。それが若者の重大な仕事だ。


「男の人ってどうやって連れてくればいいんだろうね」

 千代はいつもそう言っていた。

「千代はやんなくていいよ。よその女を連れてくるのが、男の仕事だろ」

「でも、もしもって事があるし」


 庸一は、それは男の仕事だと思っていた。

 思っていたから、千代が悩むのが嫌だと思っていた。

 千代にはそんなことをしてほしくなかった。それが、どういう意味なのかは自分でもよくわからなかった。

 だから、千代にお鉢が回ってくるなんて、誰も思っていなかった。

 ほとんどが親戚のようなこの村で、村の中から生贄を出すのは実に二十年ぶりの出来事だった。


 期日が近づいても誰も村に送れないとわかると、会議が行われた。それこそまるで村中がお通夜のようになった。どこの家から生贄を出すかを朝まで真剣に話し合った末、結局、恨みっこなしのくじ引きで決められることになった。

 千代が選ばれることになったのは、その結果だった。


「庸一君はなあ。千代ちゃんといっちゃん仲が良かったで。ありゃあ可哀想やな」

「それより、あそこの奥さんが半狂乱になってよ。なんとか取り押さえたけど、駄目かもしれんなあ……」


 庸一以上に半狂乱になったのが、千代の母親だった。


「あああああっ」


 泣き叫び、取り押さえられ、口からも涎を垂らし、連れられていく千代の母親を見ながら、庸一は逆に冷静になっていった。


「どうして、どうして千代がっ」

「おい、そっち。足の方持てっ」

「すまん、すまんなあ」


 村の男たちは千代の母を拘束しながらも謝るしかできないでいた。

 その日から、庸一は千代に会えなかった。

 昨日、「また明日」と言って別れたばかりだった。こんな唐突な最後が来てしまうなんて、予想できなかった。きっと二人で、この村で――。


「どうして千代が……、どうして……」


 遠くからそんな叫び声が聞こえてくる。


 ――……それを聞きたいのは、こっちだ。


 何よりも、庸一が聞きたい事だった。

 それから千代が捧げられる時も、庸一は千代に会う事はできなかった。

 千代は自分を恨んでいるだろうか。千代を見つけ出して、村を出れば良かったのだろうか。そうしていたら、村は、守手様はどうなっていたのだろうか。

 ぽっかりと空いた穴は、誰も塞いではくれなかった。

 そうして高校進学を機に、庸一は村の外へ出た。機会さえあれば恋人になった女を連れていく機会を狙った。恋人でなくとも誰でも良かった。もう誰も、村の中の誰も、こんな思いをすることがなくなるのなら。

 だが大学二年になったその年、庸一は、とんでもない逸材を見つけることになった。


「どうやらな――、強力な守護霊みたいなのが憑いてるみたいなんだ」


 高木が言ったその一言に、庸一は希望を見いだした。







「う……」


 瑠璃が目を覚ますと、狭いところにはさまっていた。自分の現在地と、体がどうなっているのかを確かめるだけでも一苦労だった。

 すぐ目の前に見えたのは地面だった。さっきまでいた洞窟の地面のようだ。手は少しだけかすり傷ができたのか、少し痛む。だが幸い、傷は無いようだった。

 なんとか視線だけで周囲を見ようとする。少しだけ動こうと体をよじる。下が地面で、周囲は何か黒いもので覆われていた。すると、ぐぐぐ、とその黒いものが少しずつ動いた。見覚えがあるどころではなく、とても親しい何かだ。


「……ヨナル君?」


 動いていたものに手を伸ばす。触ると、プニプニした感触があった。真っ黒な影のようなそれは、人も飲み込めそうなほど巨大化したヨナルだった。どうやら直前に巨大化し、上から守っていてくれたらしい。影蛇の巨体はやがて滑らかに動き出した。するうちに、体も動くようになった。どうやら上から抑え込んでいたのはヨナルだったようだ。だんだんと体を起こせるほどになると、瑠璃はようやく上半身を起こした。隙間から覗き込んだ巨大な顔が見えてくる。舌がちろちろと出て、顔を舐められた。


「うん、大丈夫。私は平気。ありがとね」


 手を伸ばして、その頭を撫でる。


「それにしてもこれ、一体どうなってるの?」


 なんとか体を動かして見上げた先には、オレンジ色の何本もの巨大な柱が倒れていた。いや、これは触手だ。あまりに大きすぎて、オレンジ色の柱が何本も通っているように見えているだけだ。それらが時に絡み合いながら、まっすぐにどこかに向かっている。見えるのは胴体らしきところばかりで、先は見えない。どこかに繋がっているようだが、どこが先でどこが根元なのかもわからなかった。

 狭いのはヨナルが覆い被さっていたせいかと思ったが、半分はそうで、もう半分は洞窟の上半分をすっかりオレンジ色の触手に浸食されていたせいだった。


「……なんで急にこんな……」


 瑠璃の呟きのような声を出す。

 ヨナルがちろちろと舌を出しながら、何か言いたげに頭を下げた。


「えっ、ごめん何?」

「……」


 相変わらず言葉が通じないので、肝心な時に通じ合えなかった。


「まさかと思うけど、ケンカ売られた?」


 ヨナルが即座にぶんぶんと頭を縦に振る。


「ええ……」


 まさかの正解だった。

 だがこれはまずいのではなかろうか。

 何がまずいかって、ヨナルに喧嘩を売ったということは、その背後にいるもっとやばいものに喧嘩をふっかけたということだ。


「……とりあえず、本人に気付かれないうちになんとかしようか……」

「……」


 若干、手遅れ気味な気はしていたが、影蛇は声が出ないので何も言えなかった。

 だから何も言わなかったわけではない。ヨナルは自分にそう言い聞かせていた。


「とにかくここから脱出しないと……」


 ヨナルが頷いた。

 他の人たちはどうなったのだろうか。


「そ、そうだ。ヒメ。ヒメは?」


 はっとして見回すと、ちょうど自分の横にヒメが倒れていた。まだ気を失っているらしい。ぎょっとして、鼻のところに手をやる。息がある。生きてはいるようだ。瑠璃はほっとした。あのオレンジ色にも侵されていないようだ。ヨナルが頭をヒメに向けて、探るように鼻先でつつく。ううん、と小さくヒメは声をあげた。


「……大丈夫そう?」


 瑠璃は声を抑えて尋ねた。

 とはいえ、いま目を覚まされて巨大な蛇とこんにちはされても説明に困ってしまう。

 ヨナルはまあ大丈夫、と言いたげにちろちろと舌を出した。


「そっか。どうしよう……、ヨナル君、とりあえずヒメを収納できる?」

「……」


 ヨナルは少し考えたようだった。


「あの、ほら、ええと、荷物扱いとかで……」

「……」


 ヨナルは相変わらず真顔だった。しばし見つめ合う。

 数秒の後、了承してくれたようだった。

 自分達の下に出来た影の中に、ヒメの体がずぶずぶと沈み込んでいく。瑠璃の影と繋がっているせいか、僅かに感触があった。人ひとり担ぐよりはずいぶんとマシになった。重さは。小さめのリュックを一つ背負ったくらいにまで小さくなってしまった。これならすぐに動ける。

 ヨナルは少しずつ大きさを小さくしていき、半分くらいまで抑えた。


 ――あとは七海先輩とユズ……。大丈夫かなあ……。


 ここに連れてこられる前、様子がおかしかった。ということは、あの御神酒の中に何か仕込まれていた可能性が高い。だからヨナルも、御神酒を飲むのを止めたのだ。ヒメの様子を見るに、睡眠薬か何かだったのかもしれない。

 よくわからなかったが、守手様とやらに生贄が必要なら、死んでいたら意味が無いからだ。


「ええと、外――。蛭川先輩がどっかにいるはず……」


 外の様子もどうなっているのかわからない。

 瑠璃がそろそろと立ち上がろうとすると、小さな声が聞こえてきた。


「あああ……うう……」


 思わず声の主を探したが、蛭川の声ではなかった。

 そういえばここには多くの人々がいたはずだ。彼らはどうなったのだろう。

 瑠璃はオレンジ色の触手にできるだけ触らないように、その声の方まで這うようにして移動した。地面とオレンジ色の触手に挟まれた空間に、男が一人立っていた。ざりざり、と地面を擦る音がする。足を擦って歩いているのだ。


「かみてさま……かみてさま……」

「うっ」


 瑠璃は思わず口元を覆った。

 なにしろ男は、本来、目のある場所からオレンジ色の触手を生やしていたからだ。ゆらゆらと頭を揺らして、両手を何か探すように前に突き出している。そうして、壁のオレンジ色にぶつかった。


「かみてさま……か、か、かみ……」


 ぶちゃっと音がして、その口元からもオレンジ色の触手が生えてきた。


「あ」


 それが最後の言葉だった。顔や頭の毛穴を食い破って、オレンジ色の触手が次々に生えてきた。やがて男の頭がすっかりオレンジ色の触手に覆われて見えなくなると、どちゃっとその場に倒れた。

 瑠璃はその光景に、思わず後ずさった。

 目を見開き、顔は真っ青になっていく。

 その視線が下を向いた。村人たちがそこにいた。

 あのとき洞窟にいた全員ではなかったが、そのほとんどからオレンジ色の触手が出ているか、そうでなければ死んでいた。

 瑠璃の足が、ざり、ざり、と一歩ずつ下がっていく。オレンジ色の触手に触れそうになったのを、ヨナルが慌てて止めた。半分ほどの大きさにまで戻ると、瑠璃の体に巻き付いて、少し戻す。だが瑠璃の足は、散らばった死体に近づくのをよしとしなかった。

 完全にパニックになったまま、瑠璃は周囲へと目をやる。この光景から目をそらしたかった。信じたくなかった。


「……ひ、蛭川先輩……」


 ここにいたはずだ。

 どこに居たのだったか。

 闇雲に歩いてもオレンジ色の触手にぶつかってしまうだけだ。


「蛭川先輩を……さ、探さないと」


 ヨナルが強くその体を拘束し、止めた。ぎゅっと抱きしめるようだった。そうしなければ、瑠璃がそのまま不用意にオレンジ色に触れてしまいそうだったからだ。そんなことはさせたくなかった。


「どうしよう、ヨナル君。これ、どうしよう」


 縋るように震える瑠璃を、ヨナルはその場にとどめることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る