5-4話 山にいる

 翌朝、瑠璃が目を覚ますと、既にヒメは布団の中にいなかった。ちょうど顔を洗って戻ってきたヒメに、おはよう、と声を掛けられる。

 ヨナルも夜のうちに影の中に帰ってしまったらしい。瑠璃ものそのそと起き上がり、ふあ、とあくびをしてから朝の準備を始めることにした。

 外は相変わらず薄暗かった。いまのところは大丈夫そうだったが、また午後から吹雪きそうな予感もした。ただ、天気予報ではこれから晴れる予定らしい。朝の支度をととのえてから、行事はどうするのかな、とヒメと首をかしげた。ともあれ、朝食の時間に蛭川に聞けばいいことだ。二人は談話室に直行すると、既に朝ご飯が用意されていた。


「おっす、おはよう」

「おはよう」


 翔太と高木の挨拶にそれぞれ応える。蛭川もいたので声をかけようとすると、その前に答えが返ってきた。


「そのまま続行するみたいだよ。雪もやむみたいだし」

「雪がやむなら良かったね」

「ほんとほんと~」


 昨日と同じ席に座ると、後からユズと七海先輩もやってきた。二人も同じ質問をしようとして、蛭川に同じ答えをもらっていた。

 朝食も豪華だった。ご飯と味噌汁は当然として、シャケの焼き魚と卵焼き、ほうれん草のおひたしに、冷や奴。つけものが少々。小鉢にはちりめん山椒と、焼き海苔が置かれている。女将さんが新しいお茶のポットを持ってきたところで、全員そろって挨拶をした。


「正直、俺、こんな豪華な朝飯食ったの久々だわ」

「先輩、ふだんパンとかっすからね」

「私もご飯とお味噌汁くらいかな~」


 普段より多く見えるのに、食べられてしまうから不思議なものである。


「そういえば蛭川先輩。なんか民芸品っぽくないものがあるな~って思ってたんすけど、あの手の形の置物、売ってんすか?」


 翔太が白飯をかきこみながら尋ねる。


「そういえばなんかあれだけ独特だよな」と高木も首をかしげた。

「ああ、そういえば説明してなかったな」


 蛭川は頷いて、そこにいる全員を見回した。


「みんなも一応聞いといてくれるかな。みんなに手伝ってもらう儀式にも関係あるから」

「えっ、そうなの?」


 七海先輩も、シャケをつまみながら目を瞬かせた。


「本当は女将さんから説明してもらおうと思ったんだけど、この際だから。昨日も言ったけど、女性の巫女役が神社とその奥の祭壇……要は聖地とか聖域なんだけど、そこに籠もって一晩過ごすってものなんだ。この村には昔から古い言い伝えがあって、それが風習のもとになってるんだ」

「あ、やっぱりそういうやつなんすね」

 焼き海苔の袋をやぶりながら、翔太が言う。

「あはは。大したものじゃないよ。もともとこのへんは工芸や物作りが盛んなところでね。それで、一年の終わりになると神様に指をうまく使えるようにって、手の形の置物を奉納していたんだ。あれはその名残だよ」

「なんだ~。そんな怖くないやつじゃないすか!」

「なんで怖いやつだって思ったんだよ」


 蛭川はあきれかえったように言った。

 翔太と蛭川以外の全員が笑い出した。だが笑っていた瑠璃がふと気付いて尋ねる。


「でも、それでなんで巫女が一晩過ごすんですか?」

「ああ、それはね。もともとはその神様っていうのが、腕っ節の強い力自慢の神様だっていうところから来てるんだ。この後ろの山も、力自慢のためにどこからか持ってきたとか言われているね」

「へえ。怪力の神っていうと、タヂカラヲみたいな感じなんかね」

 高木が口を挟む。

「なに? その、タジなんとかって?」

 七海先輩が豆腐に手を伸ばしながら訊ねる。

「日本神話で天照大神が天岩戸に引きこもってしまったときに、岩を開けた怪力の神様のことだよ」

 高木が一旦食べるのをやめて説明した。

「うん。もしかしたら、大本のルーツはそこにあるかもね。とにかく、山に入った盗賊をその腕でつまんで放り投げたとか、山火事が起きたときにその大きな腕で動物や人間を抱えて移動したとか……それがいつしか腕の神様ということになって、だんだんと手の病気の快癒を願う人や、手を使う……つまり物作りや手芸の神ってことになっていったんだ」

「怪力の神と手芸の神じゃぜんぜん違うような気がしますね」

 味噌汁をすすり終えた瑠璃が言うと、ユズやヒメも不思議そうに頷いた。

「神様っていうのは解釈で変わっていくものだよ。まあともかく、そういう山に住んでいる神様だから、最初は嫁入りのような儀式だったと僕は考えてるね」

「ああ、なるほど!」

 ようやく合点がいった。

 男衆が神輿に入った巫女を運ぶのも、嫁入りの儀式なのだ。


「まあ、この形だと祈ってるみたいだからね。一時期はそれで、弾圧されたキリスト教徒なんかも隠れ住んでたんじゃないかって話が上がって、調査にしにきた人もいたみたいだけど」

「へええ。実際どうなの?」

 卵焼きをつまんだ箸を手に七海先輩が聞くと、ううん、と蛭川は唸った。

「ちょっと眉唾ものかな。それどころか勝手に聖域の祭壇に入ろうとして、山のほうに入っちゃったみたいでね」

「山って、この宿の後ろにある山か?」

 高木は山の方向を親指で示す。

「そうそう。わりと登山客もいるんだけどね、昔、大学生のグループがのぼって遭難したこともあるんだ。案内がついてるから大丈夫だと思うけど、一応気をつけてね」

「へえ。聖域のわりには本格的な山なんだな」

「本格的な山だから聖域なんじゃないの?」

「えっ、うん」


 翔太とユズの言い合いによくわからなくなっていく瑠璃がはてなマークを浮かべながら反応する。

 この三人なに言ってるか自分でわかってんのかしら、というような目で七海先輩が見ていた。黙ってお茶を飲んでやり過ごす。


「あ、そうだ。ついでに高木と翔太には神社でも手伝ってもらいたいことがあるんだけど……」

「おっ、なんだなんだ?」

「この雪だろ? ちょっと雪かきに人手が必要なんだよね」

「肉体労働!」

 翔太がショックを受けたように叫ぶ。

「いやもとから俺らは肉体労働要員だろうが」

 高木が真面目な顔で言う。

「私も手伝いますよ、先輩」

 ユズが手をあげた。

 それに続いて女性陣が次々に私も、と言う。

「でも女性陣は着替えがあるからなあ。良ければ、神社の周りだけだったら手伝ってもらうかな」

「はーい」

「それじゃあ、ご飯食べちゃおうか。今日は忙しくなるからね」


 そうして朝食を終えると、少しだけ準備を整えたあとに。全員でまずは山の上にある神社へと向かった。まだ十二月だというのにずいぶんと冷えた。巫女の服装に着替えて大丈夫かな、と思うくらいだ。せめて聖域も温かくあればいい、と思ってしまうくらいだ。神社までの道はちゃんと雪が除けられていたが、それでも登るのに苦労した。本当にここまで雪が降るのは珍しいようだった。

 神社までたどり着くと、いましがたのぼってきた道を振り返る。


「うわー、すごい景色!」

「絶景かな~。絶景かな~」

「いやぁ、さすがに見晴らしがいいねぇ」


 下には、雪に包まれた集落が見えた。

 ここが山の上なのだとちゃんと実感できる。

 夏だったらもっと景色がいいはずだ。緑に囲まれた集落はきっと絵になる。


「三人とも、こっちよ」


 七海先輩に呼ばれて、三人は笑い合いながら返事をした。

 ついていくと、儀式の準備をしていると思われる集落の人達が、物珍しげな目で見てきた。


「あらまあ、あの子たちが……」

「へえ」

「ありがたいねぇ。ほんとありがたい」


 ほとんどは老人だったが、手を合わせて神社に入る瑠璃たちを見送る。

 それを横目で見ながら、瑠璃たちは社務所のようなところに案内された。

 こっそりとユズが小声で話す。


「田舎の人ってさ、よそ者には厳しいようなイメージがあったんだけど、案外そうでもなさそうだね」

「まあ、一応私たち、手伝いに来たってアレだからね」

「蛭川先輩の紹介ってのもあるのかも~」

「あ~。それもあるか」


 一応、村の人間の知り合いということでやってきているのだ。それで少し警戒も緩んだのかもしれない。

 それから女子と男子に分かれて、それぞれ別の部屋に案内された。瑠璃たちが案内されたのは和室の一つだった。ここでしばらく待つように言われると、蛭川は男子部屋へと向かって行った。


「それにしても今日は冷えるわね」


 ユズは腕をさすって震えた。

 この部屋もそうだが、コートを脱ぐと少し寒いとすら感じる。ちゃんと灯油ストーブが入れられてはいるものの、多少間に合っていない感はある。四人は灯油ストーブの前に陣取り、同じように手をかざして温めた。


「ほんとよねえ。まさかこんなに冷えるとは思わなかったわ」

「七海先輩も寒いの駄目な人なんですか?」

「ぜんっぜん駄目。三人は?」


 そんな他愛も無いことを話しながら、手を温める。次第に部屋の中も温かくなってきて、すっかり冷えてしまった手も動くようになってきた。赤みも消えてくる。

 ようやく一息ついたところで、ヒメが立ち上がった。


「私、ちょっとお手洗いに行ってくるね~」

「行ってらっしゃーい」


 瑠璃はヒメを送り出すと、視線を戻した。

 ヒメは縁側に出ると、きょろきょろとあたりを見回した。誰かに場所を聞こうと思ったが、周囲には誰もいない。仕方なく、それらしい方向へと歩き出す。そのうち誰かと出会うか、場所がわかるだろうと思っての行動だった。

 縁側を少し歩いて、角を曲がる。

 ――こっちかなあ~?

 人の気配が無いため、お手洗いからどんどん離れている可能性もある。田舎の神社とはいえかなり広い作りのようだった。たぶん集会所のようなものも兼ねているのだろう。きょろきょろとそれらしいところを目指して歩いていると、不意に向こうにある部屋から男たちの笑い声がしていた。

 良かった、人がいた――ヒメは部屋に足を向けた。

 障子は少しだけ開いている。男たちも儀式の準備中なのだろう。


「しかし、まさか六人も連れて来るとはな。庸一も何考えとるかわからんわ」


 声をかけようとした瞬間、そんな言葉が耳に入ってきた。

 ――庸一って、蛭川先輩のこと、だよね~?

 障子にかけようとした手をひっこめて、息を殺してそっと様子をうかがう。


「ええ、ええ。余ったら来年の贄にすりゃあええて」

「そうはいうがな、もし逃げられたら厄介だぞ」

「金井んとこの蔵があるじゃろ。あそこは頑丈だし、余計な手足も潰しときゃあええ。胴体さえありゃあ、守手様は抑えられるでよ」

「男の方は酒でも飲ましておきゃあ、どうせ酔っ払ってなーんもできん。あとは頭の弱そうなオナゴばっかじゃて」

「違ぇねぇ」


 ははは、と男たちの笑い声がした。

 ヒメは目を丸くして、口元を抑えた。


「千代んときはよう、誰もよそから連れてこれんで、庸一も可哀想じゃったなあ」

「ま、そういうのがあるから庸一もこんなにいっぺんに連れて来たんじゃろ。おれたちだって一度はそういう歯がゆい思いをしてきたんじゃ。守手の男はそうやって大きくなるもんや」

「庸一も村思いのええ子に育ってよう。良かったで」


 そろそろと後ろへと下がり、ゆっくりと部屋から遠ざかる。


「……いまの、どういうこと?」


 意味はわからなかったが、とにかく何かまずい事態が起きていることだけはわかった。他のみんなに知らせないと、と彼女が振り返ろうとした途端、後ろにぬっと影が立った。

 頭にがんっという衝撃を受けると、一瞬にして意識が遠のいた。

 ばたんとヒメの体が廊下に倒れると、その音で部屋の男たちが気付いた。


「なんだっ」


 ばたばたと部屋から出てきて、廊下に倒れているヒメを見つけると、目を丸くした。


「おい、こいつは庸一が連れてきた嬢ちゃんの一人じゃねぇか。なにしとるんじゃ、藤吉っ」


 男たちは、いましがたヒメを殴り倒した男を怒鳴る。だが藤吉と呼ばれた男は、逆にキッと部屋から出てきた男たちを睨み付けた。


「静かにせえっ。それはこっちの台詞じゃき。お前ら、バカ正直になに話しとったんじゃ。こいつに聞かれとったぞ。もうちょっとでおじゃんになるとこやった」


 藤吉がじろりともう一度男たちを見ると、男たちはばつの悪そうな顔をした。


「向こうには他の奴らもおるんや。勘付かれたらもっと面倒なことになるき」


 藤吉はヒメの体を抱き上げると、ずかずかと部屋に入った。男たちもそれに続いて、きょろきょろと縁側を見回してから慎重に障子を閉める。


「下手したら、またこの村から贄を出すことになるとこやったぞ」

「す、すまねぇ。もしかして死んじまったか?」

「いや、生きてる。気絶しただけだ」


 男の一人がヒメの鼻先に手をかざした。微かな鼻息が手に当たるのを感じると、ホッとしてすごすごと手を戻す。


「良かった。死んじまったらもとも子もねぇからな」

「……しかしこいつ、庸一が手はずを整えたオナゴとは違うやつじゃのう。どうする、源治」

「ええて、ええて。多少前後したくらいじゃ。他の奴でも構やせんよ。それにどうせ、ゆくゆくは守手様に捧げることになる」

「それに、早くしないと守手様が動き始めるぞ。もし、守手様が聖域から出てしまったら……」

「滅多なこと言うんでねぇっ。……そんなことがあれば、わしらは終わりじゃ」


 大の男たちがぶるりと震えた。


「前みたいに、山にのぼって遭難した事にすりゃええ。駐在の奴がまた、うまくやってくれるだろうよ」


 男たちは頷いた。

 頭を突き合わせ、急に変わった計画を実行に移すためにこそこそと話し合いをはじめた。

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