5-3話 山にいる

 持ってきたカードゲームで盛り上がっているうちに、日が傾いてきた。もうすっかり良い時間だった。談話室に入ってきた女将さんが、「夕飯の準備をするから」と言って、先にお風呂はどうかとすすめてくれた。その誘いに乗って、先にお風呂を済ませることにした。荷物を持ってきて全員で一階の奥にある風呂へと向かう。

 入り口の前で男女それぞれで手を振って別れたあと、脱衣所で服を脱いで風呂場へと入る。外の温泉もあるらしく、瑠璃はそっと奥の扉へ手をかけた。


「うわっ」


 外風呂への扉を開けると、冷えた風が体をしたたかに打ち付けた。だが石造りの湯船から出た湯気はほのかに暖かい。急ぐように順に温泉の中へと入る。少し熱いくらいのお湯が、冷えかけた体を芯から温めてくれた。周囲は雪が積もっていて、雰囲気がある。そうなるともう、この冷気も頭を冷やすちょうどいい風くらいにしか感じなかった。湯船の上にある屋根の雪も、ほとんど温泉の暖気で溶けてしまうようだ。


「雪を見ながらの温泉ってのも良いわねえ!」


 七海先輩の言葉に女性陣は同意した。


「来年にはみんな二十歳になるわよね? 雪見酒としゃれ込むのもいいわよ~」

「いいですね、雪見酒!」


 瑠璃はすぐに頷いた。

 ブラッドガルドに聞かれていたらすぐさまやりそうだ。ただ、ブラッドガルドの場合は果たして口実なのか風情なのか意見がわかれるところだが。


「いいですねって、瑠璃、飲んだことあるの?」

「な、無いよ! でもうち、両親揃って飲む人だからさ」

「あ~。じゃあ、飲めそう~。飲めるのって遺伝だっていうから~」


 慌てて否定する瑠璃に、ヒメが笑いながら言う。


「でも大学生のうちに一回くらいはお酒で失敗して、自分の限度やどこまで飲めるかを知っておくのもいいわよ」

「その必要が!?」

「あら、ちゃんとうちの教授の一人が教えてくれたからまっとうなアドバイスよ」


 七海先輩があまりにも真面目な顔で言うので、三人は聞き入ってしまった。

 温泉からあがると、宿の浴衣に着替えてから廊下に出る。既に男子組はあがって待っていた。そのまま先ほどの談話室まで行くと、既に夕食が用意されていた。

 食事も豪勢だ。

 大人用の食事だったので全員の前に食前酒が出されていた。梅酒のようだった。これも一種の醍醐味だ。前菜も兼ねた三つの小鉢にはそれぞれ白身魚の甘酢あんかけと、ほうれんそうのおひたし、キノコの和え物が入っている。別の器には出汁入りの温泉卵。お造りにはマグロとサーモンの刺身と甘エビが数匹にイカのそうめん。キノコ入りあんの寄せ豆腐。煮物はがんもが二つとにんじんとサヤエンドウがそれぞれ乗っている。プチトマトの乗ったサラダ。味噌汁は合わせ味噌の匂いがする。ご飯もたんとよそってある。

 黒い一人用鍋をそっと覗くと、中は鉄板焼きだった。キノコとタマネギ、そして彩りのブロッコリーと一緒に、牛肉が三枚、焼かれるのをいまかいまかと待っている。女将さんが青い固形燃料に火をつけて回ると、ぱちぱちと音がした。


「味噌汁とご飯はおかわり置いてあるでねえ。たんとお食べな」

「ありがとうございます!」

「そうそう、庸一君は、あとででいいから叔父さんちに電話しといたほうがええよお」

「雪の様子を見て大丈夫そうだったら、顔を見せてきますよ」

「そうかい? 大丈夫かねえ」


 軽く話を終えてから、女将はそれじゃあごゆっくり、と部屋を出ていった。


「いただきます!」


 全員で挨拶をしてから、梅の香りがするおちょこの中身を、一年生組はこっそりとたしなんだ。ここだけだからな、と高木や七海先輩がにやりと笑う。蛭川も苦笑していた。

 瑠璃は小鉢の中をそれぞれつまんでから、お造りのマグロに箸をつけた。


「鍋ってどれくらいでいいんだ?」

「絶対にまだでしょ」

「でも俺、最初に火つけられたからなあ」

「でも絶対にまだっすよ」


 高木は七海先輩と翔太から同じツッコミを入れられている。

 蛭川と瑠璃は思わず含み笑いをする。


「これなんの魚だろ~?」

「白身だからたぶん……」


 ユズとヒメも料理に舌鼓をうっていた。

 温泉卵に手をかけようとしたところで、不意に膝の上に何かが乗る感触と気配がした。視線を向けると、ヨナルが拗ねたように膝に乗っていた。どうやら瑠璃だけ美味しいものを食べているので出てきたらしい。わざわざ、である。もしかすると食事ではなく食前酒が原因だったかもしれない。後でチョコレートあげるから、と宥めるように少しだけ膝の上の蛇を撫でておいた。

 食べ終わった頃にはイチゴの乗ったアイスクリームがデザートとして出てきた。すっかり温かくなった口の中が冷えて気持ちが良い。

 そのには、すっかりお腹はふくれて動く気力も無くなっていた。


 まったりとした時間を過ごしていると、蛭川が立ち上がって出て行った。トイレにでも行ったのかと思ったが、戻ってきた時にはコートを手にしていた。


「僕はちょっと出てくるよ」

「え? こんな時間にか?」


 こんな時間とはいっても八時近いから、学生にとってはまだまだ活動時間だ。とはいえ旅行先であり、雪も降っているのだからそう言いたくもなる。


「ああ。叔父さんたちに挨拶しておこうかと思って」

「大丈夫か?」

「うん、いまは雪はやんでるみたいだし。すぐ戻ってくるよ。みんなは遊んでていいから」


 蛭川は近くを通りすがった女将にも声をかけ、三十分ほど出かけてくると言った。


「庸一君、気ィつけてねぇ」

「はい」


 それからついでのように、女将は談話室にいる瑠璃たちにも声をかけた。


「九時まではここにいていいからねぇ。そのあとは十時に消灯しちゃうもんで」

「はぁい」


 全員が女将にいい声で返事をした。


「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃーい」


 蛭川を送り出し、すぐにみんなの視線はお互いに戻る。

 瑠璃が最後に視線を逸らそうとしたとき、蛭川がこっちを見たのに気付いた。


 ――……あれ?


 蛭川はここにいる全員を見たと思ったが、瑠璃はなぜだかその目線が合ったような気がした。一瞬のことだったから、たぶん偶然目が合ってしまったのだろうか。だから、それほど気にせず遊びの輪に戻った。







 送り出された蛭川は、玄関先を出て雪の中を歩いた。もう降っていないと思い込んでいたが、まだちらちらと小さな雪は降ってきていた。いつもより寒い気がする。いや、寒いというよりは、刺すような冷たさだ。多少雪かきされているとはいえ、今年の雪はとくだん多い気がした。雪は毎年降ってはいるが、普段はこんな風にはならない。古民家の屋根は斜めに作ってあり、多少の雪ならそのまま落ちてしまう。だがそれでも多少の人の手を必要としているようだ。

 何か予感がした。

 しばらく道を歩くと、古民家の一つへと向かう。がらがらと戸を開けて中に入ると、すぐそばの調理場にいた中年の女と目があった。


「庸一」


 女はそう声をあげてから、はっとしたように自分の口を塞いだ。キョロキョロとあたりを見回す。

 すぐさま居間からもうひとり、中年の男が出てきた。


「大丈夫。僕一人だよ、……父さん」

「そうか。勘付かれてないな?」

「うん」


 蛭川は肩についた雪を払おうとしたが、部屋の中の温度でもう溶けてしまったのか、小さな水分が手につくだけだった。


「父さんのことは、叔父さんって言ってある」

「わかった。全員、宿の中か?」

「ああ。みんな、祭りの手伝いをしてくれるつもりでいるから。今日のところは出てこないと思う」

「そうか。じゃあ、母さん。みんなのところにも連絡しといてくれ」

「わかりました」


 その間に蛭川は靴を脱ぎ、中へと入る。


「すぐ戻るって言ってあるから、お菓子でも持って帰るよ。その方がいいと思う。何か無い?」

「母さんが戻ってきてからだな」


 廊下を進んで居間へと入ると、温かな空気が出迎えた。

 目線の先には、合わせた手の形をした置物がある。その手を見ながら、蛭川は続ける。


「……本当は一人のつもりだったんだ。萩野瑠璃、って子だよ。でも、ちょっといろいろあってね」

「ふうん? よくわからんが、そいつでいいんだな」

「うん。適当にクジでも引かせておくよ」


 父はそう言う蛭川ににこやかに笑い、肩を叩く。


「十年前は心配だったが、お前も立派に村の勤めを果たしてくれるようになったな」

「……」


 父は手の置物の前へと歩み出ると、同じように手を合わせた。


「これで村は安泰だな。よくやったぞ」

「そうだね」


 蛭川は手の置物から視線を逸らし、戸棚へと足を向けた。

 父はもう一度廊下へと声をかけた。


「おおい、母さん」

「なんですか。いま、電話を……」

「何か持たせるものは無いか。お菓子を持って行きたいんだと」


 蛭川は戸棚の中の菓子類を手に取りながら、少しだけ目を閉じた。







 宿の中では宴たけなわだった。

 蛭川は一時間ほどしてから帰ってきた。雪が相当降っているのではと思われたが、叔父に捕まったのだと言いながらお菓子の箱を取り出すと、すぐさま全員が群がった。つやつやの黒糖まんじゅうがちょうど十四個入っていたので、一人二個ずつ取り分ける。外側は舌が滑るほどにつやつやで、中はもっちり。そしてたっぷり入ったあんこもちょうどいい甘さだった。お茶によくあう。

 とはいえ、談話室から出ると今日の疲れがやってきた。女性陣は早々に部屋に戻ることになり、男性陣も同様に退却することにした。

 部屋に戻ると布団が二組敷いてあった。それでもヒメと「どっちにする?」などと言い合いながら歯を磨いていると、いい時間になっていた。


「電気消すから、先に寝てていいよ」

「ありがと~」


 電気を消すと、部屋の中は真っ暗になった。手探りで布団の中へと入る。


「おやすみー」

「おやすみぃ……」


 ヒメと言い合って布団の中に入る。

 それから十分もしないうちに、隣からは寝息が聞こえてきた。

 瑠璃はそうっと起き上がると、そろそろと窓際の方へ歩み寄った。携帯電話の灯りを頼りに障子戸をそっと開けて、一段低くなった作りの広縁へと降りる。ゆっくりと戸を閉めると、置かれた一人用ソファに腰を下ろした。それから、テーブルの上にごそごそと持ってきたお菓子を置いた。宿で出されたウェハースのお菓子と、蛭川が持って帰ってきた黒糖まんじゅうだ。黒糖まんじゅうは一個食べるふりをしてくすねてきたのだ。


「ヨナル君」


 小さく呼ぶと、しゅるしゅると影の中からヨナルが出てきた。


「ごめんね。お腹空いた?」


 アオダイショウサイズのヨナルの頭を指先で撫でる。

 返事は無かったが、瑠璃が「どっちがいい~?」と聞きつつ先に黒糖まんじゅうのビニールを開けるのを待っていた。


「割ったほうがいいかな」


 ビニールを伸ばして、その上に黒糖まんじゅうを割って乗せる。別に割らなくても良かったのだが、ヨナルはそれでも待った。四つ割りになった黒糖まんじゅうのひとつを口でくわえて、ごくりと飲み干した。


「えへへ。おいしい? おいしいよねこれ」


 その間に瑠璃はウェハースの包装を破って、黒糖まんじゅうのビニールの上に置いた。

 ヨナルがお菓子を食べているあいだに、立ち上がって窓に近寄る。閉められたカーテンをそっと開けると、暗闇が広がった。


「なんも見えないや」


 この寒さのせいだろうか。近寄ると自分の息で窓が曇った。指で軽くこすると、きゅっと音がした。


「……あれ」


 窓の外は真っ暗だというのに、遠くにぼんやりと白いものが見えていた。

 最初は何かと思ったが、どうやら人の形をしていることに気付いた。まだ小さい女の子のようだった。小学生くらいで、白い着物のような服を着ている。だから白いのだ。


 ――こんな雪の中に、女の子?


 彼女はじっと、瑠璃を見つめているような気がした。

 首元で、しゅるる、と音がする。ヨナルも頭の上から窓の向こうを見ているようだ。

 正直、こんな時間に、と思った。

 無言になる瑠璃に、ヨナルがちろちろと舌を出す。

 女の子は首を動かし、横を見てからまた視線を戻す。


「……ねえ、あの子……」


 瑠璃はヨナルを見てからまた窓の外へと視線を戻し、ハッと気付いた。

 なにしろ瑠璃が目線を戻した時には、白い着物の女の子の姿は無かったからだ。よく考えれば、こんな夜中に、真っ暗な中で、女の子の姿だけはっきりと見えるなんて事があるはずない。


「……」


 ヨナルは青ざめた瑠璃に、首を横に振った。

 幻覚。いまはなにも見てない。なにも見てなかった。

 そう言いたかったのだが、残念ながらヨナルは喋れない。どうしたものかと焦ったように頭を左右に振る。


「幻覚。そう、いまのは幻覚……」


 瑠璃が自分に言い聞かせるように言うと、ヨナルは勢いよく首を大きく上下に動かした。頷いているつもりらしかった。


「……寝ようか、ヨナル君」


 ヨナルは瑠璃の頭にまとわりつき、頭をすりつけた。

 何かしなくてはならないと思ったが、何をしたらいいのかわからなかったからだ。

 瑠璃はテーブルの上のゴミを片付けると、そろそろと布団へと戻った。布団に戻っても瑠璃がしばらくヨナルを離さなかったので、なかなか影に戻ることができなかった。

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