5-2話 山にいる

 年内最後の授業が終わった。帰省組に別れを告げ、瑠璃たちはS県の山奥にある守手村という場所に向かった。守り手と書いて「かみて」と読むらしい。

 夏と同じようにレンタカーを借り、女子と男子で分かれて向かった。瑠璃たちは二宮七海の運転で高速道路を飛ばしていた。


「それにしても、残りの二人は久々だね!」


 二宮七海は瑠璃たちと同じ学科の二年生。バレー部所属で、夏とは違ってブラウンのショートパンツの下にタイツを履いている。上もベージュのニットで、白いふわふわのコートが助手席に丸めて置いてある。はつらつとした雰囲気は変わらないが、夏に比べればだいぶ大人しい印象を受けた。ただ、それはファッションの問題だけではないかもしれない。夏以来、七海先輩はしばらくバレー部を休んでいたらしい。秋頃にようやく復帰して、夏の思い出を振り切るように打ち込み、ようやく頑健さを取り戻してきたところらしかった。

 だが夏の話は一切出なかった。やはり思い出したくないのかもしれない。少なくともその思い出を、この温泉旅行で完全に上書きしてしまうつもりではいるようだ。


「アタシは会ってましたからね~!」


 瑠璃の右隣に座る長谷川柚子――ユズが言った。これまた夏の時と同じ並びだった。ユズはバレー部にもそのまま顔を出していて、七海先輩がバレー部に戻るまで心配していた。普段通りのジーパンに運動靴を履いている。温泉旅館だからヒールでもいいんじゃないかと瑠璃は思っていたが、この雪だとむしろ運動靴でも怪しい。


「そうですね~。私と瑠璃ちゃんは久しぶり~!」


 そして左側に座る立花姫子――ヒメが笑った。ヒメも変わっていなかった。明るい茶髪のフレンチボブで、ゆるふわカールのおっとりとしたところはいつも通りだ。性格も見た目も姫のようだという逆に珍しいタイプの彼女も、やっぱり今日は動きやすい格好だ。


 瑠璃は七海先輩が立ち直っていたようで安心した。猿の声でだいぶ精神的に参っていたようだったので、旅行に関して何かトラウマでも植え付けられたのではないかとちょっと心配していたのだ。学校で会うことはあっても、こうして旅行で元気にしているところを見るとようやく安堵した。


「男どもも違う車で向かってるからね。今日の道案内は蛭川だから、運転手は違うみたいだけど」


 今日向かう守手村は、秋は紅葉、冬は雪とそれなりに見所はあるらしいが、寂れた村には違いが無いらしい。確かに温泉宿と言われてもあまり聞いたことがない名前だ。


「村っていうけど、実際は集落みたいなんだって」

「それって、村より小さいってことですか?」


 ユズが尋ねる。


「うーん。まあ、行ってみればわかるんじゃない?」


 七海先輩もあまりピンときていないようだった。

 やがて高速道路を下りると、街中を抜けて更に山道へと入った。空も灰色になり、誰も来ないような道を走る。高原のような避暑地と違って、整備面ではあまり期待できなさそうだ。周囲には既に雪が積もっている。ちゃんと冬装備のレンタカーにしたから大丈夫、と七海先輩は言った。

 やがて、山の中に小さな集落のようなものが見えてきた。

 確かに村というよりは集落と言われたほうが納得だった。いわゆる古民家と呼ばれるような大きな一軒家が、間隔を開けていくつも建っている。その中にちらほらと比較的新しい家もあるものの、やはり古い家が多かった。

 そこから更に奥へと進むと、目的の温泉宿にたどり着いた。すぐ後ろは山になっているが、そこも雪が降り積もって真っ白だった。温泉宿だけはここ二、三十年で作られたような作りで、周囲と一応雰囲気を合わせた古民家風に作られてはいる。積もった雪がその姿を白く包み込んでいるものの、その合間から僅かに覗く木製の壁はやや煤けたような色をしている。どうやら雪のおかげでかなり助かっているが、実際はかなり傷んでいるようだ。

 駐車場は除雪されているが、この勢いで降り積もったらどうなるのかと思ってしまう。


「すごぉい。かなり降ってるけど、大丈夫かしら~?」


 ヒメが窓の外に見える雪に目を瞬かせる。

 瑠璃もヒメ越しに外を見ながら、あまりの雪に目を見張った。


「一応、外に出なきゃなんとか……?」

「でも、蛭川先輩の手伝いするんだろ。何するかわからないけど」

「そうだった。室内でやれることならいいんだけどね」

「どうだかなあ」


 七海先輩も内容までは聞いていないようで、首を捻った。

 駐車場に車をとめて外に出ると、寒いというより冷たい風が吹きすさんできた。

 荷物を持って慌てて宿の中に入るまでの距離が、長く感じられた。だが中に入ってしまえば、温かな空気に満ちていてホッとした。

 土間はやや広めで、既に先に入っていた男子組の靴がそろえて置いてあった。片隅に置かれた硝子ケースの中には、木彫りや紙作りの民芸品がいくつも飾られていて客人たちを歓迎していた。その中にひとつだけ、手を合わせた形の木彫りの像があった。まるで似つかわしくなかったが、これも民芸品だろうかと瑠璃は思った。

 玄関先には茶色のスリッパがそろえてあった。大人用のサイズはみんな一緒らしい。上がった先の廊下は全部灰色のカーペットになっていた。天井もタイル張りだ。そのくせ玄関先の上がりかまちや柱はすべて木製で、ややちぐはぐな印象を受ける。どうやら古民家を改造して作られているようだった。そのためか玄関先は微妙に狭い。

 目の前には階段と、受付とおぼしきカウンターが見えるが、中には誰もいないようだった。代わりに玄関先のスペースには、先に入っていた高木純と蛭川庸一、そして同じ一年の一宮翔太もいた。


「おお、女子組も来たか」


 高木と翔太と会うのも久々だ。

 蛭川以外の二人ともあれ以来だったが、元気そうでホッとする。今度こそあんな思いはしたくない。きっとそれは瑠璃以外の全員も思っていることだろう。少なくとも被害の少なかったヒメとユズ以外の四人は全員。


「お久しぶりです! すごい雪ですけど、大丈夫なんですかね?」


 瑠璃が言うと、高木はどうかなあ、と首を捻った。


「まあ、俺は安く泊まれるっていうから何でもいいけど」

「なんでもいいじゃなくて、一応手伝いに来たのよ、私たち」

「それもあって安いんすかね?」


 翔太も首を捻った。

 一方の蛭川は、受付のカウンターの中を覗き込んでいた。どうやら人がいないらしい。しばらくキョロキョロしていると、左手側にあった硝子の障子ががらっと開いた。


「あらあっ。まあまあ、こんな雪んなか、よく来たなあ」


 出てきた女性はどうやら女将らしかった。五、六十代くらいで、落ち着いた色の着物を着ている。少しだけ見えた向こう側は広い和室になっていて、横に長いちゃぶ台が二つ置かれていた。

 蛭川が「いたいた」と言いながら前に出る。


「こんにちは。お久しぶりです、おばさん。蛭川です」


 頭を下げると、女将は「あらっ」と声をあげた。


「ああ、蛭川さんとこの! 立派になってねぇ。そっちが例のお友達?」

「ええ。お世話になります」

「お部屋、とってあるよぉ。準備は明日からだで、今日のとこはゆっくり休みぃ」


 瑠璃たちはお世話になりまぁす、と口々に言った。


「それからね、こっちの部屋は自由に入ってええでね。お菓子とお茶置いとくで」

「ありがとうございます!」

「夕ご飯と朝ご飯もここで出すでね」

「わかりました」


 女将はカウンターの中に入っていくと、キーケースの中から鍵を三つ出した。


「庸一君、これに名前だけ書いといてえ」

「はい」


 蛭川が名簿に名前を書いている間、他のメンバーはどう部屋を分けるかを話し合った。どうやら三人部屋らしいので、女子組が二つに分かれることになった。瑠璃とヒメ、七海先輩とユズが一緒の部屋になることにした。どうせ元の部屋に戻るのは夜寝る時だけだからなにも問題は無かった。

 階段をのぼった先は、長い廊下になっていた。左右それぞれが部屋になっているせいか、少し暗い。鍵の部屋は一番奥の二つと、その手前側の一つだった。どうやら今日の宿泊客は瑠璃たちだけらしい。

 ドアは真っ白でこれといった装飾もなく、一瞬、不安になる。だが中に入ってみると、いかにもな和風の造りだった。和室の中央に四角いちゃぶ台と、木製の座椅子がある。窓側には木製の床のスペースがあり、そこにもテーブルと椅子が二脚置かれていた。


「へーっ、中は結構雰囲気ある~!」


 ヒメがきょろきょろとあたりを見回す。


「あ~。こういう感じ見ると、温泉宿って感じするね!」


 荷物を置いて窓際まで行くと、綺麗な雪景色が見えた。


「お~」

「お~!」


 二人は同じような声を出した。

 それから部屋の中に向き直り、あたりを見回す。

 隅に置かれたテレビは小さく、横に百円と書かれた小型の機械があった。硬貨を入れる穴があり、ガムテープで補強されている上に、他にもテープの剥がれた茶色い跡がある。


「……これってもしかして、百円入れないと見れないの?」

「そういえば、二階に上がってきたときに両替機があったね~」

「年季入ってそう」

「これくらいの方が趣があるよ~」


 瑠璃の苦笑に対して、ヒメは笑った。

 部屋の中にもお茶を淹れる専用のポットとお茶菓子が置いてあったが、それは後でとっておくことにした。下の和室に集合の予定があったからだ。

 一通り部屋の中を探ってから部屋を出る。下の和室まで戻ると、既に他のメンバーは集まっていた。


「それじゃ、みんなここまでお疲れ」


 蛭川がポットでお茶を淹れている間、瑠璃は蓋付きの菓子入れを開けた。中には小袋がたくさん入っている。


「これ、見た事ないやつだ」

「なんだろ」

「開けてみなよ」


 袋を破るとスティック状の長細いお菓子が出てきた。一番先に開けた瑠璃に目線が集まったので、軽く食べてみる。さっくりとした食感の甘い煎餅に、中に薄くクリームがサンドされている。


「どう? 瑠璃」

「ウェハースっぽい」

「このあたりの銘菓なんじゃないか? なあ」


 高木が蛭川に尋ねる。


「僕の家だとあんまり見ないな。でもこのあたりの道の駅とかでたまに見るやつだよ」

「じゃあやっぱりこのへんの銘菓か」


 その間に、蛭川が一人ずつお茶を淹れて出してくれる。

 ありがとうございます、と口々に言う。湯飲みの温かさが冷たい手にひどく効いた。


「あ、これ美味しい」


 ユズもお菓子を口にしながら言う。

 まったりとした時間が流れたが、瑠璃はどことなく物足りなさを感じていた。この違和感は何だろうとしばらくお菓子を食べながら、持ってきていたスマホに手を伸ばす。無意識のうちにお菓子の名前で検索をかけていた。このあたりの銘菓らしい。作っている会社のホームページにまでたどり着くと、主力商品の一つらしかった。わざわざ専用ページまで作られているのに気付くと、即座に開いた。何年に作られて、どんな経緯で作られたかすべて載っている。これで万全だ。瑠璃は顔をあげた。


「ところで、ここって温泉地なのよね?」


 七海先輩が言った。

 話題が変わっていたことに、えっ、と一瞬戸惑う。

 そして同時に違和感の正体に気付いた。お菓子の説明をしないからだ。お菓子の説明をすることがすっかり身に染みついてしまった事に衝撃を覚える。


「一応ね」


 蛭川が頷いたので、瑠璃はそっとスマホをしまい込んだ。


「昔は温泉で一旗あげようとした時期もあったらしいよ。その頃の名残だね」

「古民家が多いから、そういうので人気になりそうなのに」


 ユズが言うと、蛭川は苦笑する。


「そうなんだけど、やっぱり立地がね。それに、古民家ならもっと有名なところもあるしさ。なんか中途半端になっちゃったんだよ。まあ、それでいいっていう人たちもいるけどね。あんまりよその人ばっかりでもって事で」

「あー。田舎だもんな」


 高木がなにがしか思い当たる節があるようで頷く。


「まあでも、今回手伝いに来てくれたのはみんな感謝してると思うよ」

「そういえば、アタシたちは何をすればいいの?」

「明日、女将さんから説明があると思うけど、簡単に説明するよ。ここの山の上に神社があってね。村から出発して、神社でお祓いして、それから更に聖域って呼ばれる場所で、巫女が一晩過ごす、みたいなやつだよ。たぶん、巫女役を誰かに頼む事になると思う。不安なら他の三人も神社で過ごしてもいいし」

「へええ。それじゃ、男どもは?」

「男衆が巫女の乗った神輿を担ぐから、二人は多分そっちに回る可能性もあるかな」

「ほー」


 高木はなるほど、と頷いた。


「でも、こんなに雪が降ってるのに大丈夫なんですか?」


 瑠璃は尋ねる。


「うん。実は僕もちょっと驚いたんだ。……普段は雪が降ってもこんなに積もらない所なんだけど。明日までにはやんでくれればいいんだけど」


 蛭川は小さく笑ってから頬を掻いた。

 そうだよね、すごい雪だよね、と他のメンバーが積もった雪について話し出す。


「……本当に、なにか起きる前兆だったりしてね」


 蛭川は小さく呟いた。

 独り言のような呟きが聞こえたのは瑠璃だけだったらしく、どういう意味だろうと視線を向けた。だから、そのときの小さく笑う蛭川を見たのも瑠璃だけだった。

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