5-1話 山にいる
秋が過ぎ去り、冬がやってくる頃。
この頃になると、冬休みの帰省の話が出始めた。
講義の行われる教室で、近くに座った友人たちとのおしゃべりにも冬休みの話題になった。
「そういえば、瑠璃って冬はいつ実家帰るの?」
ユズがルーズリーフを出しながら尋ねる。
「うん。だいたいお正月前にはね。まだ、いつとかは決めてないけど」
「冬休みっていつからだっけ~?」
ヒメが首をかしげる。
「最後の講義によるんじゃない?」
他の席でも似たような話が上がっていた。イラストの上手い子たちの集団では住所のやりとりを進めていた。年賀状を送るためだ。瑠璃はすっかりSNS頼りだが、何人かに教えると「送るね」と言ってくれた。もうそんな季節なのだ。
冬休みが終われば、すぐに授業が始まって、二月になれば今度は長い春休みになる。
もう一年も終わり。
いろいろなことがあった。
一人暮らしにも――厳密には一人ではないが――慣れてきた。大学生活をすっかり満喫していると思う。それに、金銭的に余裕があるのも大きい。人によっては付き合いで大変だという子もいたが、瑠璃はのんびりとやれていた。アルバイトがかなり特殊だからだ。
「さんさんハウス」で賃貸に出されている家屋やマンションの使用感や周辺情報をまるごと調べ上げて、日給で五万円。破格のバイト代だった。もはやこれだけで食べていけるレベルだ。もちろん、泊まり込みや掃除の必要もあるが、家の形状などによっては追加のバイト代もちゃんと出る。
しかしさすがに怖くなってきたので、「さんさんハウス」のバイト専用の銀行口座も作った。これでわかりやすくなる。それにいくら稼ぎやすいといっても、年収が増えすぎてしまうと、親の扶養から外れてしまう。そのあたりも一応は考えてくれているらしい。緊急の時を除いては、少しずつでいいと言ってくれた。
講義が終わって解散すると、瑠璃は友人たちと教室を出た。
「私、図書館行ってから帰るよ。先帰ってていいよ」
この間借りた本をそろそろ返そうと思っていたのだ。
「そっか。じゃあ先に帰るわ」
「気をつけて~」
「うん。じゃあね~」
瑠璃はユズとヒメの二人に手を振り、互いに目指す方向へと歩き出した。
棟を一つ通り過ぎ、目指す図書館が視界に入る。ちょうど授業が終わったところなせいか、ぞろぞろと歩いている学生が多い。同じように図書館の方面に向かっている学生もいた。瑠璃は気にすることなく図書館の入り口目指して歩いた。
入り口までもう少しというところで、不意に声をかけられた。
「萩野さん」
聞き覚えのある声だった。前の方からだ。
顔をあげると、すぐに相手が誰かわかった。
「蛭川先輩! お久しぶりです!」
文学部史学科の蛭川庸一だった。
顔を合わせるのは夏の事件以来だ。当時はやや憔悴していたように思うが、いまはただ眼鏡をかけただけの柔らかい印象が勝っている。肌の色も日焼けがすっかりとれてしまっている。
図書館のから出てきたところらしく、足早に入り口前の階段を下りてこっちに向かってくる。
「図書館に用事だったんですか」
「うん。萩野さんも?」
「はい。本を返却しに」
「そうかあ。少し話があったんだけど、邪魔しちゃ悪いかな」
瑠璃は少しだけ瞬いてから、手を振った。
「いえ、大丈夫ですよ。時間あるし」
「そんなに長い話じゃないよ。まだ決まったわけじゃないんだけど――あ、少しこっち来ようか」
道のど真ん中だったせいで、他の生徒達の邪魔になっていた。
二人は図書館の壁際に寄り、立ち話をはじめる。
「実は、夏のキャンプのやり直しを兼ねてね。僕の親類のいる田舎の方に行かないかって話をしてるんだ」
「それって、冬休みに?」
「うん。最終の授業が終わって、クリスマス前くらいにね」
蛭川先輩の田舎かあ、と首を傾ぐ。
「ちょっと寒くてたまに雪も降るんだけど、いいとこだよ。泊まるところは民宿を考えてるし、小さいけど温泉もあるし、食べ物も美味しいし。それにクリスマス前には帰るから、帰省にも間に合うはずだよ」
「温泉!」
聞き捨てならない言葉だ。
キャンプとは少し違うけれど、温泉旅行に近い印象を受ける。
「その代わりと言っちゃなんだけど、ちょっと手伝ってほしいことがあってさ」
「あ、やっぱり」
とはいえ、掃除でも任されるのだろうかと少し勘ぐってはいたのだ。
「僕も高木も史学科なのは知ってるだろ。それで、講義の一つで土地の風習を調べるっていうのがあってさ。普通に資料をあたってもいいんだけど、どうせなら田舎の風習の取材をしないかって話になってさ」
「あー」
なんとなく理解はした。
要は心当たりがあるからついでに課題もやってしまおうという魂胆なのか。
「正月前にやる神事みたいなものなんだけど、人手が必要でさ。どうかな。萩野さんたちとは学科が違うけど、調査の練習にはなると思うよ。きみの友達の二人も誘うつもりだったし」
瑠璃の頭の中では既に、冬景色を見ながら温泉に入ったり、豪華な食事を前にはしゃいだり、温泉後の卓球で盛り上がったりする自分ができあがっていた。
*
「というわけで、温泉に行ってくる!!」
「……」
何が「というわけ」なんだ、と言いたげな顔で、ブラッドガルドは瑠璃を見つめた。
瑠璃は帰ってくるなり、テーブルに座ってゲームをしているブラッドガルドにそう宣言したのである。何もかも意味がわからなかった。
「先輩に誘われたからみんなで温泉に行ってくる!!」
「……」
補足のように叫ばれた。
もう少し説明が欲しいところだが、面倒なので聞くことはやめておいた。
「……温泉なあ」
ブラッドガルドは以前、現代の地域情報紙でも温泉の記事は見たことがあった。だが、外にある湯浴み場だろうと解釈していたせいで、本当の意味で温泉とは何かを理解していなかった。おそらく異世界の住人は全員、総じて「温泉」を知らなかったのだ。そのおかげでブラッドガルドの世界に温泉の誕生を許してしまったのだが、この話はまた別の話だ。
「温泉、気になる?」
「知らんわ、どうでも良い」
目を輝かせながら顔を寄せてくる瑠璃を、片手であしらう。
「そうかあ。じゃあいつか行こう!」
「……」
「たぶんあの……、お金はあるから……たぶん行ける……」
「金があることを不安がるな」
どこからともなく取り出したバイト専用口座のカードを持ちながら震える瑠璃に、真面目にツッコミを入れてしまう。
瑠璃はカードをしまい込み、律儀に手洗いとうがいをしに一旦キッチンへと赴くと、また戻ってきた。今度は鞄からスマホを出して、SNSを見ている。
「んっとねぇ、詳しくはまだ決まってないんだけど。今月の十八日から二十日まで二泊三日になると思う。だからクリスマス前にはちゃんと戻ってくるよ」
瑠璃がテーブル下の座布団を出して座る間に、ブラッドガルドはちらりと壁のカレンダーに目をやった。
「普通、貴様らはイベントにかこつけて行くのではないのか」
「あ、それがね。お泊まりついでに、地元の神事か何かの取材も兼ねてるんだよ」
「神事? ますますわからんな、それこそクリスマスではないのか」
「クリスマスはそもそも海外の行事だよ。たぶん、時期的に冬至……とかじゃないかな」
瑠璃は首を捻る。
冬至を祭るのは全国的ではないにしろ、地域によっては行事があるところもある。
だがその冬至もたいてい二十二日かその前後一日のどれかであって、十八日から二十日だとずれてしまっている。
「田舎のお祭りだと結構、地域色が高すぎて独特なお祭りとかあるからなあ~……。お正月にしても、やっぱり少し早いし」
「ふん、そうか。貴様は菓子だけ置いていけばどうでも良い」
「とにかく、誘ってくれた先輩っていうのがそういうのを研究してる学科の人でさ。人手が足りないって言ってたから、多分何か手伝わされるんだろうけど」
「ならついでに御神酒を貰ってこい」
「そ、それは駄目なんじゃないかな……」
「何故だ。我こそが神だぞ」
「ブラッド君はほら、異世界の邪神だから……」
だから駄目です、と、腕でバッテンを作りながら言う瑠璃。
――……神事か。
そういえばこちらの世界の神とやらはどうなっているのだろうと少し気になった。
ブラッドガルドのいる、この世界から見たいわゆる「異世界」では、火・水・風・土という四柱が中心となって世界を作った。それが当然のことであり当然の真実だった。だがこちらの世界では、神と呼ばれるものは果たして自分たちの思う神と同じなのかどうか。
以前、海外、特にヨーロッパやアメリカと呼ばれる場所では一神教が多く、日本は多神教というのは聞いたことがある。ただ、地域色が強いところでは地元で信仰されている神や、場合によっては聖人などが祭られている場合もあるという。
――まあ、別に良いか。
手伝うといっても素人だ。
そのうえ、部外者もいいところ。
そんなものに任される手伝いなどたかが知れているだろう。
「まあ良い。ヨナルがいるだろう」
「お。ヨナル君はついてきてくれる~?」
瑠璃の影から出てきた影蛇の鼻先を指先でちょいちょいとつつく。
ヨナルはちろちろと舌を出して、頷きの代わりにした。
他の影蛇たちもずるずると影から出てきて、瑠璃を見上げた。
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