4-3話 オカルト探偵団
「なんかそろそろお金貰うのが怖くなってきた……」
瑠璃が封筒を手にして神妙に言った。
ブラッドガルドはその様子を横目で見てから、再び読んでいた雑誌に戻す。
「どうせ一日しかいないのだから、貰っておけ」
どうでもいいように言っておく。
えー、そうかなあ、などと声が返ってきたが、ブラッドガルドは無視した。
あれから何件か調査をして、瑠璃は着実にソファのための貯金が貯まりつつあった。
それはいい。一向に構わない。
しかしそれはそれとして、ここ数件はマンションやアパートといった小さな部屋が多く、泊まりではなく一日で済んでしまうようなものばかりだった。結果的に、瑠璃の調査――あるいはブラッドガルドのつまみ食いも規模が縮小していた。
――つまらん。ひとつは外れだったしな。
外れといっても、何も出なかったわけではない。
ただ単に霊の通り道になっていたらしく、これといった呪詛も怨嗟も持たない者たちが、続々と通りすがっていっただけだった。後で文句を言われても面倒だったので、むりやり霊道を変えてやったら何も起きなくなった。それぐらいだろうか。
だが小さな部屋でこそ何か起こるものだ。いま瑠璃が借りているこの部屋だってそうだった。この部屋も当初は結構派手なものがいたから、やはりアパートやマンションだからといって外れというわけでもない。しかしブラッドガルドとしては、それこそアパート全体が呪われていて全部屋で何か起きるくらいのものでないと、食いでが無かった。
――やはりそろそろ、もう少し派手なのが食いたいところだ。
調査対象は「さんさんハウス」側のチョイスにかかっている。
「さんさんハウス」が他の不動産会社と連携でもしてくれれば、よその市や県でも行けるというのに。だがもしそうなっても、瑠璃が動いてくれるかどうかにかかっていた。「遠い所に泊まるのはちょっと」などと言われてはそれ以上どうしようもなかった。
そこへ、瑠璃の電話が鳴った。
「あ、西崎さんからだ」
瑠璃は西崎からの電話は着信音を変えていた。すぐにわかるようにだ。スマホを手に取り、耳に当てる。
「はい、もしもし。――あっ、はい、西崎さん。いつもお世話になっております!」
世話をしてるのはこっちだ、とブラッドガルドは電話の向こうへ恨みがましい目線を送る。それから、だるそうに視線を雑誌に戻す。
「はい、はい。次のバイトですね。……えっとそれは、一軒家、ですか?」
視線を即座に瑠璃に戻した。
「場所は、……それだと泊まりになっちゃいますけど。……。あ、はい。こっちは、ええっーと、ちょっと待ってくださいね」
瑠璃は壁掛けのカレンダーの前に立ち、日付を確認する。その指先が、ちょうど月曜日のところに止まった。普段なら黒い文字で書かれている数字が、赤い字になっている。
「大丈夫です! 月曜も休みなので!」
ブラッドガルドは雑誌をテーブルに置き、電話が終わるのを待った。
瑠璃はまだしばらく何か話していた。少しして電話を切った。スマホを置いて振り返ったところで、目が合う。
「バイト、入った」
「知っている」
いま聞いていたところだからだ。
「……泊まりなんだけど」
それも知っている。
「どうせついて来い、という気だろう」
「うん。ついて来てくれる?」
瑠璃は拝むように手を合わせた。
お願いなどされずとも、ついて行く気はあった。だがブラッドガルドは長いため息をつき、しょうがなくついて行くような空気を出しておいた。
それから前日の土曜日になると、瑠璃は泊まりの準備を始めた。もはや慣れたもので、専用の鞄の中に着替えや必需品を突っ込み、さっさと準備を始めた。最初の二回くらいまではもっと前から準備に余念が無かったが、完全に慣れ始めている。こうなるといつ「本当のこと」がバレるかわからないので、ブラッドガルドは余計な事は言わないでおいた。
日曜日になって、瑠璃はいつものように「さんさんハウス」の日羽店に顔を出し、書類の入ったバインダーとカメラをセットでもらい受けた。ブラッドガルドはしばらく瑠璃の影の中に潜んでいたが、電車で移動して目的地が近くなってきたあたりで姿を現した。
「あ、ここだ」
瑠璃がメールで送ってもらった住所にたどり着くと、相変わらず空き家然とした一軒家があった。住宅街の外れにあるその家は、陰鬱として、中に入ろうとする者を待ち構えていた。玄関付近は石垣があるが、庭の方は生け垣が続いている。外から見た雰囲気はややレトロで、ここ三、四十年くらいに作られたと思われる家だ。だが誰もいない事を示すように、玄関先の電灯には蜘蛛の巣が張っているし、インターホンのところには虫の死体なのかフンなのかもわからない黒い点々がついている。正直、触るのにも躊躇してしまう。
だがそれよりも、どんよりと淀むような空気に圧倒されつつあった。
「わかってるんだけど、毎回こうも空き家ですって面構えされると怖いんだよねえ……」
「ふん。そんなものか」
預かってきた鍵を開け、中に入る。
玄関も埃っぽく、廊下にはうっすらと埃が積もっている。
「うわぁ。これだけは慣れないんだよな~……」
入る時のスリッパとマスクは必需品になりつつあった。ブラッドガルドはスリッパだけにして、中へと踏み入る。
「とりあえず、キャンプ地だけ決めよっか」
言いながら、瑠璃はずんずんと廊下を歩いていく。昔の一軒家だからか、廊下が狭い。両側が壁が続いているせいで微妙に圧迫感があった。体の小さい瑠璃はともかく、人間態でも180を越えるブラッドガルドは不快の一言でしかなかった。
灯りのスイッチは外ほど虫に侵されておらず、すぐに押すことができた。電気もちゃんと通されているようだった。まだ明るかったのでそのまま消しておく。廊下は隅の方に蜘蛛の巣は張っていたものの、巣の住人は既にどこかに引っ越してしまった後のようだった。あるいは人間たちの気配を察知して、どこかへと立ち去ったのかもしれない。
玄関を入ってすぐ右側には小さな和室があり、ここもキャンプ地には良さそうだった。
「おー。ここ良さそう」
候補に入れておく。
だが左側を見ると今度は二部屋分の広い和室があって、こちらは庭に面していて、それぞれ窓からも明るい日差しが入ってきていた。
「あっ、こっちの方がいいかな」
「掃除が面倒だろうが」
「でもほら、庭が見えてるし」
候補はすぐさま切り替わったようだった。
風呂とトイレは別だったがどちらもタイル張りで、ここはある程度綺麗にされてはいたものの、古いタイプだった。トイレなんか和式だ。下手に洋式だとそれはそれで汚さが目立ったかもしれないので、それは良かった。
一番奥には洋風のキッチンがあり、勝手口もあった。
流し台の下の扉は少し外れているのか開けっぱなしになっていたが、それ以外は特にこれといった破損も無い。水もちゃんと出るようになっていて、ひとまずはチェック項目はクリアされていた。例え本当は意味の無い事であっても、瑠璃はきちんとチェックしていた。冷蔵庫や食器棚の置かれていないキッチンは見た目以上に広く感じた。
平屋建てのせいもあり、家の中の確認は一通りそれで済んでしまった。
「意外にすぐ済んだね」
「写真はどうするんだ」
「とりあえず荷物を置いてからかなあ。軽く掃除もしたいし」
「ふうん」
「このへんは周辺写真は撮らなくていいんだって~。ちょっと楽だね!」
瑠璃が笑った。
どうせ周辺住人が変な事を吹き込まないようにしたんだろうな、とブラッドガルドは思った。
「よし! じゃあこっちの広い部屋をキャンプ地にしよう!」
瑠璃はそう言うと、荷物の中から収納式のホウキと掃除用の濡れシートを出した。これも必需品である。窓を開けて風を通すと、畳を綺麗に拭き取ってから荷物を置いた。それから軽く全体を拭き始める。その様子をブラッドガルドは何もしないで見ていたが、ちらりと部屋全体を見回してから思った。
――わざわざここを選ぶのか……。
正直自分が人間だとして――この部屋だけは無いな、とブラッドガルドは思っていた。
まだ「向こう」は姿を現していないが、これだけ異様な気配をぷんぷんさせていれば、勘の鋭い者ならきっと回避できただろう。だがもしかすると前の借主たちも、寝室に良さそうなさっきの小部屋よりこっちの部屋を選んだのかもしれない。
軽く掃除が終わるのを待つと、今度はようやくカメラでの写真撮影に入った。
夕飯はコンビニで買ってきたご飯で済ませると、瑠璃は部屋の中に寝袋を敷いた。
「意外に早く終わったね」
「そうだな」
基本的にブラッドガルドは何もしていない。
「でもこのへん本当に何も無いよね。外も暗いし、コンビニとかも駅の近くくらいにしか無かったし」
「外灯らしきものも無かったな」
「危なくないかなあ。一応書いといた方がいいのかも」
「そうしておけ」
どうせ手持ち無沙汰なのだろうと思っていた。
それから気付いた事もバインダーの書類に書いていくと、ブラッドガルドとともにゲームに興じだした。ソファ貯金を切り崩してもう一台、奮発してブラッドガルド専用のゲーム機を買ったおかげで、対戦ゲームも楽になった。
「……くあ」
それから夜の十一時を過ぎると、瑠璃はあくびをした。
「そろそろ、寝ようかなあ」
「そうか」
「ブラッド君は? 起きてる?」
「我は眠らん」
ブラッドガルドが言うと、相変わらず瑠璃は微妙な顔をした。
「……まあいいけど、勝手に帰ったりしないでね」
「心配するな。我はここで何かが起きて貴様が泣き叫ぶ所だけが楽しみなのだぞ」
「嫌な楽しみを持つのはやめてくれる!?」
心配するな、の一言で済ませていい楽しみではない。
「……っていうか、何かいるの? ここ」
「忌々しい事に、今はいない」
「それはぜんぜん忌々しくないだろ! いいことだよ!!」
事実だ。
ただしここから先はわからない。
だから、ここからがブラッドガルドの本当の出番だった。
さて、何が出るか。
瑠璃は電灯を豆電球だけつけておき、寝袋の中に入りこんだ。ヨナルが影の中から出てきて一緒に縮こまる。それで瑠璃も安堵したのか、すぐに眠りについた。しばらくブラッドガルドは暗い部屋でゲームに興じていたが、寝息が聞こえはじめると視線を瑠璃に向けた。
どうしてわざわざこいつは、ど真ん中に寝袋の位置を選んだのか。
それもこの家にいる何かの仕業なのか、それとも瑠璃の運がとことんまで悪いのか。せめて前者であることを思うばかりだが、後者でも面白いからどうでも良かった。
ブラッドガルドの目は、瑠璃から次第に天井へと向けられていった。
ずずずう、と部屋の中には何かを引きずる音が響いている。
ブラッドガルドの口元が次第につり上がり、笑みを浮かべた。
「……ううん」
引きずるような音は瑠璃にも聞こえているのか、寝袋の中で呻いていた。
ヨナルが頭の付近でガードし、音を遮断させる。
「……」
だが不意に、ブラッドガルドは玄関の方へと目を向けた。
――なんだ。誰か来たな。
耳をすませる。どうやら車がとまった音のようだ。明確にここの近くにとまった。他の家の住人かとも思ったが、こちらへ近づいてくるようだった。
気配をたどると、庭へと侵入しているようだ。
まったく、こんなお楽しみの最中に邪魔しようとは。
こめかみに指先を当て、外の会話を盗み聞く。
「もしかして肝試しとか?」
「懐中電灯って感じではないな。豆電球だな、こりゃ……。ってなると、電気が通ってるんだよな。あちゃあ……、下手するともう人が住んでる可能性もあるぞ……」
「嘘だろ、出てた? ここ、一応「さんさんハウス」の管轄だよね?」
ブラッドガルドはその会話を聞いて、しばらくその意味を考えた。確実に、ここがなにがしかの問題物件だと知っている。
そうして、もう一度天井へと視線を向けた。
どちらにせよ困る。変に騒がれて瑠璃を起こされては困るのだ。そのうえここが妙なものが出る物件なのだと吹き込まれでもしたら、今後に関わる。侵入者のほうはともかく、瑠璃は記憶の改ざんが出来にくい可能性もある。
――仕方ない。
そのままできるだけ気配を殺して、ずるりと影と一体化する。窓を開けぬまま外へと出る。
部屋の中では、瑠璃の頭の付近で奇妙な足が揺れていた。ヨナルは警戒態勢をとった。その目が、瑠璃を見下ろす奇妙な影を見上げる。
ぽた、ぽた、と拭いたばかりの畳の上に、天井から滴が落ちてくる。口元から涎が落ちているのだ。長い間発見されずに、吊った首が長く伸びた何者かだった。それも一つではない。広い二部屋を埋め尽くすように、だらりと伸びた足があった。
影蛇たちが、臨戦態勢をとった。
そんな部屋の中を差し置いて、ブラッドガルドはそっと侵入者達に近寄ると、一気にその口元を塞いだ。なにごとか呻いたが、人間態とはいえその力は異世界の邪神のものである。二人は一生懸命に手を剥ぎ取ろうとしていたが、ただの人間ではどだい無理な相談だ。
「……なんだ、貴様ら」
いましがた気付いたのだというように、ブラッドガルドは言ってやった。手を外そうとする二人を、不敵な目で見る。
「静かにしてろ。あれにバレたらうるさいからな。……なあ?」
いまから面白い事が始まるのだから。
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