3-1話 やまわろ
「ふぁああああ……」
瑠璃は息を吐くような声をあげていた。
「ふおおおおお……」
何度封筒の中身を確認しても同じだ。
床にぺったりと座り込んだままの瑠璃は、封筒の中身を戻して目の前の床に置く。そのまま祈るように、あるいは拝むように手を合わせては、もう何度目かになるかわからない確認作業に入った。
ブラッドガルドはアイスクリームを口に運びながら、なんとも言えない目でその様子を見ていた。
桐咲邸の調査が終わり、調査記録を提出して十日ほど経った頃、瑠璃は「さんさんハウス」に呼び出された。緊張しながら「さんさんハウス」に赴いた瑠璃は、西崎と藤井と会った。西崎はやはり緊張した面持ちだったが、藤井はどことなく上機嫌だった。
瑠璃としては調査報告があれで良かったのかどうか気が気でなかったが、二人は報告の細かい内容には触れなかった。その代わりに、また頼みたいというようなことをやや興奮気味に言われた。瑠璃はぽかんとするしかなかった。それから以前にも言われたいくつかの注意点――特に、この方法はまだこの店独自が採用しているものだから、口外しないことだとか――を受けたあと、バイト代の話になった。内訳を軽く説明されたあとに渡された封筒は、微妙に厚みがあった。
衝撃を受けた。
なにしろ家に何日滞在したのかも、瑠璃の報告だけの情報だ。それなのに特に疑われることもなくそのぶんのバイト代がちゃんと出た。
若干、瑠璃のほうが大丈夫かと疑ってしまった。
貰ったバイト代も本物かどうかも疑った。
だがどうやら本物らしかった。
今後は手渡しではなく振り込みになるかもという話をされたが、微妙に頭に入ってこなかった。
かくして札束の入った封筒を持って、瑠璃は緊張感のなか家に帰る事になったのである。
ヨナルがついているとはいえ、普段なら到底持ち歩かない金額を持って帰路につくのはかなりの精神的負担だった。そうして家に帰ってきたあと、封筒の中身を確認しては入れ、確認しては入れての謎の動作を繰り返すことになったのだ。
「……いつまでやっとるんだ貴様は」
「だってさあ!?」
がばっと起き上がる。
「いや……ほんとに、おかねがはいってたことにびっくりして……」
「貴様、金を見たことが無いのか?」
「あるけど……」
頭の悪い会話にますます眉間の皺が増えた。
光熱費などは差し引いているとはいえ、さすがに瑠璃も動揺していた。
「いやだって下手したらこれ、大卒の初任給と同じかそれより多いよ!!」
「今回は特別なんじゃなかったのか」
「う、うん。まあ、結構家が大きかったからね」
もし取り壊す事になったら、庭を含めても家が二、三軒は建ちそうなくらいの広さがあった。家が建っているぶん大きさが想像できないが、もしかするともっと広いかもしれない。
「で、次は受けてきたのか」
「受けるっていうか……、いくつか調査対象の候補があるから、決まったら連絡するって言ってたかな。これだけ貰うと本当に大丈夫なのか不安になってくるけど……」
「ふん。貴様みたいな小娘を騙して何の得がある」
「そりゃそうだけどさあ」
ちょうど良いくらいの報酬――と考えてはいたが、それにしたって多かったらしい。あまり低くても、それはそれで搾取されても困る。
とはいえ瑠璃に疑念を持たれても困る。どう言えば瑠璃の意識が逸れるかを少し考える。
「まあいい、また次もついて行ってやる。感謝しろよ、小娘。そして何か面白いものがいる場所に放り込まれろ」
「さては面白がってるな!!?」
面白いのは事実だ。
「当たり前だ、貴様が恐怖に慌てふためく様を見る以外に理由など無い」
「言い切ったなこの野郎!!」
そしてこれも事実だ。
「それで、どうするんだその金は」
「ど、どうするもなにも、使い道はちゃんと考えてあるよ。さすがにここまで多いとは思わなかったけど……」
「我の玉座はどうした」
「ソファ用の貯金はちゃんととっておくよ! ただ、他にも出費があるってこと!」
瑠璃はもう一度拝むように封筒に手を合わせると、ようやく手にした。
「それに、何かあった時の為にも貯金したり、あとはブラッド君のお菓子とか……」
「……」
眉間に皺を寄せ、仕方ないと答えるか巫山戯るなと答えるか悩む。
「あと、ちょっと買いたいものあるんだよねえ」
「なんだ、それは」
「えっへへへへぇ。実は先輩と友達と一緒にコテージに誘われてるんだよねえ~! だから正直、いろいろ買いたくて。この臨時収入はほんとありがたいよ~!」
ブラッドガルドは興味なさそうに鼻を鳴らした。
*
それから一週間後。
瑠璃は友人二人と、先輩の運転する赤い軽自動車に乗っていた。
「ごめんねぇ! 軽しか借りられるのが無くてさあ。狭くない?」
ハンドルを握りながら声をかけたのは、二宮七海。
二年生で、瑠璃たちと同じ学科の先輩だ。バレー部所属で、色黒の肌はつややかだ。体つきもいかにも運動部で、ショートデニムからすらりと伸びた足は健康的だ。上はTシャツを着ただけのラフな格好で、山というよりもむしろ海のイメージだ。
「アタシは大丈夫ですよ、先輩」
そう言ったのは瑠璃の右隣に座る長谷川柚子。愛称もそのままユズという彼女は、瑠璃の友人だ。長身の彼女は七海の直接の後輩で、同じくバレー部所属だ。こちらは体育会系にそぐわない黒の長髪を後ろで一つに結んでいる。普段はジーパンとハイヒールだが、今日は山に相応しい運動靴だ。
「だいじょうぶです~。瑠璃ちゃんは~?」
のんびりと答えたのは立花姫子。愛称はヒメで、これまた瑠璃と同じ学科の友人だ。明るい茶髪をフレンチボブにした、ゆるふわカールでおっとりとした彼女は、性格も見た目も姫のようだという、逆に珍しいタイプである。ここまで期待を裏切らない奴も珍しい、とまで言われている。ある意味名前負けしていない彼女も動きやすい格好をしているが、やはりどころなく緩く見える。
「わ、私も大丈夫です!」
瑠璃は真ん中で緊張気味に答えた。
もともと、同じバレー部所属だったユズが、瑠璃とヒメの二人を同じ学科だった七海に紹介したのがはじまりだ。研究室を生徒の為に開放している先生のところで話したりするうちに、部活という枠を越えて仲良くなった。もとより同じ学科だから互いに親近感も湧いたのだ。
「ま、でかい荷物は野郎どもにワゴンで運んでもらってるし大丈夫か」
七海はちらりと、前を進む白い軽ワゴンを見て言った。山道をほとんど同じスピードで走行している。前を進むのが男性陣が乗る車だ。道案内も兼ねているのだが、この道を進んでいるのは二台しかなく、道案内としては十分だった。
「これから行くコテージってどんなところなんですか?」
ユズが尋ねる。
「ああ、言ってなかったっけ」
七海はちらりと後ろの三人をバックミラーで見た。
「あっちの車に乗ってる、アタシと同じ学年の高木って男がいるんだけどね。そいつの叔父さんって人が所有してるコテージなんだって」
「すごい~。コテージ持ってるなんて、すてき~」
ヒメが思わずというように両手を組んで言う。
ところが、七海はにやっと笑った。
「と、思うでしょ。ところがねぇ。コテージ自体は昔、バブルの頃に建てられたものなんだって。コテージもたくさん集まってて、コテージ村っていうか、避暑地村みたいな感じ。それがバブルが弾けた後は維持が大変で、安く売り払われたらしいの」
「それ案外、ついでに掃除とかしてもらおうって考えてるとか……?」
「あっはははは! ありえるねえ!」
七海が楽しげに爆笑する。
「でも、いまはそういうとこをリノベーションして自宅として売り出したり、貸し出したりしてるらしいの。ほら、いまはネットがあれば仕事ができたり、ほとんど通勤しない人もいるでしょ。そういう人たち向けにね。それに、いまも余裕のある人がコテージとして買ったりしてるんだって。高木の叔父さんが買い取ったのも、そういうとこみたい」
「それじゃあ、周りには何も無いんですか?」
「いや、こっち側の道は山道ばっかりだけど、反対側に回ればコンビニとか小さいけどスーパーもあるらしいよ。もっと行けば街に出るらしいし。だから、何か足りなくなったらそっちまで車出せるよ」
「お世話になりまーす」
ユズが少しおちゃらけて言うのに、瑠璃とヒメはくすくす笑った。
「でも、あたしたち四人を入れて七人でしょ。そんだけ泊まっても大丈夫なくらいの広さはあるって。ま、そうでなきゃ遊びに誘わないだろうけど」
「そうですよねえ」
瑠璃がうんうんと頷く。
「そうそう。古い廃校もあってね」
「廃校!?」
笑っていた瑠璃がギョッとする。
「そう驚くんじゃないよお。確かにずーっと放置してあったけど、いまはキャンプ用の宿泊施設になってるって。どうも昔は村かなんかだったところを、過疎ってコテージ村に改築したみたいだね。だから古い神社とかもあるみたいよ」
「う、うわあ……」
そう言われると一気に血の気が引いてしまう。
瑠璃の反応を見て、七海が少しだけにやっと笑った。
次第に山沿いの道から奥へと入り、整備された山道を進んでいく。しばらくするうちに、キャンプ場のような施設がぽつぽつと見え始めてきた。人の気配が増え、キャンプに来たとおぼしき車が何台か泊まっているのが見えた。
更にその奥へと進むと、今度は森に囲まれたような道を行く。すると今度は急に開けた道へと抜けた。その向こうに、二軒ほどのログハウス立ち並んでいるのが見えた。どうやらここが目指すコテージ村らしかった。
近くを車が通り過ぎると、「売りコテージ」ののぼりがゆらゆらと揺れている。当時、ここがコテージ村だったのを象徴するように、広い駐車場もあった。どうやら今日は瑠璃たちの乗ってきた車以外は誰もいないらしかった。ところが車は駐車場を素通りし、そのまま道路を突き進む。
「あれ、ここにとめなくていいんすか」
ユズが尋ねる。
「うん。コテージは上のほうだから近くまで行っていいって」
「そりゃ楽でいいっすね!」
さっきと同じのぼりの立ち並ぶコテージ群を抜け、かつてのバーベキュー場を横目に上に進むと、森に囲まれたひときわ大きなコテージが現れた。
前を進んでいた車がその近くでとまった。扉が開き、中から男性陣が降りてくる。
七海の運転する車をその横につける。
「おーし、ついたぞー」
その声を合図に、後ろの三人はそれぞれシートベルトを外した。外に出ると、コテージの全景が明らかになった。
コテージとはいったがその実、フィンランド風のログハウスに近い作りだった。赤に近い木材で作られた外観に、窓枠やドア枠がすべて白い。三角屋根はどことなく人形の家のようなかわいらしさがある。一階部分の右側にはリビングに通じているであろうベランダがあり、そこには備え付けのテーブルと椅子が置いてあるのが見えた。やや年月を感じさせるものの、比較的手入れはされているようだ。
後ろはすっかり森に囲まれており、ここだけ山との境界にあるように見えた。
「ほあ~~……、すごいなあ!」
瑠璃は思わず見上げてしまった。
その髪の中から、じっと近くを見続ける影があった。明るい日差しを避けるように、髪の隙間に出来た闇の中から蛇の目が覗く。ヨナルだった。何かを警戒するように周囲を見る。視線は、脳天気な瑠璃を見た。
「瑠璃ー、荷物下ろすよー!」
友人の声に、ヨナルはため息でもつくようにするすると戻っていった。どうやらこの小娘はまた、妙な場所に来てしまったと言わんばかりに。
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