2-2話 桐咲邸調査録

 桐咲邸。

 町の喧噪から離れた高台の古い住宅地にある、築六十年ほどになる古い一軒家である。

 この地区は坂が多く、坂沿いに立っている古い家が多く残っている。そんな中にありながら、比較的平坦な場所に作られた古い家だ。

 元は平屋だったが、南側の部分と二階部分が増築され、広い家となっている。だがいまはもう誰も住んでおらず、現在の所有者も県外からめったにやってこない。そのためか、庭の樹木は鬱蒼として、広い邸宅にもかかわらず周囲は森のようだった。入り口の小さな門も壊れかけ、茶色く変色したツタがこびりついている。

 そんな家の状態もあってか、周囲の人々も遠巻きにしていた。

 地区の住人たちも代替わりが進み、空き家の代わりに新築の家が建つことも珍しくなくなってきている。桐咲邸がなぜ空き家なのか知っている者も減った。


 だが一度だけ、所有者とおぼしき女性が他県ナンバーの車でやってきた事があったという。

 スーツ姿の男と降りてきたのだが、家に入れようとする女性と打って変わって、男のほうはギョッとしたような顔をした。


「お願いします、お願いします」


 女性は必死に頭を下げているようだった。

 スーツ姿の男に食い下がるようにして、服を掴んで頭を下げている。だがスーツ姿の男は渋い顔をして首を振った。それどころか、及び腰のまま車にさえ乗らず、逃げるように邸宅を後にしたという。置いて行かれた女性は両手で顔を覆ってから、仕方なく車で帰っていったという顛末だ。

 きっと売れなかったのだろう。

 あまりに家がボロすぎて、これはちょっとと断られたのだろう。

 事情を知らぬ者たちはそう思った。


 だが、事情を知る者たちはその真意を悟って、恐れた。

 ネットの片隅で、この家は桐咲邸という名前よりももっと、有名な名前があったのだから――。







「……おい。まだ着かんのか」


 ブラッドガルドは不機嫌さを前面に出した表情で、前を歩く瑠璃を睨んだ。

 なだらかに続く坂道沿いを、二人は歩いていた。


「もうちょっと、このさき」


 片手には日傘と地図の表示されたスマホ。そしてもう片方の手には荷物を持って、瑠璃は坂の上を見た。

 夏の暑い日差しは遮蔽物の無い坂を容赦なく照りつけ、瑠璃も普段の気力を失いかけていた。日傘があるとはいえ、服は既に汗まみれだ。いい加減疲弊しかけてきた頃、瑠璃は顔をあげて「あっ」と立ち止まった。


「ここだよ、ここ! ちゃんと表札にも桐咲って書いてある」


 瑠璃は表札に近寄って指さした。

 ブラッドガルドは立ち止まると、玄関先から家のほうへと向けられた。

 その間に瑠璃が門扉に鍵をさして開けた。前庭の敷石を進むと、鬱蒼と木々に遮られた家があらわになった。


「……ずいぶんと古びた家だな」

「築六十年とかじゃなかったかな。玄関がガラス戸なのとか、久々に見たよ」

「……ガラスというだけなら立派に見えるが、これはな」


 ブラッドガルドもさすがに肩を竦める。

 向こうの世界では鏡やガラスは高級品の部類だ。それをこうも腐らせてしまうとは。


「昔、爺ちゃんちもこんな感じだったなあ。私が小学校三年くらいの時にリフォームして、いまは普通の扉だけど」

「ならば、かつての流行りというところか」

「そんな感じかも。いま、鍵開けるね」


 預かってきた鍵をさして回すと、あっけなく扉は開いた。カラカラと音を立て、扉が開く。


「お、おじゃまします……」

「誰もおらんだろうが」

「誰かいたら怖いよ!!」


 暗い玄関の土間へと入っていく瑠璃の後ろから、ブラッドガルドが続く。あっさりと土間に入った瑠璃に比べ、人間態とはいえ185を優に超える身長は、古い日本家屋の入り口をくぐるだけでも低さを感じた。普段使っている鏡の入り口に比べればマシだが、鏡は元々狭いのがわかりきっている。こっちは中途半端に低いぶん、文句の一つでも言いたくなった。


「うわっ、ほこりっぽいなあ。こりゃ、窓は全開にしないとだ。スリッパ持ってきて良かった~」


 瑠璃は廊下にうっすらと積もった埃に辟易していた。おもむろに荷物の中へと手を突っ込み、中を漁る。

 その間に、ブラッドガルドは視線を奥へと向けた。その瞳が僅かに細められた。まだ人間の形状を保っている瞳が、廊下の向こうで陰鬱に突っ立っている若い女の姿を捉えた。生きている人間ではなかった。若い女は二人の姿を見ていたはずだったが、まったく気に留めることなく、ゆっくりと廊下の向こうへ歩いて消えていった。


 ――……なんだ?


 微妙な違和感があった。

 だがその違和感を言語化する前に、瑠璃が後ろを振り返った。


「ブラッド君も使う? スリッパ」


 その手にはプラスチックの透明な袋に入ったスリッパが握られていた。


「いつ手に入れたのだ、そんなもの」

「貰ったんだよ。西崎さんに一応持ってった方がいいですよって言われて二個貰った。凄いよこれ百均のやつだって」

「靴ではいかんのか」

「駄目でしょ」


 瑠璃は即答した。

 結局、二人分のスリッパを出し、うっすらと埃の積もった廊下へと上がった。玄関の土間をあがった廊下は、すぐに二手に分かれていた。左手側の廊下は縁側に。奥の南側へと続く廊下も、行き止まりで左側へと続いていた。右手側には洋室があり、埃をかぶったダイニングテーブルが淋しく鎮座していた。おそらくダイニングだったのだろう。南側にある台所とも繋がっていた。それから二人は縁側へと向かった。

 縁側はガラス戸がはまっていて、本来であれば明るい日差しが入ってきたと思われた。だがいまは庭の鬱蒼とした木々が光を遮り、かろうじて明るい、くらいに留まっている。広い和室が二つあり、二つの部屋は障子で仕切られるようになっていた。和室の反対側は、行き止まりで左に続いた廊下へと出られるようになっていた。廊下の向こうは更に和室が一つと、トイレと風呂が付けられていた。どちらも古びて見えたが、どうやら増設された作りのようだった。更に奥まった所には階段が続いていた。

 二階部分は後回しにして、ひとまず縁側に近い和室の一つに荷物を下ろす事にした。


「よし、ここを拠点とする!」


 キャンプでもするかのように宣言する瑠璃を、ブラッドガルドは呆れきった目で見つめた。


「たまに掃除はしてるって話だったけど、ここも埃っぽいなあ……」

「まったくだ」


 ひとまず風を通すために庭側の障子を全開にする。

 唯一、壁にたてかけられていたテーブルだけはなんとか無事で、ひとまず畳に下ろして上を軽くウェットシートで拭き取った。


「これ掃除機かけないと駄目だな、たぶん……」

「あるのか?」

「確か、ダイニングの方に掃除機があるって言ってた。持ってくるよ」

「そうか」


 瑠璃がダイニングへ向かっている間、ブラッドガルドは、ほとんどはじめて見る和室の部屋を興味深げに眺めていた。隣に続いた和室には床の間があり、そこを何気なく眺める。その間にちらりと廊下を見た。暗い廊下を、中年くらいの男がギシギシと小さな音を立てて歩いていくのが見えた。ひとまず男を見送ってから、また視線を戻す。床の間の隣にある両開きの小さな扉をおもむろに開け放つ。


「……おい小娘。なんだこれは」


 帰ってきた瑠璃に、開口一番に言い放つ。


「ちょ、ちょっとブラッド君、勝手に開けないでよ」


 ちょうど人ひとりが入りそうなスペースだった。物置にしては変だ。


「そこは多分……、スペース的に仏壇とか置いてあったんじゃないかな」

「ブツダン?」

「ええっと、ミニチュアのお寺みたいなものだよ」

「寺……。聞いたことがあるな。たまにテレビや雑誌に出てくる古い建物……寺院のことか?」

「そうそう。基本的に日本って、人が亡くなったら仏教式で葬式とかその後のお参りとかするんだよ。仏教っていうのはすごく簡単に言うと、死後あの世で裁判を受けて、悪いと地獄に行って、良いと仏様になるんだよ。で、仏壇っていうのは仏様になったご先祖様専用のお寺みたいな感じ」

「ふむ……? 家の守り神といった所か」

「そういう感じかな。ちょっと違うけど、亡くなった人がみんなセラフさんの眷属になるみたいな……」

「例えでそいつを出すな。殺すぞ」


 思わず殺気と本性が出そうになったところを、ブラッドガルドは鋼の意思で止めた。

 自分でもよく止めたと自画自賛する。あんな鳥女……いやクソ鳥……いや羽虫一匹にいちいち過剰に反応しなくなった自分を褒めておく。とはいえこれ以上地雷を踏まれると面倒な事になりかねなかったので、ひとまずブラッドガルドは話を切り上げた。


「それより、掃除機はどうした」

「持ってきたよ!」


 掃除機は古かったが、まだなんとか使えた。

 定期的に掃除はしているという話だったが、おそらくしばらく来ていないのだろう。掃除機の方も性能は良くなかったが、それでもだいぶマシになった。ここで寝ることを考えても最初よりはずっといい。

 古いがクーラーもついていて、これもとりあえずは動いた。

 細かい設定はできなかったが、これで暑くても乗り越えられそうだった。


「で、連中は何をしろと」


 ようやく落ち着いたところで、ブラッドガルドは尋ねた。


「んーとね。基本的には、部屋の中や周辺のスーパーとかコンビニみたいな施設の写真や位置情報を詳細に調べてほしいんだって。あとは水とか電気がちゃんと通ってるかとか、庭の様子とかね」

「……なるほど?」

「この家って一応借家として出してるらしいけど、さすがに古いしなかなか借り手もいないから、もしかしたら所有者さんが取り壊す可能性もあるんだって」


 ブラッドガルドは書類の一枚を手にとって眺めた。

 文字は相変わらず読めないものもあったが、きちんと記入欄やチェック項目らしきものが書かれているのはわかった。ここまで細かく設定したらしい。あるいは既に似たようなベースがあったのかもしれない。すべては瑠璃に気付かせないための策略だ。なにしろ「さんさんハウス」の連中には、「瑠璃に憑いている『何か』が、周囲の敵を屠る」という事になっているからだ。半分は間違ってはいないから、嘘をついているわけではない。


 ――だが……。


 いまのところそれほど脅威となりえる存在がいるように思えない。

 自分が力を制限し、人間レベルに落としているからかもしれない。だが人間が脅威に思うにしては、姿が見えたり小さな音がするだけと、被害が小さすぎる。見えない者にはまったく見えないだろう。現にいま、瑠璃も何か見ているわけではなさそうだ。


「でもなんかここ、落ち着かないよねえ……。本当に幽霊とかいたら……」

「いたら、どうするんだ」

「えっ。ブラッド君たすけてよ」

「そうだな。居たらまずちゃんと貴様に見せてやるから安心しろ」

「一ミリも安心できないんだけど!?」

「まあ、さっさと昼間のうちに写真でもなんでも撮ってしまうことだな。働け」

「ううううう」


 瑠璃はうめき声をあげながらも、貰った書類をバインダーへと付けたり、借りたデジカメの使い方を確認した。

 庭の写真を撮ったあとは、玄関先からダイニング、そしてキッチンと写真に撮りながら、残されている家具や水道の通り具合をチェックしていく。真面目にひとつひとつ確認しては慣れない手つきで書き込んでいく瑠璃は、ブラッドガルドからすれば少々滑稽だった。

 その間に、ブラッドガルドは家の様子をもう一度確認した。やはり、わずかな暗闇にそれらしい気配はあるが、どれもこれもそれほどの脅威に思えない。だが最初にここを指定したからには、それなりに「なんとかしてほしい」という思いが強いから選んだのだろう。

 ともかく、瑠璃をからかうという名目でついて行きながら、部屋の様子を見ていった。

 最後にトイレと風呂の様子を確認する。

 すべてのチェック項目を埋めると、既に二時間が経過しようとしていた。

 外はまだ明るいが、既に夕暮れが近づいてきている。


「うーん。夏だからまだ明るいけど。そろそろコンビニで夕飯買いに行ったほうがいいかなあ」

「二階はどうするんだ」

「二階?……。……あっ」


 すっかり忘れていたらしい。


「二階の存在忘れてた!!」

「仕事はしっかりしろ」

「ううう……。とりあえず、先にコンビニで夕飯買いに行こうよ。帰ってきたら写真だけ撮っておくよ」

「そうか」

「留守番頼める?」

「ふん。まあ任されてやろう」


 ブラッドガルドは瑠璃の荷物から勝手にゲーム機を取り出すと、軽く振った。

 瑠璃を見送った数秒後に、ネットが繋がらない事に気付いて憤慨した。


 瑠璃はコンビニで、夕飯と朝食をいくらか仕入れて帰ってきた。

 それからすぐに夕食をとり、しばらくはまったりとした時間を過ごした後、風呂でシャワーだけ浴びて戻ってきた。一応水で流したとはいえ、風呂の床もそれほど綺麗とは言えず、あまり長居する気になれなかったからだ。

 そこまで瑠璃の行動を眺めてから、ブラッドガルドは尋ねた。


「二階の写真はどうした」

「……え? ……、あ、そうだった!」


 ――……ふむ?


「もう疲れたし、明日にするよ」

「そうか。明日の予定はどうなってる」

「とりあえず二階の写真を撮って、あとはこの近辺の施設を調べてこようかなって。そのときについでにお昼と、夕飯も買ってくるよ。何か食べたいのリクエストある?」

「チョコレート」

「そういう意味じゃなくてね?」


 結局、適当に買ってくるということで話はついた。

 夜も深まり、キャンプ用の寝袋にくるまって眠る瑠璃を見ながら、ブラッドガルドはテーブルに腰掛けて考えた。


 ――ただ忘れていた、というわけではなさそうだな……。


 二階への認識が抜け落ちていた。まるで二階を無いものとしていたかのように。

 前回の事を踏まえると、今回も何かしらの影響を受けていると考えていい。ブラッドガルドはそう結論づける。言われれば認識は戻ってくるが、


 ――それと、これだ。


 夜が更けてからというもの、さっきからずっと、二階からガリガリと何かひっかくような音がし続けている。まるで閉じ込められて飢えた獣が、出口を求めて彷徨うように。


 ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ。


 ブラッドガルドの口元は、自分でも気付かぬうちに笑っていた。

 これだ。

 この異様なほどの殺気。異様なほどの気配。

 思わず舌なめずりをする。


 ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ。


 まるでいまにも食いついてきそうではないか。

 少なくとも、いままでこの家で見てきた何よりも食いでがありそうだった。


 しかし、そうなると瑠璃の現状とあまり一致していないように思える。瑠璃は二階を無意識のうちに認識しなくなっていた。となると、二階にいる「何か」を部屋から出したくない、あるいは部屋を開けたくない何者かがいるということになる。

 だが、それほど開けたくないのであるならば。


 ――開けるしかないな……!


 ブラッドガルドはぞくぞくと心踊らせていた。絶対に楽しいことが起きるに違いないと確信していた。

 ブラッドガルドの頭の辞書に禁忌などという言葉は無い。むしろブラッドガルドはそんなものを気にしない。人間が決めた禁忌などとるに足らない。

 人間どものコントだか漫才だかでの「お約束」の中でも幾度となく行われていたではないか。

 つまり、「絶対に押すな」というのは、「押せ」という意味だ。

 ならば開けてはならない扉とは、開けろということだ。


 ならば今度は、一番面白い方法で開けてやるだけだ。

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