2-1話 桐咲邸調査録
『あー、あー。聞こえてるかな?』
「Live」の赤いマークが入った動画が動き出し、まだ少女の声色の残る声がした。
画面に映っているテーブルに手が映り、ひらひらと振られる。
『こんばんはー! だいたい三週間ぶりかな? Ruriでーす!』
一度だけピースサインになった手が、また広がって振られる。
それと同時に、生放送用のコメント欄に、挨拶が流れ出す。
>>こむすめちゃん!
>>小娘きた~
『わー。お久しぶりです! なんか前よりお客さん増えてる? ありがとー』
>>引っ越しお疲れ様です!待ってた!
>>こんばんは!
『新しい部屋に馴染むのにちょっと時間かかっちゃったよ、ごめんね。前に言った通り、引っ越しも済んで落ち着いたのでまたゲーム実況やろうと思います!』
>>ブラッド様は?
>>ブラッド君最初から不在?
『ブラッド君ここにいるよ~。喋ってないだけで。というか、せっかく引っ越したのにまだブラッド君しかこの部屋見てないからさあ、早く大学の友達呼びたいんだけど』
>>ブラッド君は大学の友達では……ない……?
>>ブラッドくん様は異世界の魔王だろ!不敬だぞ!
>>小娘さん、新しい部屋どうー?
『いやブラッド君は友達だけど。新しい部屋はねえ、広くなったんだけど、家具が合わなくてさぁ。CMに出てくる部屋みたいになってる。でかい部屋の真ん中にテーブルとソファしか無いみたいな……』
>>わかる気がする
>>家具屋のCMか
>>急に生活感無くなってて草
そこへ、唐突に地獄の底から響いてくるような低い声がした。
『……そのソファも無いだろうが、小娘』
>>ブラッド君きたーー!!
>>みんなチョコを献上しろ!
>>声ひっく
コメント欄がまた急激に流れる。
『ブラッド君、いい加減普通の挨拶してよ』
『貴様は早く我が玉座を用意しろ』
『玉座じゃなくてソファでしょ』
>>他人の家に専用玉座を要求する魔王
>>冷静に考えて、友人とはいえ他人に家具要求されてるのなんで許容できてんだ
>>そういうネタでしょ。……ネタだよね?
『でもバイトが決まったから、お金貯まったらソファ買うよ~。いいやつ欲しい!』
『当たり前だ、我の玉座だ』
『私のソファね!!!』
>>結局買うんかい!
>>バイトがんばれ~!
>>バイトなに?
『えっとね~。守秘義務あるやつだからあんまり言えないんだけど……』
*
少し前のこと。
瑠璃は携帯電話のメモを手に、とある喫茶店を探していた。夏真っ盛りの日差しはきつく、瑠璃はシャツの首元を軽くはたいて風を送る。そうしてようやく目当ての喫茶店を見つけると、足早に赴いた。
扉を開けると、ひんやりとした心地良い空気が流れてくる。店内はややレトロな空気があった。その雰囲気に圧倒されながら、瑠璃はきょろきょろと店内を見回した。店員が瑠璃を見つけて近寄ってくる。
「いらっしゃいませ。一名様でよろしいでしょうか?」
「あの、待ち合わせをしていて……」
その声で気付いたのか、待ち人が奥の席で立ち上がった。その女が、こっち、というように大きく手を振った。瑠璃の視線に気付いた店員が道を譲り、ちょうど席に着く頃合いには水の入ったコップが置かれた。
「今日、暑いですよね。すみません。お店はすぐわかりましたか?」
「はい、大丈夫でした。西崎さん、ですよね?」
「はい! 改めて、「さんさんハウス」の西崎と申します」
「萩野です」
瑠璃は恐縮しきって頭を下げた。
なんでも好きなものを、と言われたので、ひとまずアイスティーを頼んでおいた。
ここは「さんさんハウス」日羽店にほど近い場所にある喫茶店だった。西崎は瑠璃の引っ越したマンションの担当者で、改めて挨拶をしたいという要望を出したのだ。瑠璃はそれを了承し、ここまでやってきた。
「この間は突然押しかけて申し訳ありませんでした」
「あっ、いえ! こ、こちらこそ?」
「これ、そのときのお詫びに」
西崎は隣に置いてあった紙袋を瑠璃に差し出した。
「えっ!? そんなの大丈夫ですよ!」
「いえ、これはお気持ちなので受け取ってください」
「はあ……」
瑠璃はちらりと紙袋を見た。
見覚えのある色とマークだ。銘菓コーナーでもよく見かける、有名な高級チョコレート菓子の店だ。もちろん向こうは大人だからだろうが、結構ちゃんとしたものを持ってきてくれたらしい。すっかり瑠璃は申し訳なくなってしまった。それが向こうの戦略だったのかもしれないが。
「あれからどうですか、お部屋の様子は」
「えっ、部屋ですか。うーん」
なんとか気を取り直して、首を傾ぐ。
確かに最初のうちは正体不明の足音がしていたが、いつの間にかしなくなっていた。それにいまはもうよく眠れるようになっていて、夜中に起きる事も無くなっている。そういえば変な髪の毛もあれ以来落ちていないし、いまではブラッドガルドのものだったんじゃないかと思っていた。
「最初は慣れなかったんですけど、いまはすっかり!」
「……そうですか」
西崎は飲みかけのアイスコーヒーに手を伸ばし、喉を潤していた。
なんだろう、と瑠璃は怪訝な表情を向ける。
「他にはどうですか。ご近所の様子とか」
「うーん。特には……」
隣にいたという件の議員も引っ越してもういない。マスコミに入られる事もないし、近所の人達も最初はよそよそしかったが、最近は挨拶を返してくれるようになった。そんなものだろう
それにしたって、どうしてこんなことを聞いてくるのだろうと瑠璃は疑問に思う。大学に入りたての引っ越しの時は、こんな事は聞かれなかったからだ。
はっ、とひらめくものがあった。
「あっ」
「えっ!?」
「もしかして、家賃が上がっちゃうんですか?」
確か他の部屋は七万とか八万とかしたような気がする。正規の値段になってしまったら、また引っ越さなければいけない可能性もある。
「あ、いえいえ!! そういうことじゃないんです! ただですね、あのお部屋はそのう、お隣のこともあったので、こうして何か無かったか聞かせてもらっているだけで」
「は、はあ」
「……あ、それでですね」
西崎は唐突に話を変えるように言った。
「実はいま、アルバイトを探してるんです」
「アルバイト、ですか?」
瑠璃はぽかんとした顔で聞き返した。
「ええ。そうなんです。どうですか?」
どうですかと言われても、何をするのかさっぱりわからないのでは了承のしようもない。
西崎が頷いただけだったので、瑠璃は少しだけ困ってしまった。
「えーと、どういう内容の……?」
「あっ、そうですよね。わかりませんよね。すいません。ええとですね。実際に二、三日滞在して、部屋の中や周辺施設の写真を撮ってもらったり、水道やガスのチェックをしてもらったり……。あとは近隣のトラブルが無いかをこっそり調べるっていうバイトです」
予想外の内容に、瑠璃はますますぽかんとして目を瞬かせるしかなかった。
確かにサイトで部屋を見つけたとき、周辺のスーパーやコンビニの写真も載っていた気がした。いくつか見ていた中にも、小学校や病院の写真が部屋の写真と一緒に載せられていた。
だが瑠璃は、写真が趣味でもなければ近隣の噂に長けているわけでもない。
ただ「さんさんハウス」を利用した客のひとりに過ぎないのだ。
「はあ……。でもなんで私に?」
「前々から人を探してはいたんです。フリーターや大学生の目線で調べてくれる人を!」
ずいっと西崎の顔が迫ってくる。
「……うーん」
バイトを探してはいた。
けれどもこんなに急に、しかも泊まり込みでの仕事となると、意外に大変かもしれない。写真を撮るだけならともかく、滞在しながらというのがネックだ。そういえばはじめて引っ越しをするとき、「昼間だけ内見しても近隣のことはわからない」と言われた気がする。夜になると灯りがなくて真っ暗になったり、赤ちゃんがいて夜泣きがうるさかったり。はたまた夜に洗濯機を異常に回す人がいても、昼間だけだとわからないのだ。さすがに県が違うと夜に見に行くなんて事はできなかったし、前のマンションは女子学生専用だったから夜のことは気にしなかった。
「それとバイト代なのだけど、日給で五万円になります」
「やります」
即答だった。
「これはあくまで基本給だから、家の状態や築年数によっては少し上下しますね」
「はい」
「何人でやっても構わないけれど、バイト代は一人分しか出ないから、そこはごめんなさいね」
「はい」
このときの会話はぼんやりとしか覚えていない。
ただ、後になって自分の部屋に帰りながら、「やっちまった」と思ったのは事実だった。
初めての部屋に行って調査するなんて、そもそも女子の身にとって危険じゃないかとか、それでも名の知れた店だから変なことはないんじゃないかとか、ありとあらゆる想像が駆け巡った。
そうして瑠璃が頼ったのはただ一人だった。
「なんだ。別に我がついていくからいいだろう」
「え」
思わずぽかんとしてしまうほど簡潔な回答が返ってきた。
家に戻った瑠璃は、相変わらずリビングでゲームに興じていたブラッドガルドに後ろからダイブし、脅し文句を言われながら説明した。
そうして返ってきたのがこの台詞である。
そりゃぽかんともする。
その瑠璃をさしおいて、ブラッドガルドはふむ、と考え込む。
――なるほど、あの女。そう来たか。
周辺情報を調べるという名目で部屋に滞在させる。
ブラッドガルドにとってみれば、瑠璃が動くだけで金と魔力と菓子が手に入る。一挙両得どころの話ではない。自分は黙って、瑠璃がバイトを受けるのを待っていればいい。特に高級チョコレート。……ではなく、魔力だ。とはいえ魔力が無くても高級チョコレートが手に入るのは大きい。
もとより、瑠璃の生活が安定すれば利があるのは明白だ。
「え、な、な、なんでついて来てくれるの。熱? 神様って風邪引くの?」
「殺すぞ」
額に手を当ててくる瑠璃を、真正面から睨みながら言う。
「それに、どうせついて来いとでも言うつもりだったんだろう」
「うっ。それはそうだけど」
「暇だからな。幽霊の一つでもいれば貴様の面白い顔が見られる」
「そういうの性格悪いっていうんだよ!?」
「ふん。我にそんなものを期待するほうが間違いだ」
性格が良いわけなかろう、とでも言いたげな表情で、ブラッドガルドは笑った。
「ううう。……なんか怪しいなあ。何か企んでる?」
「我は別について行かなくてもいいんだが?」
「いやついて来てお願いだから!!」
「さあ。どうしような」
「さっきはついてきてくれる気満々だったのに!?」
「人に……いや、神にものを頼む態度ではないなぁ、小娘。ん?」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
瑠璃は苦り切った表情をする。
「つ、ついてきてくださいおねがいします……」
「……。まあ、その顔が微妙に気に入らんが、いいだろう」
その顔が見られただけでも儲けものだった。
ブラッドガルドは気を取り直すと、クッションに再び座り直した。
「それに、そのバイトというのをやれば、金が貰えるのだろう。この別荘には我が玉座が足りぬからな」
「ここは私の部屋だし、ブラッド君が欲しいのはソファでしょ……」
「正直に言うなら、もっとでかい家にしたいところだが」
「でかいってどれくらい?」
「そうだな……。先日、テレビ番組でやっていたが、ノイシュバンシュタイン城やシュヴェリーン城のような家が……」
「それは家じゃなくて城だよ」
真顔でツッコミを入れてしまった。
絶対に無理だ。
「王が住む家こそが城だろうが。バカなのか?」
「せめてシバルバーに作ろう!?」
「シバルバーに作ってどうする。こちらの世界に必要なのだ。……」
「……?」
「待て。作るという手があったな?」
「待ってマイクラ感覚で作ろうとしないで! なんかいろいろ大変になるから!!」
向こうの世界でも大概なのに、こっちの世界にマイクラ感覚で城を作るのはやめてほしい。
「とにかくお金貯まったらソファは買うから! まずはそれで我慢してよ! あとお菓子も買う」
「ふん。まあいいだろう」
ブラッドガルドは鼻を鳴らした。
「それで、いつから始まるのだ」
「最初の調査するとこの話? ええっとね。今度の金曜日から日曜日まで。名前は確か――」
瑠璃は貰ってきた資料を鞄の中から探す。
ブラッドガルドが視線を巡らせ、隣からのぞき込んだ。
資料には、古びた二階建ての一軒家が映っていた。庭は鬱蒼とした木々に覆われ、写真を通しても陰鬱な空気に満ちていた。ブラッドガルドは少しだけ目を細め、僅かに唇を舐めた。
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