おまけ7 あくまでお茶会

 その動画が動画サイトのオススメに出てきたのは、少し前の事。

 サムネイルはホラーゲームだった。有名な実況者が何人もやっているようなものだったから、なんの気なしにクリックして見てみた。


 お茶会ゲームチャンネル。

 男女二人でのゲーム実況。


 ホラーゲームをやらされているのは女の子らしい。焦って変な叫び声をあげる。それだけならまだ、普通だ。

 横から男の人が茶々を入れるのだが、これがびっくりするくらい低い声の人だった。音程はバスか、それより低いかもしれない。地声じゃなくてもこんな声が出るものなのか。それだけじゃない。女の子に比べて、妙にキャラが濃かった。悪役みたいなしゃべり方だ。一人称が「我」だったり、女の子を「小娘」と呼んだり、女の子がパニックになってゲームオーバーになるたびにバカにしたり。もしかして何かのキャラクターの声真似とかだろうか。作り物っぽさが無いから、声優志望や声楽科の人かもしれない。


 動画一覧を見てみると、投稿数は数日に一回あればいいほうだった。お茶会と銘打っているだけあって、サムネイルにお菓子が映っているものがある。どうやら生配信の動画では、お菓子を食べながらゲームをする、という趣旨らしい。

 ちょうどもうすぐ生配信が始まるところだったので、せっかくだからとクリックした。


 >>待機

 >>たいきー


 生配信だからか、既に待っている人が何人かいる。

 挨拶したほうがいいか。名前はなんだっけ。IDにRuriが入っているし、確か他の動画で「るりです!」って言ってたからたぶん「Ruri」さんだと思う。

 そのうちに、画面に映像が映し出された。テーブルと、カゴバスケットが映し出されている。……なんだろう、これ。


『……見えてるかな?』


 >>はじまったー


『こんばんはー! Ruriです!』


 女の子の声がした。カゴバスケットの上で、女の子らしい手が振られている。


 >>Ruriさんこんばんは。初見です

 >>小娘きた

 >>こむすめさん!

 >>小娘さんこんばんは~


 私以外の視聴者さんは、なぜかほとんど「小娘」と呼んでいた。相方のせいだろうか。

 キャラ作りとはいえ、小娘なんて呼ばれて平気なんだろうか。


『えーっと、今日はブラッド君と、イカの新作やっていくん、だ、けど……』


 手が画面の外へ行くと、ガサガサと音が聞こえはじめた。そしてカゴバスケットの上に、チロルチョコのバラエティパックがどさどさと投下された。27個入りのバラエティパックが、一つ、二つ……どころではなかった。画面を埋め尽くすんじゃないかと思うほど置かれていく。


 >>なにこれw

 >>今日のおやつはチロルチョコ?


『今日のお菓子はねー。前回の生放送で貰ってしまったスパチャの金額で、全部チロル買いました。一万円分のチロルです』


 一万円分のチロルチョコって。

 思い切った買い方だ。ガサガサと音が聞こえるから、いま開けているんだろう。画面内のバラエティパックが一旦どけられて、カゴバスケットの中に、開封されたチロルチョコが次々投下される。見たことあるような光景だ。コンタクトや携帯ショップの待合に置いてある飴玉が、こういう感じだった。


 >>もしかして、チロル代ですって言われてたやつかな?

 >>マジでチロルチョコ買ったんか


『そうそう! せっかくだからね! えーっとね、バラエティパックが10個入って、だいたい三千円ちょいだったんで、3個買いました。たぶん、8割方ブラッド君が食べます』


 >>99%のまちがい

 >>810個のうち809個食べるのを8割とは言わんのよ。計算大丈夫?

 >>そんだけあったらまたブラッド君だんまりになる

 >>【悲報】既にブラッド様の声は聞こえない事が確定


『嘘でしょ私も食べたい!!』


 画面の中に、突然ぬっと黒い異形の手が現れた。あまりの事に一瞬ぎょっとする。

 人間の手とは思えなかった。真っ黒で、指先がそのまま鋭い爪のようで、第一関節どころか第二関節まで覆ってしまいそうなほどある。爬虫類やドラゴンのような、ある意味ファンタジックな作りに見える。

 おそらく手袋かそういうギミックなのだろうが、ずいぶんと器用だ。


『ちょっと!! まだ食べないで!!』


 >>相変わらず造形が凄い

 >>正直この手で普通にポテチとか食べるの、汚れとか気にならないのか

 >>さすがに普段はこんなのしてないでしょw


『いま見せてるから!! っていうかブラッド君、挨拶してよ』

『……あ?』


 妙に不機嫌な声がした。

 一瞬、その声にぎくりとする。だがそれはあまりに低い声だからだろう。それこそ地獄の底から響いてくるような声だった。

 そしてやっぱり、女の子に対してキャラが濃すぎる。


『それより、なにを言ってるんだそいつらは』

『8割ブラッド君が食べるって言ったら計算間違ってるって言われた……』

『ほう、わかっているな。本来ならすべて我のものだからな』

『そういう台詞はもっとシリアスな時にとっておけないものなの?』


 全然挨拶が無いまま、カゴバスケットに盛り付けられたチロルチョコが異形の手によってがっつりと持っていかれる。かさかさと音がしているから、たぶん開けられているのだろう。自由すぎないか。

 Ruriさんはもう慣れているのかそういうものだと思っているのか、それ以上文句は言わなかった。


『そもそもなんだ、チロルチョコというのは。意味がわからん』

『チロルチョコってねー、オーストリアのチロル州の名前からとったみたいよ』

『……場所の名前なのか』

『もともと、イタリアのティローロ、つまりチロル城に住んでたチロル伯が領地を拡大して、この州全体がチロルって呼ばれるようになったんだって。で、当時の二代目社長がこのチョコレートを作る時にこのチロルにやってきて、自然に溢れた爽やかなイメージからつけたみたいよ』


 突然、お菓子の豆知識が入った。

 チロルってもっと、小さいとかかわいいとかそういう意味かと思っていた。場所の名前だったのか。


『社長?』

『うん。チロルチョコを作ってるところの社長。いまはチロルチョコ株式会社って名前で2004年に分離して、四代目の社長さんがやってるんだけど、元々は松尾製菓って名前でやってて、そのときの社長さん』

『続けろ』

『最初は炭鉱の人たちに砂糖菓子を売ったりしてたみたい。で、1948年に、当時の貧しい子供向けにキャラメルを売り出して大ヒットして、チョコレートはそこから』


 お茶会というからにはお菓子を食べながら、だと思ったが、思わぬ会話が入ってきた。


『この時代はまだチョコレートも高級だったんだけど、中身をヌガーにしてコストを下げたんだって。でも結局、オイルショックで材料費が上がっちゃったから、いまの一粒サイズにして値段は据え置きにしたみたい』


 思わず検索した。

 その通りだった。ほとんどはウィキペディアやサイトからの情報だったけど、普段はまったく気にしないお菓子のことを改めて知る、というには十分だった。まるで、お菓子のことをまったく知らない人に喋っているような感覚になる。ブラッドという人はそういう設定なのか。それにしたって……。

 でもそういえば、最近チロルチョコを食べていない。

 別に味のことを言っているわけでもないのに、懐かしさもあってか食べたくなってくる。


『しかしやたらと小さいな』

『昔は10円サイズでもそこそこ大きかったらしいけどねー。でもこの小ささだとレジのバーコードが印刷できないから、コンビニ用と、特に必要無い小売店用で大きさと値段が違うらしいよ。これはバラエティパックだからいろいろ入ってるけど』


 >>なんでチロルチョコの説明してんの?

 >>いつものことです

 >>恒例行事

 >>ブラッドくん様、チロルチョコはじめて食ったんか……


『てか、お菓子の解説は普段からやってるからね。普通に』


 >>普通のクッキーとかはやらないの?


『それはもうやっちゃったからなあ~。もし聞きたいんだったら他で動画作る? お菓子も自分で作ってみたいんだよね』

『それはまずそうだから止めろ』

『喧嘩売ってる?』


 >>バラエティパックって何入ってんの?


『えー。パックに何入ってるかって。ちょっと待ってね』


 Ruriさんは適当にカゴバスケットの中からチョコレートを取りだし、テーブルの上に並べた。同じ柄のものは戻し、違う柄のものを出して並べていく。

 ところが、やはり人外のものにしか見えない手が、いましがた並べられたものをわざわざつまんで持っていった。


『いま並べたのを持っていかないで!?』


 >>キャラを忘れない男

 >>ブラッド君ならしゃーない


 いつものことらしい。

 ようやく何種類かを並べ終わったRuriさんは、ひとつずつ確認して、中身はこれらしいとか、開けてみたら白いとか言っていた。ゲームの生配信のはずが、すっかりお菓子動画になっている。これが別に「~してみた」とかではないのが不思議だ。


『あれっ!? 今日ってゲームやるんだったよね!?』


 >> い つ も の

 >>「お茶会」ってちゃんと銘打ってあるからいいよ別に

 >>お茶会とは……?

 >>これを見に来た

 >>今来たけどもう食べてる?

 >>もう菓子食われてる

 >>チロルチョコ買ってくる


 視聴者もいわゆる「楽しみ方」が確立されていた。お菓子の事を聞きながら、お菓子を食べる。まるで誰かのお茶会という名のささやかな楽しみに参加しているような気分になってくる。それがただの女の子と、人外の魔王のような人だというのがちょっと笑えるけれど。それらしいキャラクターは見つからないから、やっぱりオリジナルなんだろうか。


 >>本当に全部食べてるの、これ?


『だいたいブラッド君がみんな食べる』


 >>たまに小娘ちゃんの分まで食うからな

 >>さすがにこれだけあると、包装を別で捨てるとか面倒な事はしないと思う


『でも私の分まで食べてるのはさすがに放送事故だよ』


 >>放送事故(いつものこと)

 >>ゲーム実況生配信ってついてるのに結局延々お菓子談義やった時の方が放送事故だったよ

 >>ブラッドって奴、相当のデブでは?


『ブラッド君は相変わらずどこに入ってるかわかんないくらい痩せてるよ』


 >>キレ気味で笑う

 >>キレとる……


『前にさあ、お化け屋敷で背中にぴたってくっついてた時あったんだけど、お腹すごい薄かったんだよね。……』

『触るな殺すぞ』

『いまも薄い』


 >>俺たちは一体何を見せられているんだ

 >>背中にくっついていたのに腹の薄さがどうしてわかるんだ?

 >>カップルチャンネルじゃないとは一体……

 >>やっぱりこの二人、リアルに考えて兄妹かな

 >>まあ、だろうね


『いや普通に友達だけど』

『奴隷だが?』

『友達だよ~』


 たまにコメントで野暮なツッコミがあるけど、ブラッド君と呼ばれる男の人はまったく自分のスタンスを崩さない。それどころか、どちらかというとRuriさんの方も凄い。ブラッドさんのキャラを当然のように受け止めている。そのせいで、本当にそうであるかのように聞こえてくる。きっと視聴者も一緒になって、この独特な空気を作り上げているんだろう。


 まったりとした空気は続き、結局ゲームが配信されるまでに一時間もかかった。

 焦ったRuriさんがゲーム画面にしたあと、アカウントをブラッドさんのものにした。


『ブラッド君がいまやってるから、他にもなんかあったら答えるよー』


 ゲームが始まっても、どこかまったりとした空気は続いていた。

 ブラッドさんの言葉の端々は殺伐としているのに、その空気を完全に殺してしまえるのは、Ruriさんのせいなのだろうか。Ruriさんもブラッドさんに何か言うことはあっても、決してキャラを否定しているわけじゃない。だから余計に不思議な空気ができている。そういえば過去動画のコメントの中には、ブラッドさんが主体じゃないことに驚いているようなコメントもあった気がする。確かにこれだけキャラが濃かったら、ブラッドさん主体のチャンネルだと思ってしまうのも無理は無い。

 ……だけど本当に、この二人はなんなんだろう。


 ゲーム画面の中では、ブラッドさんが遠距離系の武器を使って相手チームの人を撃ち抜いた。

 ひとり、ふたり。そしてもう一度蘇生して戻ってきた人を狙い撃ちにする。


『ふん。我にかかればこんなものだ』


 >>フラグだ

 >>フラグが立った


『それフラグなんだよなあ……』

『何がフラグだ殺すぞ』


 画面内で、戻ってくるはずの相手チームを狙う。

 しかし撃ち抜こうとしたその瞬間、突然狙撃された音とともにキャラクターの悲鳴があがった。


『んなっ……!? 貴様、どこからッ……!』

『めっちゃ死角から狙撃された!!』

『くっ……。この我を一撃でだと……』

『だからそういう台詞はもっとシリアスな時にとっておきなよ……。勇者と再戦する時とか』

『言わん。殺すぞ』

『えっ』

『まあ良い。名は覚えたぞ……』

『遠距離の武器で突撃するのはもっと死亡フラグだからやめときなよ~』


 ようやくゲーム実況らしくなってきた。これもいいけど、その割にはなんだか少しお茶会の空気も堪能したかった気がする。他の生放送では全編お菓子の話だったらしいから、そっちを見てみてもいい気がする。

 私は一旦画面から目を離すと、すぐそこにあった登録ボタンにカーソルを合わせ、クリックした。

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