おまけ6 女子は女子でたいてい固まる

 一畳にも満たない、自分ひとりでいっぱいになってしまう箱のような小さな空間。四つの壁のひとつは鏡になっていて、彼女は鏡に映る自分の姿をもう一度確認した。少し浮いてしまった髪の毛を直し、意を決して背後のカーテンを開け放った。

 すぐそこにいた少女はぱっと顔を明るくさせた。


「……ど、どうかしら」

「おー! アンジェリカ、似合うー!」


 現代日本のカジュアルファッションに身を包んだアンジェリカを見て、瑠璃は手を叩いた。

 大人っぽいものから、ロリータ風にフリルが入ったもの。ロングスカートに大きめのニットや五分袖のシャツを合わせたり、少しフェミニンなものまで。

 気になったものを次々と試着しては、鞄や靴と一緒に合わせていく。


「なんだかちょっと落ち着かないわね……装備って感じじゃないからかしら」

「さすがにあっちの装備で動き回るのはちょっとね~。かといって私の服だと合わないし」

「ここから減らすのも大変そうだけど。……でもちょっとくらいはいいわよね?」

「んふふふ。買っちゃいなよ。だってこのお金の出所って――」


 瑠璃は含み笑いをした。







 木製のラウンドテーブルの中央から伸びた傘が、椅子に影を作る。

 親子連れやカップルで賑わう休憩所で、その男は女子の目線を引いた。整った顔立ちに、茶色い髪。痩身に黒いロングシャツはより細い体を際立たせている。その口が開かれると、手に持ったクレープをかみちぎった。ホイップクリームとチョコレートが混ざり合いながら溢れそうになる。口元についたクリームをわずかに拭い去ると、その目が前を見た。


「――おい。クレープが無くなりそうなんだが」

「……何個食う気だよ」


 反対側に座ったリクは、ため息のひとつもつきたくなった。

 これで五回目だ。クレープ屋台の人間はどう思っているのだろう。完全にパシリである。


「黙れ。我とてこんなところに一秒だって居たくはないわ。しかも貴様と」


 苛立ちを隠しもせず、ブラッドガルドは言い放った。

 クレープがあるとはいえ、そろそろ限界が近いな、とリクは思い始めていた。

 そこに、急に明るい声が届いた。


「やーやー、お待たせ!」


 瑠璃の声だった。

 振り向いて声をあげようとして、リクは言葉に詰まった。


「なんか地獄みたいな空気だ」

「誰のせいだ……」


 地獄の底から響くような声が、瑠璃を批難する。

 ブラッドガルドの声だった。

 ただ苛立ちの原因は、リクと二人で取り残された事だけではなかった。港にはただでさえ人が多いのだ。


「えへへ~。どう!?」


 瑠璃は笑いながら、後ろにいたアンジェリカをつかんで前にずいっと出した。爽やかな色合いのキャミドレスがふわっと揺れる。肩から提げているのは、夏にぴったりのナチュラルなかごバッグだ。アンジェリカは金色の髪の端を触りながら言う。


「……どうかしら」

「い、いいんじゃないか?」


 リクはアンジェリカから微妙に視線を逸らして言った。


「リク、もっとアンジェリカの事見てよ! どうよ!」

「地獄か」


 ブラッドガルドは完全に呆れを通り越した声で言った。

 何が嬉しくて宿敵がイチャついている所を見なければならないのか。


 そもそも何故、こんな所に来る羽目になったのか。

 事の始まりは、お茶会部屋――といいうよりシバルバーに、リクとアンジェリカが訪れた事から始まった。いや、その前からだろうか。瑠璃が勝手に約束をして、勝手に日付を決めてしまった。そしてブラッドガルドは完全に後から聞かされる形で連れ出された。

 名目は、ダブルデートだ。

 意味がわからなかった。

 とはいえ、デートの資金源の出所がリクだったので、とにかく使いまくってやろうとは思ったらしい。

 久々に日本の地に帰ってきたリクは、貯めていた金貨を換金した。魔法で壮年の姿に変身し、貴金属買い取り専門店で金貨を日本円へと変えた。どこのものかわからない金貨は、金貨としての価値はない。だがそのぶん、ただの金としての価値はじゅうぶんにあった。多少この世界に金が増えても問題は無いだろう。リクは若干、ブラッドガルドに余計な知恵を付けさせてしまったような気がしたが、それはさておくことにした。


 そうして四人がやってきたのは、港にある大型商業施設だった。海が見える屋外型の施設で、絶好の買い物スポットだ。休憩所を兼ねた噴水広場を中心に、海に似合う色合いの店が建ち並び、食事やファッションのエリアがそれぞれ存在している。カフェやレストランは見ているだけでもバラエティに富んでいるし、お土産もここでしか買えないものがたくさんある。ファッション雑貨も充実していて、瑠璃とアンジェリカが出てきたのもファッション関連の店が建ち並ぶエリアだ。


「それよりブラッド君見ててくれてありがとね!」

「見ててっていうか、俺は強制的にこいつと二人にされたんだけど」

「それはこっちの台詞だ。なぜ我が勇者と貴様らを待たねばならなかったのだ」

「しょうがないじゃん、ブラッド君が拒否ったんだから」


 女二人の買い物についていっても理解できないし、そもそも何故こんなところに連れてこられたのかも理解できない。なにもかもがわからない。

 だからリクと二人で残されても仕方ないのである。


「まあリクがいればなんとか抑えててくれると思ったし」

「貴様は我をなんだと思っているのだ」


 そのくせ、テーブルにはクレープの袋が散らばっていた。全部にチョコレートが付着している。どっちが食べたのかは明白だ。


「ブラッド君だってその姿の見た目はいいんだから、もっと他の服着ればいいのに」

「……。それより、今日の本題はどうした」

「じゃあスイーツビュッフェ行く? ……他にも見ながらね!」


 瑠璃がブラッドガルドに背後から抱きつくと、ブラッドガルドはため息をついた。振り払うように立ち上がると、さっさと行くぞ、と言った。

 クレープの袋を片付けてから、四人は商業施設の中を回った。


「わ、凄い。お店に物がこんなにたくさん……」


 何気なく入った店で、アンジェリカは目を丸くした。

 雑貨屋の中は、Tシャツからキャンドルまで様々なものが置かれている。


「あっ。この瓶、キャンディなんだって」

「食べ物も置いているの? まったくそうは見えないけど」


 ダブルデートといいながら、実質は瑠璃とアンジェリカがいろいろなところを見回りながらきゃあきゃあ騒いでいた。


「この服とかもアンジェリカに似合いそう!」

「ルリにはこっちの色かしら」


 それを背後でリクとブラッドガルドが完全に死んだ目をしてついていく。


「……元気だな……」

「おい、小娘は貴様の幼馴染みとかいう奴だろうが。なんとかしろ」

「瑠璃こそお前がなんとかしろよ」


 後ろの二人は互いに責任を押し付け合ってにらみ合う。


「ねえ、二人とも! お化け屋敷行こう!」

「おい」


 ブラッドガルドの意見はまったく無視され、施設の目玉でもある学校を舞台にしたお化け屋敷にも足を踏み入れることになった。学校を舞台にしているだけあって、外見もそれっぽい。アンジェリカにとっては、迷宮やダンジョンとはまた違った雰囲気がした。中に入ると受付があり、仕方なくリクが四人分の手配をする。その間に、こっそりとアンジェリカが尋ねた。


「ルリ。お化け屋敷って結局なんなの?」


 すべては作り物だというが、恐怖を楽しむという感覚はよくわからない。向こうの世界では、常に――というほどではないが、命の危険に晒される場面は多々ある。だから、恐怖は楽しむものではない。命の危機と直結するものだ。

 それを作り物で感じなければならないほど、この国は平和だというのか。

 微妙に困惑した表情をしていると、瑠璃がこっそりと耳打ちした。


「怖がるのが正解だからね」

「え……、あ。うん」


 頷き、中へと入る。

 実際に入ってみると確かに不気味だった。どこからともなく水音がしたり、すすり泣くような声がする。どうやって声や音を出しているのかわからないから、妙なリアルさを感じた。これが本当に作り物だというのか。正解だとか不正解だとかいう前に、不安になってくる。

 きょろきょろとあたりを見回しながら、自分が無意識のうちにリクの腕を掴んだのに気付いた。


 ――……あ。


 一瞬、すぐに離そうかと思った。

 だがリクはそのまま、アンジェリカの腕を引き寄せて手を握った。

 かっと体が熱くなるのを感じた。

 何も言わないまま、そっと体を寄せて隠れるようにする。怖がるのが正解だなんて言われたけれど、リクの気遣いが嬉しかった。


 ――下らん。


 夜目の利くブラッドガルドは、その背中を蹴りたい衝動にかられながら、お化け屋敷の雰囲気をつぶさに観察して頭の中にたたき込んだ。ここにあるのは作り物の恐怖だ。だが人の想像力から生まれた恐怖は、本物にすることができる。これもまた、向こうの世界で役に立つだろう。


 ――それより、これはどうしてくれようか。


 ぴったりと背中にしがみついて盾にしている小娘については、とりあえず足は進んでいるようなので考えないことにした。

 それからずっとお化け屋敷の外に出るまでその状態だった。果たして周囲さえ見ているのか謎である。


「お、おお、終わった?」


 暗いお化け屋敷の中から出てきた瑠璃は、そっとブラッドガルドの背後から抜け出した。先に出て行った二人を見つけると、声をかけようとして食い入るようにじっと見つめる。


「どうし……」


 アンジェリカが尋ねようとして、二人は勢いよく顔を赤らめた。

 いっそ大げさなほどの挙動で手を離す様子を、ブラッドガルドがもはや付き合っていられない、という目で見ていた。


 そうしてスイーツビュッフェの店についた頃には、ずいぶんと疲れ切っていた。

 オレンジ色を基調としたサーカスをイメージした店の中は、主に女性客で賑わっていた。


「わ~~!」


 並んだケーキは色とりどり。お決まりのショートケーキから、当然チョコレートケーキまで。それから季節商品のマンゴーやメロンのケーキもある。ひとつひとつは小さいが、そのぶんいろいろなものが食べられそうだった。


「すごい。これがこっちのケーキ……」

「時間いっぱいあるから、がんがんとっちゃお!」


 トレイに乗せた皿の上に、次々にケーキを載せていく。

 テーブルに戻った時には、一人だけ段違いの量を持ってきて既に口にしている男がいたが、瑠璃は気にしなかった。そんなものだからである。はっきり言ってしまえば、こんなに人の多い所に、しかも勇者と連れて来られた苛立ちがすべて消費されていた。どこに入っているのかまったくわからない。チョコレートが多めだが、他のケーキも満遍なくとってきているあたり、瑠璃は笑った。


「――そういえば、最近リクはどうしてんの?」


 マンゴーのケーキにフォークを突き刺して尋ねる。


「ん? ああ、俺は相変わらず島の方にいるよ。やっぱり調査ってなると話が違うからな」

「そっか。そのうち私も行きたいな~。温泉あるんでしょ!?」


 目を輝かせながら言う瑠璃。


「貴様は上陸早々死ぬ」

「えっ」

「やめなさいよそういう事言うの……」

「そういえばブラッド君とこでも言われた」

「まあ、あそこはな……」


 正直、瑠璃が迷宮を渡ってこれたのは監視役のおかげだろうとリクはふんでいた。


「そういうお前はどうなんだ?」

「楽しいよ、大学生活。レポートとか大変だけど」

「今もお茶会はやってるわけ?」

「やってるよー。お菓子の由来とか話すのは少なくなったけど」

「……そうなの?」

「だって、クッキーとかドーナツとかほとんど『はじめて』ってものはなくなっちゃったしさ」


 基本はほとんどおさえてしまった。


「でもたまに変わったのとか売ってると買ってきて、調べたりするかな」

「ふうん。相変わらずなのね」


 ケーキの上のメロンを不思議そうに見てから、アンジェリカは口にした。口の中に広がった甘さに飛び上がりそうになりながら、目を見開く。それから少しだけ口元をタオルで拭いた。


「あとは一緒にゲーム実況とかして、動画サイトにあげてる」

「何してんだ一体」


 真面目な突っ込みをくらってしまった。


「いやさすがに顔とかは出してないよ! 声だけ」

「声だけにしたって……、できるのか、こいつが?」

「そういうキャラ作ってると思われてる」

「マジか」


 とはいえ、なんとかやってはいるようだとリクは思った。

 ダブルデートという名目だが、実際は瑠璃とブラッドガルドの視察も入っている。ブラッドガルドがこの後どう出るかは完全に未知数だ。あの火山島を取りに来るのか、それとも迷宮を復活させようとするのか。瑠璃も知らない間にこそこそとやられてはたまったものではない。なんとなくでも動向は把握しておく必要があった。


「あ、でもお菓子食べてるのわかってから、手だけ映ってるけど。お菓子だけ映してるから」

「手だけか。まあ人型になってるんだろ?」

「いや普段の手」

「なんでだよ!!?!?!?」

「うるさいぞ勇者」


 普段のブラッドガルドの手なんて、異形の手そのものではないか。

 そもそも人間と同じ形ではない。まず黒いし、指先は第一関節まで覆うような爪状をしているし、そんなものが画面に映ってよく平気でいられるものだ。


「でもそういう手袋みたいなものだと思ってくれてて」

「手袋ってお前……」

「造形凄いとは言われる」


 例え映ってしまっても、最近じゃ変わった格好の芸人や配信者はたくさんいる。アバターを使っている動画もある。格好はそれで説明はつく。ただ――ブラッドガルドが動画の中で突然蛇になったり姿を消したりしたら、それがどう思われるのだろう。それもCG技術の凄い二人だと思われて終わりかもしれない。そこらの心霊動画のやらせよりはまだちゃんとキャラ作りがしっかりしていると思われるかもしれない。

 だが――それは本物なのだ。

 何が起きるかわからない。

 だったらそういうキャラだと思われているほうがまだいい。


「それより、温泉の話もっと聞きたいなー!」


 瑠璃のリクエストが入ると、二人は頷いて火山島での話に切り替えた。

 やがて時間が近づいてくると、瑠璃は残っていたケーキを口に運んだ。


「あー……、お腹いっぱい……」

「ブラッドガルドを見てるだけでお腹いっぱいなのだけれど」


 平然とした表情で積み上げたケーキを次々口に入れる様は、もはや何か映像を見ている気分になってくる。


「……こいつ、食った先から魔力に変換してるからな」

「なんだ、知っていたか」

「見たらわかるわ!!」

「えっ。知らなかったんだけど!?」

「そりゃそうだろ瑠璃は!」


 四人でわいわいと言い合いながら外へ出る。まだ昼間の三時だ。


「リクはこのあとどうするの?」

「ちょっと実家に戻るよ。……まあ、母さんだけには留学したっってことにしておこうかと……」

「留学かあー」


 言い得て妙だ、と瑠璃は頷いた。


「というかここから実家まで行くの!? 大変じゃない!?」

「い……、いや、魔法を使えばなんとか……」

「やっぱずるいなリク!!?」


 本来なら、新幹線でも三十分か四十分はかかる。


「強行スケジュールで悪いな、瑠璃。戻ったらまた鏡使わせてくれ」

「いいよいいよ! ――あ、そうだ」

「何?」

「ブラッド君も――このへんだと入るかな?」


 ブラッドガルドは、スマホを掲げる瑠璃を眺めた。

 その後ろからリクとアンジェリカがのぞき込む。タイミングを見計らって、ぱしゃりと写真を撮った。アンジェリカが瞬きをしているあいだに、瑠璃は写真をのぞき込んでうんうんと頷く。


「なんなの、それ?」


 瑠璃は笑って、『ダブルデート!』というコメントを、写真とともにSNSにアップした。

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