おまけ5 それぞれの道は大変
「――それでは、また」
『おう。じゃあな少年王』
カインは少しだけ微妙な顔をした。顔がこわばった程度だが、画面の向こうにいる相手はそれでも十分だった。画面の向こうで、海賊王は爆笑しながら通信を切った。ぶつんと画面が黒くなる。
会議室の中には沈黙が流れた。
「……あの人。絶対、僕が少年王って呼ばれると嫌がるのわかって言ってますよね」
「だろうなぁ」
背後でグレックが首をひねる。
「はあ……これで今日の業務は終わりですね」
「おう。お疲れ」
椅子の背に体を預けてぐったりするカインを、そのまま見下ろす。
「だいぶ疲労が溜まってそうだな、カイン」
「……正直、僕も温泉とやらに入ってゆっくりしたいですよ」
「そうか。俺もだ」
こんこん、とドアをノックする音がして、返事の前に扉が開いた。
ひょっこりとメイドが顔を出す。
「カイン様ー! あっ、グレックもいる!」
「おい、俺もグレック様って呼べよ」
「やだよう。グレックはグレックじゃない。もうお仕事終わりましたよね。プリンの新作があるんで呼びに来たんですよ、お二人も食堂にどうぞ!」
カインとグレックは顔を見合わせ、片付けたら行こうか、という事になった。
書類をひとしきり片付けてから、二人は食堂を目指して部屋を出た。
その道すがら、グレックがなんとなく思い出したように尋ねた。
「そういえば教会はあれから音沙汰無ェなあ。どうなったんで?」
「忙しいみたいですよ。特に幹部陣の中で、原初の女神に鞍替えしてしまった人達も一人二人じゃなかったみたいですし」
「ああ……」
人が何かに縋る時。
それは現状に不満がある時や、満足していない時。そして支援の手が届いていない時だ。
そんなときに、優しく手を差し伸べられればどうなるか。あるいは世界を変えようと言われればどうなるか。希望を求めた先にあるのが破滅だったとしても、現実に差し伸べられた優しい手を拒むことはできるのだろうか。たいていの人はそこまで強くない。
「意気消沈してるようですが、実際に真面目な人も多かったみたいですしね。これを機に周囲が――とやられる前に、リクさんがセラフ様と一緒に手を入れたそうです。そこからオルギスさんとシャルロットさんに引き継ぎをして。それでもまだ全体の体制を変えるには至っていませんが」
「ふうん。でも、神が直々に手を入れれば文句は出ねぇか」
直接的に何かしたわけではないだろうが、それでも信仰する神に言われれば拒むことはできまい。
「……しかし、そもそも東の果ての国だってアズラーンっていう土の神を信仰してたんだろ。どうして教会じゃ、セラフサマが世界を造ったみたいな話になったんだ」
グレックは首をかしげた。
実際に海の向こうではチェルシィリアを海の女神と讃えていたし、魔術国家に至っては最初の四柱を精霊として認識していた。
「もともとは、ブラッドガルドの横暴を止めてもらうためにセラフ様と結んだ盟約から始まったそうですよ」
「それは知ってるが」
「いえ、そのときに交わした盟約が影響してるんですよ。セラフ様に風の象徴である『自由』を捧げて――つまり他の神々ではなく貴女だけを信仰します、という盟約を交わしたらしいんです。しかし、セラフ様が世界に溶けて以来、その意味が強められて、世界を造った唯一の女神であるように考えられたようです。布教には役立ったようですが」
「そうか。本来はそいつらにとっての唯一の女神のはずが、世界にとっての唯一の女神に変わっちまったのか」
種がわかればなんということはない。
ただ、ブラッドガルドという脅威を取り払ったことでセラフを信仰する者が多くなったのも事実なのだろう。横暴を止める為に火の権能を奪った事で、セラフが光の神と成ってしまったことも理由のひとつだった。人々の間でいつしか認識はゆがめられ、神々にもあずかり知らないところで膨れ上がった。そのセラフを象徴する気質が「自由」というのも皮肉なものだ。
「ところで、その勇者はどうしたんだ?」
「次はギルドの調査についていったみたいですよ。火山島の」
「……あいつも忙しいな」
「まあ、僕らも噛んでますけどね」
カインは笑った。
「そういえばそうだったなァ。次の報告が楽しみだ」
食堂につくと、既に何人かがプリンを持っていた。彼らが一斉に振り返る。
「おっ、きたきた!」
「カイン様、遅いー!」
「すみません。新作プリンがあると聞いたんですが」
「そうですよ、新作です。紅茶プリンですって!」
「いま、他の奴らも呼びに行ったんだけどな。カイン様達が早くて良かった」
王に対してもまったく物怖じしないのはこの国くらいだろう。
新しい人々は萎縮するが、次第に慣れていく。この和やかな空気は村ではじめて会った時から変わらない。
受け取った新作だというプリンからは、当然のようにふわりと紅茶の香りがした。普段は飲み物からしている香りが、プリンからしているのは不思議な感覚になる。二段になっていて、下の層のプリンの上には紅茶色の透明なゼリーが乗せられていた。二つの食感が楽しめそうだ。
「そういえばカイン様、マドラスの海賊王と話してたんでしょう? 最近多くないです?」
「ああ、バッセンブルグの冒険者ギルドが、船を必要としてましてね。それで、マドラスと橋渡しをしたんですよ。海賊行為はともかく、船の事ならあそこが一番ですからね」
「船を……?」
「ほら、火山島の調査だよ」
グレックが口を挟んだ。ひょい、と自分の分のプリンを手にして、スプーンですくって食べる。
「あ! 火山島!」
「海賊達に先んじられては敵わないんでしょうね。ギルドが冒険者を派遣して、あそこの迷宮や土地の調査をしているそうですよ」
「へえー。じゃあマドラスは船の産業でウハウハ?」
「それだけじゃないみたいですが」
火山島は現状、船で行くしかない。
マドラスは海が繋がった時からもう意気揚々としていた。自分達の領地が広がったようなものである。火山島という迷宮はともかく、海の事ならマドラスに敵うところはない。それこそお宝を求めて火山島に今すぐ向かいそうな気配がした。
しかしそうなると困るのが、バッセンブルグだ。バッセンブルグは冒険者の国。冒険者はダンジョンや迷宮で調査をするのが仕事。ならば一刻も早く火山島に向かうべきだ。マドラスに先を越されては、海賊の巣窟になってしまう。それを危惧したバッセンブルグはすぐさまギルドを通じて冒険者を派遣しようとした。
だが航路が長いぶん、海の呪い――壊血病の心配があった。
「そうそう、海の呪い。……かいけつびょーだっけ? それってどうなったの?」
「壊血病は予防できるらしいんですよ。……マドラスのレモンでね」
これまで海しかないと思われていたマドラスに、思わぬ産業が発見されたのだ。
マドラス内部でも大変な事になった。
研究というよりもそれとなく実感としては存在していた。それが事実という事になると、国内でレモンを栽培しようという者たちが増えた。需要が増えた為、あっという間にレモン特需ともいうべきものが発生した。海に出られず、陸地にしか居場所がなかった者達は、積極的にレモン栽培に着手した。当然、レモンの他にも有効なものは無いかと、各地の海賊達があれこれと試行錯誤し始めた。それでもいまだに呪いだと信じている者もいて、チェルシィリアに呪いを解いてほしいと懇願する者までいたようだが。
特にバルバロッサ・バルボアの実家は、同じように農園を始めたいという農家や下級貴族の為に、その手腕を振るった。バルボア家はめきめきと力を付けている。ついでのようにエルナン家のクリストファーからの求婚が激しさを増したらしいが。
海賊王はその事実に大笑いしていた。
その代わりに、バッセンブルグ王もギルド長も頭を抱えてしまった。
マドラスに先を越されてはならないという話だったのに、壊血病の予防に有効だというレモンは現状マドラスにしか無い。他にも有効なものはあるだろうが、探っている時間は少ない。
故に、先にマドラスのレモンを仕入れる約束をしていたカインが王として間に入って橋渡しをした。見返りに、火山島の調査に噛ませてもらうことにした。バッセンブルグ側も、あえてマドラスと交流を持つことで海賊行為を抑える方向に舵を切ったらしい。
「……いまだに呪いだと言っている人たちは、案外チェルシィリア様がなんとかするかもしれませんね」
「へえー。なんか、もしかしてどこも忙しい?」
「そりゃそうだろ。東の果ての国なんか、原初の女神にそそのかされて草原国の方が戦争仕掛けてきたしな。東側にも海は広がったし、大忙しだろうよ」
「……なんか、グレックに言われるとやだな~」
「なんでだよ!?」
笑いが起きた。
今日もヴァルカニアの城は穏やかだ。
「そうですね。世界がすっかり変わってしまって、そこに追いつくのは大変かもしれません。世界樹もいままでどこぞの女王が独り占めのようなところがありましたが、これからはどうなりますかね」
「カイン陛下が悪い顔してる~」
神々が実際に現れたのだから、いままで通りというわけにもいかないだろう。
とはいえ表向きには世界樹の庇護をしていたのは評価されている。表向きには、だが。それでもその心の内を思うと、ほくそ笑まずにはいられなかった。
そもそも、原初の女神に蹂躙された土地も少しずつ回復させている途中なのだ。食われた村や泥に飲み込まれた土地も一つ二つではない。国も消えてしまった可能性がある。どれくらいの規模の「災害」だったのか、果たして全容は明らかになるのかさえわからない。ブラッドガルドが侵攻してきた時だってこれほどではなかった。
どこもかしこも、世界の変化に対応するのに手一杯だ。
「ところで、肝心のブラッドガルドはどうしたんだ」
誰かが聞いた。
「たまに火山島で目撃されているそうですよ」
「へえ? やっぱり迷宮だから?」
「いえ。どうやら、神の実があそこにあるようで」
火山島の迷宮は、中央の「安全地帯」である巨大な温泉リゾートを中心に、様々な場所に出来ている。ひとつの迷宮からは更に別の迷宮へと道がつながり、どうやらその中のひとつに神の実の栽培場とチョコレート工場が迷宮として存在しているらしいのだ。
魔女によって献上され、ブラッドガルドに新たな命を与えた神の実。
いまだに、不老不死を与えると思われている実。
しかしその実態は、瑠璃が現代日本から持ち込んだ鉢植えが、宵闇迷宮で芽吹いたものだ。ブラッドガルドによって保管されたその施設は、原初の泥に飲み込まれた後、火山島でもう一度再現されたらしい。それはもうブラッドガルドは血眼になってチョコレート工場へと赴くだろう。手にとるようにわかる。それがあるから、余計に不老不死説が取り除けない。
「普通に菓子として好んでいる」という発想が出来ないのだ。
ブラッドガルドはいまだにそういう存在なのである。
そして、いまや注目の的となった火山島だが。
「あの火山島もブラッドガルドのものになるのかなあ」
「いや、海の上にあるんだからチェルシィリア様のものじゃないの」
「大地だからアズラーンのものだろ」
「えっ。私、セラフ様のものかと……」
その場にいた者たちが互いを見合わせて目を瞬かせた。
カインは何も言わなかった。
もしかすると火山島は、勇者リクが管理する事になるのでは――と囁かれている。
それが一番無難な着地点ではないかと思うからだ。
魔女である瑠璃の想像力から生まれた火山島は、言い換えればどの神も関与していない領域でもある。それに、リクはセラフの力を受け継ぐ教会の人間でありながら、バッセンブルグの冒険者でもある。そしてアンジェリカともいい雰囲気ではあるものの、果たして辺境のような魔術国家の王に収めておいていいのか、という空気もある。
だから、火山島の管理者としておさまることで、誰のものでもあり、誰のものでもない場所が完成するかもしれなかった。
いまは忙しく飛び回っているが、そこについて勇者リク本人も思うところがあるらしい。
ただそうなると、アンジェリカがどう出るか。
加えて、チョコレート工場が見つかったことで、ブラッドガルドからまた酷いクレームが来やしないかと思ってしまう。かつては自分のものだった神の実もチョコレートも勇者が管理すると考えると、またぞろ火種になりそうである。
――でも、まあ……。
大丈夫なのではないか。
つい、そう思ってしまう。
ブラッドガルドを思い浮かべる時、すっかりその隣に少女の影をも思い浮かべるようになってしまった。魔女であり、何の力も持たない少女。勇者と同じ世界からやってきた来訪者にしてイレギュラー。彼女のおかげでずいぶんと遠いところまでやってこれた。彼女はこれからも、ブラッドガルドを振り回してくれるだろう。
この新作のプリンもきっと気に入ってくれるだろう。
口の中で、紅茶の良い香りが広がった。
「あー!! 俺のプリンは!?」
ティキがやってきた。続々と城で働く国民たちが食堂をのぞき込む。
「まだありますよ、ほら」
「あ! カインじゃん! もう来てたのか」
「間に合ったか!?」
「お前ら、食うのはいいけどちゃんと新作の感想も言ってってくれよ!? カイン陛下もだ!」
食堂は騒がしくなり、わいわいとかつての村のメンバーたちが顔を出す。その中には新しい人々もいたが、すっかり馴染んでいた。
「当然、僕も答えますよ」
カインは答えて、小さく笑った。
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