おまけ4 いいから早く広い所に引っ越せ、体が伸ばせん
「狭い」
開口一番、ブラッドガルドは不機嫌さをまったく隠さずに言った。
「うーん。確かに狭いけど」
なにしろ瑠璃の新しい部屋は学生用の1Kだ。入口から入ってすぐの廊下に申し訳程度のキッチンと、反対側にトイレとお風呂のドアが並ぶ。部屋も真ん中にテーブルと座椅子を置き、テレビにベッドにテーブルと椅子……となれば埋まってしまうくらいの部屋だ。それでも友達くらいだったら呼んで泊まる事はできるはずだが、ブラッドガルドは不満だった。
「貴様も理解しているなら何故部屋を広げん?」
「いや部屋を広げるのは無理でしょ」
ブラッド君じゃないんだから、と瑠璃は真顔で言う。
「それにいざとなればブラッド君の部屋もあるし」
「我の居城を貴様の部屋にカウントするな」
置いてある鏡の向こうは、相変わらず石造りのお茶会部屋に続いている。そろそろ手を入れてほしいところだが、当のブラッドガルドがまったく改装しないのでそのままだ。
しかし使えるのは瑠璃とブラッドガルドだけなので、別に友達が来ても使えるわけではない。
「もっと我に相応しい家を用意しろ」
「相応しいってどのくらいの?」
「我が領域とは言わん。だがあの小僧に占拠された城くらいの規模はほしい」
「時計塔城の規模感はあれはもう家じゃなくて街だよ!! せめて家の規模感にして!!」
いったいどんな事態が起きれば城を家にできるのか。
「とにかく、こんなウサギ小屋は我は認めんぞ……」
「なんで私の部屋をブラッド君に認められないといけないんだ」
とはいえどんな家でも住めば都である。おそらくは。
「あ、そうだ。そんな不機嫌なブラッド君にこれをあげよう」
瑠璃は荷物の片隅から、手提げ袋を取り出した。
中身は十五センチほどの長方形の箱だ。中身を取り出すと、透明な液体が瓶に入れられている。ブラッドガルドは一瞬眉間に皺を寄せたが、すぐに目を見開いた。
「……なんだ、それは……」
ブラッドガルドの背後に闇が広がる。
「御神酒だって。お母さんに渡されたんだけど、この部屋神棚とか無いからさあ。神様って言えばブラッド君しかいなくない?」
「違うそういうことを聞いているんじゃない」
「じゃあ何!?」
「貴様っ……貴様こんなもので我の機嫌を取ろうなどと飲まねばわからんではないか!?」
「一気にパニックになるのやめて!?」
部屋の中に闇を広げるのもやめてほしい。そして機嫌がいいのか悪いのかわからなくなるのもやめてほしい。
「オミキと言ったな。なんだそれは。なんの種類だ。言え。説明しろ。今すぐだ。しなければ殺す」
「待ってちょっと落ち着いて!」
御神酒とは基本的には日本酒の事である。
そもそも御神酒は神饌、つまりは神様や神棚などに供える食事のひとつだ。
神をもてなすためのもので、正月や七五三など様々な祭事の時に供えられる。特に御神酒は、いまでは清酒を供えるのが一般的だが、本来は四種類を用意する。どぶろくとも呼ばれる
しかし本来ならば、祭礼の終わりなどに「お下がり」として、人がいただくことによってご利益にあやかろうというものである。
たとえば貰ったその日に飲んだり、悪いことがあったときに飲む。直接飲まずとも料理に入れてもいい。いずれの場合にも、ご利益にあやかろうというのだから神への感謝をもって頂くのがマナーだ。
「……って事なんだけど」
瑠璃はスマホから顔をあげて、視線を向けた。
ブラッドガルドはコップに注いだ清酒をまじまじと見、香りを嗅ぎ、舌の上を転がすように味わい、眉間に皺を寄せては他人から見て機嫌がいいのか悪いのかわからない反応を見せ、もう少し確かめないとわからないという方便のもとにコップに注いでいる。
完全に神本人が飲んでいる。
そのうえ神は神でも邪神である。付け加えれば日本の神ですら無いのだが、それでも神には違いない。
「うーん。ご利益あるかなぁ」
「何がご利益だ殺すぞ」
無さそうだった。
むしろ人間は敵視している疑惑がある。
とまあ、初日からいろいろあったが、案外慣れるものである。
瑠璃も授業や付き合いの都合上、前のように決まった時間にとはいかなくなった。だが二人しかいない分、自由に通り抜けられる。鏡の扉が開いていると勝手に入ってきては、ビーズクッションに陣取り、雑誌や本に目を通す。ただやはり人間態であっても身長の高いブラッドガルドからすると狭いようで、時に冷蔵庫の小ささに文句を言いながらチョコレートを取り出していた。
それどころか、わざわざ本来の姿になって、ぐるりと部屋を取り囲むことまであった。
その日も瑠璃がキーボードを叩いてレポートの準備をしている中、ブラッドガルドはといえば、巨大な蛇の姿で部屋を占領していた。尻尾は隅のほうで時折動き、そこから壁沿いにぐるりと回って、一段上になっている廊下への入り口を塞ぎつつ、後ろにある瑠璃のベッドの上を――わざわざ布団をその長い腹で踏みつけて通り、更にもう一周したところの窓際で蛇の頭が虚ろにじっとしている。
「……狭い」
「その格好だからじゃない……?」
何故わざわざ本来の姿になるのか。
普段の人型であればいくら高身長だといっても体を伸ばせるだけの余裕はある。
そのうえ、この姿のブラッドガルドは鱗が逆立っている。布団に傷がつきそうだからやめてほしかった。それに気まぐれに触ってもヨナル達のようなぷにぷにとした感触が無いし、触ると威嚇してくる。
瑠璃は自分の膝を軽く叩いた。
「どうせだったらこっちに来て頭置いてよ。抱き枕にするから」
「殺すぞ」
絶対に膝の上には乗せないという強い信念と殺意の波動を感じた。
仕方ないので、クッションを抱いた。ヨナルを呼び出してもいいが、いまの状態だと狭いからである。
もうさっさと終わらせて、ゲームでもしたほうがいい。なにしろこれは一種の嫌がらせなのだ。瑠璃は目線をパソコンに戻して、キーボードを叩き始めた。また、カチカチという音だけが部屋の中にこだまする。時折、資料の本を開く。時計は夜の十一時を回ろうとしていた。
ブラッドガルドもしばらくじっとしていたが、不意にずるずると視界の端でブラッドガルドの長い胴体が動きはじめた。
「……腹が減った」
「んー。ちょっと待って……ここだけ終わらせたら……」
瑠璃は相変わらずパソコンを睨み付け、慣れないレポート作成に手間取っていた。ブラッドガルドは蛇の頭をもたげ、カーテンのわずかな隙間の向こうに見える夜景をなんとなしに見た。
「……」
蛇の動きが止まった。
頭の角を使って少しだけカーテンを開き、蛇眼がその向こうを捉える。そうしてしばらくじっと外を見つめたあと、おもむろに口を開いた。
「……貴様らには、ベランダから部屋に登るという文化があるのか?」
「えっ。無いけど!?」
その途端、ブラッドガルドはベランダの網戸を開けた。
「えっ?」
瑠璃が反応できずにいる間に、蛇の頭が開いた窓から出ていく。
「ちょ、ちょっとブラッドく……」
「うわああああっ!」
外から悲鳴が聞こえた。
「あああっ、ああっ! あーっ!」
男の声だ。焦ったような悲鳴はフェードアウトするように小さくなっていき、下のほうからどさっと音がした。うめき声まで聞こえてくる。
「えー!? えっ、なっ……、ちょっ、何!?」
「あの男、ベランダをよじ登っていたぞ。そういう趣味か?」
「えっ!? っていうか男の人なの!? なんで!?」
瑠璃は慌ててベランダに出る。
よく見えないが、下に落ちた男はまだ生きているらしい。どこか折れたのか、うめき声に混じって「イテぇっ!」という叫び声が響いた。
「だってここ、一応女子学生用マンションだよ!?」
「ほう」
つまり本来はいるはずの無い人間が、ベランダを伝っていた、ということになった。騒ぎを聞きつけた野次馬が集まってくる前に、ブラッドガルドはさっさと部屋の中に頭を退散させていた。
*
その騒動から二日ほど経ったある日、瑠璃はチャイムで呼び出された。
立ち話だったがしばらく戻らなかった。その日はいつもの姿でビーズクッションに座って雑誌に眼を通していたブラッドガルドも、一度ちらりと視線だけを向けた。
十分ほどして瑠璃は扉を閉めた。
「大家さんだった。あと警察の人も来た」
「何かあったか」
「ほら、この間ベランダ登ってた人」
「……。ああ……」
ブラッドガルドも一応覚えてはいたらしい。
「あの人、上の階の人の洗濯物狙ってたんだって。何回か来てたみたい」
「洗濯物?」
「下着とか。ここ女子学生用マンションだし。それで注意喚起がてらちょっとお話聞かせてくださいって」
瑠璃は手に持った「不審者に注意」のプリント用紙をひらひらと動かした。
「何の話だ。貴様は関係無いだろう」
「だって、犯人の人が言うには、ここのベランダから覗いてた死ぬほどでかい蛇に驚いて下に落ちたって。絶対に見間違いじゃないって言い張ってるから、一応そういう蛇とか飼ってないか聞きに来たんだって」
「……」
思い当たる節がある――と一応考えてくれるだけの間はあったらしい。
「それで、なんと答えたんだ。貴様は」
「どれくらいでかい蛇なんですかって聞いたら、ベランダを埋め尽くすくらいでかいやつって言われて。さすがにそんなの飼えないし、そもそも飼ってないですって答えたよ。警察の人もわかりきってて、『まあそうでしょうね』みたいな反応だったし」
別に嘘をついているわけではない。
でかい蛇はいた。それは紛れもない事実である。だが飼っているわけではない。
隣の部屋という名の鏡の向こうからやってきて、勝手にくつろいでいるだけだ。そしてそれはあまりに、他の人間が信じるに値しないだろう。実物さえ見なければ。
「……」
「なんだ」
突っ立ったままブラッドガルドを見下ろす瑠璃に、ブラッドガルドが不機嫌そうな蛇眼を向けた。
「ご利益かな……」
「ご利益ではない」
他ならぬ邪神本人が言うのだから、違うのだろう。
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