おまけ3 勇者の友達にこんにちは

 ドラゴンブレス。

 龍の吐息ともいわれ、本来はドラゴンによる吐息攻撃のことで、炎や氷、毒などを吐く。ひとたび吐き出されればあたりは一面混乱のもととなり、甚大な被害を出す。

 そんなドラゴンブレスという技だが、名前として人間の発言に応用されることがある。庶民の間でのみ使われるスラングで、大混乱の原因となり、あたり一面に被害を出すような発言に用いられる。

 いわゆる現代日本でいう、「爆弾発言」のことだ。


 その日、勇者の仲間たちであるオルギスやナンシーは、やや緊張した面持ちで時計塔城下にあるベーカー通りを歩いていた。用意された一室は、ヴァルカニアの町中にあった。入り組んだ町中にある一室は、王宮よりも他の目をそらしやすい。

 張り詰めた空気の原因は、今日会う予定の人物のせいだ。

 改めて『宵闇の魔女』――ルリと呼ばれる少女と顔合わせをするためだった。

 ハンスも今日はフードをかぶってはいるものの、少し離れたところを歩いてついてきている。221Bと書かれた家を二つ通り過ぎ、地下に続く階段を降りると、扉の前に立った。


「ここですか?」

「ああ……」


 オルギスは一度はそう答えたが、中に入るとその続きを言った。


「ここからが本番だ」


 カーペットの敷かれた通路を歩き、右手側にある一番奥の扉の前で、ひとつだけ飛び出た石壁を蹴った。ハンスは少しだけ面白そうに目を細め、シャルロットは目を白黒していた。

 四つん這いになって通路を進んだり、暖炉から出たあとに一階へ上がったり。そこにいた管理人に挨拶をしてから、更に進んだ。中盤を過ぎたあたりから、オルギスに向かって急かすような声は既に無くなった。

 いい加減どこまで続くのかと思い始めたところで、オルギスの歩みが止まった。


 その場にいた三人が全員、オルギスの顔を見る。

 中からは話し声が聞こえている。緊張感は無さそうだ。それでも息を整え、気合いを入れ直す。ナンシーが歩き出し、ドアの前に立った。ドアノブを掴む。


「リク、入るぞ――」


 ガチャリ、と扉を開ける。

 中にいた三人のうち、一人が言った。


「アンジェリカとリクはいつ結婚すんの?」


 女性陣は固まり、女神と男性陣は「あっ」と察した。

 起きなくてもいい戦争が起きようとしていた。 







「えー、まずね、ルリ。私とリクはまだ婚約してないのよ」


 アンジェリカはなんとか落ち着いてから言った。

 さっきまで、いったい何の話だ、と女性陣にリクとアンジェリカが詰め寄られるという悪夢を見た気がした。悪夢でも気がしたわけでもなく現実だったが、ひとまず瑠璃の勘違いを正す方向へとシフトされた。


「……違ったっけ?」

「まだ正式に返答してないからな……」

「なんで?」

「いや、な、なんでっていうか」


 リクは少し頭を掻いてから続ける。


「リカは王位継承者でもあるからな。もしこのまま普通に婚約して結婚するってなると、俺は自動的にドゥーラの王族の仲間入りをしちまう」

「あー。そこの話し合いができてない感じ?」

「そういうことだ。うん。そういうこと」


 そのまま何度も頷く。


「そうだな。バッセンブルグ王も、姫の一人と結婚させたがっていたし。あのあたりの姫君もまんざらじゃなさそうだ」

 と、ナンシー。

「そうですね。結婚まではわかりませんが、教会側もどこかの王になるより、教会の象徴に……と考えてはいたようですし」

 と、オルギス。その横でシャルロットも頷く。

「なんかすごいめんどくさい事になってない!?」

「マジでなんでだろうな……」

「リク。お前、どうしてこうなったのかわからねぇ顔してるが、どうもこうもねぇからな」


 ハンスは心の中でぼやいたつもりだったが、口に出ていた。リクは女神の力を借りて人々を助けた分、好意を向けられることが多い。その好意は老若男女を問わない。しかし女性陣の中には、「そういう意味」で好意を持っている人間が少なからず居る。罪作りといえばそれまでだが、本人はそれが普通だと思っているのが厄介だ。


「はー……。そうかあ。みんなリクのこと好きなんだね」


 なにかしみじみしたように感じ入る瑠璃。


「でも正直、リクが勇者としていろいろやってたことより、かつてないレベルでモテてるほうがびっくりする」

「なんでだよ!?」

「いやー、そりゃ小学校のときはバレンタインのチョコとかもらってたの覚えてるんだけど」

「それは一年とか二年までの話な」

「そうだっけ?」


 首を傾ぐ瑠璃。

 そんな姿へ、ナンシーとシャルロットが目線を向けた。もしかしてリクが子供の頃の話をしているのだろうか――そんなことを思い浮かべる。

 そこへ、アンジェリカが咳払いをひとつした。


「ところで、ちょっといいかしら。まだぜんぜん挨拶ができてないけれど」

「あ、そうか。えーっと……改めて」


 出会い頭からすごい空気になった気がするが、ひとまず本題に戻る。


「萩野瑠理です。こっちの言い方でいうと……、なんだっけ。ハギノ・ルリ?」

「それじゃ一緒だろ」

「あっ、じゃあルリ……、ルリ? あれっ、私ってルリノ・ハギだったっけ?」

「落ち着け!?」

「とにかく瑠璃です!!」


 バァンと擬音がしそうな勢いで瑠璃は言った。

 他の仲間たちは、少しあっけにとられたような目をしていた。そういえばここに来た目的は、「宵闇の魔女」と呼ばれた少女と改めて会うことだった。

 だがすぐに我に返ると,ごほんと咳払いしてから言った。


「リク様の仲間でオルギスだ。女神聖教会の聖騎士をしている」

 青年は礼儀正しく一礼をする。

「し、シャルロットです! 同じく教会で癒し手をしてます!」

 シスターや僧侶のような服装の少女は、少しうわずった声で緊張気味に。

「ナンシーだ。弓使い」

 弓を背負った女はクールに。

「ハンス。盗賊」

 フードをかぶった男は闇に紛れるように。

「そして私がアンジェリカ・フォン・ハイド・ドゥーラよ。知ってるわね」

 アンジェリカが胸を張った。


 瑠璃はひとりひとりの顔と名前をなんとか一致させてから、頷いた。


「えーっと……ごめんね。なんていうか、挨拶が遅くなって」

「いえ、そのようなことは……。いろいろありましたからね」


 確かに、いろいろなことがありすぎた。

 ブラッドガルドがあえて隠していた時期もあったし、そのブラッドガルドのせいで、本来の瑠璃とは正反対のタイプと認識していたこともあった。復活した使い魔たちが動いていたこともあった。

 リクがハンスへ視線を投げる。


「ハンスは何度か見てたんだろ」

「……いや、直接は会ってねェ。何度か確認はしたが」

「こっそり見られてたってこと!?」

「それが仕事なんでな」


 ハンスは悪びれもせずに言う。


「え~~。ぜんぜん知らなかった……」

「そりゃアンタにはブラッドガルドがべったりだろうよ。監視役もいるみたいだしな」

「えっ。そんなのいた?」

「使い魔のことよ」


 アンジェリカが瑠璃の下を指さす。テーブルに落ちていた瑠璃の腕の影から、明らかに不自然な縄のようなものが蠢いた。オルギスたちがびくりとして、緊張が走った。


「もしかして、ヨナル君のこと?」


 瑠璃はテーブルで蠢いている影を指先で撫でる。何度か撫でると、そのままとぷんとテーブルの影から蛇の頭が立ち上がった。通常サイズの大きさの蛇が、じろりとその目を勇者たちに向けた。シュウウ、と小さく音がする。そのまま瑠璃の指先から絡みつくように腕のほうへよじ登っていく。そして服の中へと消えていく――服の中に入っていったように見えるのに、衣服の乱れや盛り上がりは無かった。また影の中に入ってしまったらしい。監視役からの警告だった。妙なことはするな、という警告だ。同時に、互いに妙な事はしないという無言の協定を結んだのだ。


「あれ? せっかく出てきたのに。帰っちゃった」


 そりゃそうだろうと他の誰もが思った。


「もっかい呼び出す?」

「……それは、なんのために……?」

「せっかくだから私の友達も紹介したくて」


 ナンシーのやや警戒を向けた声に、一点の曇りもない目が答えた。


「監視役なんでしょう?」

「ううん。友達」


 あまりにはっきりと明言するものだから、どう考えていいのかわからなくなる。

 シャルロットも少し戸惑ったような、困ったような顔をした。

 反面、オルギスは、瑠璃の使い魔であるナビが、蛇のパペットをはめていた要因をなんとなく察した。あれは自分の監視役であるところのヨナルを模したものだったのか。ただ、ナビほどテンションが高いわけでもないのはホッとする。


「あの、ルリさん。少し宜しいでしょうか」

「うん。なに?」

「どうして貴女は、ブラッドガルドを助けたのですか。恐ろしくなかったと?」

「あ~。それ、前にも誰かに聞かれたような気がするけど……別に怖くなかったわけじゃなくて、ちゃんと話も通じたからなんとかなった的な……」

「話が? 本当に話が通じたんですか?」

「うん。扉通ったら魔法で言葉が通じるようになって――」


 瑠璃は言語の事を考えていたらしかった。

 だがオルギスは違った。

 はじめてブラッドガルドと対峙した時の記憶が蘇る。

 あの目。どこまでも落ちていくような深い虚無を宿した瞳の奥。ぞっとして、目をそらすところだった。あの奥には何も無いのだと思った。底なしの虚無が続いているだけだと。何を考えているのさえわからない。強大な力を持つがゆえに、ねじ曲がった。

 言葉は通じるが、話の通じない。すべてを破壊し、奪い尽くすだけの魔人。


 けれども、調査団として迷宮に入り、復活に立ち会った時のブラッドガルドは違った。

 問いかけ、笑い、そしてそれまでは考えられなかったような手を使った。その目に虚無を宿しながら、ひとつひとつ何かを試すようだった。新しく手に入れたものをどう使うのか。あれは目の前の少女と出会うことで獲得したものだったのか。ずいぶんと楽しんでいたようだが、それが極限まで弱らされてようやく手に入れたものだったとするならば――やはり強大な力を持つがゆえに、ねじ曲がってしまっていたのだ。


「それに、下手に放置したら隣の部屋にわけのわからない男の死体ができてた身にもなって?」

「そ、それは……、すみません……」


 それは誰だって嫌だ。

 本当に部屋の横に出現したんだな、とハンスが小さくこぼした。

 そのようです、とシャルロットが頷いた。

 きっと死体は残らなかったはずだが、瑠璃にそんなことがわかるはずもない。


 流れを変えるように、シャルロットが口を開いた。


「そ、そういえば、ルリさんはリクのお知り合いなんですよね!? どういう関係なんですか?」


 相手の事を知ろうというのは普通だ。


「あ、言ってなかったっけ。私とリクは幼馴染みだよ」

「へえー……。……えっ!!?!?」

「え!?」

「えっ」

「……これは」

「やべぇな」

「何が!?」


 わからないのはリクと瑠璃だけだった。

 「幼馴染みと結婚する」というのは、この世界ではよくあることだ。特に小さな村で適齢期の男女が結婚するとなると、自動的にそういうことになるからだ。

 終わったはずの騒動に、またドラゴンブレスが吹きかけられた。







 怒濤の「面会」なのか「友達の紹介」なのかわからない会合が終わったあと、瑠璃はアンジェリカに付き添われてカインの城まで戻っていた。


「そういえば結局、アンジェリカとリクは結婚しないんだね」

「そうよ。私が勝手に宣言しただけ」


 結局のところ、まだそこから関係は動いていない。


「でも友達の結婚式とか見てみたいなー」

「ルリのところは、どういう結婚式なの?」

「うーん。国とか地域でも違うけど、私の国だと基本的には親とかお世話になった人とかいっぱい呼んで、神様の前で将来を誓いあうって感じかな。披露宴で食事をしながら『はじめての共同作業』って事でケーキ切ったり。最近だと同じゲームとか漫画が好きな人たちが、モチーフにしたり。ドレスも着るし、なんだかんだいって憧れって子は多いんじゃないかな?」


 ふうん、とアンジェリカはまだ見ぬ現代日本の結婚式を思い浮かべる。

 神の前で将来を誓い合うのはわかるが、はじめての共同作業というのがよくわからない。ケーキを切るのが共同作業とは。


「でも、こっちでリクが結婚したら大変なことになりそうだよね。規模が」

「……そうね。私が相手じゃなくても。きっと大変なことになるわ」


 相手が王族でなくとも、リクだったら国をあげての結婚式でもいいだろう。


「ねえ。アンジェリカはリクのこと、好きなの?」

「好きよ」


 間髪入れずにかえってきた答えに、瑠璃のほうが目を瞬かせた。


「そっかあ」

「……アンタはどうなの。まだリクのこと……」

「うーん。どうだろ。まだ目が離せなさそうなのがいるしなあ」

「魔女と勇者が結婚することで、本当の意味で神々の和解……という考えもありそうね」

「あるかなあ、そんなの!?」


 無くはない。それを提唱する人物がいるかは別として。

 だがそうなったら。


 ――どうなるのかしらね。


 ブラッドガルドは、自分の玩具の末路など気にしないのだろうか。相手が勇者だからこそ、気に入らないとすべてをぶち壊しにするのか。アンジェリカはちらりと瑠璃の影に視線を落とした。影の中を泳いでいるはずの使い魔は沈黙を貫いている。


「そうね。他のライバルから一歩抜きん出るためにも、リクの幼馴染みとは仲良くしておきたいわね」

「私?」

「そうよ。ルリだったら私達の知らないリクの事も知ってるでしょ。生まれ育った町とか」

「そりゃ知ってるけど。あっ、なんなら一度こっち来る!? 行こうよ! もういっそデートでもしてきなよ。ダブルデートでもいいよ! 私も行くから!」

「ダブルデート?」

「二組の四人でデートするやつ」

「それ、私はいいけどアンタはどうするの」

「えっ……誰だろ……。オルギスさんとか……?」

「そこはアンタはブラッドガルドでしょ!?」

「ブラッド君なんかと行ったら常に捕まえてないと大変じゃん!? あっ、それよりヨナル君がいた! ヨナル君!」

「そこで使い魔を選ぶくらいだったら、ブラッドガルドにしなさい!?」


 せめて人型になるものを選んでもらいたい。


「それにあいつは意外に、アンタのことを気に入ってるのよ」


 アンジェリカは伸びでもするように空を見た。

 空には夜の帳が落ち始め、宵闇の一番星が輝きはじめていた。

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