おまけ2 新天地は冒険と休息に最適である

 原初の女神が倒れ、すべては泥に還った。

 一カ所に集められた原初の泥は、幸か不幸かシバルバーを満たした。

 魔女が泥のそばに降り立つと、泥を導いた張本人が現れた。

 魔女はブラッドガルドも含めた神々のために、療養の地を作ろうと言った。戦いで疲れた神々のために、温かな泉で心も体も癒せる場所を作ろうと。

 だが他ならぬブラッドガルドはそれに反対した。この泥は迷宮の力を取り込んでいる。だからこの泥は、この世で最も邪悪な迷宮の素材になるべきだと主張した。

 争いにこそ発展はしなかったが、その結果、二人の願いは互いに泥の中で混ざり合い、噴出した――。


 これが、勇者によって語られた事である。

 王たちはその顛末を信じた。信じるしかなかった。なにしろ裏側の大地に火の山が出来たのは本当で、更に周辺の群島には恐ろしいほどの魔力が渦巻いていたのが報告されているのだから。


 リクが頭をひねってこねくりまわして絞りかすになるまで考えて、考えて、考えて、考え出した、他の国王たちへの報告だ。

 アンジェリカはその様子を思い出しながら、ぼんやりと思った。


 ――大体あってるのが怖いわね……。


 二人の会話を拡大解釈すればこうなるのね、と納得すらしてしまった。


「は~~……」


 思わず出たため息は、恍惚の声にも似ていた。

 彼女のため息は湯煙をくるりと吹き飛ばす。

 石造りの温泉の向こう側では、どこまでも続く青い海と空が見えている。ざぁん、と小さく聞こえる波の音。海の音がこれほどまでに心癒す音だとは知らなかった。アンジェリカは島国の出身とはいえ、ほとんどを城の中で過ごした。船で旅をした時も、ほとんどが部屋の中だ。だから知っていることといえば、海の男たちが穏やかな海を母親に例えることだけ。いまそれを、話ではなく確かな実体験としてそう感じた。

 ただ現状、彼女がいる場所は海の中ではなく――温泉だ。


「これはもう……楽園……」


 ほんの少しとろみさえ感じる湯が、疲弊した五臓六腑に染みわたる。頬を撫でるのは爽やかな風。周囲を隠す木々が、さわさわと耳に心地良い音を残す。色鮮やかな鳥がヒョーウ、とか、クックー、クックー、とか鳴き声をあげる。三角形の茅葺きの屋根に囲まれた木造の脱衣場は、それだけで趣がある。どこか異国的な空気が、この場を作り上げている。


「ナイトメア・タウンを思い出すわね……」

「確かに、あそこの宿の湯浴み場もこんな感じだった」


 同じ温泉に入っている女性冒険者の声がする。


 裏の大地、新天地、新大陸、迷宮島。

 いまだに冒険者の中では好き勝手に呼ぶ者が多い。

 だがある種の冒険者は、「火山」の麓にある休息地が魔女の提案によって作られたものだと知ると、絶対に「それ」があると確信していた。


 巨大な湯浴み場。

 それこそが神々の療養地である「温泉」の正体であると、冒険者たちは推理していた。

 それしかないとさえ思っていた。

 だいたい、温かな泉なのだからそうとしか考えられなかった。


 だが想像と違ったのは、湯は温められたものではなく、マグマ噴き出す、まさしく「火の山」で温められた泉だった。ナイトメア・タウンのそれよりも広く、周囲に広がる景色には椰子の木やマングローブのような木々が生い茂っている。それどころか何らかの成分が体に影響を及ぼすらしく、痛みや傷の治りも早くなるという。まさに神々のための湯浴み場に相応しい。

 しかもそんな湯浴み場が、泊まる部屋によっては個別に存在しているというのだから、驚く他ない。


「それにしても、これはまずいわね……。他の貴族達には、危険地帯であることをきっちり広めないと……」


 真面目な顔で言うアンジェリカに、ナンシーは「おまえは石鹸目当てだろ」という目をした。

 どうやらナイトメア・タウンにもあった質のいい「向こうの世界」の石鹸は、この火山の麓にある町――「リゾート・タウン」にも存在していた。


「でも、すぐに効くというわけではないんですね」


 シャルロッテが首を傾いだ。

 それこそ回復魔法のようにすぐに効果が現れるのではないか――当初はそんな予想さえあった。結果的にはそれは間違いで、薬草浴のようなものだとすぐにわかったが。だが時間はかかるが、回復魔法よりもじっくりと浸透できるのならば体に負荷もかかりにくい。


「ええ。でも『黄金盾』の事務担当が、腰痛が改善したって喜んでたらしいわ」

「なるほどなぁ」


 そこまで待った甲斐はあるかもな、とナンシーは続けた。

 アンジェリカもそれに同意する。

 なにしろマグマが噴出し、魔力の噴出がおさまるまでに一ヶ月がかかったのだ。

 瑠璃どころか、ブラッドガルドや他の神々でさえ立ち入ることが難しかった。それでもセラフやリクが定期的に空から調査をした結果、どうやら本当に温泉施設のようなものがある、と報告が入った。だがそのうちに、瑠璃はしばらく来ることができなくなってしまった。大学受験が差し迫っていたのだ。

 よせばいいのに瑠璃を挑発したブラッドガルドへ、「ずるい!!!」という瑠璃の猛抗議が入った。最初こそ偉そうに対応してはいたが、あまりにうるさいので途中から完全に諦めの境地に入り、右から左に受け流すのに専念した。最終的に瑠璃の八つ当たりがリクにまで及ぶと、嬉々として乗っかっていたが。


 立ち入れない間にも、ギルドで迷宮の調査をどうするかが話し合われた。リクたち勇者パーティを含めた精鋭パーティがいくつか選ばれ、二ヶ月後になってようやく魔力嵐がおさまった頃に船が出た。


 リクいわく、上から見た印象は確かにバリ島や海上コテージの並ぶリゾートのようなものだと言っていた。バリ島と言われてもわからなかったが、あくまで「瑠璃の中にあるイメージ」に過ぎないらしい。アンジェリカたちにとっては異界という意味では同じだ。それ以上に大きく「瑠璃ナイズ」されているとは容易に想像できた。特に問題は無い。


 火山のふもとに並んだその建物群は、石造りの温泉が整備された町であり、宿のようなものだった。

 だがその周辺の地域には、数多くのダンジョン――否、もはやそれぞれひとつひとつが迷宮と呼ぶに相応しい危険地帯が乱立することになった。それこそマグマ吹き出る洞窟から、鬱蒼と茂るジャングル、死の気配が蔓延る島――あまりに空気の違いすぎる迷宮群。

 明らかに瑠璃の「温泉行きたい!」と、ブラッドガルドの「凶悪な迷宮を作れ」が混ざった結果だ。

 それは獲物を誘い込む甘い罠なのだろうか。


 アンジェリカたちは温泉からあがって着替えをすませると、人がちらほらといる方へと足を向けた。


「いらっしゃい」


 コテージと同じ、茅葺き屋根の巨大な傘の下。半円形のカウンターの中でグラスを拭いていたのは、狐のような白いお面をかぶった魔法生物だった。彼らが、この島における中立的な魔法生物だった。見た目はホビットに似ているが、中には亜人のような体を持つ者もいる。ただ彼らはいろいろなお面を付けていることだけが共通している。


「どうも。オススメは?」

「絞りたての果物ジュースなら何でも。ブラッドオレンジにレモン、それからライチ。グレープ。ピンクグレープフルーツ。混ぜ合わせるのでも、単体でも、何でも」

「そう。それじゃその、ピンクグレープフルーツってやつを」

「ふ、普通のオレンジをお願いします!」


 二人の横でナンシーは少し考えてから問いかけた。


「好きなブレンドはある?」

「ライチとグレープフルーツが好きだね」

「じゃあそれを」

「了解」


 一人だけあっさりとマイペースに頼んだナンシーに、二人は目を剥いた。

 絞り器にかけられた果物が次々に音を立てていくと、コップになみなみとジュースが注がれた。


 それぞれ注文通りのジュースを持って、空いているパラソルの下へと入った。

 先客の冒険者たちも、もはや毒だの何だの気にしていなかった。


 アンジェリカがピンクグレープフルーツのジュースに口をつける。爽やかで甘酸っぱい香りが口の中に広がった。冷たいジュースが、温泉で温まり、渇いた体の中に広がっていくのがわかる。


「くううっ……!」


 美味しい。

 美味しかった。

 これほど美味しいものがこの世にあったのかと思うほどに。

 単なる果物を搾ったジュースが、これほどまでに美味しく感じるなんて。

 渇きが癒された瞬間だ。


「オレンジも美味しいですよ!」

「……んむ」

「ナンシーさんのそれと、ちょっと交換しません?」

「いいぞ」


 二人の声が少し遠く感じる。


 ――ああ、そっか。こういうことだったのかも。


 渇いた心に染みこんだものは、さぞ甘かったに違いない。誰のこととは言わないが、アンジェリカは二人の後ろ姿を思い出して少し笑った。自分よりも背が高く、威圧感を放つ魔人に臆することなく、腕を掴んで引っ張っていく。魔人はそれをいやいやながらついていく。少し前なら考えられなかったことだ。

 沈みかけた太陽が、海をオレンジ色に染めている。


「……めちゃくちゃいい気分ね……」

「そうですね……」

「そうだな……」


 もう少しだけこの空間で、調査という名のバカンスを楽しんでいたかった。







 一方――。

 暗い洞窟の中で、男が苦悶の声をあげた。


「ぐううっ!」


 男は、巨大なハサミを剣で受け止めていた。

 巨大なハサミは小さなランタンの明かりに照らされ、青く浮かび上がっていた。鋭い棘のある外皮は硬く、剣では受け止めきれない。じり、と足下が滑りそうになる。


「くそっ、こいつ、堅いぞ!」


 他の冒険者が怪物の背中に剣をたたき付けながら毒付いた。

 冒険者を襲っているのは巨大な化け蟹だった。青色の甲羅に包まれていて、口からはぶくぶくと泡が出続けている。その泡に足が包まれると、酸にかかったように痛みが走った。は眉間に皺を寄せ、苦しげに応戦するしかなかった。


「ガイン、頼むっ!」


 リクの声が響いた。


「おうっ、言われなくてもっ!」


 そこへ、化け蟹の背後に回った鎧の大男が、軽々と巨大なメイスを振り下ろした。大きく膨れ上がった先端に棘があしらわれた打撃特化型の武器だ。それが、化け蟹の背中に一気にたたき付けられた。


「どおりゃああっ!」


 更に一発。

 力強いもう一発。

 大男渾身の三度目の衝撃で、ようやく化け蟹の甲羅が凹んだ。大男はとどめとばかりに、甲羅の凹んだ部分めがけてメイスを一気に振り下ろした。四度目の衝撃で、甲羅が壊れた。メイスが中に突っ込まれ、中身がぐちゃっと音を立てる。きぃきぃと甲高い声がした。化け蟹が後ろを向こうとした。その一瞬の隙を見逃さず、剣士が蟹のハサミから剣を抜き取った。


「お前の餌はこっちだっ!」


 リクの声とともに、練り上がった魔力が形となって化け蟹の顔面へと届いた。他の冒険者たちも、化け蟹の意識を逸らすように、堅い外皮へと剣戟を加える。ぎろりと真っ黒い目が再び剣士を見た。

 背後の大男がメイスを引き抜く時間を作り、更にもう一度衝撃を与える時間を作った。


「おおおおっ!」


 雄叫びとともに、更なる衝撃を背中に与える。何度目かの殴打で、化け蟹の体が耐えきれないように地面にひれ伏した。


「いまだっ!」


 きぃぃぃ――という甲高い声を聞きながら、リクはその背中に魔力の塊をたたき込んだ。同時に、男のメイスが背中へとたたき込まれる。二つの威力を一気に喰らった青色の化け蟹は、びくんと全身を跳ねさせたあとに動かなくなった。

 それでようやく終わりになった。


 何度か死んだ事を確かめたあと、その場にいた冒険者たちは、ふう、とため息を吐いた。


「まったく……、なんて迷宮だ。どこもかしこも敵だらけ。ブラッドガルドめ、余計なことをしてくれやがって」

「こんなのがあと幾つもあるんだろ? 命がいくつあっても足りねぇ」

「離れ小島のほうは船が無いと無理だしなあ」


 それぞれ武器をおさめ、報告書用に化け蟹の甲羅を採取しながら愚痴を垂れる。


「ほんともう、魔女のイメージだけで良かった……。温泉行きたい……」

「マジで本当はどういう関係なんだよ」


 冒険者の一人が尋ねるようにリクを見た。

 マジでなんなんだろうな、という純粋な疑問が浮かんだが、リクは流した。

 友達、と瑠璃は一言でまとめるし、ブラッドガルドは奴隷だの下等な人間だのあいかわらずこき下ろしている。

 それはあの泥の中から帰ってきても変わらなかった。

 だからきっと、そういう関係なんだろう。

 だいたい、あれだけこき下ろしておきながら、使い魔たちは瑠璃を悪く思ってはいないようだ。むしろむちゃくちゃな主の尻拭いに奔走している感すらある。せめてもう少し、本人が大事にしてもらいたいところだ。

 結局、リクは肩を竦めるしかなかった。


「さあ。あの二人はもう、実際に見ないと理解できないと思う」

「は~~。なんだそりゃ」

「なんだっていいよおお。はああ……。早く帰って温泉行きてぇ……」


 死んだような目で呟く冒険者の愚痴で、リクは現状を思いだした。


「ところでここ、魔女が作ったんならどこかに依頼受けられるところありそうだよな」

「絶対ある……」

「後で休息組に聞こうぜ」


 そこへ、ぱちゃぱちゃと数人が走ってくる音が聞こえた。一瞬、全員の耳がそちらを向く。


「リク! こちらで戦闘の音が聞こえましたが、大丈……うわっ!」


 別働隊であったオルギスが、化け蟹を見て思わず悲鳴をあげた。

 冒険者たちは満足げに、うっすらと笑みを浮かべたのであった。


 こうして少しずつ、報告書はできあがっていった。

 迷宮はとにかくヤバい。

 温泉はいい。

 それに終始していた。

 報告を聞いたギルド長が頭痛と胃痛でぶっ倒れたと、風の噂で流れた。

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