おまけ1 邪神の使い魔

 地表に噴き上がったマグマは海に流れ落ち、冷やされ、勢力を伸ばしていった。

 煙はいつまでたっても立ち上っていて、終わったかと思えば再び爆発して、次第に火山を中心とした島の形を作っていっていた。近辺からも小さな爆発が起き、もはや群島になりかけている。

 チェルシィリアはその光景だけは届けてくれていた。目を回しているらしいセラフに、ちゃんと飛びなさいときっぱり言うこともあった。とはいえなかなか無理のある光景だ。


「……それにしても、なんて光景だ……」


 アズラーンは食い入るようにその景色を見ていた。


「不思議だ……。僕の介入なしに島が出来ていくなんて」


 リクは呟くようなその言葉を聞いて、少しだけ目を見開いた。この世界は神々が生み出したものだ。だからこそ、神の介在しない変化というのがはじめて訪れた瞬間なのかもしれない。たとえその先に誰かのイメージや願望があったのだとしても。


「とはいえ、この火山って大地だから僕の領地って事でいいのかなあ……」

「……そういうのってやっぱりあるのか?」

「そりゃあるよ」

「おい」


 リクのものでもアズラーンのものでもない、地獄から響き渡るような声がした。当然アンジェリカのものでもなければ、他の誰のものでもなかった。

 一瞬の間があり、ずるっと地面に突然広がった影から、ずるずると人影がせり上がってきた。


「あれは我のものだ。我の迷宮を食って出来たのだからな」


 いつも通りの、やや不機嫌そうな顔で、ブラッドガルドは言った。

 リクもアズラーンも、一瞬呆けたようにその姿を見返す


「ブラッドガルド!!?!?」

「うるさい。土に還れ」

「アー!! ブラッドガルドだ!! ちょっと話を聞くようになった最近のブラッドガルドだ!!!」

「いまのどこで判断したんだよ」


 さすがにリクからツッコミが入る。


「えっ、きみ、元に戻っ……、いやどうやって還ってきたんだ!」

「土に還れ殺すぞ」

「いやそれはもういいから!!」


 原初の泥に飲み込まれては、もう戻ってくるのは絶望的だった。それなのに、何事も無かったかのように出てきては驚きもする。


「……って、ちょっと待てブラッドガルド! お前がいるってことは、瑠――」

「ルリはどうしたのよ!!?」


 アンジェリカが横から声を張り上げた。

 

「はっ。知らぬ。あんなものは捨て置――」


 言葉の途中で、ブラッドガルドが出てきた影から何かの塊が飛び出してきた。背中めがけてアタックをかける。ちょうど人がすっぽり入るくらいの塊だった。ごろんと地面に転がる。邪魔されたブラッドガルドは、その塊に視線を落として、眉間に皺を寄せた。あからさまな舌打ちをする。すぐに視線を外すと、アズラーンのほうへと詰め寄る。

 反対に、二人は出てきた黒い塊へと目線を向けた。次第にそれがたくさんの蛇が絡まり合ったものへと変わっていく。しゅるしゅると身を動かすと、瑠璃の上半身が出てきた。ぶはっ、と息を吐く。


「ルリ!」

「瑠璃! 無事か!?」

「あ、二人とも! ただいま!」


 瑠璃がにこやかに手を振ると、二人は安堵の息を吐いた。だが影蛇たちは少しずつ上半身から離れていき、解放していく。ようやく瑠璃は体勢を立て直したが、まだ離れない影蛇たちが絡まり、巨大な蛇の塊の椅子に座るような格好になった。


「いろいろと聞きたいことはあるんだけど……。まずこれはどういう状況なの……」

「わかんない。なんか離してくれなくて」

「なんかこういう拷問がどこかにあった気がするな……」


 大量の毒蛇の入ったプールの中に投げ入れられるという拷問を思い出す。

 とはいえ瑠璃は投げ入れられたわけでも拷問を受けているわけでもないのだが。影蛇たちはずっと瑠璃の周囲を占領し、じっと動かなかったり、そわそわと周囲を蠢いているものもいる。


「は~……でも、良かった」


 アンジェリカは何か一つ片付いたような、肩の荷が下りたような、そんな顔をした。


「おまえ、考え無しに行くなよな」

「あはは、ごめんね陸。アンジェリカの魔法がすごく役に立ったよ! ありがとう!」

「そう。……そうね。そりゃあ私の魔法ですものね」


 アンジェリカに普段の調子が戻ったのを確認してから、リクは口を開いた。


「お互い聞きたい事もいろいろあるだろうけど、まずは体を休めたいよなぁ。それにしても、ブラッドガルドもどうやって呼び戻したんだ?」

「三つ編み引っ張ったら釣れたよ」

「それは端折りすぎだろ!?」

「それは端折りすぎでしょ」


 さすがに端折っているのはわかる。


「えっ、そう!? でもだいたいその通りだし……」

「まあとにかく、お前もつかれてるだろ。どこか休めるところがあれば……」

『それでしたら、こちらで用意しますよ』

「カイン君!」


 そう言ってくれたのはカインだった。

 時計塔城も被害を受けたものの、まだ部屋はたくさんある。いざという時にも地下通路や逃げるための場所があるし、落ち着いて話ができる環境くらいはあった。それに、どちらにせよヴァルカニアは一番適任の場所だった。

 リクもすぐに同意したので、瑠璃はそのままヴァルカニアに向かった。アズラーンと怪獣大戦争一歩手前になっているブラッドガルドをプリンで釣り、ようやく休戦と相成った。







 翌日。

 話す気のまったくないブラッドガルドはさておいて、瑠璃とリク、そしてアンジェリカの三人で話のすりあわせを行った。その結果、シバルバーに溜まった原初の泥が、マグマになって地表に噴き出した、というところまでは一致した。


「なるほどなあ。もともと火山はこの世界に存在してなかったみたいだけど」

「そうね。溶岩やマグマの洞窟みたいなものはあるけど、それがあんな爆発を起こすなんてのは知らなかったわ」


 そもそもこの世界に火山が存在しなかったのは、ブラッドガルドのせいでもある。

 アズラーンが大地を、チェルシィリアが海を、そしてセラフが空になったのであれば。本来、ブラッドガルドは地下の炎――すなわちマグマになるはずだったのだ。そうして世界は作られるはずだった。地球のように。

 だが、そうならなかった。

 それはブラッドガルドの傲慢さ故に。

 火の龍の権能は剥ぎ取られ、この世界は平面となって、大地と海を基点に重力が逆に存在するように作られた。

 だからこの世界には、隆起した山や、残り火であるマグマ溢れる洞窟はあっても、火山は無かった。少なくとも地下から吹き上げてくる噴火という現象は存在しなかったのだ。


「しかし、まさか瑠璃の『温泉』っていう一言で火山が出来るとは……」

「あはは……」

「ってことは、あの火山にはその……オンセンっていう天然のお風呂があるってこと?」

「かもな。ただ、ブラッドガルドがやたら最悪難易度の死にゲーを思い浮かばせようとしてたってことは、周辺にヤバい迷宮が出来ててもおかしくないな」


 様子を見ようにも、まだ魔力が安定してなくて近寄れないし、と付け加える。


「まさか新大陸にあれほどの迷宮ができるなんてね。暗黒大陸、だなんて言ってる人までいるくらいだし」

「マドラスの海賊たちの士気は落ちてないみたいだけどな」

「ええ。それに、もしオンセンが以前のナイトメア・タウンのようになってるなら、補給ができる場所って事でもあるでしょ」


 瑠璃は二人の会話を、指先の影蛇を撫でながら聞いていた。小指よりも細いような個体は、すやすやと気持ちよさげに指先に絡みついていた。いま、ついているのは数匹にまで減っていた。どうやら寝ている間に、大半の蛇たちはブラッドガルドのもとに帰還したらしい。

 だが、瑠璃にはどうしても気になることがあった。

 これほど影蛇たちによってたかって絡みつかれているのに、一匹だけ姿を現していないものがいる。


 瑠璃が話に入っていないのに気がついたのか、アンジェリカが声をあげた。


「……何か他に気になることでもあるの?」

「えっ!? 大丈夫、なんでもないよ」

「そう? ……大丈夫ならいいんだけど」

「どうかしたのか?」


 リクも昨日の状態を見ているからか、瑠璃のそばに蛇が数匹いようが既に気にしなくなっていた。


「うーん。たいしたことじゃないよ。ただ、ヨナル君が出てきてくれないなあって思って」

「ヨナルって……確かルリについてる使い魔よね、ブラッドガルドの」

「名前持ちのやつか」

「そうそう。シバルバーに置いてかれそうになった時に真っ先に回収してくれたんだけど」

「うん。……うん?」


 いま非常に聞き捨てならないことをさらりと言われたような気がするが、ひとまず話が進まないので後にした。


「それからどういうわけか出てきてくれないんだよね」

「魔力不足……ってことはないわよね。近くに主もいることだし」


 アンジェリカは首をかしげる。


「見間違えてるわけじゃないなら、少なくともブラッドガルドと一緒に復活はしてそうだしな。居ることは居るんだろ?」

「うん」

「それなら、そのうち出てくるんじゃないか。どうせ監視役とかなら、他にやることもあるんだろうし」

「影の中に入ってるなら、影に向かって呼びかけてみるのも手だと思うけど」

「なるほどぉ……」


 瑠璃は頷いた。

 それからしばらくすりあわせは続いた。受験もあるためできるだけ早く家に帰るという話や、リクの仲間達に会うという話。そしてアンジェリカが石鹸を要望し、リクに呆れた目で見られるところまで。昼の休憩を挟んでもしばらく話は続いた。


 それから自分にあてがわれた部屋に戻ると、もう夕暮れにさしかかっていた。

 カーテンの隙間から入る光が、影を濃くしている気がした。


 さっそく影に向かって話しかける。


「ヨナル君。よーなーるーくーん?」


 他の影蛇たちも一緒に影の中を見ていた。だから、瑠璃の中にいることは確実だと思う。


「ここにいるんだよね?」


 もう一度確認をする。

 他の影蛇たちに確認しても、彼らはこくこくと頭を上下に振る。ならば、やはりここにいるのだ。


「もしかして、何か怒ってる?」


 出てこない理由があるとしたら、たぶんそれくらいじゃないかと思ったのだ。

 他の影蛇たちは互いに顔を見合わせ、ため息をつくように瑠璃を見た。たぶん違うということだろう。だが瑠璃は気がつかないまま、相変わらず影に向かって話しかける。


「それともあとは……なんだろう。なんかある?」


 しまいには他の影蛇たちに意見を求めた。

 それでも明確な理由がわからない。


「ヨナル君。ほら、リボンもあるんだよ。付けてあげるから出ておいでよ。あっ、それともリボンが駄目!?」


 それでも影の中からはまったく気配がしない。


「うーん……」


 瑠璃が困ったように唸っていると、不意にずるっと影が動いた。

 お、と見ていると、水面のように揺らめいた影から、おずおずと一匹の影蛇が姿を現した。ちょうどアオダイショウくらいの大きさで、なんだか後ろめたそうに瑠璃を見上げていた。


「ヨナル君!」


 にこっと笑う瑠璃。

 ヨナルは半分ほど影から頭を出したまま、しばらくゆらゆらと見つめ合っていた。


「良かった、あんまり出てこないから心配したんだよ~。ほら、リボン付けようと思って。あっ、ちゃんと洗ったけど、これじゃ嫌だったら……」


 ヨナルはぶんぶんと頭を左右に振った。それから身を伸ばし、瑠璃の手首に付けられたお菓子のリボンに頭をすり寄せた。


「ん? これでいいの?」


 頭が上下に動き、頷くように見える。

 そっかあ、と瑠璃が笑う。

 そのとき、ヨナルの目から、ぼろ、と魔力の欠片がこぼれおちた。

 水滴状のそれは両の目から次から次へとこぼれおち、地面に落ちてただの魔力になって消えていく。


「えっ。……えっ!?」


 瑠璃には泣いているようにしか見えなかった。

 頭を垂れた様子からも、ますます泣いているようにしか見えない。


「ど、どうしたの。なんかあった?」


 長い胴体に手を沿わせ、影の中からヨナルを取り出す。

 ベッドに座り、一旦膝の上に乗せると、その体が縮こまった。

 それでも目からぼろぼろと魔力の欠片をこぼす――泣き続けるヨナルの頭をぷにぷにと撫でる。ようやくその目が僅かに光を帯びるくらいになった頃、その頭が、頭を撫でる手にすり寄った。そこから腕をゆっくりと登り始める。普段とはうってかわって、本当にゆっくりと登っていた。


「ごめんね。ヨナル君がいま、なに考えてるのかわかんなくて……」


 意思疎通はできるものの、完璧ではない。

 ヨナルには明確な意思があると理解は出来ても、いま何を考えているのかまではわからない。それに、きっといま「ああじゃないか、こうじゃないか」と聞いてみても、果たして答えを言ってくれるのかわからない。そもそも相手はあのブラッドガルドの使い魔だ。

 少し困ったようにヨナルを撫でる瑠璃を見て、ヨナルもまた困ったように頭を垂れた。


 周りにいた影蛇たちが互いの顔を見合わせ、瑠璃からするすると離れた。

 そして足下に集うと、その体をくねらせ、ある形になっていく。


「蛇文字始まった!?」


 こちらの世界で見たような文字に次々と体をくねらせ、時に他の個体と重なりながら文字を作っていく影蛇たち。どうやらヨナルの意思はみんなわかっているらしい。それを一文字ずつ伝えてきているようだった。ヨナルが他の影蛇たちに口を開いて威嚇する。どうやらあまりいまの心境を伝えられたくないらしい。他の影蛇たちはどこ吹く風で、あらぬ方向を見て素知らぬ顔をしていた。


「あと、ごめんヨナル君……たぶん蛇文字でも私、こっちの文字は理解できない……」


 瑠璃が言うと、ヨナルはきょとんとした顔で向き直った。

 そうだった――というように、がっくりと頭を下に向ける。なんだか盛大に疲れたように、少しだけ瑠璃にも威嚇し、その指先に噛みついた。軽く牙を立てるくらいの甘噛みだった。


「あいたた」


 小さく悲鳴をあげつつも、拗ねたように見えるところは主そっくりだなあ、となんとなく思う。

 この使い魔が何を考えているかはわからなかったが、とにかく何かを気にしていて、それで出てこなかったのだというのはわかった。


「ヨナル君が何を気にしてたのかは知らないけどさ。私はたぶん気にしないよ。ブラッド君と一緒に、ヨナル君も戻ってきてくれて、うれしい」


 頭を撫でながら笑った。

 また、ぼろぼろとヨナルの目から大粒の魔力の水滴が落ちていった。その身を伸ばして瑠璃の腕から首元へと回り込む。足下に降りていた影蛇たちもベッドの上に戻り、膝の上でとぐろを巻いたり、腕に巻き付いたりした。瑠璃はしばらく心地良い重みを感じながら、ヨナルの気が済むまでじっとしていた。部屋には既に赤い夕暮れが迫っていた。


 ちなみにその後、大勢の涙目のカメラアイに体中くっつかれ、目玉お化けになっているところをアンジェリカに悲鳴をあげられたのは別の話である。

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