83-7話 奪うは世界

 土の牙が下から体を貫き、その巨体を大地と固定させる。

 光の刃が上から落ちていくと、固定された背を幾つも貫いた。


 牙を喰らい、刃を振り落としたところから巨体は再生していった。


 再生が完全でないうちに、その顎の中を闇の塊が覆い尽くし、内側から溶かしていく。

 顎が固定されているうちに、何もかも暴き出すような強烈な光が閉じかけた傷口ごと焼いていき、その背に穴を開けた。

 だが、しゅうしゅうとたちのぼった煙の中から現れた巨大な女は、傷跡が一気に修復されていった。先ほどまでの傷跡など存在しなかったようにぎろりと四柱を見上げる。わずかに開いた口から遠吠えのような咆哮が向けられた。四柱はその視線と咆哮とを一気に受け止めると、衝撃波に耐えるようにわずかに眉間に皺を寄せ、すぐさま散った。手は緩めず、すぐに次の攻撃体勢に入る。


 結界の中からでも、空が一瞬、稲光のように輝いては消えるのが見えていた。それが何度も繰り返される。たとえナビの映像を見ていなくても、繋がった暗い空に何度も光が走るのを見れば、何が起きているかは一目瞭然だった。

 大地が再び抉れ、その腹の中に消えていく。

 もはやどれほどの犠牲が出たのか考えたくもなかった。逃げ遅れた者たちをすべて救うなどと、傲慢も良いところだった。下ではリクが奔走し、できるだけ被害が無いように剣と魔力を振り回している。それでも、足りなかった。落ちてきた肉片はすぐに泥と化し、周囲を飲み込んで巨大な沼地になっていく。原初の泥だ。この世界にあるものは、飲み込まれればたちまちその姿を失ってしまう。泥は結界に守られたヴァルカニアやバッセンブルグの周囲にまで浸食しはじめ、世界は沼に還り始めた。


 ナビの画面を見ている者たちは、何もできないことに歯がゆさを感じ始めていた。


「いけえっ!」

「やっちまえ!」


 声をあげる者、ハラハラと見守る者、ただひたすらに祈りを捧げる者――。

 そして魔術の使える者は結界を維持する場所へと走り、仲間に加わった。力の無いものはひたすらにその小さな魔力を捧げた者もいた。

 誰もがこの戦の終結を望んでいた。


 ブラッドガルドが下を見ながら力を込めると、顎からばきばきと音がした。口が広がっていく。空中で何かをこじ開けるような仕草をすると、それに合わせて巨大な女の口がむりやりにこじ開けられていった。

「ぐっ……が、ああああっ」

 叫びとともに指先に力が込められる。周囲に魔力を纏い、髪が広がる。

 拮抗し閉じようとする顎に、土の牙が二本入り込んだ。巨大な女の歯を破壊しながら、更に二本。女の口がそれ以上閉まらなくなったところで、べりべりと音がした。ブラッドガルドが震える両手を勢いよく引き剥がす。その瞬間、巨大な女の伸びた上顎が引き剥がされ、そのままちぎれた。破れた上顎が上空を舞う。そのまま教会の結界に向かって落ちていくのを、小さな光がひとつすっ飛んでいって二つに裂いた。悲鳴が安堵に変わった。リクが二つに切り裂いたのだ。二つに分かれた上顎は、崩壊して泥のような姿になった、地面に落ちていった。

 氷の刃と強烈な光が、同時に引きちぎられた口の下顎へと向かう。下顎でぶつかった二つの力は、凄まじい衝撃となって空に広がった。


「あがあああああああっ」


 再び起き上がった巨大な女が、叫びをあげながら自分の口元を抑えた。

 痛みに耐えていたのではない。再生し、ぐぐっ、と伸びた顎は、先ほどまでより長かった。口が再び開かれていくと、奥の方に亀裂が入って、液体を上下に引きながら顎が開かれていく。もはや頬のあたりまで異形のものと化している。肘まで変化していた腕はもはや肩までがごつごつした皮膚に変わり、人間の体型とは大きく異なりはじめていた。その腕も短く、現代でいうところのワニに近い形になっていく。


「全くもって、しつこいなあ!」


 アズラーンが思わずというように口にする。


「そうね。でももう少しよ」


 チェルシィリアが声をかける。


「さっきの再生のとき、強烈な魔力を感じたの。ようやく捕らえたわ。凄いわね、心臓みたいに張り付いてる」

「張り付いてるって? ははっ、そりゃすごい……」

「でも魔力は魔力ですよ。一気に引きずり出してやりましょう!」

「そうだぞ早くやれクソ鳥」

「アンタもやるのよクソ蛇」

「殺す」

「あーもーそれは後にして二人とも!!」


 ひとまずアズラーンがその場をおさめ、いまだ地上に蔓延る巨大なワニのような女を見た。

 ブラッドガルドはちらりとヴァルカニアの方を見た。時計塔の時刻は三時少し前をさしていた。

 さっきの再生で、より巨大化していた。

 街や教会での結界もそろそろ限界が来ている。この二時間だか三時間だか、ずっと結界を張っているのだから。人間だけでなく、ありとあらゆる生物のためにも、そろそろ決着をつけねばならなかった。


『リク。次の攻撃で、魔力の核を取り出します』

『わかった。こっちはいつでも行ける』


 セラフとリクが互いに連絡を取り合い、準備は整った。


 巨大な顎が再び開くと、もはやなりふり構っていられなかった。

 四柱がそれぞれの方向へと手をかざすと、そこに魔力を一気に収束させていった。それぞれの色を纏った魔力は次第に大きくなっていき、雷のような光を放つ。たったそれだけのことで暗い空が照らされた。先陣を切ったのはブラッドガルドだった。片手がくい、と号令のように下に向けられる。同時に、他の三つの光が天から降り注ぐ。それらはぶつかりあい、混ざり合い、白い柱となりながら巨大なワニ女めがけて降り注いだ。

 あまりに明るくて、昼間のようだった。あたりが照らされ、遙か東方の国や魔術国に至るまでが、その光を見た。

 誰もが祈った。


 筋肉が露出した巨大なワニ女が、光の下でもぞもぞと動き始める。少し動いては強烈な光に焼かれ、何度も再生と破壊を繰り返す。

 チェルシィリアが集中を重ね、光の中で蠢く魔力をとらえた。


「そこっ!」


 それを合図に、四柱は一気に光の中に飛び込んだ。

 降下していった先に、巨大な女があった。外壁ともいうべき肉片が一気に剥がれていく。そのとき、光り輝く心臓部が見えた。


「いまだっ!」


 アズラーンが叫んだあと、光の柱が次第に小さくなった。再び世界が暗くなっていく。その収束した場所に、明滅する光があった。きらきらと満月のように光り輝くそれは、くるくると回りながら上昇していく。

 アズラーンはそれを捕まえるように、手をかざす。そのへんの魔物のものとは段違いだった。


 あまりにも美しかった。

 先ほどまでの異形の巨体を構成していたとは思えないほどに。

 まさしく、夜の中に現れた満月だ。

 誰もが声をなくして、光が掲げられるのを見つめていた。


「リク! 急いでっ!」

「わかってる!」


 リクは魔力の核めがけて翼を広げた。

 スピードをあげて、剣を構える。一筋の光が魔力の核めがけて飛んでいく。固唾を呑んで誰もがその姿を見守る。

 その次の瞬間、何かが翼を打ち抜いた。


「がっ」


 体のバランスが崩れる。魔力で修復する前に、もう片方の翼も打ち抜かれた。背後からの狙撃だった。無理に修復する前に地面めがけて落下しながら翼を消した。すぐに翼を構築し直す。あああっ、と人々の悲鳴が結界内に響いた。

 それに混じって、後ろから争うような声が聞こえる。なんだ。アンジェリカの声か。


「リクっ!」


 セラフの呼ぶ声がする。

 森にぶつかる直前で体勢を立て直し、そのギリギリを飛行する。それから上空めがけてもう一度飛翔していくが、自分の思うようなスピードが出なかった。

 その視界の中で、魔力の核に伸ばされた手の一つが、ぐ、と中へと食い込んだ。

 核から黒い雷のような魔力がばちばちと飛び散り、異様な魔力が膨張する。


「くっ!」


 三柱が魔力に弾き飛ばされた。

 セラフ。

 アズラーン。

 そしてチェルシィリア。

 膨張した魔力の中心にいたのはブラッドガルドだった。

 はじけ飛んだ三柱を見下ろしながら、わずかに口角を上げる。


 アズラーンが肩を上下させながら、ブラッドガルドを見返す。


「……君が欲しかったのはそれか」

「その通りだ。いろいろとご苦労だったな」


 ブラッドガルドはむりやりに掴んだ魔力の核を掲げた。

 黒い雷のように魔力が飛び散り、それが互いにつながりあい、蜘蛛の巣のように広がっていく。掲げたそれをむりやりに自分の胸に押し込んだ。膨張するように、その魔力が膨らむ。


「原初の女神と……、融合する気か……!」

「それだけじゃないわ」


 チェルシィリアが敵意を込めた目を向ける。


「あいつ、『神の座』に滑り込むつもりだわ」

「なんだっ。どういうことだ?」


 ようやく羽ばたいてきたリクが尋ねる。

 アズラーンがそんなリクを振り返り、微妙な目をして言った。


「この騒動で、良くも悪くも古き女神は多くの人々に認識されてしまった。かつてこの地上を支配した真の女神がいるとね。そして実際に顕現した。この世界に、『世界を統治する神』としての椅子が用意されたんだ。世界という名の迷宮の主の座が用意されたんだ。彼は、その席に――」

「そうだ。我はこの時を待っていた! 貴様らがのうのうとあの女神を倒し、そのすべての力を注ぎ込み、座が空くのをな!」


 ばちばちとブラッドガルドから黒い雷が広がっていく。

 背後から伸びた雷が、触手のように大きくうねって三柱とリクたちへ迫った。四人はその軌道から慌てて逃れる。


「ぐっ……!」


 あまりの力の前に、リクも舌を巻いた。


「この力さえあれば、もはや貴様らなど取るに足らぬ! あのような醜態をさらすことも! 屈辱を味わうことも! 貴様らのような猥雑な存在に煩わされる事もない!! この世界は我のものだ。今度は我が貴様らの命運を決めてやる。貴様らが我の死を望むように、蟻の子一匹残らずだ! 全員、根絶やしにしてくれる!」

「この野郎……。それは負けフラグだぞ」

「はっ。なんとでも言うがいい」


 負けフラグは通じるのかよ、とリクは笑った。

 そうしなければ、この圧倒的な力の前に屈することになる。

 だがそのとき、リクにも予想外の事が起きた。ごぼん、と、ブラッドガルドの魔力の羽の右側が、右腕とともに勢いよく膨れ上がったのだ。空中にいたブラッドガルドがバランスを崩す。


「……おっと。まだ抵抗する気か」


 リクは驚いたが、ブラッドガルドは面白そうに笑った。


「なんだ、いまの……」

「リク。もしかして、あの魔力の核は融合を拒絶してるのかも」

「拒絶? それって……」


 だがその答えに到達する前に、黒い雷が二人を襲った。







 その頃の地上では、アンジェリカが怒りとも戸惑いともつかない視線で、背後にいる男を見ていた。


「……アンタ……」

「動くな、と言ったはずだが」


 鋭い目がアンジェリカを見返す。

 アンジェリカはがっしりと背後から腕を固定され、首筋には剣が突きつけられていた。相手は他でもない、クロウだった。

 他の仲間も、ただでさえ手が出せない状況だが、彼らはそれ以上に苦しげな表情をしていた。その首元には魔力の糸が巻き付けられ、クロウに繋がっている。それだけならばまだ良かった。全員がしびれたように膝をつき、動けなくなっている。どうやら魔力の糸が何らかの作用をしているようだった。


『いや~、あと三十分ぐらいだね!!』

「うわぁ!? ナビ!?」


 急に出てきたナビの映像に、さすがに驚いて肩が撥ねた。

 クロウはまったく意に介さなかった。別にそれはいいらしい。


『いやあ~~。あっはっはっはっは!』


 爆笑しながらヘビのパペットをぱくぱくと動かす。

 ナビの映像は空中に浮かんでいて、他の画面とともに現れた。そこには空中に近い、リクからの視点のような映像だった。どうやらカメラアイが一匹仕込まれていたらしい。

 他の画面にはカインが映っているものもあった。


『アンジェリカさん、ナビさん! これは一体――』


 だが詳しく聞かなくても、何が起きたのかは一目瞭然だ。


「あんたたち、これを、知って……」

『もちろん知ってたよお? 最初っからこれが目的だったからね! 魔力の核と融合して、『座』に滑り込んで世界を掌握ってね!』

「そう……」


 隙あらば――という感じでもなかった、ということか。

 アンジェリカは少しだけ息を吐いた。


「……とはいえ」


 クロウがぽつりと呟くように言う。


「すぐに……というわけにはいかなかったな、やはり」

「……どういうこと?」


 意味がわからず、尋ねる。

 クロウの代わりに、先にナビが口を開く。


『古き女神はただひたすら食に対して貪欲な、本能の塊みたいなものなの。まっさらで、感情に左右されないんだ。恨みもつらみも、喜怒哀楽すら無い。だから魔力の核も、メチャクチャでかい純粋な魔力ってこと! ――本来だったらね』

「だがいま、あの魔力の核は『金の鈴』を中途半端に取り込んだ状態にある。ブラッドガルドに対する敵意や恨みが存在するわけだ。だから、融合するのにも時間がかかる」

「時間って……どれくらいなの?」

『うーん。早くて三十分かな!』


 ナビは「あと二十七分」とでかでかと表示された魔力板を取り出した。


「減ってるじゃない!!」

『そりゃー減るでしょ』

「そりゃ減るだろ」


 なにを当たり前のことを、というような突っ込みを双方から喰らう。

 このままでは、ブラッドガルドが新たな世界の王の座についてしまう。いまは玉座に腰を下ろそうとしているところだが、あと三十分――正確には二十六分で、すべてが決まってしまう。


「……どうにか、できないの……」

『さあて、どうかなあ?』


 ナビがにっこりと微笑んだ。


 もうひとつの画面の中で、カインはまじまじと魔力板を見ていた。秒数ごとに減っていくでかい表示の右上に、もうひとつ数字が表示されていることに気がついた。


 ――この数字、時計? でも……。


 時計台ではまだ三時をさしているが、一時間ほど進んでいる。アンジェリカの絶望的な声を聞きながら、これはどういう意味なのかを考えていた。

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