83-5話 世界は甘い、最高のデザート

 世界が食われていく。

 ざくざくとしたチョコクランチのような土に、蕩けるような湖のソース。

 ブドウ粒の森をあしらったタルトのごとき崖は一口で。

 プディングのような切り株は意外に弾力があり、シュークリームのごとき岩肌は堅くてもぺろりといける。

 冷たくて真っ白な、シャーベットの降りかかったような雪の山には、ウェハースを重ねた森小屋を添えて。

 トッピングの砂糖菓子の村が壊れて赤い炎が舞い上がると、イチゴのプチパイのできあがり。

 いまは身の回りにある小さなデザートに夢中になっているが、それがいつ、他に向けられるかわからない。なにしろそこにはクッキーのような石畳が敷き詰められていて、タフィーのようなレンガ造りの家々があり、ゼリービーンズのように色とりどりの人々があちこちに隠れている。一番奥にはとっておきの、クリームでぐるりと囲まれたホールケーキのごとき城。

 いまやこの世界のどこもかしこも極上のデザートだ。

 長い封印を解かれた大顎は、人と魔物と精霊たちが作り上げた最高の一皿を食べるためにやってきた。すべてが彼女への捧げ物。


 そこに、白い翼が勢いよく上空に舞い上がった。魔力で作られたそれはきらきらと輝き、空に小さな光になって飛んでいく。それに続いて、白い鳥が飛んだ。その背中には後に続く者たちが乗っている。この星をデザートにされるわけにはいかない者たちだ。

 この星が食べ尽くされる前に、ワニ退治が始まった。

 人々は歓声をあげ、その勇姿を固唾を呑んで見守った。


『あ~~~~……』


 対してナビは、どこか緊張感が無いというか、蚊帳の外というか、暑くて寝苦しい夜のような顔をしていた。


『もうちょっと画面を浸食しよう』


 全世界に対して実況中継している映像を、ワイプで映っているナビの画面を大きくすることで邪魔した。四分の一がナビの画面になっている。ぐるぐると回転椅子で回っているナビが映る。


「何してんだお前は……」


 酒場に集った冒険者からの心からの突っ込みを貰う。

 酒場の人間だけじゃない。おそらくいまこの実況中継を見ている全世界の生命体が思っていることだ。

 とはいえ中継画面なんか見なくても、バッセンブルグやヴァルカニアでは空を見れば何が起きているか一目瞭然だった。巨大なワニめいた女めがけて、白い翼を生やしたリクが一直線に飛んでいく。


『勇者が活躍してるとな~~んか癪に障るんだよね~~』


 共通語で「見せられないよ」と書かれた看板を、持ち手のところでぐるぐると回転させる。


「なんでだよ」


 もういちど心からの突っ込みを貰う。

 突っ込みをした冒険者の顔が、ナビの画面の上にワイプで映る。画面は横半分になった。物珍しげに、バッセンブルグの酒場の自分たちが映っているのを眺める。


「勇者嫌いなのか?」

「魔女の使い魔なんだから、勇者は敵なんだろ」

『えっ。別に敵じゃないよ』

「違うのか!?」

『でもなんか活躍してるとこ見ると癪に障るんだよね』

「その感覚はまったくわからん」

『完全にこっちの話というか八つ当たりみたいなものだから気にしなくていいよ』


 そんなことで世界の命運の映像を半分にされたらたまったものではない。


「でも、こんなの通さなくても普通に見れるんじゃないか」

「無理だろ、食われたらどうすんだよ」

「逃げればいいだけじゃない?」

「どこに逃げるっていうんだよ。この世界の」


 冒険者は慣れたもので、肩を竦めて言った。

 事実だった。

 もはやどこに逃げればいいのか誰もわからなかった。だからせめて結界を張って、少しでもその牙がかみちぎるのを抑えるしかなかった。


 結界の外の森は、既に動物や魔物の気配は無かった。

 みな牙から逃げてどこかへ行ったか、そうでなければ森と一緒に口の中に入っていった。緑色のアイスクリームに振りかけられた小さなカラースプレーみたいに、あっという間にぺろりと平らげられた。


「ああああ。ああああっ」


 意味のない悲鳴をあげながら、牙から逃げようとする子供が二人。まだ整然と立ち並ぶ、緑色の草餅のような森を、飛び出したあんこみたいに走っていく。そこに大きく開かれた顎が迫る。周囲の森を平らげながら女の口が迫った。女にとって、悲鳴は皿にフォークがぶつかったような音にしか聞こえなかった。

 大きく開かれた闇が眼前に迫ったとき、そこに白い光が一気に落ちてきた。それは女の頬にぶつかり、むりやりに女の口の軌道を変えさせた。がちん、と歯がぶつかって強烈な音が鳴る。


「あ……、あ」


 がちがちと歯を鳴り合わせて、子供たちが自分の前に立った白い影を見た。


「逃げろ!」


 白い影は剣を構え、子供たちに叫んだ。

 巨大な白い翼を生やした姿は、まさに女神セラフの使いと言ってよかった。

 勇者リク。

 子供たちのうちの小さいほうが、わんわんと泣きながらリクにしがみついた。


「馬鹿、逃げろって……うおっ!」


 目の前に勢いよく女の顔が迫り、リクは自分にしがみついた子供を小脇に抱えながら横に転がった。すぐさま魔力の翼が展開して地面から離れると、リクがいた場所は地面ごと大きくえぐられていた。


 ――くそっ、もう一人はどこだっ!?


 素早く視線を巡らせて行方を追う。


「うああああ!」


 悲鳴は牙の中から聞こえた。

 すぐさま視線を向けると、並びの悪い牙の間の、えぐり取られた森の隙間から泣き顔が見える。


「勇者様ああああ!」


 ――やべぇ!


 冷や汗が落ちた。

 そのとき、大きな顎を下から突き破る何かがあった。地面から唐突に巨大な牙が幾つも出現し、顎を縫い止める。茶色くごつごつしたそれは、牙状の岩だった。それは上顎が閉じるのを食い止めて、顎が開いたままになる。

 リクはすぐさま飛翔すると、小脇に抱えた子供に叫んだ。


「いいか、絶対に目ェ閉じてろよ!」


 リクの剣が一枚の白い羽根に変わって消えてしまうと、横から口の隙間に入り込んだ。岩の間をすり抜けて飛び、中にいた子供をもう片方の手で掴んで反対側の頬から脱出した。そのまま一気に上まで飛翔し、丘の上で片手をかざしている人物めがけて飛んだ。


「アズラーン!」


 手をかざしていたのはアズラーンだった。

 衣服がばたばたとはためき、眉間に皺を寄せている。ぐぐぐ、と巨大な顎が下がり始めると、岩にぴしぴしと亀裂が入った。


「まったく、とんでもないことをしてくれたものだ!」


 片手だけで顎を押さえていたのが、もう片方の手も突き出す。

 少しだけ時間は稼げたが、中の岩は巨大な顎に押しつぶされ、ばりばりとかじられた。彼女にとっては、突然、口の中にシナモンのチュロスが生えてきたようなものだった。突き破ったはずの顎からは黒い泥のような体液がしたたり落ちていた。だが、次第にしゅうしゅうと白い煙があがり、穴が少しずつ塞がっていく。

 リクはアズラーンの近くに降り立つと、おびえる子供達を先に降ろした。


「勇者様、勇者様ぁ」

「よしよし。もう大丈夫だ。俺の仲間に、バッセンブルグの結界の中まで送ってもらうからな。他に誰かいないか?」

「みんな、みんな食べられちゃったよう」

「もうすぐほんとうの女神様のおかげで世界が変わるって言ってたのに。あれはほんとうに、ほんとうの女神様なの?」


 リクの隣で、アズラーンがなんともいえないため息のような声をあげた。

 同時に影のように現れたハンスに、リクは二人の子供を引き渡した。ハンスはやや疲れたような顔をしていたが、すぐに顔を引き締めた。それから再び影のように、子供たちと一緒に消えた。


「ああ……。いいのさ。起こってしまったことは仕方が無い」


 アズラーンは自分自身に言い聞かせるように言った。

 それから、顎をさすっている女を見下ろしてから続ける。


「こいつを始末するのは大変だぞ――勇者君! だが、君だけが頼りだ。わかるかい。同じく弱体化しているとはいえ、僕らじゃこうなるのが関の山だよ」


 アズラーンは苦笑混じりに言った。どこか自嘲的な空気も持ち合わせながら。


「だから、四人がかりで封印したのか」

「そうだよ。泥から浮かび上がったものはすべて喰い尽くしてしまうからね、彼女は……」


 そう言ったあと、今度は突如上から巨大な氷柱が出現した。

 先っぽは鋭く尖っていて、すべて女の背中を狙っていた。勢いよく氷柱が落下していき、四つん這いに晒された女の背中へと突き刺さった。背中からしゅうしゅうと煙があがっていく。


「こ、この氷柱は……」


 アズラーンが氷柱の出現したあたりへ視線を向けると、中に人型が入った水の球体が浮いていた。中に入った人型は、蒼いドレスをゆらゆらと水の中で揺らしながら、じっと女を見据えている。ちらりと視線だけが二人を見返した。


「無駄話をしている暇は無いわ、アズラーン」


 冷徹に言ってのけたのは、チェルシィリアだった。指先を上から下へと振り下ろすと、残っていた氷柱が更に落ちた。灰色のタマゴのような隆起に突き刺さると、中身の液体をぶちまけながらタマゴが割れた。ぶちまけられた液体が地面に落ちると、どろどろと泥のように地面が溶けていく。


「ああっ、ちょっと! 気をつけてくれたまえよ! ここだって大事な僕の領地なんだよ!」

「だってここ土だし……」

「土だから良いってわけじゃないんだけど!!」


 ここが海であればきっと台詞は逆だったのだろう。

 溶けて泥のようになっていく森からはしゅうしゅうと煙がたちのぼる。空を侵していく煙に、白い鳥の姿で飛び回っているセラフが嫌な顔をした。


「……ところで、あのアホ男はどこに行ったの? まさか、やられたわけじゃないでしょう?」


 やや苛ついたようにチェルシィリアが言う。


「来るよ。彼は来るさ。僕らの領域が食われるのは爆笑モノだろうけど。ここで食い止めないと、彼の領域――シバルバーでさえ、喰い尽くされてしまうだろうからね。さすがにそれは阻止したいだろうよ」


 アズラーンは確信したように答える。

 いくらなんでも自分の領域が食われる前には来るだろう。しかしその前に少しでも目の前の巨大女の戦力は削っておきたかった。

 いまはいずれ修復されてしまうとはいえ、少しずつでも削っていけば修復速度は遅くなる。


「――あああああ!」


 突然の声に、三人は振り向いた。


「おおおおっ、ああっ、あああああ!」


 巨体が急に苦しみだし、頭を左右に振り、体をくねらせながら叫び声をあげた。

 バキバキと音がして、手首から肘までがすべて爬虫類のようなごつごつとした肌に変わった。つま先から膝までもが同じような肌に変わっていく。どおん、と地面に体をたたき付けると、突き上げた尻が膨れ上がって尾が伸びた。だが苦痛の原因はそれではないようだった。両手が口を押さえ、何か吐き出すかのように呻く。


「ううううっ、ううーっ!」


 そしてその口を押さえると、わずかばかりに頬に亀裂が入った。


「うわっ、口裂け女……」


 リクが言いかけたが、それどころではなかった。

 伸びた皮が更に前に伸びているのだ。犬のようだった。否、ワニになろうとしているようだった。目元には生理現象による涙が溜まって、血走って赤くなっている。だがぐぐっと前に突き出た口元は、半分もいかないところで止まった。やがて、顔をしかめながらフーッ、フーッと激しく息を吐いた。何か威嚇するように、肩を上下させる。背中は既に猫背のように丸まっている。


「おおおおお!」


 そのまま立ち上がろうとして、再び膝をついた。がぷ、と顎が開くと、上下に糸を引きながら裂けた口が開いていった。やはり並びの悪い歯があり、先ほどよりも増えている。


「なんだあれ!?」


 リクが叫ぶと、アズラーンが隣で複雑な表情をした。


「同化が進んでいるんだ。原初の女神を取り込もうとした彼女は――いま、逆に乗っ取られている最中、といえばわかりやすいかな」

「マジか……」

「でもここまで対抗できるなんて。こっちとしては助かるけど、すごい精神力と言えばいいか……執着心と言えばいいか。……まったく、その元凶はいったい何をしてるのかしら」


 チェルシィリアは既に苛立ちを隠しもしなかった。


 その元凶たるブラッドガルドは、のったりと空の様子を眺めていた。

 ヴァルカニアの時計塔の屋上。尖塔の細い先で、ぼろぼろのローブが揺れている。不機嫌な顔を隠しもしなかった。


「ふん。間抜けどもめ。古き女神ひとり倒せんのか」


 そうは言ったものの、その表情は変わらなかった。


 ――倒せんよな。

 ――それが原初の泥に近しい、我らの宿命なのだから。


 魔力をこね回すと、背中に巨大な魔力の翼を生やした。

 背中に生えたのは、黒いコウモリの翼に似ていた。黒い骨で構成された翼だ。灰色の膜はところどころがぼろぼろで、実物が既に失われて久しいことを示している。だが飛行に問題は無さそうだった。時計塔の先を小さく蹴ると、そのままばさりと羽を広げて優雅に飛んだ。

 時計塔城のバルコニーから、カインはその姿を見ていた。

 かつて龍だったものを見送ると、きびすを返して皆のところに戻った。

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