83-4話 ナビちゃんねるラジオ・リターンズ!

 その日、不自然な夜明け前に。

 世界の各地で、影に隠れたカメラアイたちが一斉に動き出した。わらわらと出てくると、近くにあった手頃な壁に光を投影する。光は横に長い長方形だ。要はウィンドウの画面のような形である。しばらく白い光を映していたが、人々がその画面をのぞき込んでいると、今度は真っ暗になった。

 黒い画面に白い字で、丸に囲まれた数字が3、2、1と減っていく。

 0が表示されると、今度はのどかで牧歌的な風景が映し出され、共通語で「しばらくお待ちください」の文字が映し出された。

 町中にでは市井の人々が興味をそそられ、おお、と驚いた。反対に、城内では警戒心が強められる。

 そこで急に、また画面が変わった。


『あっ。あ~~~~。聞こえてるかにゃあ!?』


 その声が聞こえた瞬間、どこかの城では兵士たちが勢いよく槍で囲んだ。中には斬り掛かって壁に激突した者もいた。映像であるために、武器はことごとく後ろの壁に激突して嫌な音を立てた。


 まったく気にせず、映像に映った少女は咳払いをする。

 朝の目覚めに相応しいご機嫌な音楽が流れだした。

 この世界にはちょっと存在しないような音楽だったが、それはご愛敬だ。音楽がだんだんフェードアウトするように絞られていく。背後で小さくBGMとして流れながら、再び少女の声がした。


『はぁい! 全国の皆様こんにちはこんばんは~~! あなたの心にいつも宵闇をトワイライト! みんなの案内人アイドルナビちゃんだよ~!』


 投影された映像でナビが両手を振る。

 その片方には、パペットのヘビがはまっている。


『そしてこっちは相棒のヘビ君。よろしくね!』


 パペットのヘビの口がぱくぱくと開け閉めされる。


『さてさて……みなさまお待たせいたしました。今回はスペシャルバージョンで復活! ナビちゃんねるラジオ・リターンズ!』


 ぞんざいにパペットを取り払い、近くにあった道具を手に取る。どんどんどんぱふぱふぱふ、と自前の効果音を入れる。ぱふっ、と最後に間抜けな音を立ててから、道具を置いた。またヘビのパペットを付ける。


『パーソナリティはご存じ、宵闇の魔女の使い魔・ナビと、相棒のヘビ君の二人でお送りしまーす! 前回は宵闇迷宮で働いてくれた魔物専用チャンネルだったけど、今回はなんと特別編ってことで、全世界に向けて発信しちゃいます! だから全体的にテンション高めでいくよお! いえーいみんな元気ぃ? あっ、いま朝だからおはようだよね! おはよう~!』


 どんどん勝手にしゃべり出すナビに、ある種の人々は釘付けになり、ある種の人々はそのトリックを探そうとした。


「何やってんだあいつは」

「おっ、ナビじゃん」

「えっ、ナビいるの。なんで?」


 そのなかで、バッセンブルグ所属の冒険者のほとんどはナビのテンション自体には慣れたものだった。それよりも、魔女まだおったんか、という驚きのほうが勝った。その驚きを通り越してしまえば、ナビについてはもう「また何かやってる」くらいにしか思っていなかった。


 だがナビのテンションに慣れていない者たちは、食い入るように見つめるか、あんぐりと口を開けるか、持っていた物を落とすか、あるいは壊すかした。子供達は興味深く目を輝かせたが、兵士たちは投影されたビジョンを槍でつつき、無駄に武器をすり減らした。

 とある小さな国では、映像を投影しているカメラアイを見つけていとも簡単に踏み潰した。だがそれが間違いであったと気付くのはもっと先のことだ。

 たとえカメラアイが討伐されようと、ナビは喋り続ける。


『そうなんだよ~。めっちゃ暗くてみんなびっくりしてるんじゃないかな? いま、朝なんですよねー。本来だったらお日様がこんにちはしてないといけない時間! なのにこれじゃまるで夜っていうより闇だよねえ。星すら無い』


 そうなのか、と人々は空を見た。

 まだ真っ暗だ。

 誰かが、アッと気付いた。

 教会に備え付けられた大きな時計は、既に朝の九時を指していた。

 あちこちの女神聖教会では、それぞれ待機した術士たちがそのときを待っていた。何が起きるのかは誰にもわからない。不安そうな顔で、たらりと汗を垂らす。シスターたちが、セラフに向けて祈りを捧げた。


 同様に、ヴァルカニアの大時計も九時を指していた。

 ヴァルカニアでは、ナビの映像の投影された壁をカインがじっと見つめていた。その背後に騎士が二人。グレックとコチルがそれぞれ控えている。周囲を探し回っていた騎士が、映像を投影していたカメラアイを発見してそっとその手に乗せる。少しだけ映像がぶれたが問題は無かった。カインはそれを確認すると、踵を返して歩き出した。


「どうやら、始まるようですなあ」


 グレックの言葉に、カインは頷いた。


「結界の準備を。国民にはできるだけ屋外に出ないように通達せよ」

「はっ!」


 待機していた兵士たちが駆けてゆき、蜘蛛の巣状に伝達された情報が広がっていった。

 その瞳に決意をたぎらせる。わずかばかりに汗が垂れた。その姿を斜め後ろからコチルがちらりを見た。


「……おい。カイン」


 コチルが突然呼び捨てにしたので、カインはびっくりしたように振り返り、隣にいたグレックも驚いた目で横を見た。


「なんとかなる。……もう少し、肩の力を抜け」


 びっくりしたままの目だったカインから、緊張感が抜けた。


「そうですね」


 カインは少し笑ってから、再び――今度はしっかりと歩き出した。

 後ろでカメラアイを持っていた騎士が、ほっとしたように三人のあとをついていく。カメラアイから投影された映像は、相変わらずべらべらとしゃべり続けていた。


『さて、どうしてこんなに暗いのかっていうと~? なんでかな?』


 ぱくぱくと蛇のパペットの口が動く。

 うんうん、と会話しているていでナビが頷く。


『うんうん、そうだね。この事態は……え~~と……』


 ポチッと何かのボタンを押す。


『原初の女神の復活!』


 どこから仕込んだのか、エコーのかかった声で言う。

 ボタンを離すと、ナビの声は元に戻った。


『いやあ、いつの間にこんなことになってたんでしょうね~~。案外、人も魔物も神様に隠れてコソコソやれるってことですよね。まー、ブラッドガルドが復活したときだって隠れてコソコソしてたんだから、当たり前っていえば当たり前かなぁ。


 原初の女神っていうのは、たぶんもう知ってる人は知ってると思うけどぉ、この世界を作った四柱より前に生まれた女神のことですねー。中には、最初に生まれた女神なんだから、そっちのほうが本当の女神! なんて思ってる人もいるかもしれないね。


 さあ、どうなるかな。えー、リスナーのブラッドガルドからは、「自分たちの信仰したものが何だったのか、自分の目で見るといい」ってコメントをもらいました。


 それじゃあ、みなさん。バッセンブルグや女神聖教会からお達しが来ましたよね? な~んかそろそろヤバそうな空気なんで、ちゃっちゃと結界張って、避難しちゃってね。そろそろ、おいでになりますよ。ぜったいにその結界から出ないこと。そして、自信が無いなら、女神を見ないこと――』


 その暗さが雨の前兆ではないのだと、どれほどの人間が気付いただろう。

 突然だった。

 大地が揺れ、海が揺れ、大気が揺れた。

 世界に存在するありとあらゆる魔力が渦を巻いているようだった。各地で散った魔力がはじけ、大地と海と空と、そして地下を結ぶ中心地に向かって収束しはじめる。中心地になったのは大きな湖のある森だった。湖が起点になったように泥が噴き出した。それは空に向かって噴き上がると、あっという間に森を飲み込んだ。森の中にいた魔物も動物もひとたまりもなかった。

 古き大いなるものが、泥の中から立ち上がった。


 それは巨大な女の姿をしていた。

 ときにコルシャと名乗った、金の鈴の面影があった。

 長い髪は大地にまで伸びている。両手をあげ、豊満な体を惜しげもなくさらし、世界に降臨する。一点の曇りもない美しい体躯。泥がまるで水か何かのように落ちていく。その小さな一滴ですら美しかった。人々の心に沸き起こったのは戸惑いと賞賛だった。

 真の女神が姿を現すのを、人々は口を開けて見ていた。


「あっはは。あはははは。あははははは」


 女は嬉しそうに笑っていた。

 ナビですら、ちょっと驚いたように目を丸くしていた。

 人々は我知らず膝をついていた。もはや言葉もなく、彼女こそが大いなる女神であると確信していた。結界を張っていた術士のひとりが目を見開いたまま、おもむろに手を下ろしてしまった。そして膝をつき、小さく呻きながら両手を握った。隣にいた術士が、ギョッとしたようにその姿を見下ろす。目の前で生まれた女神と、自らの信仰が突き動かされて狼狽する。

 美しい。

 偽であるとか、真であるとか、もはや関係なかった。目の前の女神を賛美せずにいられるだろうか。人々は泣いていた。


「さあ――出てきなさいよお、ブラッドガルド。この私が、あんたを過去にしてあげる」


 その言葉も人々の心を打った。

 セラフや勇者ですら倒しきれなかったブラッドガルドが、やっといなくなってくれるかもしれない。自分たちが思っていた以上に、どういうわけか胸に深く突き刺さり、喜びとなった。

 だがその笑い声は、突然崩れた。


「ああああ。ああああああ」


 世界に轟くような叫び声。

 突然苦しみだすと、その背中がぼこぼことうごめき始めた。おおおお、と叫び声が轟くと、爪のような背びれが二枚、隣同士で肌をぶち破って出てきた。


「な、なに?」


 地面に座り込んでいた中年女が狼狽したように言った。

 人々は今度はうめき苦しむ巨大な女に、釘付けになる。


「ああああ。ああああ」


 顔を覆って苦しむその背中から、なおも爪のような背びれが肌をぶち破って生えた。ひとつひとつ、尻に向かって生えていく。広がった髪の毛は毛先が割れたかと思うと羽根のように広がっていった。二列に並んだ背びれの間には、灰色の内容物の入ったタマゴのような隆起がいくつも起きた。ぬらぬらと光る。白く滑らかな手が、口元を覆った。その手首だけが、ごつごつとした肌に変わっていた。


『うわー。まさかと思ったけど……』


 ナビの声がした。

 倒れるように女神の顔が勢いよく地面に向かったかと思うと、森に向かって開いた。人の姿とは思えないほどに口が開いた。ヘビのように顎の皮が伸び、がぶりと森を削り取った。歯並びは異様に悪くなっていて、そのうちの一本は肌を突き抜けていた。肉を引きちぎるように、森を喰らう。抗いようのない飢餓に襲われたかのように、彼女は地面に両手をついてそのへんにあるものをがっつきはじめた。削り取られたのは森だけではない。土も大気も水でさえ、あたりにあるものを食い散らかしはじめる。やがて彼女は巨大なドラゴンのように、四つ足で進軍を始めた。

 そのあまりの光景に、人々は言葉を失っていた。


『いま、この世界は、原初の女神様にとっては極上のデザートだね。豪華全部盛りのパフェもいいとこだよ!』


 ナビの声で、何人かがハッと我に返った。

 あまりに非現実的な光景を目の当たりにしたせいか、「パフェってなんだ」と、現実逃避のように口にする者まで居た。


「な、ナビ、あれはいったい」


 バッセンブルグの冒険者のひとりが聞いた。


『いやあ、あの人、原初の神様の力を自分のものにしたかったんだろうけどね。ちょっと制御しきれなかったみたいだ』


 あははー、とナビは肩を竦めて笑った。


『ああいうのみると、やっぱり魔人や人間が、神様の力を降ろすのって大変だったんだなあって思うわけですよ。借りるわけじゃなくて自分のものにしようとしたわけだからね』


 ナビが何を言っているのか理解できたものは少なかったが、それでも状況は理解した。

 つまり魔人だか人間だかが、あの原初の女神とやらを降ろして自分のものにしようとしたのだ。そして逆に、その制御を奪われかかっている。


『そもそもそんなに危険なら倒しておけよって思うかもだけど、神様同士ってお互いを殺せないから、四柱も封印して、存在を抹消してみんなの記憶から消えてくのを待つしかなかったんだよね』

「そんな」


 冒険者達でさえ、心の中に諦めが芽生えかけていた。

 あんなものに勝てない。勝てるはずがない。

 この世界が喰い尽くされるビジョンが頭の中に去来する。人々はさっきとは違う、希望ではなく絶望で涙を流し始めた。そして恐怖を覚えた。一度は裏切ってしまった神々が、果たして自分たちを救ってくれるのかどうか。神に対する恐怖と畏敬の念が同時に沸き起こった。

 もはや世界は、喰い尽くされてしまうのだ。

 それこそ、極上のデザートのように。


『でもまあ――そのときはいなかった、ってだけの話だよ』


 ナビがあっけらかんと言い放った。


『ブラッドガルドの時だってそう。なんとかできる人間が必要だった』


 人々が顔をあげた。

 丘の上で、巨大な白い魔力の翼が広げられるのを見た。

 まだ成年にも満たない少年のような顔。


『それじゃあ、今日最初の曲いってみよう! クラシックの『英雄ポロネーズ』なんてどうかな!?』


 勇者だ、と誰もが思った。

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