83-2話 シバルバーの戦い

 迷宮の深奥で、戦闘の音は続いていた。

 だが到達しているのは冒険者でも新たな勇者でもない。ブラッドガルドを倒すという志は同じなれど、迷宮の解放を願うのは同じなれど。しかしそこに善意は無い。一撃一撃が、自らの主への捧げ物に過ぎない。

 姉を愚弄した者には理解させねばならない。

 名も無き怪物と化したヨキウ達は、時に一斉にブラッドガルドを狙った。時にばらばらにその姿を追う。いまだ真の姿を現さなくとも別に構わなかった。いまのブラッドガルドはちょろちょろと逃げ回るだけのネズミだ。ただただ体力を削っていくだけでも構わない。実際に体力は削れているようだった。いくら二度も復活を果たしたといっても、その魔力が完全に戻っているわけではないと踏んでいた。あるいは、そもそも魔力の器に罅でも入っているのかもしれなかった。見かけ上の傷ばかりに眼が行くが、魔力の器が壊れかけているのは見た目からではわからない。巧妙に隠してあるなら可能性は高い。それこそビンゴだ。底なしのような魔力を貯められようと、そこを突かれればひとたまりもないだろう。どうやら噂の「神の実」とやらも、ブラッドガルドの魔力の器を治してはくれなかったらしい。ヨキウ達はほくそ笑んだ。

 俄然、士気があがる。

 あのブラッドガルドを。

 一度は世界を手に入れようとした魔人を。

 姉を愚弄した者を、追い詰めている快感と愉悦。

 触手がブラッドガルドの腕に絡みついた。ぶちっと音がさせながら、ねじ切る。


「はははあ。どうした。その程度か」

「……キリが無いな」


 ブラッドガルドは不快とも苛立ちともとれるようなつぶやきをこぼした。

 肩口からはぼたぼたと黒い液体がこぼれる。その液体がやがて形を取り、やがて腕は修復されて復活した。だが、いつまでもこんなことを続けていても時間の無駄だ。おそらくは時間の無駄をさせるのがヨキウ達の狙いだろうと、ブラッドガルドは思っていた。


 一対数百。

 倒しても倒してもヨキウ達はしばらくすれば蘇る。

 終わりのない戦い。

 それはひとえに原初の神の加護によるものだ。


 だが加護と言ってはいるが、実質的には神の力を注入されるようなものに近い。

 神々は、均衡を保つ存在であるがゆえに、相手を殺せない。特に四柱は、ねじ伏せて上に立とうとしても、他の三柱に抑えられる。忌々しいことに。

 だが原初の神のやり方はそれとは根本的に異なっている。

 人間に加護を与え、神殺しへの本能的な恐怖と拒絶感をそぎ落とすのとはわけが違う。

 本質的な「同化」だ。

 使い魔とも違う。弱い分身を作り出すようなものだ。

 神への昇華だ。


「ははは」


 ヨキウの一体が笑った。


「そうだよな。そうだよな。いまの僕たちには原初の女神の加護がある。だからお前には僕たちを倒すことは出来ない!」


 触手がブラッドガルドへと殺到する。

 ブラッドガルドはそれをひらりと交わしたが、その薄汚れた衣服が破れた。わずかに勢いが落ちたところへ、腹に触手を埋め込んだ。勢いのまま、柱へと叩き付ける。陰鬱な瞳がヨキウを眺めると、その腕が緩慢に振るわれた。触手が真っ黒な炎に包まれた。炎のような闇は、一気に本体へと遡っていく。逃げることもできず、怪物は闇に包まれた。燃えるように。炎のような闇が、怪物を浸食していく。浸食している間も、怪物は笑っていた。ははは。はははは。こんなことをいつまで続けていても無意味なのだ。

 床を揺らして、怪物の体が横たわった。

 それは姿も消えなかったし、魔力の塊にならなかった。

 すぐさま新たな個体が現れた。それと同時に、床に横たわっていた別の個体がのったりと立ち上がる。笑いながら。


 倒すことができないのはヨキウたちも同じだった。

 いくら原初の神の分身となったといっても、その力は原初の神には及ばない。しかし、同じ神であるブラッドガルドとはこれで均衡になった。

 だから、目的はブラッドガルドを消耗させることだった。だから群体である自分たちは都合が良かった。たとえ何人かが犠牲になったとしても、姉からの寵愛を受けられなくなったとしても構わなかった。


「そうだよな、そうだよな。倒せないなら心を折るしかない。だけど僕らには姉さんがいる!!」


 ブラッドガルドは眉間に皺を寄せた。

 疲弊していないといえば嘘だ。大群相手に手こずるのも、いっそう苛立った。こんなもの、かつての力さえあれば片手で済んだ。なんだかんだと理屈をこねても、全盛期の力は戻っていない。

 それに、こんなところで魔力を使うわけにもいかなかった。

 まだ、この先にやることがある。

 消耗するわけにもいかなかった。


「僕らの心は折れない。お前のすり減った心では永遠に僕らを折ることなど、できやしないさ!!」


 叫んだヨキウの視界の隅で、何かが跳んできた。

 最初、小さな瓦礫だと思った。だから彼らは振り払うこともせずに捨て置いた。瓦礫などもはや気にするに値するものではないからだ。それが良くなかった。ヨキウの内の一体に張り付いたそれは、闇の中から二つの眼でしっかりとヨキウを捉えていた。その手に持った剣が、勢いよく首であった場所とめり込む。まるでパンでも切るかのように、あっけなく首が切り落とされた。胸元についた眼が、一斉にその瓦礫のような何かを見た。人影だった。残った胴体を蹴り飛ばして、人影は床に着地した。

 ブラッドガルドはその人影を見もせずに、ニィッと口の端をあげた。

 人影は立ち上がり、静かに剣を振り払う。

 胴体は横に倒れると、そのまま床を揺らした。土埃が舞う。その体はひとつたりとて残らず、きらきらとした魔力の粒になって消えていった。おかげで片付けの手間は省けた。

 何が起きたのか。ヨキウ達は少しだけ困惑した。


「……なるほど。俺も『例外』というわけか」


 目の前に立った冒険者――クロウはヨキウ達を振り返りながら言った。

 剣に付着したわずかな液体はきらきらとした粒になり、綺麗になった剣を肩にぽんと置く。


「遅かったな。我の力をくれてやろうか?」

「要らん」


 クロウはどこか苛ついたように答える。


「ふん。かわいげが無いな」


 心の中で思ってもない事だというのは、クロウも理解していた。ただのジョークだ。それが余計にクロウを苛つかせた。


『いや~、お待たせぇ!』


 まだ残っていた柱の一つから、場違いなほど明るい声がした。


『ここに来るのにめちゃくちゃクロウ君が嫌がってさ~! あはははは!』


 柱には、四角く切り取られたような画面が出現していた。画面の向こうではナビが爆笑している。


「それより、お前こそずいぶんな姿だな。大口を叩いたくせにたわいもない」

「ふん。ちょっとしたハンデだ。これくらいはくれてやってもいい」

「ほう。羽虫のようにコソコソと逃げ回るしかできなかったくせに、よくいうものだ。蛇なら惨たらしく這い回っていれば良いものを」

「言いおる。貴様には主と同様、一度躾が必要なようだな」


 クロウのブラッドガルドの眼が交差し、その間に火花が散った。


『ちょっと~。自分同士で喧嘩しないでもらえますう?』

「は?」

「はあ?」


 二人して「心外だ」という顔で、柱に現れたナビの映像を見る。


『うわっ……』


 似たような表情で睨む二人に、ナビはあからさまに引いた顔をした。


「お前……いや、お前らは……」


 一方のヨキウは困惑していた。

 胸に開いた巨大な目は、クロウに注がれている。その周囲にある、首飾りのような瞳もすべて。クロウがその瞳をすべて受け止めながら、ゆらりと視線を向け直す。

 ブラッドガルドと似て非なる気配。まるで何か別の物を一旦経由したような違和感。ブラッドガルドの魔力を通されてはいるが、ブラッドガルドの使い魔ではない。


「……どうも。宵闇の魔女の使い魔、クロウだ」

『同じく、ナビだよお!』

「そんな馬鹿な」


 ここにいるのがヨキウでなくとも、同じ台詞を吐いただろう。

 いったいなにがどうして、こうなっているのか。


 クロウもナビも、迷宮が瑠璃の記憶や願望から生み出した存在だ。しかしクロウは、瑠璃の持つブラッドガルドの記憶から生まれた使い魔だ。そして同時に、迷宮が生み出した存在でありながら、迷宮を攻略する役割を担ったプレイヤーキャラクター。

 本来であれば、迷宮が返還された時に消えるはずだった。

 しかしブラッドガルドは宵闇迷宮にあったチョコレート工場やカカオ農園を意図的に残した。そこに残っていた残滓に力を与え、修復されたのがいまの二人だ。

 瑠璃に魔力が無い、という前提が無ければ理解できない。


『いやぁ、馬鹿なもバナナもないんだよねえ。説明できないわけじゃないけど、複雑すぎてめんどくさいから、クロウ君説明してくれない?』

「断る。面倒くさい。そういうのは元凶がやれ」

「我に説明しろというのか殺すぞ」

『ほらもー全員説明放棄しちゃった!』


 お前が言うな、という視線を二人から受けながら、ナビは説明を諦めた。


『というわけで、ブラッドガルドの魔力が通ってるってことで納得してもらえないかな!?』

「ふざ……ける……な!」

『ふざけてはないよ~』


 説明がめんどうくさいのは事実だからだ。


『でもまあ、こっからは共同戦線だよ! ここでそぎ落とせるものはみんなそぎ落としておかないとね!』


 ナビはピースサインをした。まるで仕切り直すようだった。


『まあ私は別の仕事があるから帰るけどね!!!』

「マジで何しに来たんだ」

「とっとと仕事に戻れ」


 完全におちょくりに来たとしか思えなかった。

 ナビは本当におちょくりに来ただけだった。


『それじゃ、クロウ君! ブラッドガルドと仲良くね!』


 クロウどころかブラッドガルドまでもが嫌そうな顔をした。

 ナビはというと、その視線から逃げるように通信を切って消え失せた。


 ヨキウがちっ、と舌打ちをした。

 おそらくナビの本体の居場所を探っていたのだろう。ナビは自分の痕跡ごとがっつり消していった。というより、魔力がブラッドガルドのものである以上、そこにいる本人の魔力と混じってわからなくなってしまった。


「一人だろうが……二人だろうが……同じことだ!」


 怪物が吼えた。

 ぎろりとクロウの眼が怪物を睨み付ける。

 その刃が勢いよく横に振られると、怪物に赤い線が入り、上部分が左側にずるっとずれた。きらきらとした魔力を噴き出しながら、次第にずれの大きくなった上半身は地面に落ちた。魔力の粒になって消えていく。


「……舐めるなよ。俺はいま、虫の居所が非常に悪い……」

「偶然だな。我もだ」


 その隣で、非常に不機嫌な顔をしたブラッドガルドが、その手に炎のような闇を纏った。







『さーて!』


 ナビが画面で現れたのは、遙か地上を見下ろせる大空だった。


『うわー。めちゃくちゃセラフちゃんの魔力に満ちてるよー。つらー。ブラッドガルドの魔力が通ってるから、つらー』


 画面から見ているので、画面ごとひっくりかえってさかさまに世界を見ることもできる。

 まだ夜中だった。太陽はまだ出ていない。それでも爽やかな風の吹く地上は、暗くて荒涼として、何もかも焼けてしまった地下とは大違いだ。

 賑やかで、美しくて、どこまでも広がる大地。


 その片隅で、ひとつの戦いが終わろうとしていた。

 白い魔力の翼を広げたリクが、空中から鳥のような怪物をぶった切ろうとしていた。


『うんうん。勇者君のところは問題無さそうだね』


 ひっくり返ったまま、ナビは画面の向こうで指を動かす。


『じゃあ、カメラアイ君たちはどうかな』


 カメラアイからの映像は様々だった。


 魔力の中心地にようやくたどり着いたカメラアイによって、ナビに映像が届けられる。ここまでくるのに、どれほどかかっただろう。それはほとんど使い物にならないくらいだった。ここまでたどり着いたカメラアイに、無言のまま慈しむように敬意を向ける。

 映像の片隅には、ハンスが見えた。

 闇と同化するように、息を殺している。自分の口を手で押さえて、眼だけを見開いている。さすがに目の前で行われている行為に、何か感じないわけにはいかないようだった。


 そこは暗い洞窟の奥底にある地下神殿だった。

 どこにあるとも知れぬ、あるいはこの世界から少しずれている場所。魔方陣の中心で、全裸の女が踊っていた。鈴の音を鳴らしながら。わずかばかりの布が揺れると、汗が舞った。伸ばされる足は官能的でさえある。上気した頬は赤く染まり、快楽に身を委ねるようでもあった。

 周囲には黒いローブをかぶった人々が、一心に祈りを捧げていた。

 中にはかつてセラフを信仰していたはずのロダンもいた。感極まったように涙を流しながら、祈りを捧げている。


『……うわぁ』


 ナビは思わず声を出した。

 だがその一種幻惑的な踊りは、確かに儀式だった。信者たちの意識を束ねるための儀式。閉ざされた原初の扉が開かれる。地面から魔力が立ち上り、次第に女を包み込んでいく。金の鈴の音を聞かないように、ナビは少しだけ耳を塞いだ。


 ああ。

 ナビは思わず息を吐いた。

 同じように、きっと神々は息を吐いただろう。


 いよいよだ。


『絶好の復活日和だね』


 世界はいまだ暗い。

 夜は明けていない。


 ――ブラッドガルドもよく考えるよねえ。


 原初の女神。

 原初の泥の奥に潜む、名も無き錆びた大顎。

 それは忘れ去られるべきだった。歴史の中のほんの伝説と成り果てなければいけなかった。


 ――さあ、復活してもらうよ。原初の女神様!


 ナビはほくそ笑んだ。

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