83-1話 最後の一柱

 古びた迷宮に、カツン、カツン、という足音が響いた。

 彼の歩みはとてつもなく緩慢で、隙だらけだった。ときおり、ちりん、とどこかから鈴の音をさせている。それでも、魔物は彼に近寄ろうとはしなかった。ありとあらゆる魔物が彼を遠巻きにした。

 彼が目指す場所はひとつきり。


 この迷宮の主の居城だ。

 ブラッドガルドの迷宮。

 大地と海を挟んで世界の真逆にまで伸びた迷宮。その最下層であり、シバルバーそのものが、ブラッドガルドの居城だ。


 迷宮は短い間に二度も主をすげ替えたが、それでも以前の状態を保っていた。石造りの通路に、朽ちた木の柱が周囲を支えているだけの錆びた迷宮。死にかけていて、空虚で、中身が無い。虚ろな闇がどこまでも支配する迷宮。


 だが以前の主の影響をいまだに受けているのか、ときおり奇妙な魔法生物が現れる。塩のゴーレムや砂糖で出来た花。魔石に擬態する、宝石のような甘い菓子。まったくもって似つかわしくない。朽ちた迷宮を彩る異物は、いまや冒険者たちの格好の的だ。

 まったくもってよくわからない。

 以前の主は、魔女であるとか、巫女であったとか、そのくせ使い魔はずいぶん冒険者になれなれしかった。何を考えているのかさっぱりわからない。つかみ所がない。ブラッドガルドの味方につきながら、人間にも益を与える。いや、果たして益を与えている自覚もあるのか。だがとにかく、このうら淋しい迷宮に現れる魔法生物は、あきらかに魔女の影響だ。


 だから、ブラッドガルドが変わった、などと思うのは軽率だ。

 ここに実際に来てみて、「変わった」などというのは幻想だと気付いた。

 どれほど異物が入り込んでも、本質は変わらない。

 ブラッドガルドはどこまでいってもブラッドガルドだ。

 虚無の王。

 虚無をどれほど飾り立てても、ブラッドガルドの本質はそのままだ。


 やがて彼の歩みは、最下層にたどり着いた。

 通路の先に、開けた空間がある。空虚な柱が立ち並ぶ、巨大で滅びかけた部屋。その中心に、迷宮の主は座っていた。

 朽ちた玉座に腰掛け、無造作に投げ出した足を組んで、うつろな目で入ってきた者を見返した。一瞬、怯んだように足を止める。実際少しだけ怯んだのは事実だ。どれほど落ちぶれようと、現状を受け入れようと、邪であろうと、神は神。威圧感と恐怖が立ち上ってくる。

 だが彼はそれを退けた。彼にはいま、それ以上の加護がある。


「やあ、ブラッドガルド。久しぶり」


 声はよく響いた。

 ブラッドガルドは動かない。その視線だけが見返す。


「それとも覚えていないかな。……姉さんと僕の兄弟たちが、世話になったんだけど」

「……ああ。やはり貴様らか。金の鈴」


 別にその言葉で気付いたわけではなさそうだった。

 ただ単に、それしか言うことが無かったのだ。


「名前が無いのは面倒だね。僕はヨキウという。以後、お見知りおきを――」


 ヨキウが頭を下げて言い終わるよりも早く、ブラッドガルドが動いた。

 無造作に投げ出すような手が、ヨキウに向けられた。その瞬間に、暗い闇が槍のような形をとってヨキウに四方八方から突き刺さった。

 ぐうっ、という小さなうめき声を最後に、ヨキウの体はその場に倒れ込んだ。その体はすぐにきらきらと輝いた魔力と化して消え去った。結晶化した魔力が落ちる。ブラッドガルドはその様子を眺めてから、視線をもとに戻した。


「いきなり酷いなあ」


 通路から、まったく同じ格好をした男が歩いてきた。

 先ほどヨキウと名乗った男と寸分違わない。衣服から靴に至るまで同じだった。整った顔立ちも、透き通るような銀色の髪も、どこか挑戦的な金の瞳も。まるでいまの出来事が無かったかのように、歩いてくる。

 それでもブラッドガルドは驚きもしなかった。


「予想はしていたんだろうけどね。でも、無駄だよ。いまの僕らは昔とは違う。君だってわかっているんじゃないかい。まあ、とにかくお互いに疲れる前に、少し話をしようじゃないか」


 二人目のヨキウはそう言って大げさに手を広げてみせた。


「ところで、ひとつ聞きたいんだけど」


 ブラッドガルドがにこりともしなかったので、ヨキウは勝手に続ける。


「ブラッドガルド。迷宮の『最奥』はここではないだろう?」

「は?」


 そこで、ブラッドガルドは完全に「心外だ」という顔をした。おやっと思う。


「隠しているわけじゃないのかい。それなら、本当の最奥がどこかくらい言えるんじゃないかい?」

「隠すも何もここが最奥だろうが。わけのわからんことを言うな」


 いささか面食らうようなイラつきだった。一瞬、虚を突かれて困惑する。

 果たして隠す気があるのか無いのかわからない。


「……」


 ふうむ、と少し考える。

 どうやらただの雑談のつもりが、いきなり当たりを引いてしまったらしい。

 ブラッドガルドはめちゃくちゃに機嫌の悪い顔をしていた。周囲からは黒い炎のような闇が立ち上っている。思わず怯みかける。


「ふうん。まあそれならそれでいいんだ。どこが最奥だろうと変わらないからね」


 そうは言うものの、いまの態度について考えてはいた。

 嘘のつけないタイプなのか、それとも本当にここが最奥だと信じ切っているのかどちらかだ。たぶん後者だ。

 迷宮の最奥とは、主の居城の更に中心部。ありていに言えば、迷宮の主が大半を過ごす場所。ブラッドガルドはここを最奥だと思っている。だが迷宮は別の場所を最奥だと認識している。となれば、そこには。


 ――魔女がいる。


 この迷宮は一度は魔女が主をつとめた。

 ゆえに、魔女の部屋もあるはずだ。ブラッドガルドが頻繁にそこを出入りしているのなら、迷宮がそこを最奥に設定し直しても不思議ではない。だがブラッドガルド自身はかつて最奥であったこの場所を、今も最奥だと思っているわけだ。


「それで。貴様はここに来て何とする。魔物でも連れてきたか」

「いいや。それじゃあ他と同じになってしまうじゃないか」


 ブラッドガルドはややつまらなそうにヨキウを見た。


「なんだい。予想が外れたかい。それは残念だったね」

「ああ、残念だ。ここに魔物をけしかけていたのなら――そうだな、こちらも同じようなものを出していた」

「へえ、どんなものを出されていたのかな?」

「……怪獣大戦争だな」

「えっ何?」


 思わず素で聞き返してしまった。

 大戦争はわかる。カイジュウとはなんだ。それにしたって単語のチョイスが謎だ。


「こちらの話だ、聞き流せ」

「人と話しながらでかい独り言を言う趣味でもあるのかい?」


 さすがにつっこまずにはいられなかった。


「まあいいさ、ブラッドガルド。何故僕らは今日、君の目の前に姿を現したか」

「ふん。どうせ、我のところが最後なのだろう」

「その通りだよ! よくわかっているじゃないか!」


 最初はアズラーンに。

 次はチェルシィリアに。

 そしてセラフに。

 あとはもう、ブラッドガルドだけだ。


「だけどお前は駄目だ。お前は姉さんを愚弄した。だから半端な魔物などでは、僕たちの気がおさまらない」


 ヨキウの纏う空気が変わった。

 発光体がじわじわと床からたちのぼり、ヨキウの周囲にまとわりついていく。圧縮された魔力が力を与えているようだった。

 ブラッドガルドが、一瞬だけ眉間に皺を寄せた。


「この迷宮は姉さんのものになるはずだったのに。宵闇の魔女とやらも余計なことをしたものだ。お前も魔女も絶対に許さない……。お前を神から再び引きずり下ろして、たたき落としてやる。魔女の体を引き裂いて、お前にハラワタをぶちまけてやる」


 恨み節を語る目が開かれると、白目が消失した。白目だった場所は黒く塗りつぶされ、金色の瞳は小さく凝縮する。


「……さっきから聞いていれば、姉さん姉さんと。貴様らなど所詮、金の鈴の使い魔だろうが、このシスコンめ。いや――自分で自分を褒めちぎって図に乗っているのだから、究極の自己愛か。むなしい奴め」

「抜かせっ!」


 ヨキウに集った魔力が一気に膨れ上がった。


「お前だけは許さぬ! 姉さんがお前を飲み込む前に、僕らがお前を潰してやる」

「やってみるがいい、下郎が」

「あああああ」


 魔力は更に膨れ上がり、次第にヨキウの体をぼこぼこと膨張させた。光の中でその姿は既に無いに等しかった。銀色の髪が触手のようにそれぞれ束ねられ、異様に伸びて後ろにまで流れる。体は筋肉質だったが、肌はぶよぶよとした白い肉に覆われている。そして、胸の中央に鈴のごとき巨大な瞳が見開かれた。その周囲を半円形に囲んで、首飾りがあった。首飾りに見えたそれは、ひとつひとつがきょろきょろと周囲を見つめる金色の目玉だった。

 姿だけで見るならばカエルのようでもあったが、その口だけは前にぐぐっと伸びてきた。そして、ゆっくりと伸びた場所に亀裂が入っていく。びきびきと上下を引き裂き、その下からは牙の並んだグロテスクな口内が姿を現した。更にその手には、黒い槍が握られていた。槍も、ただの槍ではない。持ち手も先も真っ黒だが、髪が変化したものと同じような触手が絡みついている。

 体はまだ膨張を続けていて、やがて巨大な姿になり果てた。いまや大広間の天井に頭がつかんばかりだった。

 月光を背負った、まさに怪物としか言いようのないものになっていた。

 さきほどの美丈夫の姿は吹っ飛んでしまった。金の鈴が侍らせるのにちょうどいい美形を保っていたのだろうが、もはやそんなものは必要ないのだろう。姉とやらが見たら卒倒しそうだと思ったが、もしかしたらこれを美しいなどとのたまうかもしれない。


「ふん。原初の女神の力を与えられたか」


 ならば、相手にとって不足はない。軽い運動にはちょうどいいだろう。

 相手はすっかりいまのブラッドガルドよりも巨大になっていた。まるで自分がドラゴンに挑戦する冒険者になった気分だ。だが、そんなものは自分よりもクロウにやらせておけばいい。


 槍がブラッドガルドめがけて振り下ろされる。

 ブラッドガルドは軽く足を玉座に乗せてから跳躍した。直後、玉座ごと地面がえぐり取られた。簡易的に作った玉座だったが、多少もったいないと思った。なにしろ迷宮がここを最奥だと認識していないので、玉座が出現しなかったのだ。しょうがないから自分で作ったが、あっという間に壊された。

 頭とおぼしきものが、空中に跳んだブラッドガルドを捉える。

 すぐさま、髪の毛のような触手がブラッドガルドめがけて伸びてきた。それから逃れるように地面へと落下すると。触手は背後にあった柱にぶつかってすさまじい音を立てた。ただの一撃で、柱の上部に亀裂が走った。粉々になった欠片が飛び散る。地面に着地すると、ブラッドガルドは立ち上がって再びヨキウだったものを見た。

 触手がヨキウに戻る前に、再び振り下ろされた槍を、今度は片手で受け止めた。

 ものすごい力だった。受け止めた手が安定せず、わずかに手が揺れる。こんなものは、勇者の剣を受け止めて以来だった。思わず口元に笑いがこぼれる。人型の姿のままなのはハンデのつもりだったが、これなら合格だ。


「……どうやら、少しは我を楽しませてくれそうだ」


 ブラッドガルドはそう呟いたところで、何かに気付いた。

 気配が増えている。目の前のひとつだけだった気配が、その後ろで二つ増幅した。それは大きく膨れ上がり、同じように口が犬のように伸びていった。そして同じように亀裂が入り、そこから口が開かれていく。中に並んだ牙が見えた。

 ブラッドガルドは最初、槍を受け止めながらそれを見ていた。

 現状を理解すると、ますます口角がつり上がっていく。


「は。はははははっ! そうだったな、貴様らは群体だったな!」


 楽しげに笑うと、掴んだ槍に力をこめる。槍から伸びる触手がブラッドガルドを捉えた。その体をぶち破るべく、触手の先を向けて向かってくる。それを片手でいなすと、すぐに槍を手放した。瞬間的に、離した槍の上へと跳んだ。そしてそれを足場にして大きく跳躍する。迫り来る触手を片手で掴み、もう片方の手に絡みついたものを引っ張る。すぐにはちぎれなかったので、もう一度むりやりに引きちぎった。

 核となったものが使い魔であるせいか、引きちぎった触手はそのまま残ったりはしなかった。地面に捨てたそれはコロンと転がり、光の粒子になって消えていった。


 ブラッドガルドは地面に着地すると、すさまじい形相で自分を見下ろしている怪物たちを見上げた。


「そうだ、いいぞ。ここしばらく退屈でたまらなかったのだ。存分に遊んでやる」


 ブラッドガルドが魔力を纏った。

 闇色の魔力は蛇の形をとっていた。闇の中にぎらりと光る赤い目が、いくつも浮かび上がる。いくつかは威嚇音を出しながら、白いカエルどもを睨み付ける。

 その間に、また一体、二体と怪物が数を増す。

 だがブラッドガルドはまったく怯まなかった。


「――来い」


 それを合図に、槍が大きく振るわれた。

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