挿話54 空を往く怪鳥

 東の国に次いで、海からもたらされた一報について、オルギスが眉間に皺を寄せた。

 どことなく落ち着かない様子に、ナンシーでさえなんとも言えない表情をした。視線をリクに向ける。


「本当に大丈夫なのか、これは」

「どうだろう」


 リクも微妙な表情をしていた。


「まさに人海戦術って感じね。敵がこれほど蜘蛛の巣状に範囲を広げてるとは思ってもみなかった。こっちが動ききれないほどにね」

「人海戦術、ですか?」

 シャルロットが尋ねる。

「ええ。敵の拠点が多すぎて、どれが本体なのかがわからない。あるいは一つの拠点にこだわる必要が無いほど、既に巣が張っている」

「逆に言えば、どこでも準備は可能ということですか」

「そうね」


 アンジェリカは小さく同意した。







 数日前。

 東の国からの書簡に書かれていたのは、驚くべき事態だった。いや、ある程度までは予想はできていた。しかしそれ以上に驚くことがあったというべきか。既に草原国の王が原初の女神に心酔し、南の砂漠地帯を攻めてきたというのだから。

 最初にこの一報を受け取ったあと、リクはすぐにでも出発しようとした。だが、それを止めたのは意外にもナビだった。もっとよく見なよお、と手紙の後半を示したのだ。

 今回はあくまで相手が戦争の体裁をとっていること。それと、ひとまずは撃退できているので今回は報告のみに済ませること。だがそれでも一番気がかりなのは、相手の操る魔物たちに、原初の女神の力が付与されていることだった。


「それに、たぶん同じ事が起きると思うな~」


 ナビはそう締めた。


「どういう意味だ?」

「つまり、海とか空とか他の精霊のところでも同じことが起きそうってこと~」


 ナビはまだいまいちぴんと来ていない人間たちに向かって言う。


「四大精霊を引っ張りだそうとしてるのは感じるよねえ~。でも今回現れたのは世界の東の端っこだよ? そんなところにそれだけの数を投入しておいて終わりってことはないでしょ。多分いろんなところで、各個撃破を狙いつつちょいちょい出してきそうだよねえ」

「各個撃破って……」

「倒せるとは思ってないんじゃないかなあ。運良く倒せれば御の字って感じ?」

「……そうでしょうね」


 同意したのはセラフだった。


「おそらく目的は、世界に風穴を開けることです」

「風穴を開ける?」

「ええ。原初の女神の力を、この地上にばらまくこと。例え加護を持った魔物を私たちが撃退しても、女神の力が現れたという現実をどうこうすることはできない……」

「うんうん。しかも実際に精霊様達が動かないといけない事態にすることで、相対的により存在感を増しちゃう、みたいな?」

「伝承通りに私たちが現れることで、原初の女神も実在するのだと人々に思わせる。たったそれだけでいいのです。認識する人々が増えれば、原初の女神がこの世に現れるための『座』は完成してしまう……」


 わざとらしい「様」付けにも反応を示す余裕はなかったらしい。


「あの……、『座』って?」

「神様として存在するための椅子みたいなものだと思えばいいんじゃない? ほら、迷宮にもあるでしょ。主のための座が」


 迷宮と神では違うんじゃ、と言おうとして、アンジェリカは言葉を呑んだ。

 むしろ迷宮という存在が、神の座――つまり神の存在と、神の領域の関係が模倣されたものではないのか。これまで迷宮は単にダンジョンの上位互換のようなものだと思われていたが、実際はその逆。世界と神の関係が極限まで縮小化されたものがダンジョンではないか。たとえそこにいるのが魔物であれ盗賊団のような人間であれ。そう考えると、国や村も神とその領域の模倣と言える。国王や村長が一番上に座り、自分の領域を支配する。

 そう考えると、神の座を引きずり下ろされたブラッドガルドが、迷宮の主の座にすがりついたのにも納得がいく。とはいえブラッドガルドに限って言うなら、迷宮の主以下の俗物に成り下がるわけにはいかなかったのだろう。

 実際には引きずり下ろされかけたところで、思いも寄らない出会いがあったわけだが。


「そういえば、迷宮には『主のための椅子』が出来るっていうよな。ブラッドガルドの時は壊れかけた椅子だったけど」

「ええ、そうね。主の大きさや生態に合わせたものが出現する。あれは、いわば神の『座』が現実的に模倣されたものなのかも」

「ふふん。だんだん理解してきたかな?」


 ナビが顎に手をやり、何故か勝ち誇った表情で言う。


「そうね。ちゃんとナビが解説してくれるとは思わなかったけど」

「私の役割は迷宮の案内人だからね! ほとんどブラッドガルドとクロウ君の受け売りだけど!!」

「誇っていいことじゃねぇぞそれ」


 さすがにツッコミが入る。

 アンジェリカがセラフに視線を向けると、彼女も頷いた。


「そうですね。ほぼ同じ意見です。というより、ナビさんが私の……というより、私たちの意見をまとめて言ってくださってるような」

「ふふん。これでも一応ブラッドガルドと繋がってるからね!」


 頼れるのかどうなのかわからないことを言う。

 繋がっているというのは、魔力的に繋がっているのも含まれているのだろう。


「まあでも、襲ってくるのはなんとかしなきゃいけないからねえ。ちょうどいいのが居たから、協力はすでに頼んでおいた後だよ~」

「えっ」

「えっ?」

「えっ」


 実際、その通りになった。







「……で、まあ、次は海と。世界樹から帰ってきてすぐこれとはなぁ」


 原初の女神の力を付与された魔物。

 その出現は東だけではなく、西側の海でも起きた。

 チェルシィリアの力を借りた海賊たちを中心に、かなりの大捕物があったらしい。海からの報告は素っ気ないものだったが、必要な情報はすべて書いてあった。共通項を探っていけば、おのずと答えにはたどり着く。


「後手に回らざるをえないのは腹立たしいけどね」


 アンジェリカがため息をつくように言う。

 空気を変えるように、オルギスが続けた。


「そういえば、世界樹はどうなさったのですか」

「あれ、オルギスはその話聞いてなかったっけ。とりあえずセラフの力で結界強化して協力体制はとれたぜ」


 女王は終始微妙な空気を出していたが、なんとか協力は取り付けられた。その微妙な空気の大半は魔女の使い魔たちのせいだったので、リクたちがそれなりに敬意を示せばなんとかなったのだ。とはいえそう仕向けたわけでなく、本人たちに自覚はないのでたちが悪いことこのうえなかったが。もはや一歩間違えれば大惨事になりかねなかったところだった。

 これでしばらくはなんとかなりそうだ。


「そうそう。それと、ここらへんでもいくつかの施設を回っただろ」

「はい。拠点はそれでいくつか潰れたはずですが……」

「あれからハンスからの報告で、新しいことがわかったんだ」

「え。本当ですか」


 オルギスは言ったが、ハンスの姿はここには無い。

 おそらくどこかで隠れて周囲の様子を警戒しているのだ。


「拠点というより、声をかけられた研究施設があったらしくてな」

「研究施設……ですか?」

「施設って言うと大げさだけど、原初の女神に限らず、各地の伝説や伝承なんかを蒐集してる愛好家のグループがいたらしい。過去の事件についてどの妖精の仕業か調べたり、魔物の生態について新説も発表したことがある」

「へえ。そんな人たちが……」

「で、そいつらの所にも鈴の音を鳴らす奴が来たらしい」


 やや空気がぴりついた気がした。

 つまり、今回の黒幕と目される人物だ。


「それが、グループのリーダーは相手にしなかったんだけどさ。仲間内の一人がそいつに魅入られたみたいになって、脱退しちまったらしい」

「半ば喧嘩別れに近かったみたいね。でもそのときに、喧嘩別れした一人が言っていたのが『ヨキウ様』――」


 はじめて出てきた人物名を、勇者の仲間達は頭に刻んだ。


「その、ヨキウという人が、今回の黒幕なのでしょうか?」

「おそらく鈴の音をさせてる奴の名前だろう。少なくとも一人のな」


 実際はどれほど人数がいるのかわからない。

 群体型の魔人か、使い魔の可能性もある。


「さて、そろそろかな」


 海からの報告を受けたあと。リクはすぐにザカリアスや他の学者にも連絡を取った。見つけた共通項に沿って、めぼしい魔物をピックアップしてもらった。

 その中でこれだと思ったのが、「満月の怪鳥」と呼ばれる魔物だった。フクロウのような姿の怪鳥だ。その頭はぐるりと一回転することができ、小さく折りたたまれた羽根は広げると数メートルにもなる。不思議なことに目を片目ずつしか開けず、その目はどちらも顔から飛び出そうなほどに巨大だ。その目に睨まれるとたちまち石化してしまう。二つの目が同時に開く事は、死を意味するとまで言われている。普段は暗い森の中に潜むが、満月の夜になると出てきて獲物を狙う。その獲物には当然人間も含まれる。


 リクたちは、ヴァルカニアの王都を見下ろす小高い山の上にいた。

 王都では端々に隠れた兵士たちが待機している。

 夕日が沈もうとしている。


 夕暮れは次第に紫色に染まり、夜のヴェールが落ちていく。星々のきらめきの中に混じって、邪悪な気が満ちていく。それを果たして邪悪とうち捨てて良いのだろうか。しかし、それは紛れもなくこの世界を喰い尽くす顎だ。古い時代に置き去りにされた錆びた顎。

 大地と海に力がばらまかれ、そして今度は空の上だ。

 後手に回るしかなくても。向こうが力を放つのならば迎え撃つしかない。


 空の星々が不意に消えた。

 まるで夜空に、見えない黒い布が敷かれたように。それはシルエットだった。巨大な黒いシルエットが、夜空の一部分を覆い隠している。それは次第に巨大になっていった。空から落ちてくる。


『……きます!』


 羽根を広げたセラフが静かに呟いた。

 黒いシルエットの中央に、ぎょろりとした巨大な瞳が見開かれた。金色の瞳は巨大で、てらてらとしている。瞳孔はひどく小さく、金色の月に穿たれた小さな黒い点のようだった。たったそれだけで、王都の人々は固まった。たったひと睨みだ。たったひと睨みしたその瞳が、神殺しへの恐怖を全員に思い起こさせた。

 だがそれにも負けず、王都と教会に敷かれた結界が強化された。

 王都と教会を覆うように、半円型の結界が見た目にわかるほどに色を濃くする。


「うっ……!」

「ああっ」


 前線に立つオルギスやナンシーも例外ではなかった。びりびりと全身を覆っていく奇妙な感覚に、思わず声をあげる。

 だがそれでも立っていられたのは、リクがいたからだった。

 この世界の人間ではない、この世界の神々に左右されない、この世界の理の通用しない人間。それがリクだ。


『我が名はセラフ。この空と光を司るもの――』


 人型をとっていたセラフの姿が、巨大化した自身の羽根に包まれて隠された。繭のように縮こまった姿が、一気に羽根を広げる。

 そこにいたのは、本来の姿をとったセラフだった。

 それは、白い羽根を持った巨大な白い鳥。あまりに巨大なので、鳥竜のようでもあった。しかしどこまでも白い姿は、神々しく美しい。散らばった羽根が、ちらちらと雪のように地面に降り注いでいく。


「セラフ! 乗せてくれ!」

『わかりました』


 リクをはじめとしたその仲間たちが次々にセラフの背に乗った。五人。

 あとの一人は、このくそったれな魔物を産み出した元凶を探るべく、魔力をたどって夜の闇を駆けた。


「征くぞ!」


 おおっ、と仲間たちの声がした。

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