挿話53 真実への覚醒
ロダンは黒いローブで身を隠し、暗い夜道を進んでいた。
ときおり夜の向こう側から獣の声がする。逃れるように、足早に獣道を進む。しばらくするとやや道が開けて、古い小屋が見えてきた。誰も手入れのする者のいない古い小屋だった。
さびついたノブを回し、扉を開ける。きしんだ音。中へ進む。誰もいない室内は、ひんやりと静まりかえっていた。扉を閉め、部屋の中を小さなカンテラで照らし出す。すすけた暖炉へ近づくと、片膝をついて中へ入り込んだ。レンガ造りの暖炉の奥は開けられるようになっていて、下へと続く階段があった。暖炉の扉を閉めて、下へ降りていく。地下に到達すると、今度は地面を掘ったような穴がずっと続いている。少し曲がりくねったその先に、光が見えた。
広い空間へと出ると、地下聖堂が現れた。
ロダンが黒いローブを脱ぐと、すぐに聖堂のベンチに座っていた人々が声をかけてきた。
「ロダンさま」
「ロダンさま、こんばんは」
「ああ、こんばんは。良い夜だね」
信者たちに軽く挨拶をして、祭壇のほうへと歩いていく。床には円陣が描かれていて、そこには龍のような意匠が描かれている。だが龍ではない。現実にはいない生き物だ。少なくともこの世界には。
祭壇には、既にもう一人の男がいた。
銀髪をなびかせた青年。僧衣や聖衣ではなく、ロングコートのような衣服に身を包んでいる。丈の長い深い紺色。身分の高さが垣間見れるような銀で装飾。黒灰色のズボン。ゆるやかに巻いた白い布は、民族衣装めいている。彼が振り返った。銀色の髪から覗く、鼻筋の通った美丈夫。黄金色をした瞳が細く笑った。
「これはこれは。ロダン師。早い到着で」
「ヨキウ様。いらっしゃっていたとは」
ヨキウ。
ロダンをこの地へ導いた神官の名だ。神官だろうとあたりをつけているが、実際のところ彼がどういう立ち位置なのかはよくわからない。だが彼の招待を受け、ロダンがここへ来たのは事実だ。
原初の女神について学びだしてからかなりの時間が経った。一年にも満たない時間だが、数年にもわたるかのような濃密な時間だったように思う。原初の女神について、ヨキウは四大精霊よりも前に現れた女神だと言った。本当の意味で、この世界に最初に現れた神。泥の中より現れた女神。
そしてここは、その原初の女神を祀る地下聖堂だ。
そしてロダンをはじめとした、信者たちのための場所。
最初は半信半疑だった。しかし、少なくともここにいる者たちは現状を変えたいと思っているのが見てとれた。原初の女神の信者たちは、隠れるように存在していた。時代や研究方法によっては邪教ともとられていたので当たり前だろう。
「それなら、今日はヨキウ様に祭儀をお願いしたいですな」
「ふ、ふ。ご冗談を。僕よりもロダン師のほうがずっとそれらしい」
「ははは。わたしはあくまで自分なりに変更を加えているだけですよ」
二人が話し合っていると、別の入り口から新たに信者が入ってきた。フードを脱いで二人に気がつくと、すぐに頭を下げた。
「ヨキウ様、それにロダン様も。ご機嫌よう」
「やあ、ご機嫌よう。良い夜だね」
「ご機嫌よう」
彼は黒いローブ姿のまま、信者席へと向かう。
どこかで見たような顔だった。どこで見たのだろうと思ったのは一瞬で、何ヶ月か前に社交界デビューを果たした若き貴族の青年だった。
原初の女神の信者は、エルフをはじめとした亜人や奴隷も多い。しかし意外なことに、それよりも同じくらい、貴族の若者達もいた。この場でも、明らかに周囲と違って身綺麗にした若者たちが見てとれる。名の知れない次男坊から、いましがた入ってきた彼のように、既に社交界デビューを果たした者。顔も知れている青年や淑女。歳を召した者は少ないが、それでも時折、ぽつりぽつりと名の知られた貴族を見かけた。
自分たちの身分には追求しないのがルールだ。ここでは誰もが平等だ。原初の女神の寵愛を受けて、自らに課せられたすべての枷が外れる。彼等は現状に異を唱える者たちだった。栄華な世界にも色々とあるのだろう。あるいは、なんらかの反骨心か。若者が多いのもそれを象徴している。
ロダンのように女神への不信が契機になったというよりは、現状の社会に対する反抗のように思える。これまでの文化を打ち壊す期待。嘆かわしい。
「真実を知っていること――それこそが重要なのですよ」
ヨキウが突然そんなことを言い出した。
ロダンが彼に向けた視線の意味に気付いたらしい。そういえばいつの間にやら眉間に皺を寄せていた。視線ではなく表情だったか。
「い、いや。わたしは――」
「わかりますよ。確かにここには貴族たちがたくさんいます。中には優越感でここにいる者も多いでしょう」
「……優越感、ですか?」
「ええ。他者が知らぬ大いなる存在を知っている。そんな優越感です」
「そんな」
「しかし、ですね。真実を知らぬ者は真実を拒否するものです。愚かにも真実から目を逸らし、偽りの神に支配された世界をすべてと信じている。そんな人々から脱却したとあれば、多少の優越感も若さゆえに感じてしまうものでしょう。――あそこの女性をご覧なさい」
ヨキウは数人の男女と話している中年の女性を示した。
「彼女は夫と子供を説得できませんでした。彼女の夫と子供は、真実を知った彼女を拒否したのです。彼女はよく戦いました。我々は拍手と賛辞を送るべきでしょう」
ロダンは頷いた。
「また、あちらの男性も同じです。彼は自分の妻と、母親と袂を分かつことになりました。彼の場合は、真実を否定する妻に憤りを感じていました」
「……しかし、受け入れられない気持ちも多少はわかりますな」
「ロダン師はお優しいですな。ですが、真実を拒否する方々にも優しい声をかけられる方は貴重です」
ヨキウは笑って頷いた。
「それに、真実を知らしめるのに貴族たちの存在はある意味、貴重です。彼らの言葉にはきちんとした重みがある。我々はいまだ偽りの社会にありますから。偽りの社会に則って行動しなければならないのは歯がゆいですが」
「そうですな。まだ道は長い」
「しかし原初の女神が降臨なされれば、遅かれ早かれ、いまの世界は根幹からひっくり返されることでしょう」
ヨキウは視線を円陣に向けた。
「現状のすべての貨幣は意味を失うかもしれません。身分も意味も失うかもしれません。しかし――そのとき、真に女神の統治する新たな世界が訪れるのです」
そうだ。
真なる女神の作る新たな世界。
この世界を憂いているのは、ロダンも同じだった。もっと的確に言うならば、権威と欲に溺れつつある教会を憂いていた。かつて勇者リクに誰を同行させるか、ただそれだけで巻き起こった権力闘争。結局オルギスが後ろ指をさされながらも勇者に同行したのは正しかった。彼はなにも後ろ盾はなかったが、結果的にそれが役だった。
カインを取り巻いた闘争もそうだった。
しかし惜しむらくは、彼らが真実を知らぬことだろう。あるいは偽りの神々に、真実の女神について嘘を吹き込まれているに違いなかった。真なる女神を封じ込め、自分たちが神を名乗りだした者たち。素知らぬ顔で女神として顕現したセラフ。その名を口にすると、妙な胸騒ぎがする。やはりこれまで信じていたことを捨てることに抵抗感があるのだろう。しかしヨキウはそんなロダンに理解を示してくれた。いままで信じていたことが崩れるのは、これ以上なくショックであろうと。
「我らはいまだ地の底にてそのときを待つ身。しかし、偽りの神々もまた我らを恐れている。下手に動けば、この世界は混乱の渦に巻き込まれる」
「それまでなんとか、持ちこたえなければなりませんな」
「ええ。コルシャ様も、この現状を変えるために動いておられます」
ヨキウは巫女の名を出した。
原初の女神を顕現させるために必要だという巫女。
ロダンは彼が一度だけ、巫女のことを姉と呼んだのを覚えている。
「いまは待ちましょう。コルシャ様がその身を捧げるとき、原初の女神はこの地に降臨なされる」
ロダンは頷いた。
ロダンはもう迷うことをやめた。
翌日、ロダンは教会に辞任を申し出た。
彼の担当していたコルトー大教会は、他の司祭が緊急的に派遣されることになった。
しかし、代わりにやってきた司祭は困惑を口にした。
まるで司祭をいないように扱い、祭礼は行われるものの教会にやってくる者たちはその大きさに対してまるで少ない。神官たちもどこがおかしいとも言い切れないのだが、よそよそしささえ感じた。はじめてやってきた司祭に対して、というよりも、まるでよそものに対するようなそれだった。
ロダンは自分の担当区ひとつを丸め込み、原初の女神についての『真実』を告げたのだ。その事実がもたらされたのは、コルトー地区から抜け出した一団がリクを探してバッセンブルグの酒場にたどり着いてからだった。
*
ヨキウは黒いローブを羽織って、森の中の夜道を行くところだった。
彼は、地下聖堂に繋がる古い小屋とは違う場所に向かっていた。ちりんと鈴の音が鳴ると、古びた廃墟の中からも同じ音がした。するりとさびれた扉をくぐると、中には同じように黒いローブをかぶった者たちがいた。
部屋の中央に集うと、同時にフードを降ろす。
全員が、ヨキウと同じ顔をしていた。銀髪に金色の瞳。違うのは装飾や髪型だけ。
彼らは口々に尋ねた。
「どうだった」
「上々だ。そっちは」
「姉上の調整が第二段階に入った」
「おお」
「ただ、悪い報告もある」
「なんだ」
「東国で加護を持たせた月の魔物たちが倒されている」
「ふむ。なんだ、勇者の仕業か?」
「いや。騎士のようなものがよくわからないままめちゃくちゃ倒してる」
「……意味がわからない」
「それしか言えない。騎士のようなものがよくわからないままめちゃくちゃ倒してる」
「いやそれはもういい」
二度目はさすがに止めておく。
「しかし、憂慮すべき事態ではないか」
「ああ。もしも加護をこめた「主」が倒されたら」
「まさか。それこそ神の一柱でも引っ張ってこないと無理な代物だろう、あれは」
「いや。それでいい。それで、大顎の女神の存在は見せつけられるはずだろう」
大顎の女神の加護を最大限に受けた魔物。
それが倒せるとも思えない。しかし万が一があっても、別に良いのだ。手痛い犠牲に思えても、問題は無い。神々が出てくることも想定内だ。彼らが出てくるということは、相対的に原初の女神の存在をも認めさせることになる。原初の大顎の女神を認識する人間が増えれば、女神へのアクセスも大幅に広げられる。
そして、ヨキウと他の弟たちの信仰する姉――魔人『金の鈴』ことコルシャが、その力を身に宿すのだ。
「ああ、姉さん。姉さん――」
ヨキウも他の弟たちも、同じ表情をしていた。
「ようやくあのブラッドガルドに一泡吹かせてやれそうだよ」
神の力を封じるには、神の力を振るうしかない。
愛すべき姉は本物の女神になるのだ。
そうしてこの世界を支配する。愛する姉こそが真の女神になる。
ヨキウたちはそのためにこうしてここにいる。数百人の弟たちが。
「ではそろそろ、バッセンブルグでも仕掛けようか。選ぶ魔物は当然――」
「ああ。空の魔物だ。女神セラフを引っ張り出すぞ」
弟たちは同じ顔で、同じように笑った。
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