東方国の乱(3)
ルディの剣が赤い光を放ち、怪馬の目を貫く。
怪馬が痛みに大きく姿勢を崩し、上に乗った兵士が慌てたように手綱を動かす。しかしその一撃が怪馬だけでなく兵士にも驚きをもたらしたおかげか、騎馬隊の一団はその勢いを大きく崩した。
その瞬間を見逃さず、近くにいた冒険者が魔物の馬へ獲物を向けた。馬の腹めがけて大剣が傷をつけ、背後から魔法で作られた氷の槍が貫く。
冒険者があらかた怪馬を片付けている間に、普通の馬に乗った兵士には、砂漠国の兵士たちが対応していた。
「すまねぇ、恩に着るぞ仮面の!」
ルディはそんな声に軽く手を振り、黒い鎧の馬を走らせて次の怪馬へと向かう。
その途中で、砂漠国の兵士たちが巻き返しているのを見かけた。
「怪馬の目を見るなっ。あの目が妙な術を施されてる!」
「極力、目を合わせるな!」
気の弱い者たちならともかく、ある程度芯のしっかりした者たちなら、目さえ見なければなんとかなりつつあった。
硬直から立ち直った一般市民は、まだ立ち直れていない人々に声をかけたりして逃げていく。中には、兵士に一矢報いようと商品を投げつけたり、路地に隠れてトラップを張る者たちまでいた。
「アンタたちっ、よくもうちの商品をダメにしてくれたねっ!」
太った女商人たちまでもが怒り心頭で何かの硬い実をぶつけまくるので、中には驚いて飛び退く馬までいた。
だが、そこはさすがに兵士と一般市民の差だ。兵士もすぐに馬をなだめ、すぐさま槍を手に
ルディは黒鎧の馬の背に乗ると、そのまま跳躍した。兵士の姿を着地地点にとらえると、踵から赤い光を放たれた。奇妙な気配に振り返った兵士の顔が驚きに歪んだのと同時に、強烈な蹴りをお見舞いする。
避けきれずに馬から蹴り落とされ、兵士は目を白黒させながら呻いた。後からやってきた兵士たちが、地面に落ちた彼を取り囲んで捕縛する。
ルディはすっかり自分の馬になってしまった黒鎧の馬に飛び乗ると、女商人を見下ろす。
「無理はするな。さっさと逃げろ」
「ひゃーっ、アンタ、かっこいいねえ! どこの冒険者だい?」
「……。いいから、早く逃げろ」
子供を二人、肩に担いで走っていく女商人を見送る。こっちに手を振る子供に小さく口元だけで笑うと、再び馬の手綱をとった。
*
仮面の騎士が走り回っているとはいえ、じわじわと敵の勢力は砂漠の王都を満たそうとしていた。古き女神の加護を手に暴れ回る怪馬は、予想以上の数といえた。仮面の騎士によってどれほど奮い立つことができても、その後の兵士との戦いで命を落とすことさえあった。
本来であれば互角である砂漠と草原の兵士たちの差は、やはり古き女神の加護にあるといえた。そして、草原の国が襲ってくるはずはないという楽観さ、そして事実を目の前にしたときの困惑が響いたのである。足下をすくわれたとはこのことかと、ザフィルは思った。
忙しさは限界に達し、子供の奴隷はあまりの緊張感に泣き出す者もいた。教育係が彼らをひとかたまりにまとめて、王宮の避難所へと向かっていく。だがその避難所も、既に満杯状態になりつつあった。
「ナイトという仮面騎士――彼はおそらく単独で動いているようですね。彼の力を借りられれば、一番手っ取り早い」
「ふむ。接触を試みることはできるか?」
「――僕ならば」
「わかった、行ってくれ。お前が帰る頃までは、なんとかしてみせよう」
「不吉なことは言うものではないよ、ザフィル……」
そう言うと、アズラーンはベランダへと足を向けた。
城下が見えた。あちこちから火の手があがっている。砂漠の中の巨大な都市が、たった短期間でこれほどまでになろうとは。大地を譲り渡した子孫たちが争いあっている光景ほど、胸を裂くものはなかった。
片手をかざすと、自分の感覚を城の上から地上にまで落とす。そこから大地の感覚を使い、仮面騎士のいそうな場所を探索した。あちこちで争いが起きている。他国の冒険者であるなら、味方しているというより魔物の討伐に力を注いでいるだろう。ただでさえ『新月の怪物馬』がこれほどの数いるのだ。その素材採取のために倒していてもおかしくない。
「あっちか」
そう言うが早いか、城下を見下ろせるほどの高さにあるベランダからアズラーンは跳躍して落ちていった。
慌てた奴隷たちが悲鳴に近い声をあげる。
「あ、アズ様!」
「彼なら大丈夫だ」
ザフィルがそれだけ言った。ベランダをのぞき込んだ奴隷達は、アズラーンが残された屋根の上へと落ち、そこからまた跳躍していくのを目の当たりにした。あまりのことに、ぱくぱくと口を開け閉めしながら二度見する。
「……彼の出番が無いことを願う。さあ、アズの邪魔をするのはそこまでだ」
ザフィルはそれだけ言うと、遠回しに仕事に戻るように言った。
そんな城内の様子を気にかけることもなく、アズラーンは屋根の上を移動しながら仮面の騎士の気配を追った。
兵士の死体がそこかしこに転がり、主を失った傷だらけの馬がぴくぴくと横たわって蠢いている。血が、大地へと染みている。長い歴史の中で、血が染みることなどたくさんあった。だが今回は、古き女神が絡んでいる。アズラーンは胸の痛みを感じながら、建物の上を跳躍した。
やがて広場が見えてきた。
この砂漠の地で噴水が整備された、自慢の広場だった。
壊されたパイプから水が噴き出し、あたり一面が水浸しになっている。その中で、怪馬を仕留めた姿があった。ぐわあっ、という声をあげながら、上に乗った兵士が転がり落ちた。ちょうど壊された噴水の角で頭を打ち付けたらしく、小さなうめき声をあげながら意識を飛ばしたらしい。
剣をおさめた仮面の騎士は、視線を巡らせて誰かいないか探したところだった。
「そいつは僕が引き取ろう」
アズラーンはそう言うと、屋根から飛び降りた。
「兵士ではないけれど、王家の奴隷だよ」
「そうか」
仮面の騎士はそれだけ言うと、再び自分の馬に乗ろうとした。
「それと、きみに用があるんだ。仮面騎士ナイト君……だね?」
騎士の名を呼ぶと、その人物は馬をとめて振り返った。
仮面騎士ナイト、と名乗るだけはあった。全身を覆う黒い鎧。顔の半分を隠す仮面。騎士が乗ろうとした馬もそうだった。馬用の黒い鎧で覆われていて、似たような意匠がついている。まるでこれこそが完璧な姿なのだと言わんばかりだった。
――しかし、この魔力……?
どこかで感じた魔力だ。黒い鎧は中の人間の魔力を完全に覆い隠してしまっていて、正体をわからなくさせている。
対して仮面騎士のほうも、アズラーンをまじまじと見ながら少しだけ驚いたような視線を向けた。
「確かに私の名は仮面騎士ナイトだ。……そういうあんたがアズか?」
アズは――もとい、アズラーンは目を見開いた。
「深く説明しているヒマはない。私の持つ力は、魔女の迷宮から生まれたものだ。そう説明すればわかるのだろう?」
「魔女とはまさか、宵闇の?」
「そうだ」
――そうか。あの迷宮から……。
――それなら、彼の鎧には……!
「……なるほど。なんとなく察しがついたよ」
「そうか。ところでこの音は、あんたの仲間か」
ナイトは皮肉のように言った。
向こうから騎兵隊がやってくる音が聞こえてくる。どうやら周囲から囲まれているようだった。
「いいや。……そっちは任せられるかい?」
「戦えるのか?」
「一応はね。僕、これでも王様付の高級奴隷だから」
「わからんな」
「まあ、任せなよ」
近づいてきた騎兵隊は、三方向からのようだった。耳を澄まし、やってくる通路を特定する。
やがて通路の先にその姿が見えた。
怪馬が三体に、通常騎兵がその後ろに幾人もついていた。
だがその怪馬の目も、ナイトとアズラーンには通じなかった。すぐさま二人はそれぞれの方向へ飛び出すと、ナイトは剣を、そしてアズラーンは小さく指を振った。
ナイトの剣が槍を振り払い、音を立てたその後ろで、アズラーンはゆらりと槍を回避した。踊るように身をかわし、その身を追って怪馬に乗った兵士が槍を振り回す。
――……ふうむ。馬。馬か……。原初の女神が馬、ねぇ……。
あの原初の女神が馬を使うとは思えなかった。だからやはり、女神を復活させようとしている何者かの仕業なのだろう。これほどの加護を与えるには、なにがしかの共通項があるほうがやりやすい。その人物が、馬に縁のある人物なのだろう。あるいは、新月のほうかもしれない。たとえ名前だけであっても、名前というのは重要だ。魔力が使われる以前の古いやり方では、名前で存在を縛るという行為が重要だった。
大きく振られた槍をしゃがんで避けると、アズラーンは転がりながら地面に手をついた。その先に魔力が集う。その途端、砂の地面が槍のようにいくつも隆起した。巨大な剣でも撃ち込んだかのようだった。それは一気に馬の体勢を崩し、混乱を引き起こす。
「うわっ、くそっ!」
その瞬間をアズラーンは見逃さず、再び指先を向けた。地面に散らばった砂粒が浮き上がったかと思うと、それらがすべて兵士たちに向かって張り付いていった。目や口の中も余すところなく砂がこびりつくと、兵士たちはなんとかそれを払いのけようと闇雲に腕を動かした。だがそれが余計に馬を刺激したらしい。そのうちにドサドサと勝手に落馬し、馬たちは驚きで暴れたままどこかへと走り去っていった。
数歩下がると、背中に気配を感じた。
お互いを見ると、ちょうど視線がぶつかった。
「……やるな」
「きみこそ」
ナイトのほうにも、切り伏せられた怪馬が一匹と、地面に倒れ伏した兵士たちが散らばっていた。
二人は再び向かい合うと、後のことは砂漠の兵士たちに任せることにした。
*
あらかた敵を片付けてしまったあとには、夜が訪れようとしていた。
砂漠地帯の冷たい夜が迫ると、次第に草原の兵士たちは撤退していった。だが王都の中でも草原の兵士たちに占拠された箇所がいくつかあり、そこは特に緊張状態にあった。
いまだその手が王宮に及んでいないとはいえ、油断はできない。
ザフィルはなんとか終わった一日目の襲来に、ふうっとため息をついた。
「いくら魔物を使っているとはいえ、兵士にも休息が必要、か……」
「そのようだ。その間にこっちもやることをやってしまおう」
アズラーンは奴隷や兵士に命じて、あちこちに向かわせた。
兵士の治療や兵站の補給。そして残された人々の避難。やることは山積みだった。
町中では逃げ遅れたり、瓦礫の下敷きになった人々の救助が行われていた。貴重な水を使うのをきらったのもあり、火事になったところは諦めるしかなかった。幸い、レンガ造りなこともあって、建物の延焼は免れた。しかし、その代わりに瓦礫が多かった。
指示し終えると、アズラーンはとある部屋に向かった。
扉を開けて中に入る。部屋の真ん中にはテーブルがあり、二人分のカップが置かれていた。その一つに手を取ろうとしていた人物が、入ってきたアズラーンを見る。
「こんなものが、あとどれほど続くのだろうね」
「……」
ナイトはただ肩をすくめただけだった。
アズラーンはテーブルを挟んだ向かいの椅子に座る。
「……さて、ナイト君。改めて自己紹介をしよう。僕の名前はアズ。砂漠王ザフィル付きの高級奴隷……って触れ込みなのだけど」
「……」
「信じてないかい?」
さすがにここまでフランクで、そして奴隷らしくない奴隷ももはや居ないだろう。
ザフィルと通常のやりとりをするのさえ、もはや必要が無くなっている。アズラーンの言葉はザフィルの言葉とばかりに、他の人々も動いている。
「それはいまはまだ言えない……が、あんたを手伝ってやってくれと言われていてな」
「手伝え……。ふむ、そうか」
そんな気を回しそうなのは、確かにあの魔女と呼ばれる少女くらいだと思った。
「細かい事を抜きに言うと、世界を救う手伝いをしろと」
「……ずいぶんと大雑把な説明だなあ」
アズラーンは思わず苦笑した。
「だけど、間違っちゃいないね……」
「何が起きているんだ、この世界に」
いま一番聞きたいことだ。
「勇者がブラッドガルドを倒したとき――、もはやこんなことは二度と無いだろうと思った。だが、それ以上のなにかが起ころうとしているのか」
「……それを阻止するために、僕はここにいるのさ」
ナイトの目線が、あらためてアズラーンを見た。
「僕はこの戦争を、ただの人類同士の戦いで終わらせたい」
「そうじゃない場合もあるってことか?」
「……ああ」
アズラーンはカップの中身を少しだけ飲んだ。
飲食は本来必要の無い体だが、いまは落ち着く気がした。
「そのためにもきみの力が必要だ」
「なぜ私なんだ」
ナイトの疑問はもっともだ。
「きみが、あの怪馬に対抗できるからだよ」
「怪馬か。……あれはいったいなんなんだ? ただの魔物かと思ったが」
「ただの魔物だよ。普通であればね」
アズラーンは立ち上がり、カップを持ったままベランダへと近寄る。
月に照らされ、いまだに戦火の跡がくすぶった城下が見えた。
「あの魔物には、いわば神の加護ともいうべきものが付与されている」
「神の……加護?」
「そう。神と一言で言うけれど、僕らにとってはこの世界を喰い尽くす癌みたいなやつだ」
「そんなものが……どうして」
「もちろん、直接の加護じゃない。加護自体はすごく小さなものだ。神官が与えた加護の中でも小さなものさ。……だけれど、人間にとってはそれだけでも畏怖の感情を起こさせるんだ」
「……まさか、それでか? あれを見た人間が、次々に動けなくなっていた。一瞬で終わったようだが」
「そのとおり」
ナイトは次に言うべき言葉を見失っていた。
もしそうなら、何故自分はその影響を受けないでいるのか。そう問いたかった。その疑問を先に受け取ったように、アズラーンは口を開いた。
「きみの鎧は、宵闇迷宮で見つけたものなんだろう?」
鎧の具体的な強さや経緯はさておいて――と前置きしてから、アズラーンは続ける。
「宵闇迷宮は、ちりぢりになったブラッドガルドの魔力が小さく分散していたらしいんだ。そこで生まれた鎧ならば……。そうだな、それこそすごく大雑把に言えば、ブラッドガルドの加護が与えられているというべきか」
「は……」
「もしかしたら魔女の性質なのかもしれないけど、まあ十中八九ブラッドガルドの加護みたいなものだろうね」
「……魔女の性質……」
ナイトは当時の宵闇迷宮を思い出していた。
何もかもが規格外で、本来の冒険地でのやり方が通用しなかった。
それを考えると、ベルト型の魔道具からこんな鎧が装着されたり、そもそもベルト型と言いながら自分の体と一体化してしまったり、それどころか馬に乗れば馬にまで同じような鎧が装着された。確かにいろいろぶっ飛んでいる魔女の性質と言われれば納得できる。
ナイトは深く考えるのをやめた。
反対に、アズラーンは違うことを考えていた。
魔女の性質とはすなわち、瑠璃の性質であり、勇者リクの性質でもある。
異世界の人間であるがゆえに、こちら側の摂理――つまりこの世界を作った神々に感じてしまう服従心や畏怖のようなものが無い。
ならば、原初の女神とはいえ、小さな加護など意に介さないのも納得できた。
とはいえ、そんなことをナイトに直接言うことはできない。
だから、ブラッドガルドの加護としておいた方が都合が良かった。
「ほら、勇者リクだって、セラフの加護を貰ってようやく対等に戦えるようになったのさ」
「なるほど。似たようなものか」
「うん」
納得してもらえたようで何より――とアズラーンはこっそりと思った。
「ともかく、あの怪馬が厄介だ。どうか、あの怪馬を叩いてもらえないだろうか。あれさえ片付けてくれれば、あとの処理はこっちでやる」
「……」
「もちろん悪いようにはしない。望めば報酬も出そう。戦争に介入したことにはならないようにする」
言い切ってから、彼は続ける。
「……この世界のために」
ナイトはふうっとため息をついた。
「世界がどうとかは正直よくわからない。だが……いいさ、乗りかかった船だ」
「そうか!」
アズラーンはにっこりと笑うと、片手を差し出した。
ナイトはその手をまじまじと見たあとに、ようやく自分の片手を差し出した。ナイトが握るよりも先にアズラーンがその手を握り、ここに協定は結ばれた。
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