東方国の乱(4)
砂漠国の王都に草原兵が攻め込んでから、三日が経った。
その頃には、次第に仮面をした騎士の噂は向こうにも伝わったらしい。加護持ちの魔物を武器に特攻してくるような真似は無くなっていた。
ルディは表だっての協力関係を嫌って、裏から手を回す方向で動いた。戦争への参加というより魔物退治を専門にして、主に『新月の怪物馬』を中心に倒して回った。それでも効果は絶大だった。騎士の存在に戸惑っていた砂漠兵も少なくなかったが、ひとまずは敵ではないということを理解しはじめた。魔物を倒す冒険者のようなものだと納得したのだろう。
一週間もした頃には、砂漠の兵士たちもだいぶ戦力差が無くなってきた。最初こそ草原兵に支配された区域も一つ二つと奪還し、完全な劣勢状態ではなくなってきている。しかしまだ予断を許さない。まだ占領された区域は残っているし、村に至ってはどうなっているのかわからない。
勇者を呼ぶという初期の案も、あくまで戦争の形をとっている間は却下されてしまった。とはいえひとまずは連絡をとり、何かあったら動いてもらう方向をとった。
そんなことをしながら十日がたち、もう少しで二週間が経過するというところで、草原兵が一気に引き始めた。
「なにをするつもりなんだろうな」
「まさか、勝てないのを悟って逃げたわけでもあるまい」
一旦は占領した区域を放り出して逃げるようなことはしないだろう。
だが草原兵は潜伏はしていても攻撃を加えてくることはない。それどころか、徐々に占領した区域からも引いていった。
砂漠兵たちはその事態に喜びを隠しきれないでいた。仮面の騎士に自慢の魔物を倒されて士気が落ちたのだとか。こっちが持ち直してきたから恐れを成したのだとか。
「まずいな」
しかし、喜ぶ兵士たちと違ってアズラーンは眉間に皺を寄せていた。
同様に、国王の周囲の人間たちもいっこうに顔色は暗かった。奇妙な緊張感が王宮にまとわりついている。
「……そろそろ新月だ。なにが来てもおかしくない」
ザフィルの言うとおりだった。
本来、『新月の怪物馬』は、新月の名のとおり。新月前後に目撃されることの多い魔物だ。新月になると活動を活発化させる魔物。だからこそ名前にも新月が入れられている。
それから一日。
王都は不気味なほどに静まりかえっていた。
戦争が終わったと早合点して外に出ようとする避難民を押しとどめた。
もう一日。
ついに新月の日が訪れた。
一部の脳天気な者だけが外を覗いたが、誰も彼もが不安に駆られた。昼を過ぎると、不意に王都の中に霧が立ちこめてきた。
「霧が出てきたな」
町中で警戒にあたる兵士たちも、異変に気がついていた。
霧はまるで王都どころか砂漠じゅうを囲ってしまうかのようだった。数十メートル先も見えず、兵士たちはお互いを確認しあい、数名で固まって周囲を更に警戒する。一人で警戒にあたっていた兵士は、他の兵士を見つけるとあからさまにほっとした表情になった。
夕暮れ時すらわからないほどに霧が白くたちこめ、やがて夜の帳はおりようとしていた。そのとき、誰かが不意に霧の中に浮かぶそれに気付いた。
「おい、今日は満月だったか?」
「ま、満月? いや、今日は新月のはず……」
霧の空にぽっかりと浮かんだ金色に、人々は困惑した。
月にしては妙に大きかった。それは北側の空に浮かんでいる。砂漠国から見て、草原国のある方角だった。人々が不思議そうにそれを見ていると、やがてそれは空に浮かんでいるわけではないということに気付いた。
巨大な金色の一つ目が、視線を向けて近づいてきている。
その視線は王都に向けて放たれていた。巨大な『新月の怪物馬』が霧の中から現れ、ゆっくりと移動しているのだ。
途端に、びりびりとした緊張感のようなものが走った。
「あっ……、ああああああ」
悲鳴のような声は、次第に誰も発しなくなった。目を合わせたすべての人間が、硬直したように動かなくなった。その巨大さはもとより、古き女神の加護を受けた目が、人間どもを見下ろしていたのだ。その視線にあてられた人間たちは、悲鳴をあげることすらできず、立ちすくんでいた。
それは外の兵士たちにおさまらなかった。
偶然外を見ていた人々や、王宮の屋根のひとつで見ていたルディも同じだった。胸を締め付けられるような感覚に襲われる。
あれは、まずい。何がまずいのかがわからないが、とにかく良くない。何が駄目なのか自分にもわからないが、とにかくまずい。思考がぐるぐると回る中、とにかく行かなくてはという思いに駆られて、屋根から跳躍して城下に降り立った。
できるだけ目を合わせないようにと思ったが、まるであの目に攻撃することがひどく恐ろしいことのように思える。
ルディは自分の足がわずかに震えている事に気付いた。
「……!」
そのせいだろうか。もんどりうつように地面に落ちた。あ、と思った矢先に、聞き覚えのある足音が急いで駆け抜けてくるのが耳に届いた。どさり、と堅い鎧の上に落ちると、その首になんとかしがみつき、それ以上消耗することを防いだ。
「す、すまん。大丈夫か」
すっかり仮面騎士の相棒となった馬は、主の危機に駆けつけてきたらしい。だが、主を背中に乗せたはいいものの、わずかに興奮していた。ルディが首を撫でてやると、ようやく鼻の通るような声をあげ、広場で止まった。
ルディは温かくも柔らかい首筋に触れる。どちらが落ち着かせられているのかわからなかった。
ゆっくりと、こちらに近づいてくる満月を見る。
あれは良くないものだ、という感覚だけがある。恐怖。これが、神と対峙した時の恐怖なのか。ならばそれは――畏怖ではないのだろうか。
声もなく金色の瞳をわずかに視線をずらして見ていると、上空の屋根の上を走っていく影があった。アズラーンだった。その顔には焦りが見える。
「……アズ」
ルディは手綱を握ると、アズラーンの後を追った。
その影は何度か跳躍を繰り返したあと、広場とおぼしき場所に降りたっていた。そこまで馬で駆けつけると、アズラーンは信じられないものを見るような目で固まっていた。
「アズ」
「……ナイト君」
周囲には誰もいない。そういうところを選んで降り立ったのだろう。
ルディは満月を見ないようにして尋ねた。
「いったいあれは何なんだ」
「何だもなにも、『新月の怪物馬』さ……」
「同じだって? あれがか?」
大きさも加護も段違いだ。
「同じだよ。ただ、ここまで巨大な個体は……、もはやダンジョンどころか迷宮の主みたいなものになっている。おそらく素質のある個体に魔力を注ぎ込んで、人工的に主を作り出したんだ」
「迷宮の主だって? それじゃあ……」
「ただ、こいつは……」
アズラーンが言うまでもなかった。
ただの巨大な怪馬ではなかった。霧の中から伸びた鼻筋の先にある口の端が、次第に奥に向かって裂け始めたのだ。
「ひっ!?」
それを見た誰かの悲鳴がした。
何か酷いことが起きているのはすぐにわかった。裂け始めた口がゆっくりと開きはじめる。血はなかった。上下に開いていくたびに、粘性のある涎が糸をひく。いくら怪馬であろうとあるはずのない牙が姿を現す。古き顎がそこにあった。
その場にいた全員が固まっていた。
ただの恐怖ではない。畏怖そのものだ。
「あ……あ……」
「……う……」
いまこの怪物に逆らえば、確実に命はないとでもいうような、恐怖。誰もがぴくりとも動けぬままだった。
やがて顎がすべて開ききると、その向こうから獰猛な吠え声が国中に響き渡った。
「こ、こいつは……!?」
ルディの中から、ぞぐん、と心の奥底から何かが湧き上がってきた。
さすがのルディでも怯んだ。その大きさや魔力のためではない。まるで、根源的な恐怖が足下からやってくるようだった。
「……それが、彼らの感じていたものさ」
「なに ?」
「あの目を見た者たちが引き起こされた――神への畏怖だよ。あまり見ないほうがいい」
「これを……」
「かつてはブラッドガルドがあれを引き起こしていたというね。……まだ力のほんの一部だというのに、これほどとは……」
アズラーンは小さく息を吐いた。
「これじゃあ、まるで憑依だ……」
「……」
ルディは、ぶつぶつと呟くアズが、この強烈な威圧感をもさらりとかわしていることに気がついた。そして同時に、何か決めかねているような表情をしていることも。
アズ、と声をかけようとしてハッとする。
記憶の中で、魔女の使い魔の声が蘇ってくる。
――で、そのアズって人を助けてあげてほしいんだけど――
――その人はね、仮面をかぶってるんだ。顔は見えてるけど、本当の姿を隠してる――
――だから、もし、もしも。誰の手にも負えないような、それこそ勇者くらいじゃないと太刀打ちできないような相手が、出てきて――
――アズって人が、それでも、本当の姿を晒すことをためらってるようなら――
「……」
――……説得してくれ、ってか。
確かにいまのアズラーンはそんな風に見えた。
何かをためらうような、困惑と迷いの中で硬直しているように見える。
このままでは砂漠の国が壊滅的な被害を受けるのはもう目前だ。アズラーンが愛した土地は踏み荒らされ、あの顎を持った、よくわからない神を盲信するだろう。
「アズ。もしかしてきみは、これをなんとかする手段を持っているんじゃないのか」
アズラーンはゆらりと振り返った。
その目に驚きの色が混じっている。
「打開策はあるんだろう。でも、きみはそれを使いたくない……そんな顔をしてるぞ」
可能性の話だったが、ずいぶん堪えたらしい。その目が見開き、眉間に皺が寄り、まるでひどい言葉でもかけられたような顔をした。
「きみがどのような力を持っているのか、私は知らない。その迷いがどこからやってきているものなのかも」
「ナイト君。僕は……」
アズラーンは少し言いよどんでから再び口を開く。
「僕はもう引退した身なんだ。僕みたいな凝り固まった存在よりも、ずっとずっと……可能性に溢れた人々に王位を譲り渡して、忘れられるべき存在だったんだ。だから、何が起きようと……」
ルディは言葉を遮るように、震える指先を見せた。
「けれども、その可能性に溢れた人々にいま何が起きてる? 彼らは動けない。私もこのとおりだ。勇者が来るには時間がかかる。その間に、この王都は壊滅的な被害を受けるだろう。このつぎには、私も、この世にいるかどうかわからない」
「……」
「……仮面を外すことの恐怖は、よくわかるつもりだ」
「ナイト君」
「……ナイト……いや。僕の本当の名は、ルディだ。素顔の僕は何もできない役立たずなんだ。自信も無い。迷宮の魔道具を使ってようやくここに立てている。ただの臆病者なんだ」
ルディは自分の仮面に手をやった。少しだけ力をこめたあとに、仮面を脱ぐ。
素顔を晒したルディに、アズラーンは目を剥いた。少しだけたじろぐ。ああ、と小さく呻いたあとに、よろめいた。だが次の瞬間には、まるでそれが責務であるかのように、しっかりと向き合う。
ここまでずっと仮面の騎士で通してきたルディが、ほとんどはじめて自分の前で正体を晒したのだ。その事実を前にして、アズラーンは向き合わねばならなかった。
ずずん、と地響きが鳴り、無慈悲な満月の主が近づきつつある。
王都の城壁近くでは、人々が逃げようとしていた。
馬の頭が王都をのぞき込み、前足が城門に突き刺さった。あっという間に土煙があがり、蹂躙していく。悲鳴から逃れることはできない。
「……ナイト君、……いや、ルディ君。きみは役立たずなんかじゃないさ……」
心は決まったようだった。
「きみのような人間が、僕に秘密を打ち明けてくれたんだ。僕もそれに応えなければならない。……捧げられた秘密に、僕は応えよう……」
かつて教会にいた聖女はその自由を代償に、光の女神セラフを顕現させた。
ならば自分も大いなる秘密を代償として出された以上、その期待に応えねばならない。
既に王都の入り口は破壊の限りを尽くされていた。頭部はなおも近づき、いまにも涎は二人の上に落ちてきそうだった。アズラーンはそんな馬であったものの頭部を見上げると、勢いよく息を吸い込んだ。
「我が名はアズラーン! この大地の主なり! いまこそ、我が大地を喰らうものを――土塊へと返してくれよう!」
ずずん、とどこかから地鳴りのような音がした。それは馬が鳴らしているものとは違った。
アズラーンの身が、光に包まれながら目の前で泥のように溶けた。それが一帯に円形に広がった。途端に明るい光が王都に溢れる。
はっとした人々が、あたりを見回す。夜だというのに、これほど綺麗な光は見たことがなかった。誰かが、あれはなんだ、と叫んだ。
光の中心から、巨大な人型が現れたのだ。
「巨大な馬の次は、巨大な人形かよ!」
だが、その姿はどういうわけか畏怖を感じさせた。
土色の人型だった。背中には溢れんばかりの植物が生えていて、小さな鳥が飛んでいる。咲き誇る小さな花からは光が落ちてきた。あまりのことに、人々は呆然とその姿を見つめる。ふってきた小さな光に子供の手が触れると、まるで安堵したかのように表情を和らげた。
人々は、かつて自分たちの中にあった名前をひとつ思い出した。
「あ……、アズラーン……様?」
誰ともなくその名を呼ぶと、地面と繋がっていた腕がずぷりと離れた。巨大な獣につかみかかる。その手に指のようなものは見えないのに、しっかりとつかんでいる。暴れ馬を押し戻すように、立ち上がるように馬の頭を王都から離していく。
そして、ゆっくりと王都から引き剥がしていった。その歩みはゆっくりで、人を踏み潰さぬように最善の注意が払われていた。
ルディはそれを、信じられないものでも見るような目で見つめた。
『うわっ、怪獣大戦争』
いつから覗いていたのか、焼け残った壁に投影されたナビが言う。
「なんだって?」
『いやこっちの話』
ナビはそれっきりだった。
ルディもそれどころではなかった。視線を巨大な人型に戻す。
「あれがアズラーン……。太古の精霊の一柱……」
砂漠に似つかわしくない花が咲き乱れ、光となって消えていく。ハッとすると、ルディは剣を手にとった。自分の馬を蹴って手綱を握ると、馬を走らせて一気に王都を入り口まで駆け抜けた。アズラーンの加勢をするために。いつ何があってもいいように。
*
『やー、大変だったよお!』
ナビはにこにこと笑いながら言った。
『凄いよね、でっかい馬の魔物に、でっかい人型がつかみかかって、ちょーちょーはっしの大激突でさー! 最後はナイト君の剣でばっさーって! いやまさに怪獣大戦争! ……あれっ、そもそもまず怪獣同士じゃなくない?』
途中で違うことに気付いたが、ナビはまあいいやと言わんばかりに話を変えた。
『それにしても、ブラッドガルドの言ったとおりになったね~。さすがにあれだけのものが出てくるとは思わなかったけど。思ってたよりちょーっと早くない?』
ナビは映像の中で肩をすくめてみせる。
『ま、多少のずれはあっても支障は無さそうだよね~。これでアズラーン君は認識する人たちが増えて力が倍増してるはずだしい? ……だけど、ほんと~にこれでいいのかな?』
ナビを見ている相手――ブラッドガルドは、口の端をあげた。
『ま、パワーアップしてくれたおかげで、古い女神様の力も削げそうだしね~。うんうん! いいことづくめだよねえ!』
「……そうだ、いいことづくめだ。何が悪いと思う?」
『ぜーんぜん! 悪いことなんて、ひとっつも無いよねぇ!』
ナビは何も知らないように、そう言って笑った。
ブラッドガルドは闇の中で暗い笑みを浮かべ、次の計画を進めた。
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