東方国の乱(2)
突然の宣戦布告から一週間も経たないうちに、砂漠の国はあちこちが炎に包まれた。
最初は国境近くの小さな村や、辺境の町からだった。
少なくとも状況を理解し、戦況を立て直すのに更に時間がかかった。なんとか拮抗状態まで持ち直せたのは、ほとんど奇跡と言っていい。兄弟国からの突然の侵攻に、人々は戸惑いを隠せなかったのだ。国境から始まった侵攻を人々は信じなかったし、国王が突然おかしくなったのではないかと疑う者さえいた。しかし、草原国からの侵攻が本物であると悟った時には、既に戦火は王都に迫ってきていた。
石造りやレンガの家が多かったこともあり、半壊した壁に押しつぶされる人々も多かった。
王都には国境に近い村から逃げてきた避難民たちが押し寄せ、その対処に追われていた。
そして何より、一番異様だったのは――。
「お、俺は見たんだっ! あいつら、『新月の怪物馬』に乗ってやがったんだ!」
逃げてきた避難民たちの間で、それは瞬く間に広がっていた。
草原国では馬が移動手段として用いられている。西側でも馬が移動手段として用いられてはいるものの、その比ではない。いまだに部族によっては遊牧生活を営む彼らは、馬は生活と密着している。王都を築いて生活している者たちもそれは同様で、子供の頃から貧富の差なく、馬だけは乗りこなせるようにと訓練されている。
同時に、草原では馬に似た魔物が現れることもある。
人食い馬に、水馬と呼ばれる後ろ足が魚になっている馬、二つの角を持つ馬、首無し馬……と、草原地帯には伝説も含めて馬の魔物に事欠かない。
そして、『新月の怪物馬』も魔物に分類された一種だった。
背丈は人間以上もあり、灰色の筋肉質な体には光沢があった。その背から生えているのは毛ではなく、ピンク色の触手のようなものが生えて蠢いている。頭には角が四本。目は本来の場所に無く、頭の中央にひとつだけ。金色の巨大な目が、瞬きすら無く存在している。
それが、『新月の怪物』や『怪馬』とも呼ばれる魔物だった。本来は新月の時にしか姿を現さない魔物だが、どういうわけかそれに乗って攻めてきているというのだ。
その情報は当然、王宮にも届いていた。
「いったいどういうことだ……」
ザフィルは道中からすぐに衛士たちを向かわせた。文も飛ばさせ、衛士も向かわせ、ありとあらゆる手段をとって、国境沿いから王都に向けて緊急事態の発令をした。
だが、状況はすぐに傾いた。
国境沿いの村からはすぐに攻められ、草原と砂漠ではこうも違うというのに馬が走っていることにも疑問を抱いた。いくら魔物を乗りこなしているとはいえ、奇妙だった。
王宮にたどり着いてからも、あがってくる報告は似たり寄ったり。なんとか均衡を保てているとはいえ、一時は背筋が凍り付くような思いをしたものだ。
「……まずいな」
あげられる報告に目を通しながら、アズラーンは眉間に皺を寄せた。
その言葉に、ザフィルが顔をあげた。
「どうされました」
「おそらくだけど、この怪馬……加護を受けてるのだと思う」
「加護ですと? 一体誰の」
「古き女神の、だ」
アズラーンは自分でも信じられないような声色をしながら言った。だから、ザフィルは大きく息を吸ったあと、深く吐いた。
「なんということだ……」
「おそらく、女神と直接契約したわけじゃない。何者かが、力を借りているんだ」
「力を借りる……とは?」
「力を借りる、仲立ちする、介する――あるいは吸収する」
それは多分、神々に対するものと同じ。
神の威を借り、畏怖の感情を一瞬だけでも呼び起こしているのだ。
「ふむ。……その何者か――仮の名として『神官』と呼びましょう。その神官が、加護を与えているというわけですか」
「その通り。ただ、加護としては小さいね。向こうもまだそこまで力が及ばないんだと思う。とても小さいけれど……、一瞬、隙を見せるには十分なんだ」
力としてはほんの小さな、畏怖にすらならない、ほんの少しの戸惑いでしかない。それでも、戦いの場において戸惑いや躊躇が何を産むか。
「勇者リクの話は知っているね」
「ええ。セラフ様の加護を受けていると聞きました」
「つまり、それと似たような状況だ。違うのは、勇者リクが強大な加護を受け取ったのに対して、今回は小さな加護だということだ。でも、戦場という場においては命取りになった」
「ふむ……。もともと怪馬には、あの特徴的な瞳がありますからな。おそらく瞳に加護を与えたのでしょう」
ザフィルは報告書を軽く叩いた。
怪馬には、決して傷を付けられなかったわけではない。瞳に睨まれた瞬間、妙なざわつきで手が止まってしまったとか、息が詰まるような気がしたとか――そうした報告に混じり、背後からなら難なく斬り掛かることができたという報告もある。
「瞳だろうな。それを効果的に使ってきたわけだ」
「ならば、まずは瞳に気をつけよと命令を。しかし、馬の背後を取るとなると厄介ですな……」
奴隷の何人かが早速、王の言葉を伝えに散っていく。
それをちらりと見たあと、アズラーンは再び報告書に視線を落とす。
「おそらく、完全に対抗できるとなれば、リク君……、勇者リク……」
「しかし、いまから彼を呼べるのですか」
「来てはくれるさ。彼は勇者だからね。だがそれまで持ちこたえることができなければ……」
厳しい表情をするアズラーン。
こうしている間にも、人々は死に追いやられている。草原国の侵略は、もはや蹂躙の域に達しようとしている。
「ザフィル。いっそきみだけでも……、西に逃げるべきでは……」
「……」
ザフィルは急に、アズラーンに向かって体を起こした。
「誰に向かって言っているのです――、いや、誰に向かって言っているんだ。もう一度そんなことを言うならば、お前とて容赦しない。あなたが逃げていないのに、どうして私だけ逃げることができようか」
「……」
アズラーンはその言葉を聞きながら、報告書を握る手に力が入った。
もしも。
もしもだ。
最悪の何かがあったときは――。
「アズ様! ザフィル王!」
そのとき、扉が勢いよく開いた。
高級奴隷が、一人の衛士に肩を貸しながら入ってきた。
こんな時に無礼なと発言するものは誰もいなかった。全員の視線が奴隷と衛士に向く。
傷だらけの衛士は、わずかに高揚した声で言った。
「ほ、報告です! 北西部の戦線が復帰しました! 守り切ったんです!」
「おお、そうか! よくやったぞ!」
「あの怪馬を、一人で全部倒した奴がいたんです! それがきっかけになりました」
「ほう!」
ザフィルの瞳に、しばらくぶりに光が宿った。
「なんと、なんと、あの瞳に屈せず、すべて倒したというのか! そうかそうか――して、そいつは一体どこの所属だ?」
「そ、それが……。黒い騎士のような格好で。おそらくは西諸国の人間だと思うのですが……」
「西の? ひょっとして、西から来た冒険者かな」
「それが、顔も仮面で覆っていて、わからないのです。本人は仮面騎士ナイト、とだけ……」
「仮面騎士?」
どこかの騎士だろうか、と思った時、再び急いで扉が開けられた。偵察部隊の衣服に身を包んだ彼は、焦ったように叫んだ。
「ざ、ザフィル様! 城門が……城門が突破されました!」
最高の報告と最悪の報告を同時に受け取ったザフィルは、再び眉間に皺を寄せた。
*
「うああーっ!」
ルディはいますぐ顔を覆って、ベッドに飛び込みたい気分だった。
いつもそうだ。
仮面のせいなのか何なのか、ナイトに変身している時は気が大きくなる。なんでも出来るような気分になるし、実際ある程度の事ならなんでもできた。正体を隠すためもあって、いつもより若干格好をつけてしまう。しかし変身が解けると、変身中の出来事がとんでもなく恥ずかしくなることがあるのだ。
だがいまはまだナイトのままだ。
叫ぶだけで終わった。
そんなことをしている場合じゃないからだ。
なにしろルディはいま、ナイトにおあつらえ向きな鎧をした馬を駆り、砂漠国の王都を目指している途中なのだから。
「まったく、ナビの奴……! なにが『手伝って』だ! まさか……まさかこんなことになるとは……」
世界を救うなんていうから何をやらせるのかと思えば、戦争の手伝いとは。これで余計に正体がバレるわけにはいかなくなった。
よその国の戦争に手を貸したなんてことになったら、冒険者として問題どころじゃない。とはいえ、降りかかる火の粉を払う分には問題が無い。どこからどこまでなら問題なのかは、自分の主張ひとつにかかっている。
しかし言われた通りに前線に来てみたら、予想外に苦戦していて驚いた。
それ以上に驚いたのが、草原国の人間が魔物を乗りこなし、それが兵士たちをひるませていたことだ。最初こそ確かにぎょっとしたが、思わず加勢に入って怪馬を片付けると、砂漠国の人間からは驚きと歓声によって迎えられた。しかし反面、草原側の人間が驚いたような顔をしていたのが気になった。
まるで、魔物である怪馬はやられないだろうと信じていたような表情だったのだ。
――まあ、魔物を手懐けるくらいだから、そうか。
地方をひとつ取り返したあとは、王都に突破された方面への加勢に加わることにした。そこで、草原国の連中に乗り捨てられた馬――普通の馬だ――がなんとか背中に乗せてくれたので、いましがた砂漠を突っ走っているところなのだ。草原と砂漠じゃだいぶ違うだろうが、この馬はよく走ってくれた。
驚いたのは、ナイトとして馬に乗った時だった。ベルトが一瞬光り、馬も光に包まれたかと思うと、馬の纏っていた鎧が黒く変化したのだ。自分の纏っている黒い鎧と同じ装飾がつき、まるで最初からそうだったかのようだった。おお、と周囲からどよめきが起こった。
その反面。
――いやなんだこれ!?
ルディは思いも寄らなかった事態に心穏やかではなかったが、案外冷静に対処できた。目元だけでも仮面をしていて良かったと思った事は何度もあったが、心からそう思った出来事が何度目かの更新をむかえた。
ナイトとして冷静に手綱を持って走り出すと、背後から歓声が聞こえてきた。
――確かにナビが『あっそうそう、馬に乗るとね~、面白いことが起きるよ!』とは言ったけど。言ったけど!!
ナビのにこやかでどこかむかつく表情が思い起こされる。
まだまだこの魔道具を使いこなせていないと思い知らされた気分だ。
「くそっ、くそっ! やってやるよ!!」
ルディとしての叫びはこれで最後にすることにした。
「行くぞ、相棒ッ!」
この足の悪い砂地をも駆け抜けてくれる頼もしい相方に、ルディは声を張り上げた。
そうして彼は、再び王都に舞い戻ったのである。
王都の城門前では、戦線を突破してきた草原部隊と、王都に入れまいとする兵士たちの間で既に戦闘が始まっていた。
さすがにここまで戦火が迫ってくるとは思わず、まだ王都に残っていた商人たちは大慌てで西に逃げようとしていた。中には冒険者を破格の値段で護衛として雇う者もいた。中には正規の冒険者でない者や、混乱に乗じて詐欺行為に走る商人もいた。もはや信頼も信用もあって無いようなものだった。しかしそんな行為も、戦火の前にはすべて焼け落ちてしまうようだった。
何日目かの悪夢の夜を迎えようとしていた時、怪馬の一匹が王都の中へと転がり込んだ。
槍を構えた兵士たちが、一斉にその瞳の毒牙にかかった。
勢いよく槍を突き出すはずの手は止まり、中には小さく呻いたまま動けなくなった者もいた。その瞬間、騎手の放つ槍が兵士たちを吹き飛ばし、人の群れをかき分けながら王都へと侵入したのだ。後ろから怪馬が続く。
ようやく気を取り戻した兵士たちが口々に叫ぶ。
「突破されたぞ!!」
「くそっ、やられた!」
「まだ数匹だ! これ以上通すな!」
町中に入り込んだ怪馬に、人々は驚きの目を向けた。
それと同時に、目を見てしまった人々はたちまちのうちに小さな不安感に襲われたり、戸惑いのようなものを感じて手を止めてしまった。そのせいで逃げ遅れ、怪馬に蹴り飛ばされてしまった人々もいた。
「ほ、本当に攻めてきた!?」
「ありゃあ怪馬か! 初めて見たぞ!」
「あんなものを乗りこなすなんて……」
あまりのことに呆然としてしまった、と人々が感じる間に、怪馬は路地にまで飛び込んできた。悲鳴があがり、目を見てしまった者は一瞬逃げ遅れる。どさくさに紛れて路地に並べられた商品を持っていく者や、吹き飛ばされた小さなテントに巻き込まれる者。一瞬のうちに阿鼻叫喚と化した。
宿の窓からも次々と冒険者が顔を出し、下の喧噪を見る。
「なんだありゃ!?」
「魔物じゃねぇか!」
「草原国は魔物も乗りこなせるってか? そんなバカな!」
「しかも『新月の怪物馬』よ。あの角、いい素材になりそうよね」
顔がぐいっと窓の外にせり出すと、そのまま冒険者が一人、宿屋の窓から飛び出していった。
「お、誰か行ったな」
「こうしちゃいられねぇ」
冒険者たちが魔物の素材目当てに、次第に冒険心をくすぐられる。
その中で、最初に乗り込んでいった一人が声をあげた。
「よう、おっさん! 町中を魔物で走ってんじゃねぇよ!」
ちょうど魔物の走る直線上に着地すると、腰の剣を抜く。
その後ろにも、次々と仲間が降り立った。
「俺たちはパーティ「紅の騎士」だ……、……ッ!?」
だがその瞬間、彼らは見てしまった。
怪馬の目を。
それはあまりにも軽率な行動だったと言わざるをえない。
だが軽率と言い切るにも、理解しがたい一瞬だったと言っていい。
何しろ突然のことで、一瞬手が止まってしまったのだから。振り抜くはずだった剣は手に握られたまま動かず、怪馬との距離があっという間に縮んでいく。ゆっくりと、時が妙に遅く感じられるほどだった。
やばい、とその目を見た誰もが感じたその瞬間――。
突然、横の通路から飛び出してきた黒い鎧の馬が、怪馬にぶつかって弾き飛ばした。
言葉通り弾き飛ばし、すんでのところで冒険者たちはその目だけを動かした。流れた冷や汗が、衝撃で起きた風で吹っ飛んでいく。
あまりのことに、呆然としていた人々は本当の意味で呆然とした。
黒い鎧をつけた馬の上に乗る人物。
それは、こんなところで見るには少々懐かしすぎた。
「お……お前……、仮面騎士ナイトか!?」
ルディは――もといナイトは、ちらりと馬から下を見た。
意識的にいつもの低い声を作り出す。
「剣すら使えぬならさっさと逃げることだ、冒険者」
「ぐっ――」
しかし次の瞬間には、いななき、涎を振りまいて前足をあげた怪馬に、振り向きざまに剣を向けた。足と剣がかち合い、音が響く。相手が持っているのは槍だ。剣では分が悪い。何度かこちらに向けられる槍をいなす。馬に乗るのははじめてだったが、この黒い鎧のおかげなのか、馬のほうも避けてくれる。むしろこの馬に助けられているところのほうが大きい。
いつまでもこうはいかない。とにかく怪馬をどうにかしなければ――そう思ったそのときだった。相手は思いがけない行動に出た。
「くっ」
どういうわけか、騎手は何をするでもなく、ただ馬の頭をルディに向けただけだった。
何かしてくるのかと思ったが、むしろ騎手が意味の無い行動をしたように見えた。隙というには大きすぎるその間をとり、ルディは手綱を放すと剣を両手で持ち、そのまま怪馬の首へと一直線に剣を向けた。
剣がベルトと呼応し、赤い光を放ちながらその首へと入っていく。
振り抜いたときには、怪馬の首を切り落としたところだった。
すぐさま振り返ったが、予想に反して兵士は明らかに驚いた顔をしていた。
馬が倒れたこともそうだが、それ以上に兵士は動揺していた。
「その槍は飾りか?」
「お、おまえ、どうして――」
「うん……?」
何を言っているのかわからなかった。
怪馬に乗ってさえいれば、相手が怯むだろうと信じ切っているようだった。だが世の中はそう甘くは無い、ということを教えてやらねばならなかった。
ばたばたとやってきた砂漠の国の兵士たちへと、草原国の兵士を引き渡す。
「あ、あんたは……」
「町中を魔物で走るなと、よく言っておけ」
ルディはそれだけ言うと、背を向けた。
「あっ、待て! おい!」
後ろから叫ぶ冒険者たちをよそに、ルディは馬に飛び乗って再び城門へと向かう。
――……、どういうことだ?
いましがた見た幼馴染みたちの状態に、ルディは心の中だけで首をかしげた。
確かに幼馴染みたち「紅の騎士」は自分を追い出した。けれど、そのことと彼らの実力は決してイコールではない。むしろ、冒険者の中ではそこそこ名のあるほうだろう。魔物相手なら喜んで戦うだろうし、実際そうだったのだろう。それにギルドの無いところでは、火の粉を払うだけならよその国の事情に手を出したわけではない。
けれど、怪馬のあの瞳を見た瞬間に手が止まってしまったように見えた。
兄弟国の人間と戦えないというのならばわかる。魔物が入ってきたからだというのもまだわかる。だが、あの『新月の怪物馬』に睨まれることそのものが、危険だったように思える。人はみな、一瞬動きを止めてしまっていた。
――そんなにあの目が怖いか? いや、何か違うような……?
妙な違和感を覚えながら、馬を駆る。
馬は崩れた瓦礫を乗り越え、やや高い位置へとルディを運んだ。少し高台になった場所へと来ると、町の状態と方向を確認する。
「……まだまだ来てるな。行くぞ」
相棒に声をかけると、彼は了解したとばかりに嘶き、そのまま崖でも降りるように走り出した。
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