閑話14
ブラッドガルドは狭い部屋の中を見回した。
六畳くらいの部屋の真ん中に置かれた低いテーブル。テーブルを挟んで置かれた座布団。その後ろには、古い加工を施された扉がある。扉にしては小さめだ。左手側の壁には、壁と同じ色にくすんだ扉がついている。こちらの扉のほうが、壁の雰囲気と同じだ。その反対側の壁には古い本棚があり、そこには古い雑誌や本、小さなフィギュア、透明なプラスチックに入れられたあめ玉が並び、明らかに部屋の雰囲気と合っていない。光源は魔力で作られた球体であり、それが天井から部屋を照らしている。
ブラッドガルドはおもむろに座布団から立ち上がると、そのまま左手側の扉の方へと近づいた。ここならばまだ空間に余裕がある。それから扉を背にして、椅子にでも腰掛けるように宙に腰掛けた。足を組む。いちだんと闇が濃くなっている場所が、椅子のように見えた。
それからブラッドガルドが取り出したのは、魔石で作られたプレートだった。プレートの少し上を、まるで撫でるように指先を動かす。すると、周囲の空間に次々とディスプレイが開いていった。特に何も置いていない、扉とテーブルの間を埋め尽くす。
ディスプレイにはそれぞれ動画が流れていて、指先でディスプレイを動かし、見やすいように配置し直していく。
そのうちのひとつに映し出されたのは、こんな光景だった。
*
「……うん?」
アズラーンが少しばかり気づいたように視線を巡らせる。
「なんだきみか。どこからついてきたんだ」
ブラッドガルドの使い魔であるカメラアイの存在に即座に気付かれた。
だがカメラアイもアズラーンのことなど無視していそいそと暗闇をうろついている。だからアズラーンも、ブラッドガルドのところからくっついてきた、とるに足らない何か以上には判断しなかった。そのほんのわずかな違和感と正常性バイアスこそが穴に落ちる所以だというのに。
しかしそれよりも重要なことがあるらしい。
目の前に映し出されたのは、暗い地下洞窟の中のようだった。
洞窟の中は人工的に切り崩した跡がある。おそらく天然の洞窟に細工をしたのだろう。広場のようになった空間には誰もおらず、中のものも樽や本棚以外のものはあらかた持ち出されたところだった。
わずかばかり残された古い布には、血痕や奇妙なレリーフ、魔術円の欠片が残されていたが、はっきりとわかるものはない。
「でもまさか、こんなところに邪教徒の集会所があったとは」
「邪教といっても、ブラッドガルドでもなさそうだしなあ」
その声には落胆と疑問が含まれるばかりだ。
「……ここも駄目か」
アズラーンはやや憎々しげな声をあげた。
「アズ様。どうやらここに居た奴らは逃げ出したようですね」
「みたいだな……」
兵士の報告に、アズラーンはため息をつくように言った。
「古い骨はいくつかありましたが、最近のものではなさそうです。状態からして、昔の生贄か何かかと思われますが……それ以上は」
「せっかくアズ様にご足労いただいたのに、申し訳ない」
「いや、いいんだ。一つずつ潰していこう。我が王もそこは覚悟しておられる」
「はっ」
潜り込むのに奴隷の立場を借りる必要は無いとも言われたが、こういうときに役に立つ。
案外、こうした方が自分にとっては楽だ。王に直接進言できたし、話も早い。
そのとき、向こうからまだ調査をしている兵士たちの声が聞こえてきた。
「おいっ。ここに消されてないレリーフがあるぞ!」
消しきれなかったのか、それともなにがしかの意味があって残されたのか、それは巧妙に隠された壁に描かれていた。
そこにあったレリーフの絵は、奇妙な怪物を模していた。巨大な顎を持つ、龍とも魚ともとれるもの。這いずった人型にも見えなくもないし、抽象化されているからか、その尾は鳥の尾羽のようにも見える。言うなれば、四柱の神々を混ぜ合わせたような姿なのだ。
その場にいた全員がぞっとしたように口を閉じる。
なんとか兵士の一人が、つっかえながら声をあげた。
「あ、アズ様……、こ、これを……。これは、いったい……?」
――沼の女神……。
アズラーンは眉間に皺を寄せた。
おそらく沼の女神の痕跡は、長い年月を経て知らぬ間に触手を伸ばしていたらしい。
だが気になることはそれだけではない。もっと重大な懸念事項があった。
――……今回の襲撃がばれているとなると……、おそらく、城内に信者が既にいる可能性が高いな……。
その言葉は声にはしなかった。
だが、その懸念は早急に報告せねばならなかった。
ブラッドガルドはその顔を画面越しに見ると、いかにも面白そうに口の端をあげた。それから次のディスプレイを引っ張ってきた。
*
次に映し出されたのは、どこかの王城だった。
場所はおそらく謁見の間だ。
豪奢だが、バッセンブルグでもヴァルカニアでもない。マドラスの王と国旗のはためく謁見の間だった。髭をはやした男は、いかにも無骨だった。王というよりは戦士のようにも見える。
王の前には女がひとり、前に出て何事か話している。途中からの映像だったため、それまで何を言っていたのかはわからなかった。その後ろには、二つの団員たちが控えていた。そのうちの一つの塊の前にはクリストファーが控えていた。
彼らはみな、海賊たちだった。
ここでは海賊行為は容認され、地位を持つ。私掠船などという言葉で合法化された他国とは違い、はっきりと海賊と名言して、その名に誇りを持つ者たちだった。
彼らは海とともにあり、海と生きる。
そんな彼らでも陸にあがる時はある。
「そうかそうか。ヴァルカニアに入り込めたか」
報告を聞いた海賊たちの王は、笑いながら手を叩いた。
にんまりと笑う様子は、やはり戦士や海賊に見える。
「うまいことやったな、バルバロッサ」
「光栄にございます」
女が改めて頭を下げる。
「ふん。陸地の奴らは気に入らないが、あのブラッドガルドから土地を取り戻した王だろう。俺も興味があるねえ。しかもレモンなんぞを欲しがるとは」
あごひげを触りながら、楽しげに笑う。
「よぉし、バルバロッサ・バルボア! お前に今後のヴァルカニアとのやりとりは任せるぜぇ」
「はっ」
「そんでぇ――報告は終わりか? 帰っていいぞ」
「ま、まだあります、陛下」
王の隣に控えていた側近がこっそりと言う。
「なんでぇ。あとは細かい事だろうが。そっちでやっておけよ」
「では、こちらからお話をしても良いでしょうか?」
突然響いた声は、バルバロッサの隣の何もない空間からだった。
段取りだとか、そういうものを彼女に期待するほうが間違いなのだ。その唐突さに、誰もが目を見開いた。それどころか、バルバロッサの隣に唐突に水の球体が出現し、それがぐるぐると円を描いたかと思えば、扉のように大きくなった。その向こうから、水のようにしなやかな髪が洗われた。
彼女の心もまた水のように流動的で、時に感情のままに動く。
突然現れた女に周囲の者たちはひるんだが、すぐにすべての者たちが膝をついた。海とともにある者たちは、すぐに相手が何者かを理解したのだ。
「こりゃあ驚いた……とんでもないお方を連れ帰ってきたな、バルバロッサ……!」
さすがの王の目もこれでもかと言わんばかりに見開いた。彼は立ち上がると、玉座に続く階段を降りていった。そうして最大限の王の礼儀とばかりに、海賊帽を外して胸に当てた。
「ようこそ、我がアジトへ――海の女神どの!」
*
ブラッドガルドは画面を向こうへ追いやった。
今度は面白い場面は特になかった。魚女に誰も彼もが傅く場面など虫唾が走る。
ブラッドガルドは、適当な画面を引っ張ってきて、ため息をついた。
そこに映し出された内容を見ていなかったからだろうか。不意に視線を向けた瞬間、ぴくりとその手が止まった。目の前で映し出されている光景を見ると、髪の毛の下で気だるげな色をしていた瞳が見開いた。
画面には、巨大な木が映し出されていた。
まぶしく、神聖な空気を醸し出している。普段であれば目が潰れそうなその光景も、ブラッドガルドは目に焼き付けた。かつてこの世界が作り出されたとき、四つの力がぶつかりあったことで、それは出来た。
カメラアイの前を通りすがった老人が、おやというように足を止める。ひざまずき、物珍しいものでも見るような目でカメラアイを見つめた。
『きみは……? 見かけない、精霊――いや、使い魔……?』
訝しげな声とともに老いた手が近づきかけて、引っ込んだ。
『……!? あ、あなたは……』
その声に、ブラッドガルドは唇を噛んだ。
声から、やや興奮しているのが見てとれた。お互いの姿は見えていないだろうが、それだけはわかった。相手も何か言おうとしていたのだろうが、そのまま何を言えばわからないかのように黙り込んでしまった。
ブラッドガルドの目は見開いたままで、表情もなかった。だが、ギリ、と自分の奥歯から音がしたのを聴いた。
『……。いや。気のせいでしたな』
エルフの長はたったそれだけ言うと、手を離した。寄ってきた小さな精霊に目を向ける。何も言わずに、そのままきびすを返した。まるで何事も無かったかのように。
精霊であり神である自分たちの力をより濃く受け継いだモノたち。数を増やすにつれてその濃さは失われていったが、エルフの長から感じ取ったのは老いてもなおまだくすぶる精霊の気配だ。
消え去りかけた神が戻ってきたのは知っているはず。その神がこっそりと様子を伺っているのなら――彼がとる行動はひとつだけだった。
「…………エルフめ」
ようやくつけた悪態はそれだけだった。
だがどうしても、潰れろという言霊は吐けなかった。
しばらく虚空に視線をさまよわせたあと、別のディスプレイを引き寄せようとしたとき。急にガチャッと古い方の扉が勢いよく開いた。
「我が名は三つ編みの魔女!!!!!」
「は?」
急に謎テンションで入ってきた瑠璃に、真顔で答える。
片手には二種類の櫛と寝癖直しのスプレー、もう片手には赤いリボンを持っている。
「我が名は三つ編みの魔女!!!!!」
「それはさっき聞いた」
もう一度言われても困る。
ブラッドガルドは何か興奮した様子の瑠璃を、上から下までまじまじと見た。
「……貴様、菓子はどうした」
「私は邪神ブラッド君の年中ぐじゃぐじゃな髪の毛を整えて三つ編みとかにする魔女だ」
「我の言葉を聞いていたか?」
「聞いた聞いた! 三つ編みリボン方法教えてもらったから、やろう!」
「なにが目的だ」
「ブラッド君の年中ぐじゃぐじゃな髪を――」
「それはさっき聞いた」
「大丈夫、ヨナル君にも尻尾のとこにリボンついてるから。お菓子の箱のやつだけど」
「……」
何が大丈夫なのかさっぱりわからない。
当の瑠璃は、まるでおそろいになって嬉しがるとでも思っている節があった。
よく見れば、肩口にいるヨナルの尻尾にピンク色のリボンが見える。省エネ状態の使い魔がぴたぴたと尻尾を動かし、やや浮かれているのに腹が立った。
「しかもちょうどいいとこ座ってんじゃん。そのまま動かないでね」
「……」
そう言いつつ左側の髪の毛に軽くスプレーを吹きかけて、下の方から梳かしていく。
ただでさえ髪の量が多いブラッドガルドでは、すべて三つ編みにするのは難しい。だからサイドの部分だけだ。それだけでもかなりの毛量だが。
「えっとー。えー……。……あ、まず上だ」
「静かにやれんのか貴様は」
時々頭が引っ張られて軽く頭が傾く。
もはや放置することに決め、片手を動かしてディスプレイを選び出した。
*
後日。
「見てよリク! この間の、シャルロットにもやってみたのよ。どう?」
「おお。いいんじゃないか?」
サイドを三つ編みリボンにしたアンジェリカが、同じくサイドを三つ編みリボンにしたシャルロットの肩を抱き、リクに引き合わせる。その横にはたまたま髪を伸ばしていたがために散々実験台にされたハンスが、サイドの三つ編みリボンのままうつろな目で虚空を見ていた。
瑠璃がアンジェリカに自信たっぷりでブラッドガルドの髪を見せびらかしたのである。
しかも、髪に色布を混ぜ込むという手軽さと、髪を結うという呪術的な要素の合わせ技は、あっという間に流行った。なにしろ魔女がブラッドガルドを鎮めるために結ったとかいうやや間違った言説があったからだ。
そこから本来の意味は忘れられ、魔物避けのお守りや、転じて旅や冒険の無事を祈って、髪に色布をつけたり染めたりといったことが習慣化していくのだが――それは別の話である。
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