77話 ミルクレープを食べよう

「えっ。もう進路決めてあるの?」


 瑠璃が目を丸くすると、友人の一人は頷いた。


「いや~、推薦受けれるみたいだから、そうしよっかな~ってくらいだけど」

「や……、やりたいこととかあんの?」


 思わずそう尋ねると、彼女は噴き出した。


「別に無いよお~! 本が嫌いじゃないから、文学科に行こうかなってだけで」

「そうなんだ……」

「それに受験勉強しなくていいから楽でしょ」


 それもそうだよねえ、などと他の友人が言うのを聞きながら、瑠璃は考え込んでしまった。適当に相づちをうっていたが、そのあとどんな話をしたのか覚えていない。そろそろ身の振り方を考えなければならない、という事実に衝撃を受けてしまったのだ。


 学校からの帰り道でも、悶々とこの先について考え続けた。

 受験生だと理解はしていたものの、目の前で既にこの先を決めている友人がいるとなんとなく切羽詰まったような気になる。


 ――リクはもうあっちで住むんだろうなあ……。


 買い物を頼まれたスーパーに入っても、そんなことばかり考えてしまう。


 リクは一度は帰ってきたけれど、二度目の召喚のあとはそのまま居る。

 以前に少しだけ話をしたときに、逃げないことにしたんだ、と聞いた。よくわからなかった。もう少し詳しく聞くと、ブラッドガルドを倒した英雄的な存在が居さえすれば、あとはどうとでもなる、と自分も仲間たちも思っていたが、そうじゃなかった、みたいな事を言っていた。もちろん瑠璃というイレギュラーな存在が居たことも影響していたし、倒したはずのブラッドガルドが復活したから余計にややこしくなったようだが。わかるようなわからないような、という感じだった。

 とにかく、こっちにはやり残したことが大量にあるらしい。

 せめてお盆と正月くらいは帰ればいいのに、と思った。


 それじゃあ自分はどうするのか、となると、悩んでしまう。

 瑠璃はにんじんを片手に息を吐いた。


 ――……甘いものでも食べればなんとかなるかな。


 瑠璃はにんじんをさっさと籠の中に入れると、その足をスイーツコーナーに向けた。







「そういうわけで、どうしたらいいかなあ」

「なぜ我に聞く?」


 ブラッドガルドは真顔のまま問うた。


「一応、推薦もいくつか枠があるし、気になるところが無いわけじゃないんだけど……」

「なぜ我に聞く?」


 表情をひとつも崩さないまま同じツッコミをするブラッドガルド。

 彼からすれば瑠璃の世界の学業について相談されても意味がわからないのである。


「言っとくけど、半分ブラッド君のせいで私は夏休みにオープンキャンパス行けなかったんだからな!」

「わけのわからぬことを言うな。余計になぜ我に聞くのかわからんわ」

「それにいまから勉強して間に合うかどうかも謎だし……」


 いまは既に十月に入ったところである。

 世間ではハロウィンの空気一色だが、受験生にとってはこれからが本番だ。


「その……おーぷんきゃんぱす? とやらは何なんだ」

「大学を一般の見学用に解放してくれることだよ。本当は夏休み中にいろんなところを見て実際の空気とか建物の感じとか見る」


 今年の夏休みはほぼ向こうの世界の海の上を見ていたわけだが。


「大学とやらに行く必要はあるのか?」

「うーん……お母さんたちは大丈夫だよって言ってくれてるけど……」

「ならば何の問題がある。今しか行けぬのか」

「そうじゃないけどさあ」


 最近では一度就職したあとでも、専門学校や大学に行き直す人は居る。


「ならば貴様の好きにすればいいだろうが。なにをそんなに気にしている」

「それにそっちが大変な時に私だけこんな自分のことで悩んでていいのかなあ、とか……」

「ふん」


 ブラッドガルドは鼻で笑った。

 明らかに見下すような目で瑠璃を見る。


「貴様はまだそんなしょうもないことで頭を悩ませていたのか」

「しょうもなくないだろ元凶」

「無能な貴様に出来ることなど無い。貴様に心配されるほど我もあの阿呆どもも落ちぶれておらんわ」

「……」

「だから貴様は存分に奴らをこき使えばいい。貴様は貴様のやるべきことをしろ」

「……」


 瑠璃は目を丸くして、しばらくブラッドガルドを見ていた。


「ブラッド君が意外に優しい……」

「なぜそうなる。殺すぞ」


 明らかに殺意がこもっていたが、瑠璃はへたりと笑った。


「だいたい、我はそんなくだらんことを聞きたいわけではない」

「お、おう。じゃあ何について聞きたいんだ」


 瑠璃がそう尋ねると、ブラッドガルドは微妙な顔をして見返した。

 その瑠璃の周りでは、背後から影蛇たちがのぞき込んでいる。その目が見ているのは、テーブルの上にあるプラスチックの箱の中身だ。二個入りのケーキがそこにある。


「いやうん、わかるよ! 言いたいことはね!」


 ケーキだからつっこんでこないだろうとは思ったが、その瞳はめざとくそれがまだ持ってきていないお菓子である、ということに気づいたようだ。


「見た目はモンブランだから騙されると思ったんだけど」

「騙されるか」


 確かにケーキの上には栗色のクリームがかけられているし、茶色い和栗が乗せられている。だがモンブランというわりには、形は丸くはない。むしろショートケーキのそれだ。それに、横から見えるのは細かな層になっている。


「これはミルクレープです」

「ミルクレープ」


 瑠璃の手が動き始めると、指先に絡んでケーキを凝視していたヨナルが引っ込み、すぐさま今度は髪の間から出てきて見下ろした。そのままプラスチックの蓋を開けると、上から見ていた影蛇たちが今度は下からものぞき込む。

 それぞれ紙皿の上にのせると、そのうちのひとつをブラッドガルドへと滑らせる。ブラッドガルドがミルクレープをまじまじと見つめる。その後ろからも影蛇と、テーブルの上からカメラアイがまじまじ見上げた。


「栗のケーキなのか?」

「これは栗のミルクレープだから栗乗ってるだけだよ。シンプルな基本形のやつも買ってあるから、それは後でね」


 つっこまれないうちにそこは牽制しておく。


「私これ、ミルクレープって名前なんだし、ミルクとクレープって意味だと思ってたんだよね……」

「なんだ違うのか」

「違うらしい」


 そもそも使ってあるのがクレープ生地だから、どうしてもクレープの印象が強くなる。だからミルクとクレープになってしまうのだ。


「そもそも名前の由来になってるのは『千枚のクレープ』らしいよ。フランス語の」

「知っている。ミルフィーユのミルと同じだろう」

「それそれ!」


 知っているならどうしてミルク一択になったんだ、というブラッドガルドの無言のツッコミからは目をそらす。


「それならフランスの菓子か。ミルフィーユがあるくらいだしな」

「ううん。どうも日本みたいだよ」


 瑠璃はスマホを片手にしながら言う。


「ものによってはフランスのお菓子ってしてあるとこもあるみたいだけど……」

「……ショートケーキと同じやり口ではないか」

「まあそうかも」


 瑠璃はそう言いながら、ミルクレープにスプーンを差し込む。

 パイ生地で作られたミルフィーユと違って、クレープ生地のこちらは柔らかい。沈み込んでいくクレープ生地をすくいとると、口の中に入れた。

 栗味というだけあって、わずかに栗の風味がある。上のクリームからも、モンブラン特有の感触がした。何層にも重なったクレープ生地も薄く、しっとりとしてなめらかだ。甘さはひかえめだが、その分飽きがこない。きっと大きさもこれでいいのだと感じさせる。


「で、このミルクレープはそれ以上には無いのか?」

「ん~」


 上に乗っていた栗を半分ほどかじり取ってから、なんの気なしにヨナルに残りをあげる。ぱくりと栗が消えて、もごもごとその口の中で咀嚼なのか飲み込んでいるのかわからないことが起きる。

 他の影蛇たちにヨナルがものすごい目でガン見されている間に、瑠璃はスマホを操作した。


「元祖は西麻布にあった『ルエル・ドゥ・ドゥリエール』ってカフェみたいだね。南麻布の『ペーパームーン』説もあるけど、有名なのは前者かなあ」

「ほう。いまもあるのか?」

「ううん。ルエルのほうは運営会社が破産しちゃって、元のお店のほうも閉店してるみたいだね。いまは当時のパティシエさんがオーナーをしてるお店でオリジナルのレシピを出してるらしいよ」

「ほう。人間どものそういう話はもっと積極的にしてもいいんだぞ」

「そういうのやめようね!!?」


 嬉々として聞き出そうとしてくるあたり、たちが悪い。


「それならさっさと次のを寄越せ」

「はいはい」


 唇についたクリームを舐め取りながら言うブラッドガルドに、瑠璃は言われたとおりにした。それで気がそがれるなら安いものだ。

 相変わらずヨナルは他の影蛇たちにガン見されていたし、小さい個体が皿の上にちょこんとついたクリームを盗み舐めしていたが、瑠璃はシンプルなミルクレープの蓋を開けるのに気をとられていた。


「……なんだ、本当にシンプルだな」


 上には何も乗っていないし、飾り気というものがない。


「シンプルな方もいいよお~。上とかつやつやしてるのよくない?」

「ふん」


 クレープの生地とほとんど同化して、キャラメリゼは黄金のように輝いている。


「ほんとに好きなのはこっちだから、これを二個も食べられるブラッド君はめちゃめちゃに幸運だよ~」

「…………絶対にやらんぞ」

「はいはい」


 新しい紙皿の上に二個とも置いて、ブラッドガルドの前に滑らせる。

 おもむろにそのうちのひとつを指先でつまむと、相変わらずそのままかじり取った。表情はまったく変わらないが、文句は無かった。


「少なくとも全国区になるくらいなのだろう。そういう格好で売り出されているくらいには」

「ああ、有名にしたお店は違うとこなんだよ。有名なコーヒーチェーンの『ドトール』が、ルエル・ドゥ・ドゥリエールのお店に許可とって販売して、そっから元祖としても有名になったみたい。私がミルクレープ知ったのは、もう全国区になってからだけど」


 わずかに残ったミルクレープは、既に一枚一枚剥がせそうなほどになっていた。

 そのうちの一枚を行儀悪く剥ぎ取る。テーブルの上に顎をのせ、まるで空腹のまま物欲しそうな顔をしていた影蛇の一匹に差し出す。あっという間にミルクレープはその口の中に消えていった。


「でもミルクレープ食べるとさあ、クレープも思い出さない?」

「……そうか?」

「そうそう。というかクレープ自体が、こう、お店が出てないと食べれないイメージだからさあ」

「そうか」


 徐々にこの先の展開が見えてきた気がして、ブラッドガルドの反応は次第に雑になっていった。真昼の太陽を思い出すと反吐が出る。夏だろうが冬だろうがそれは変わらない。そして人間どもにあふれた雑踏。


「ブラッド君」

「なんだ」


 だがそこで反応しないのは沽券に関わる。


「またクレープ食べに行こうね!!」


 目を輝かせる瑠璃に対して、ブラッドガルドはミルクレープをもさもさと食しながら無言を貫いた。面倒臭さとクレープのチョコレート味の間で、わずかだが揺れ動いたからだった。

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