82話 生チョコを食べよう

 料理人の男が冷蔵庫の扉に手をかけると、その後ろから何人もの人々が固唾をのんで見守っていた。

 扉が開けられると、ひんやりとした空気が中から出てくる。おお、と後ろから声があがる。その声を無視して、男は中に入れられたトレイを取り出した。扉を閉めると、人々の間をかき分けて後ろのテーブルにトレイを置いた。

 その周りを人々が囲む。

 そこにあったのは、棒状に保管されたキャラメルだった。


「おお~」

「で、あとはこいつを切るだけなんだが……。そもそもこの騒ぎはなんだってんだ?」


 男は微妙な顔つきで、人々に普通に混ざっている瑠璃に尋ねた。


「あ~。私が、キャラメル固めたやつは食べないの? って言っちゃったから……」


 瑠璃も若干困ったように、軽く耳を掻きながら言う。

 この世界では、『キャラメル』は宵闇迷宮での発掘品であり、同時に再発見されたものでもある。存在しなかったのではなく、東方の草原地帯で作られているキャンディという形で存在しているが、地域菓子の域を出なかったのである。

 しかし宵闇迷宮においては、いくつかの料理――特に菓子類――に、「キャラメル味」が存在していた。特にポップコーンにかけられていたり、ナッツなどに蜂蜜の代わりにかかっていたりした。

 そのせいか、このあたりの国々ではキャラメルは何かにかけるものという認識になりつつあった。それで、固めたものをそのまま食べるという発想が抜け落ちていたのである。


「でもまさか、キャラメルを固形にして食べるって発想が出なかったのは驚きだよ……」

「まあ俺たちが好きで固めて喰ってたってくらいかな」

「特権特権」


 料理人の男たちがうなずき合う。

 飴と同じで、両手を動かしながらでも食べられるキャラメルは好評だったらしい。こうして料理人たちがたまに作っては食べるくらいのものだった。

 キャラメルで頬を膨らませて、下働きの少年が言う。


「に、したってひでぇよなあ。カイン様にも内緒で食ってたとか、厳罰ものだぜ」

「そんなことで厳罰にされたくねぇけど!?」


 慌てる料理人を見て、瑠璃が笑った。


「あはは。まかない感覚?」

「おうルリ。それだそれ」


 これは俺たちのまかないなんだよ、とうんうん頷いて訴える。

 そう言っている間に、小さく切ったキャラメルが次々消えていく現状を憂いた。


「これ、バレなくていいかもしれませんねっ!」

「いやバレるでしょ」

「私はもっと柔らかくてもいいかしらね~」


 メイドたちもなんだかんだ言いながらその味に舌鼓をうつ。


「あー。じゃあ、生キャラメルとかどうかな?」


 瑠璃がそう言うと、料理人たちは目線を向けた。


「生のキャラメル? それってかける状態のやつか?」

「うーん。冷やしてあるけど、もっと柔らかいよ」

「へえ、冷やしてあるのに柔らかい。そりゃ気になるな」

「たぶん、生だから……?」

「生魚とか生肉とかの生か? それとは何か違う気がするんだが……」


 急にワヤワヤになってきた説明に、料理人はさすがにツッコミを入れる。


「いやでも焼いてない八つ橋は生八つ橋だし……。柔らかいチョコとかもって言うしなあ、他には……」


 瑠璃はヨナルの口の中にキャラメルを入れながら唸る。


「やっぱり生卵とかと同じじゃないかと思うんだけど……」


 瑠璃が顔をあげたとき、他の人間たちは引きつった表情で瑠璃を見ていた。


「ん? どうしたの?」


 瞬きをして、周りの人間たちを見る瑠璃。

 その瑠璃の背後では、赤黒い色が闇の中からぎらぎらと光っていた。唐突に現れたそれは、振り返った瑠璃を闇の中に引きずり込み、影のように地面に消えていった。煤か泥のように残った闇も、最後の一粒までが影の中に消えていくと、その場にいた人々は緊張からようやく解放された。


「……あいつ、自分にブラッドガルドの使い魔が憑いてる自覚無ェのかよ」

「ブラッドガルドに気に入られてる自覚も無さそう」

「絶対無いわ」







「なんで連れ帰ったの!!?!?」


 そのツッコミがなされたのは、翌日のことだった。


「ツッコミが遅い」

「いや遅くもなるでしょ!! 昨日何したか覚えてんの!?」


 唐突にブラッドガルドに連れ帰られた瑠璃は、生チョコについていままで口にしなかった事で散々文句を言われた。だいたいいつもの事なので、瑠璃はその様子を「そういうのは勇者と対峙した時に言ってほしいなあ」と思いながら漫然と見ていた。いつもそうだ。地獄の底から怒りや苛立ちとともに響いてくるような声。自分に楯突く勇者に向けるような言葉。

 そんな扱いをされる理由はただひとつ。

 生チョコの存在をいままで隠していたからだ。

 別に隠してはいない。

 いつものことだ。


 そして瑠璃は、明日持ってくるね、という言葉で解放された。

 いつものことだ。


 ブラッドガルドの爪が、瑠璃の首元に向けられる。


「……本当ならばいまこの場に生キャラメルとやらも無ければならなかったのだぞ」

「えー。やだよめんどい。一日に二つも探さないといけないじゃん」


 あからさまに嫌な顔をする瑠璃。

 そして、爪を刃のようにあてる手をぞんざいに掴んで、ゆらゆらと揺らす。興を殺がれたブラッドガルドは、軽く手を払いのけた。


「それで、結局生チョコの生はなんなのだ」

「ああ、それ? 生クリームのことだったよ」


 瑠璃が頭を掻きながら答えると、ようやくブラッドガルドは落ち着きを取り戻したようだった。


「……生クリーム?」

「生クリーム」


 瑠璃は頷いて、横にあったコンビニの袋を取り出した。

 そして、中からいくつもの箱を取り出す。


「これは……」

「コンビニで買える市販品だけど、結構充実してるでしょ?」


 目の前に並べたのは、コンビニが独自で出しているものや、冬限定で出される生チョコレートだった。開けると個別になっているものや、四角い形がきれいに並べられたものまで様々だ。

 そしてその色合いも、通常のチョコレート色のものから、抹茶味とホワイトチョコレート、赤色をしたイチゴ味まで取りそろえてある。


「……。……なるほど……。……まあ、……。……まあ、いいだろう……」

「めっちゃそわそわするじゃん」


 挙動不審に陥るブラッドガルドに、ざっくりと突っ込む瑠璃。


「黙れさっさと箱を開けろ殺すぞ!」

「はいはい」


 もう開けてるんだけど、というツッコミはこの際さておくことにした。

 ひとまず、個別になっているものは真ん中に置いた紙皿にすべて出してしまうことにした。四角く切られたものは、プラスチック製のつまようじを立てておく。それだけでは足りないだろうから、つまようじの入ったケースも置いておいた。


「でも、生チョコどっかで食べてる気はするんだけど。ほら、中にナッツとか入ってるタイプのチョコレート、食べたことあるでしょ」

「ナッツと生チョコは違うだろうが」

「じゃなくて、中に何か入ってるタイプのチョコって意味だよ……。、材料として使われる生チョコがあるってこと」

「わからん。説明しろ。持ってこい」

「とりあえず生チョコには違いないからね」


 だから目の前の生チョコを食べてほしい、と思ったが、既に延々と途切れることなく食べ続けているので始末に負えない。

 瑠璃は個別になった生チョコを一つ手にとった。イチゴ味とどちらにしようか迷ったが、ひとまずは普通のミルクチョコ味にした。

 袋を開けると、内部の銀色にココアパウダーの粉がこびりついている。


 少しずつかじりとるのでもいいが、瑠璃はそのまま口の中に入れてしまった。ココアパウダーの素っ気ない味わいが舌を転がる。意外に堅牢なパウダーに、自分の牙を向ける。するとチョコレートは柔らかな中身をさらけ出した。

 じゅうぶんに濃厚なチョコレートの味が広がった。普通のチョコレートよりも滑らかにとろけていく。舌の上で本当の意味で溶けてしまいそうだ。


「ん。久々に食べたよこの味! おいしいよね!?」

「……」


 返事はすぐには無かったが、やがて手が止まる。

 引きつったような、悔しげな、具体的に言うなら、虫けらだと思っていた人間から予想外の一撃をまともに受けたような表情で言う。


「……わからん……」

「何その反応? パニックなの? 落ち着いて?」


 反応に困る。


「黙れ貴様は説明をしろ殺すぞ」

「完全にパニックじゃん……」


 ついうっかり口から言ってしまいながら、瑠璃は自分のスマホに手をかけた。


「えっと、なんの話だっけ?」

「生チョコをどこかで食っている可能性の話だ……」

「ああ、そうだった。えーと、生チョコを材料として使う場合だよね」


 話を思い出して、瑠璃はスマホの画面をスクロールさせる。


「ええと、そもそも生チョコレートをガナッシュとか、ガナッシュクリームって呼ぶ場合があるんだよね」

「……それはどのような状況下においてだ」

「基本的に生クリームをあわせるのは一緒だよ。というか同じものだからね。だけどガナッシュは基本的に製菓の材料として使われる場合の呼び名かな」

「……ふむ?」

「ケーキのデコレーションに使ったり、チョコレートの中に入れたりして使う場合だね」

「ほう」

「だからガナッシュにはそれっぽい逸話とかもあるよ。チョコレートにうっかり生クリームを落とした弟子に、師匠がこの間抜け、って意味で『ガナッシュ!』って怒ったっていう」

「……いつもの逸話だな……」


 失敗やうっかりミスで出来たという逸話には事欠かない。

 それが事実かどうかはさておいて、人はそうしたものを信じる。


「生クリームとチョコレートをどの割合で混ぜるかで固さも変わってくるからね。生チョコとして出す場合は、こういう風に固めにしてココアパウダーをまぶすのが定番みたい」

「ココアパウダーは必要なのか?」

「乾燥しないようにするんだったかな」

「……ああ」


 それで納得したようだった。


「生チョコ自体は、1930年に出来たみたいよ。スイスのジュネーブって所にあるチョコレート店で、『パヴェ・ド・ジュネーブ』、つまりジュネーブの石畳って意味の名前で売り出されたのが最初みたい」

「……ずいぶん最近だな」

「もう『最近』の定義がおかしくなってるじゃん……」


 菓子そのものの歴史からすれば『最近』なのは確かだ。


「いまはもういろんなところで発売されてて、中には幻のチョコレートとか呼ばれる類のやつもあるみたいね」

「なるほど。なぜ貴様はそれを持ってこないんだ」

「私のお財布事情も鑑みてくれるかな?」


 そんなものをブラッドガルドの食欲で食べられたら財布がいくつあっても足りない。


「日本だと、公正取引委員会が設定してる定義がちゃんとあって、それに即したものが生チョコってことになってるよ」

「……なんだ? 日本にそのまま入ってきたわけじゃないのか」

「うーん。入ってはきてたんだろうけど……、そもそも日本式の定義を作るきっかけになる商品はあったってことだよ」


 瑠璃は言いながらスマホをタップする。


「1988年に、神奈川県にあるしシルスマリアってお店が作ったのが最初みたいだね。名前は『公園通りの石畳』っていうんだけど、このタイプのチョコレートを『生チョコ』って命名したのはここみたい」

「……確かに、『生クリーム』も日本語だな」

「日本語って理解されてるの怖いんだけど」

「あきれた顔で言うな、殺すぞ」


 言葉のあやであり、まったく怖いとも思っていないのは事実だ。瑠璃は無視した。


「それで、生キャラメルのほうはもういいの?」

「は?」


 これだけ生チョコを堪能したなら、もはやその熱は冷めていると思ったのだ。

 生キャラメルは実際、輪をかけて探すのが面倒臭いと瑠璃は思っていた。

 なにしろ普通のキャラメルならともかく、日持ちしない生キャラメルはスーパーでもあまり入荷されない。だから生チョコで我慢してもらいたい。

 だがブラッドガルドはその怠慢を許さなかった。


「あ? 生キャラメルも明日必要に決まっているだろうが」

「……なんでキレてんの……?」


 だがキレ気味なブラッドガルドからは、葛藤のようなものが感じられた。


「ほんとは生チョコもっと食べたいから?」

「黙れ殺す」


 図星を突かれて語彙が下がりまくっているブラッドガルド。

 瑠璃は近くにあったイチゴ味の包装をやぶると、いまにも噛みつきそうな口の前まで持っていった。何を、とでも言いたげに開いた口の中に、ぽい、と入れる。ヨナルにお菓子をあげる時と、まったく同じやり方だった。

 葛藤を抱えながらも、途端に静かになったブラッドガルドを見ながら、一粒でいつまでもつかなあ、とぼんやり考えていた。

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