挿話47 司会不在の精霊会議

「はあっ、はあっ……はあっ!」


 廃墟の街を、男が駆け抜ける。その後を追いかけてくるのは妙に早かった。奇妙な乗り物を乗りこなして、かといってどこへ行こうと追ってくる。敵うわけないのは知っていた。なにしろ相手は――。


「どうして逃げるんだ?」


 リクが男のすぐ後ろで、静かに尋ねた。


「あ……ああ……」


 男が再び逃げようとしたが、後ずさった背中に廃墟の壁がぶち当たった。これ以上はもう逃げることもできず、男はその場に座り込んだ。

 リクは、魔力の羽を持ってホバーボードのように浮く板をその場に置いた。魔力が途切れ、ただの板きれに戻る。


「し、しらねえ……」

「何がだ?」

「知らんと言ってるんだっ!」


 リクがその男のすぐ近くに迫る。

 男は小さくヒッ、とうめいた。


「お前、女神聖教の神官だろう。こんなとこで何してるんだ」

「知らん! 知らん! 俺は知らないぞ!」


 何も持っていない手を、ナイフでも振り回すかのようにして男はわめく。ひとしきりわめいたあとに、ううう、と小さくうめいた。


「そうだな。……あの邪教徒の拠点から逃げ出したのも知らないよな」

「ぐうっ、うっ、うううう……!」


 男はギリギリと顔をしかめさせて、オオカミのように牙を剥いた。


「なんなんだっ。なんなんだお前はあっ! 邪教徒だと!? おっ、おまっ、お前こそっ、あの偽の女神に与する邪悪の使徒だろうがあ!」


 何を言われてもリクが動かないでいると、男はなんとか立ち上がろうとした。怪我があるわけではない。汗まみれで、ここに来るまでにだいぶ体力を消費しただけだ。


「知っているぞ。俺は知ってるんだ。ははは。お前は知らんだろうがな、この世界には、本当にこの世界を作った女神様がいる……。お前の飼い主みたいな鳥じゃない。正真正銘、この世界を作った女神なんだ! 俺は選ばれたんだ! どうだ、羨ましいだろう!? ははははっ!」

「……その女神が何なのか、わかって言ってるのか?」

「……。わかるぞ。お前だってすがりたいんだな。勇者だなんだってもてはやされてよお。だけど、その女神も偽物だったんだからな。……ははは。でも――駄目だ。お前なんか、新しい世界には要らねぇよぉ!!」


 男はぺっ、と唾を吐いた。

 せせら笑い、黙って見下ろしているリクを見もしなかった。


 リクが口を開こうとした、そのときだった。

 男の目が不意に見開いて、リクの背後で翼を広げたものを見た。暗い廃墟の街の片隅で、小さな光が人の形になる。


「あ、あ……お、お前、は……」


 男は震えながら、内側から湧き上がってくる神への畏怖の念に押しつぶされそうだった。散々偽物だなんだと騒ぎ立てておいたが、実際に目の前にすると、畏怖と神殺しへの恐怖がじわじわと沸き起こってくる。

 目の前にいるのは神であると、認めたくなかった。


「せ――」

『……私が信用できないのなら構いません。それは、不用意に、そして中途半端に人間に関わってしまった、私の罪なのですから。ですが――』


 セラフはしっかりと男を見る。


『彼女だけは駄目。絶対にいけません!!』


 その表情には、強い決意があった。


『彼女が復活すれば、この世界は喰い尽くされてしまう! 私ですら――私たち四柱ですら、もはや敵うかわからないのに。そうなれば、この世界はすべて泥に戻ってしまう!』

「……う、う、嘘だ。信じない。信じないぞ、俺は……」


 目の前で言われていることが、事実であると理解してしまう。

 だが、心がそれを拒否していた。とうてい受け入れられるものではなかった。いままで信じたことが覆され、そしてまた信じたものに裏切られようとしている。二度も裏切られたくないという思いが、他ならぬ真実を拒絶した。


「うああああっ!」


 男は今度こそナイフを振りかざし、いましがた感じた畏怖の念を振り払うようにわめいた。


「いいかっ! 俺たちにはな、もっと上の奴がついてるんだ! いずれお前の信者も誰もいなくなっちまうよ!」

「上の奴だって?」

「へへへ。まさか司祭様までもが俺たちの仲間になるたあ、お前も思ってなかっただろ。へへへへ。……ははははっ。あははは! あ――」


 笑っていた男が突然目を見開き、焦ったようにあたりを見回しはじめた。

 リクもそれに反応し、あたりを警戒する。


「こ――こ――、この――鈴の音……は……!」

『鈴の音……?』

「や、やめろ。やめてください! どこにいらっしゃるのですか!」

『……リク!』

「そこか!」


 セラフとリクが動くのは同時だった。

 リクの魔力弾が、的確に気配を察知したところへと飛んでいった。

 だが向こうもそれはわかりきっていたのだろう。即席の魔力弾がはじかれ、リクが剣を持つだけのわずかな間に、その気配は立ち去ってしまった。だが、その代わりにリクは相手が残したわずかな痕跡を耳にすることができた。


 ――いまのは……、鈴の音?


 さっき、目の前の男も鈴の音がどうこう言っていた。


「ああっ……ああああああああ!」


 その代わりに、男は喉をかきむしるようにしながら膝をつき、目をぐるんと反転させた。それから、どさりと地面にひれ伏す。

 ハッと気がついたリクが、急いで男の前にひざまずく。


「おい。おい! しっかりしろ!」

『……駄目ですリク。彼はもう……』


 セラフは首を振った。

 男の口元からは力無く血が流れ、リクは苦々しい気分のまま眉間に皺を寄せた。くそっ、と小さく呟く。


「……鈴の音、か――」







 アンジェリカは、早足で王宮の中を歩いていた。

 バッセンブルグの王城に来る時は、いつも彼女は姫として来ることが多い。けれども今日は、冒険者の格好のままだ。

 そこで働くメイドたちが、いったい何事かと言わんばかりに、頭を下げながらも視線を投げた。だがいまはそんな視線をものともせず、アンジェリカはひとつの扉の前にたどり着いた。ノックをし、中に入る。


「失礼します。遅れま――」


 中に入って一歩踏み出した途端、なにか柔らかいものを蹴っ飛ばした。


「えっ……」


 思わず下を見ると、アンジェリカの足は誰かの尻を蹴っ飛ばしていた。ゆっくりと足を退ける。


「……なにこれ?」


 正確に言うと、目の前で見事な土下座をしながら縮こまっているセラフを見下ろしながら言った。


『いやー、あっはっは』


 その先のテーブルには小さな人型の泥人形が、水球を持って笑っていた。水球の中には、青色の小さな魚が泳いでいる。


「あ、アズラーン様にチェルシィリア様……っ、ですよね!?」

『そうだよー』


 泥人形が手を振る。


「い、いったいなにが……」

「ああ、それがな」


 声をあげたのは、なんともいえない表情をしていたリクだ。


「神々は裏で動こうって話だったのが、普通にめちゃくちゃ表に出ちまってな……」

「ああ……」

『とりあえずセラフ、邪魔よ。いい加減頭をあげて、鳥の姿になってちょうだいな』

「はい……」


 いまにも溶け落ちそうになりながら、セラフの姿は白い鳥と化した。アンジェリカはその白い鳥を両手で拾い上げると、そのままテーブルの上にのせた。


「しかし、セラフが白い鳥になれるから、他の精霊も……と思ってはいたけど」


 まじまじと見つめるリクのやや不躾な視線にも、アズラーンは手を振って応戦した。


『そりゃそうだ。ブラッドガルドだってなれるよ。前だったら赤いトカゲってところだけど、いまの彼だったら……そうだね、黒い蛇ってところかな』

『食われそうよね。特にセラフ』


 しれっと言うチェルシィリアに、リクは引きつった笑いを返すしかなかった。

 完全にブラッドガルド一人の足並みが合ってない気がする。

 アンジェリカは用意された椅子に座りながら、目を瞬かせた。


「そのブラッドガルドはどうされたのです?」

『いないよ。というか来ないよ多分』

「マジで足並み揃ってないじゃねぇか」

『気配が無いのよ。たぶん、あっちの世界に出かけているのでなければ……、そうね、極限まで気配と魔力を押し殺して、隠れてしまっているかのどちらか。そうなってしまえば、ほとんど人間と変わらない』


 どうして隠れてるんだろうな、と言おうとして、言う前に理由に気付いた。

 他の神々が引っ張りだそうとするのが気に食わないからだ。


「……そうなると、他の神でもわからないのか?」

『そうね、わかることはわかるけれど、手間取るのは確かね』


 肩をすくめるようにチェルシィリアが答える。


『うーん。魔女の……というか、ルリ君がいればわかりやすいんだけどね』

「えっ、なんで瑠璃?」

『ルリの近くにいて、ルリが『ブラッド君』なんて呼び方をしてるのがブラッドガルドでしょう?』

「……。ああ……」


 そう言われると理解できた。

 瑠璃はブラッドガルドのことをブラッド君と呼んでいるからこそわかることだ。単にブラッド君、と呼んだだけでは、普通の名前にも聞こえる。まさかそれがブラッドガルドだとは思わないだろう。


「た、確かにブラッド君って呼んでるわね。変わった呼び名よね、『ブラッド』って」

「えっ、そうなのか?」


 リクがアンジェリカを見て言う。


「別におかしくはないけど、ブラッドガルドをブラッドって呼ぶのは何か変な感じなのよね」

「……ぜんぜんわかんねぇ。ブラッドガルドだからブラッドはまあ妥当かなって思うんだが……」

『でも今日は彼にとって面白いものが見れた気がするから、来たかもしれないけど』

『それはそれで延々と話が進まない気はするわね……』


 その隣で、白い鳥が完全に体を伏せていた。


『まだやってるしね?』

『まあまあ。ほら、向こうさんにも僕らが目覚めたり、きみが絡んでくるのはある程度想定の範囲内だったと思うよ』


 アズラーンは宥めるように言って、白い鳥の羽をぽすぽすと叩く。


『何しろ、僕らは彼女の復活を感知して目を覚ます――。活動が活発化すればいずれ相まみえるのは当然のことだからね』


 その手の水球で泳いでいる青い魚が、白い鳥を見下ろす。


『まったく。中途半端に人間に関わるからよ。もうちょっとうまくやりなさいな』

『きみもわりと海の女神として堂々と入ってったって聞くけどね?』


 アズラーンが言うと、青い魚はなんのことかというように首を傾いだ。


『やれやれ。真面目に潜入してるのは僕だけか』

『私はあなたが奴隷になるのが趣味なのかと思ってたわ……』

『変な誤解はやめてくれるかい!!?!?』

「あ、あのう……、それで、今日はいったい何を?」


 アンジェリカがおずおずと発言すると、神々ははっとしたように気を取り直した。


『そ、そうだった。では僭越ながら……』


 する必要があるのかはさておき、アズラーンは泥人形のまま咳払いをした。

 一人足りないが、精霊会議の始まりだ。


『では、まず――。原初の女神の拠点に関してだけど』


 リクとアンジェリカも背筋を正し、その様子を見下ろす。


『そもそもは、バラバラだったんだよ』

『バラバラ? え? なにがです?』


 セラフが、わけがわからないまま尋ね返す。


『だから、僕たちが調べてきた、原初の女神に関しての拠点だよ。いくつかの拠点を調査して思ったんだけど、宗教であったり、ひとつの文明であったり、文化であったり――はたまた純粋な研究対象だったり、バラバラだったんだ』

『文化の名残も、各地に散らばっていましたが……、直接的な関係は失っていたものもありました』

『つまり、元々はそれぞれ独立した組織や文明だったってこと。それがまず前提だ』


 アンジェリカは、先が見えないまま頷く。


『けれど近年、特にここ最近になって、それらのバラバラだったものに共通点が見られるようになったんだ』

「あ……、そういうことですか」


 ようやっと、アンジェリカはアズラーンが言いたいことがわかってきた。

 その隣でリクが口を開く。


「確かにそうだったな。こっちでも拠点はいくつかおさえたけど、個人が趣味でやってるような研究家もいたんだ。そういう人にはちゃんと話が聞けたけど、最近になって知識を提供してくれる人が現れたらしいんだ」

『そのとおり。研究者であれば、学者が。何らかの宗教組織であれば、導き手が。……なんらかの知識を携えて、やってくる。勧誘される場合もあるようだね。そしてその人物に共通するのが――どうも僕らの感知じゃ捕まらないんだ。向こうもわかりきってるみたいで、すぐに逃げてしまう』

「……ということは、何者かが『原初の女神』に関する人々に接触していて、バラバラだったものをまとめ上げようと?」


 アンジェリカの問いに、チェルシィリアが答える。


『何者か、ではありませんね。手が広すぎて、一人だとは思えません』

「そ、それじゃ、わからないんじゃ」

「いや。……たぶん、共通点はある」

『……鈴の音、です』


 セラフがぽつりと言った。


『みな、鈴の音だけははっきりと覚えていました。鈴の音が特徴だと言う者や、鈴の音が聞こえて……死んだ者もいました』


 やや重苦しい空気が満ちたのは、ここに二人も人間がいるからだ。


「ああ。鈴の音が共通点なんだ。おそらく、それを持つ何らかの組織や個人が、原初の女神に関する知識や、女神を知る人数を増やそうとしている」

『顔や姿は隠すことができても……。おそらく、変えられないものがある。ということは、魔人の類かもしれませんね』

「魔人かあ……」


 魔人といえばブラッドガルドが有名すぎて、イコールになっているふしがある。

 しかし本来は、人の姿に近い魔物を指す言葉だ。人の姿に近いものほど、社会性や文明化された種族への擬態能力を持ち合わせていることになる。つまり、知恵もまわり、強力な魔物ということだ。


「つまり、鈴を持った魔人らしき誰かが、女神を復活させようとしている?」

『おそらくそれでいいと思う』

「でも、どうして魔人が、原初の女神を復活させようとしてるのかしら?」

『そこまでは。ですが、ある程度予想はつきます』

「へえ?」


 続きを促すと、チェルシィリアはできるだけ無心のまま言った。


『……神と同等の力を持つことです』

「……なるほど」


 リクが頷くと、それで話がまとまった空気ができた。


『そうだ。リク君。アンジェリカ君でもいいけれどね、ルリ君に今日の話をどちらか伝えておいてくれないかな』

「いいけど、どうしてルリなの?」

『ブラッドガルドに直接伝えるより、的確に本人に伝えてくれそうだから』

「……ああ……」


 リクとアンジェリカは同時に頷いた。

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